「お断りします」
連也は断った。
一ミリ秒の躊躇いもなく断った。
まるで最初から答えが決まっていたかのように、淀みなく断った。
「そ、そんなあっさり……」
「だって、俺だってまだ修行中ですし、とても人様に教えられるレベルじゃないです」
言いながら、連也は一瞬目を伏せた。
念道の師である父を病気で亡くし、新たに指導してくれる者もいない現状、彼の念道は半分我流のようなものだ。先祖代々の教えを中途半端な形で遺していく事になるのではないか……そんな危惧が常に心の片隅にある。それが一瞬、
「そもそも、先輩たちが悪魔だってんなら、人間にはない力だって持ってるでしょ? それを極めていく方が余程早い。何よりも、万が一の事態に対して、俺は責任が持てません」
「万が一の事態?」
「……先輩たちが、俺から教わった念道を悪用しないという保証はない。先輩たちから教わった別の誰かが悪用しないという保証はもっとない。
だけど、先輩たちに教えといて他の奴には教えないなんて訳にはいかないし、先輩も、自分たちは習ったけど他の奴はダメなんてのは、筋が通らない……だから、その願いだけは聞けません」
「……それほど危険なものでもあるのね」
先程の連也の説明でも、『念』は物理法則をも超越したエネルギーだと言っていた。
それを自在に操れるようになれば、良からぬ事を考える者は確かに現れるだろう。リアスが眷属と共に討伐してきたはぐれ悪魔の中にも、そのような手合いはいた。
「そういう事なら仕方がないわね……変な事を言ってごめんなさいね、秋月くん。
最後になるけど、あなたが倒したはぐれ悪魔には仲間がいて、彼等もこの町に侵入してる可能性があるの。もちろん私たちの手で迅速に対処するつもりだけれど、あなたもくれぐれも気を付けてね?」
「わかりました」
話はそれで終わった。
連也はリアスとその眷属たちに、玄関まで見送られる。家まで送りたいというリアスの申し出は、丁寧に断った。
「そんじゃ、お邪魔しました」
それだけ言った連也は、去り際に軽く手を上げた。リアスの後ろにいるゼノヴィアに向けて。
ゼノヴィアも、同じように返した。
◆
連也は「明日の朝には目を覚ますだろう」と言ったが、その「朝」とは具体的には午前九時くらいを想定していた。
しかし一誠が目を覚ましたのは、その予測よりも早い午前七時であった。
パチッと目を開き、カーテン越しの朝陽でうっすらと照らされた自室の天井を見る。一瞬の記憶の混乱があった。夜の公園にいた自分が何故家に戻っているのか?
だがすぐに、村山と片瀬の裸体を思い出し、次にそのそばにいた少年を見て、そいつが犯人だと思い込んで殴りかかった事を思い出した。
放った左拳をよけられたと思った瞬間、そいつの持っていた木刀で腹を打たれた事、気を失う寸前に見たのが、自分の邪魔を二回もしたあの怪しげな少年の顔だった事も。
「あ、あの野郎!」
「あ、おはよう、イッセーくん」
傍らから声がした。
ベッドの横で、椅子に座って小説を読んでいた木場祐斗だった。
悪魔の視覚ならば、今くらいの明るさでも読書には充分なのだ。
「具合はどうだい? どこか痛い所は?」
「ああ、全然平気だ……って、そうじゃねえよ! おかしいだろ、なんでお前なんだよ! 普通こういう時にそばに居るのはリアスとかアーシアとか朱乃さんとか、そうでなくともロスヴァイセさんとかゼノヴィアとかレイヴェルとか小猫ちゃんとか……とにかくもう、なんでお前なんだよ! おかしいだろぉぉおおお!」
「……うん、確かにまったく問題ないみたいだね」
一誠の悲痛な叫びを祐斗は鮮やかに受け流した。
