一誠を殴り飛ばした後、ゼノヴィアは連也を保健室へ連れて行く。背後で一誠が何やらわめいていたが、無視した。
保健室はちょうど誰もいなかった。鍵は掛かっていなかったから、校医の木野はすぐに戻ってくるつもりなのだろう。
「すまなかったね、連也。痛かっただろう?」
「いや、平気だ」
現に、殴られた口許の出血は既に止まっていた。ゼノヴィアが戸棚から赤チンだのガーゼだのを探して取り出す間にも、傷はどんどん治っていく。
体内で練り上げられた気は、『念』へと昇華させる他にも全身の細胞を活性化させて、自然治癒力を高める事も出来る。
それでも、「私の気が済まないから」と言って、ゼノヴィアはほぼ形だけではあったが、手当てをした。
連也は椅子に座り、おとなしくされるがままだ。すぐそばから漂う髪の香りが、嗅覚を優しく刺激する。
間近で見ると、真剣に手当てしてくれるゼノヴィアの表情にはひたむきさがあり、何よりも可愛らしかった。
琥珀色の瞳。
小さめの鼻。
ふっくらした唇。
どれもが連也の視線を吸い寄せて離さない。
しかも、今は保健室に二人きり。
目の前の少女に触れたいという衝動が、連也の胸の中でムラムラと込み上げてくる。
「さっきは一誠がすまなかったね。私からも、謝罪させてもらうよ。すまない」
手当てを終えたゼノヴィアは、そう言ってペコリと頭を下げる。
「一誠は最近上級悪魔に昇格したばかりなんだ。元々その場の感情で突っ走りやすい奴だが、上級悪魔としての責任やプレッシャーで、少し暴走しているのかも知れない。どうか許してほしい」
「ゼノヴィアがそこまで言うなら……大して痛くもなかったし、殴られた事は気にしないでおくよ。言ってる事は、一理あるしな」
「いや、それもない。アイツの言っていた事は、本来我々が町の管理者として心得ておくべき事であり、一般人の連也がそこまでする義務はないんだ。一民間人でしかない君には、そもそも出来る事も限られているだろう? どうかあまり深く考えすぎず、まずは自分の安全を優先してくれ」
「そうか……そうするよ」
連也は
正直なところ、一誠の事は気にくわない。
普段の行動もあるが、昨夜リアスから聞いた話で、ますます気にくわなくなった。
悪魔には下級・中級・上級とあり、上級悪魔のみが眷属として他の悪魔を従える事が出来る。
一誠はつい最近、その上級悪魔に昇格し、眷属を持つ事が許された。そして自分の眷属に、オカルト研究部部長のアーシア、その顧問で公民科の担任教師であるロスヴァイセ、そして、今自分の目の前にいる少女ゼノヴィアを迎え入れたと聞いた。
他の二人はともかく、ゼノヴィアが一誠の眷属となっている事、一誠がゼノヴィアの主人である事が、無性に腹立たしくて仕方がなかった。
だが、それはそれ、これはこれだ。
一誠の言う通り、自分がもっと上手く立ち回れたら、村山と片瀬が被害に遭う事自体なかったのではないかと思う。
師である父を亡くし、自分の念道は半分我流のようなものなのだから、仕方がないのだ――などと、果たして二人のクラスメートに対して言えるだろうか?
言えるはずがない。
言う資格などない。
(……とはいえ、どうすりゃいいのかね)
父に代わる新たな指導者など、そうそういるものではない。いたとしても、簡単に出会えるものではない。出会えたとして、果たして指導してくれるかどうかもわからない。
このまま、中途半端にしか人を守れない、中途半端な力を抱えて生きていかねばならないのだろうか……?