「リアス様とアーシアはおばさんと一緒に朝ごはんの支度をしてるよ。ロスヴァイセさんとゼノヴィアはもう学校に行ったし、小猫ちゃんとレイヴェルは、はぐれ悪魔の仲間も町内に侵入してるかも知れないから、その探索。ギャスパーくんも一緒だ。朱乃さんはお仕置き部屋でまだ吊るされてる。で、君が目を覚ました時に誰も居なかったら寂しいだろうから、僕がそばについてたんだよ」
「だからその人選がおかしいって言ってんだるるぉおおお!?」
巻き舌になりつつなおも叫ぶ一誠。
「目が覚めたようね、イッセー」
ドアが開き、リアスが入ってきた。
「リアス」
「体の具合はどう? 気分は?」
「いや、全然平気だよ。あんな奴のちんけな攻撃、屁でもないぜ!」
「それは良かったわ……心置きなくお仕置きが出来そうね」
「……え゛っ!?」
この時、一誠の目には、リアスの身体から陽炎めいてユラユラと立ち上る怒気が、ハッキリと映し出されていた。
◆
敷地内の一角にある離れが、『お仕置き部屋』である。
既に朱乃が、襦袢の上から柔肌に荒縄を食い込ませて天井から吊るされていた。
白い肌はしっとりと汗ばみ、紫色の瞳は快感に濡れて、恍惚としただらしない表情を恥ずかしげもなくさらけ出している。
その隣で、パンツ一丁に剥かれた一誠がやはり吊るされていた。身体のあちこちに、鞭で打たれた痕があった。すぐそばの朱乃の痴態も目に入らず、正面で乗馬鞭を持って佇むリアスにおどおどした視線を投げ掛けている。
「――という訳で、秋月くんはむしろあの二人を救った恩人だったのよ? それをあなたと来たら、事情を聞こうともしないで殴りかかるなんて……」
「ご、ごめんよリアス……村山と片瀬は去年同じクラスだったんだ……その二人があんな風になってるのを見たら、ついカッとなって……」
「カッとなって、わざわざ
リアスは苛立たしげに、髪を掻き上げた。
「あなた、自分がどれだけ幸運だったかわかっていないようね」
「わ、わかってるよ……以前アザゼル先生にも言われたよ、ああいうのを格上相手にやったら殺されるって。そういう意味では、確かに運が良かっ、あぎゃあっ!?」
リアスの手がひるがえり、乗馬鞭が一誠の腹を打った。
「そういう事ではないのよイッセー……全然わかってないのね。
いい事? もしも秋月くんが何の力も持たない、本当にあそこを通りかかっただけの一般人だったとしたら、あなたはそんな無実の人間を的外れな怒りで殺していたかも知れないのよ?」
「うっ……」
ようやくその事に気付いたらしく、一誠は小さく呻いた。
「クイーシャの件もそうよね。何の非もない相手に一方的な怒りから来る殺意を向けて……」
「あ、あの時は仲間が次々やられて……」
「それは向こうだって同じだし、対等なルールで戦っていたのだから、どんな結果になろうとも恨むのは筋違いよ……まったく、こんな体たらくでは、上級悪魔の昇格も取り消してもらわなくてはいけないわね。あなたの将来の眷属や領民がいつどんな理由で傷つけられるか、わかったものではないわ」
「そ、そこまで言わなくてもいいだろ……」
「秋月くんを殺してしまった後でも、同じ事が言えるの?」
乗馬鞭で一誠の頬をペチペチと叩きながら、リアスは凄んでみせる。
自分の持つ力の強大さやそれに伴う責任を考慮せず、感情のままに力を奮う。そんな男を自分と同じ上級悪魔とも、将来の伴侶とも認めたくない。もっと身分に相応しい落ち着きを持ってもらいたい。
一誠を愛するからこそ、リアスの態度はここ最近厳しいものとなっていた。
一方朱乃は、吊るされた自分のすぐそばでの二人のやり取りに、擬似放置プレイめいたものを感じて、豊満な肉体をビクンビクンと震わせていた。
◆
昼になって、リアスのお仕置きとお説教から解放された一誠は、重たい足取りで登校した。
(上級悪魔になってから、いい事ないよなぁ……)
リアスもゼノヴィアも口うるさい事を言うようになった。二人だけでなくアーシアも、オカルト研究部部長という立場がそうさせるのか、一誠に対してまるで母親のようにお小言を言う事が増えた。
変わらず接してくれるメンバーもいるが、この三人から怒られる事が多くなったのは確かだ。別に自分の普段の態度が前よりもだらけて来ているとは思えない。なのに事あるごとに文句を言われ、その内容も「上級悪魔としての自覚と責任を持て」の一言に常に集約される。同じ説教を何回も聞かされているみたいで、なおさら疲れてしまうのだ。
正門から入ると何だか目立ってしまいそうなので、裏門から校舎に入った。
教室に荷物を置き、授業前に用を足しておこうと廊下に出たところで、バッタリと連也に出くわした。
彼の顔を見た途端、昨夜の村山と片瀬のあられもない姿を思い出し、怒りが湧いてきた。
「……よう。昨日の事で話がある。ついてこい」
嫌だと言おうものなら力ずくで連れていくつもりだったが、一誠の言葉に、連也はあっさりと従った。
校舎の裏庭は日陰になっていて、人気もなく静かだ。
「リアスから聞いた。村山と片瀬を、お前が助けてくれたんだってな」
「ああ」
「……あの二人と最後まで一緒に居たのもお前だったんだっけか」
「ああ、そうだけど?」
「そうか」
それを確認すると、一誠は握り拳を連也の頬に叩きつけた。連也はこれをまともにくらい、たたらを踏んだ。
「なんで殴られたかわかるよな? お前があの二人を守れてないからだよ……」
一誠の声は怒りで震えていた。
「お前が公園で別れたりしなけりゃ、村山も片瀬も怖い思いや恥ずかしい思いをしなくて済んだんだ! 危ないところを助けりゃそれでいいってもんじゃねえ! 危険を事前に排除する、危ない目に遭うのを未然に防ぐ! そこまでやって本当の意味で
「……ご高説はありがたいけどな、そりゃお前等の仕事なんじゃねえのか?」
「話を逸らすな! 今はお前の事を話してるんだ! リアスの話じゃ物凄い力を持ってるみたいだけど、そんな力があるくせに真剣に人を守ろうとしない奴を見てると苛つくんだよ!
今のはお前のせいで怖い思いをした、村山と片瀬の分だと思え!」
一誠は
自分たちがもっとしっかりしていれば、あるいは別の、もっと良い結果になったかも知れない。そんな思いがある。
だからこそ、むざむざとかつてのクラスメートたちを危険にさらした連也が許せなかったのだ。
「言いたい事はそれだけかい、イッセー」
背後からの声に振り向くと、ゼノヴィアが立っていた。眉間にシワを寄せて、一誠を睨み付けている。
「ゼ、ゼノヴィア……?」
その険しい表情に、一誠は思わずたじろいだ。
ゼノヴィアはそんな彼の正面に、ズイッと歩み寄る。
「元同級生の恩人に対して、ずいぶんな言いぐさじゃないか。連也があの二人を救ったのは紛れもない事実なのだけどね」
「いや、でも、それだけじゃダメだろ! こいつにも言ったけど、危険から救うだけじゃダメなんだ、それじゃ遅いんだよ!」
「……まぁ、それはそれで一理ある。だが、連也に対して、他にもっと言うべき事があるだろう?」
「え? えーっと……」
一誠が考え込んだ瞬間、ゼノヴィアの鉄拳が一誠の頬を打ち抜いた。連也が殴られたのと同じ場所を。
「今のは、勘違いで殴りかかられた上に、謝罪もなしに更に殴られた連也の分だと思え」
ゼノヴィアの声は、鋼鉄のような暗さと冷たさを宿していた。