連也の胸に、そんな不安や危惧、焦りが渦を巻き始めていた。
「連也」
ゼノヴィアが、不意に少年の手を握った。
その瞬間、連也は全身の力みがほぐれていく感覚に見舞われる。
「あまり思い詰めるな。君は、君の出来る事をした。それでいいじゃないか……村山と片瀬は去年の同級生で、今も大切な友達だ。君はそんな私の大切な友達を救ってくれた。それだけは確かな事実なんだ。感謝してもしきれないよ……本当に、ありがとう」
彼女の言葉が、耳に心地好かった。
優しく、包み込むように握ってくれるその手は、柔らかく、暖かかった。
◆
放課後。
駒王学園の正門前に、二人の男女が立っている。
男の方は黒いマントをすっぽりと被り、大きめのサングラスを掛けている。
女は、背広とミニのタイトスカート姿だ。しかし素肌の上から着ているのか、襟口からは深い谷間が覗いている。
生徒でもなければ教員でもない二人が、下校する生徒たちの一人一人をジロジロと眺めている……が、生徒たちは誰一人として彼等に注意を払わなかった。
見えていないのではない。生徒たちからはその姿がバッチリ見えているのだが、それを不審に思わないだけなのだ。並木道に木が並んでいるのを不審に思わないように。或いは、市街地に信号機があるのを不思議に思わないように。
二人の男女はそんな認識阻害の結界を、自分たちの周りに張り巡らせているのである。
「――見付けた」
サングラスの男が呟いた。その視線の先にいるのは、秋月連也。ピタリと足を止めて、彼等の方をじっと見ている。
しかし、すぐに「僕は関係ありません」と言う風を装い、足早に歩き出した。不審者の目的が自分らしいと感じて、わざと尾行させて学校から引き離すつもりだったが……。
「待ちなさいよ、坊や」
女がその前に立ちはだかる。背広の下にはシャツどころか下着も着けていないのか、一挙動の度に胸が重たげに揺れた。
「君に話がある」
サングラスの男が連也の背後に回る。
「そっちはあっても、俺には不審者と話す用件も話をする暇もない」
「あら、うちの使い走りを二人も殺っておいて、ご挨拶ね」
「何の事だ」
「隠さずともよい。君は自分と友人の身を守っただけだからな。そもそも、仕事も忘れて遊び呆けた挙げ句に殺られるような間抜けが悪いのだ。気に病む事などない」
「……見てたのか?」
男の、まるで現場を見ていたかのような言い方に、連也は危険を感じた。もしあの場にいたのだとすれば、自分やリアスたちにすら気取られずにいた事になる。彼等がその気だったなら、不意打ちをくらって命を落としていた可能性も……。
「
「おとなしくついてらっしゃいな。言う事聞いたら、オネーサンが気持ちいい事してあげるわよ?」
女は大事な部分が見えないギリギリまで背広の襟を広げて、豊満な胸を見せつける。
「嫌だと言ったら?」
「仕方がないから、回れ右して帰るとしよう」
「ついでにその辺の人間を持って帰って、暇潰しのオモチャにしちゃうけど、あなたには関係ない事だから別にいいわよね?」
「いい訳あるか……わかったよ、俺の負けだ。どこにでも案内してくれ、あの世以外で」
連也は両手を上げて、そう言った。
「いい子ね、坊や。それじゃあ行きましょうか」
女が連也の腕に自分の腕を絡めて、胸を押し当ててくる。しかし、それを喜べるほど連也は呑気ではなかった。
野良猫だろうか。正門の塀の上にいた一匹の黒猫が、門を抜ける三人を見て塀からパッと飛び退いた。
◆
連れて来られたのは、市街地を抜けた所にあるスクラップ置き場だ。
廃棄された粗大ゴミが積み重なって出来た袋小路の奥で、連也は二人のはぐれ悪魔と向かい合った。
「まずは自己紹介をさせてもらおう。私はキング・オルランドの
「キング・オルランドの
女は名乗って、からかい半分に投げキッスをよこす。連也はそれをデコピンで叩き落とした。
「先程も言ったが、私の魔時眼は時間や距離を越えてあらゆる情報を見る事が出来る。君がジャンゴとミドラを倒すところも透視した。どういうものかはわからんが、素晴らしい力だ」
「おだてても木には登らないぞ」
「おだててなどおらんよ。どうだろう、我々の仲間にならんかね? 君のその力を思う存分に奮える場所を、我々のボスが提供してくれるぞ」
「……」
連也はふと考えた。
ここで上手く彼等の情報を引き出してみるべきではないだろうか。後はそれをリアス・グレモリーに教えれば、彼女たちが上手くやってくれるだろう。自分一人で奮戦するよりは効率的だ。それに
「お前等のボスってのは、どういう奴なんだ? 力を奮う場所を与えるとか言ったが、世界征服とかそういうのでも考えてるのか」
「そこまで大仰な話ではない。だが、この世界は君が思っている以上に、戦いで満ち溢れておるのだ。この日本だけでも、世界各地の神話勢力や妖怪魔物の類いが、この国を自分たちの新たな領土にしようとせめぎ合いをしておる。ましてや海の向こうともなれば、人間同士の争いも激化している。こちらから世界征服などと古ぼけたお題目を唱えずとも、戦いの種はそこかしこにあるのだ」
「で、そういう所でお前たちと一緒に戦え、と」
「そういう事だ……君の力は恐らく、長年の訓練によって得た力だ。その努力も、この町ではろくに報われる事もあるまい。我等の王ならば、君の努力が無駄ではない事を証明させてくれるだろう」
「みんな同じ事を言うんだな」
連也はガシガシと頭を掻いた。
「みんな、とは?」
「この町を管理してるリアス・グレモリーさんって人も、この前同じ事言って俺をスカウトしてきたよ」
無論デタラメのハッタリである。
「ほう、リアス・グレモリーからも……」
「そっちの返答は保留してるけど、給料も弾んでくれるらしいし、可愛い女の子もたくさんいるし、福利厚生もしっかりしてそうだ。あんたたちはその辺どうなんだ? あんたのボスは何て言ってた? 何なら直接会って話し合ってみたいんだけど……」
「ふふふ。こちらの情報を得ようと必死だな」
「えっ?」
クルガンの言葉に、連也は一瞬ゾクッとした。
ニヤニヤと笑いながら、クルガンはサングラスを外す。カメレオンのように隆起した眼が、ギョロギョロと左右別々に動いていた。
「私の魔時眼には、そのような光景は映し出されておらん。リアス・グレモリーからのスカウトというのは嘘だ。こちらの情報を引き出して奴に売るつもりか? それとも、まさかボスと直接会って戦うつもりか? どちらにせよ、あまり利口とは言えんな」
「……なら、そんなお馬鹿さんな俺を仲間にしてもしょうがないよな。この話はなかった事に……」
「いやいや、君のその積極性は評価したい。ボスに会いたいのなら会わせてやろう。しかし、その前に少し教育的指導が必要なようだ……シェザナ」
「オッケ~♪」
シェザナが突然、奇妙な構えを取った。顔の前で、両手の親指と人差し指で長方形を作ったのだ。その長方形の中心に連也を捉えると、手を左右に広げる。
「――!?」
瞬間、連也の眉間に走る第六感!
咄嗟に念道の力で強化した脚力で、その場から後方へ大きく飛び退いた。
次の瞬間、左右から大量の土砂が雪崩となって落ちてきた!
こんな物がどこから来たのか? いぶかしむ連也の目に映るのは、冷蔵庫や自転車、自動車などのパーツだった。そして連也は、突如発生した土石流の正体を知った。これは、さっきまで左右に積み重ねられて壁を作っていた粗大ゴミたちだ。それがドロドロに溶けて液体となり、押し寄せてきたのである。
そう理解しつつ着地した連也の足が、膝まで地面に埋もれた。アスファルトで舗装されたはずの地面も、液状化しているのだ。かなり深いところまで液状化しているらしく、連也の体は自重で更に深く、胸元まで沈んでいく。
「つっかま~えた♪」
「よし、後は固めてからボスの所へ連行しろ」
「アイアイサー」
シェザナは再び、指で長方形の枠を作った。これが液状化能力を行使するための“スイッチ”なのだ。
連也が、右手を開いて天に掲げた。
掌から白い光が溢れて、そこから柄巻きされた木刀『飛龍』が現れる。掴んだ木刀で連也は目の前の地面を叩いた。そんな事をしても、水を打つのと大して変わりはない……はずだった。
だがその打撃の反動によって、少年の体は底無し沼と化した地面から脱出し、空中へと舞い上がる!
「嘘ぉっ!?」
「よけろ、この馬鹿!」
クルガンが驚くシェザナの襟首を掴み、その場から飛び退く。
その時、連也は既に飛龍を横一文字に振り抜いていた。木刀からほとばしる破邪の『念』が、刃となって飛翔し、二人のいた地面に深く大きな切れ込みを入れた。
「今度こそ!」
シェザナは再度能力を行使する。指で作った枠に捉えたのは、連也が着地するであろう地面と、その周囲の液状化されてないスクラップの壁。
連也の足が地面に触れた。
スニーカーの爪先がかすかに沈み――同極性の磁石同士が反発するように浮いた。少年の体は水に浮くアメンボのように、液状化したアスファルトに波紋を浮かべながら直立して浮いていた。
そこへ左右から押し寄せる、粗大ゴミの大瀑布!
連也は地面に飛龍の先端を突き立てると、勢い良く振り上げた。液状化したアスファルトやその下の土が木刀の切っ先にまとわりつき、空中に水流となって舞い踊る!
「念道剣、
左右からの雪崩にその水流を放つと、液状化した粗大ゴミの方が、木刀で巻き起こされた細い水流に吸収されていく。そして一つの巨大な流れとなって、シェザナとクルガンに襲い掛かった。
しかし念道によって生み出された怒濤は、突如発生した業火のカーテンによって遮られて蒸発した。
「まだ、仲間がいるのか!?」
「その通り」
答えたのは、素肌の上から革ジャンを着た若い男。髪を剣山のように逆立て、細い目と薄い唇の、酷薄な顔立ちだ。
そして彼よりも頭二つ分も背の高い、コートの男。
二人とも、背中からコウモリのような翼を広げて宙に浮いていた。
「俺はキング・オルランドの
「私は兵藤一誠の
連也の耳に、知ってる声が聞こえた。
上空を白い光が烈風のごとく駆け抜けると、バズソーとドルトーレの翼を切断する。二人は難なく着地したが、翼の切断面からは火であぶられたかのように煙が出ている。
「この町で暴れる事は許さん。我が校の生徒に危害を加える事は、尚の事許さん。この刃に刻まれし
連也の背後に、ゼノヴィアが立っていた。
駒王学園の制服ではない。黒のタイツスーツに身を包み、その手には金色の鍔と青い刀身を備えた、少女の背丈ほどもある大剣が握られている。
不滅の刃デュランダルは、獅子のごとく獰猛な唸り声を上げていた。