「司令官ならば、上手く遣れた筈だ。」当時代理指揮官の任を全うしていた大淀は、そう云った。
□○◇◇時。護衛部隊、敵艦隊に捕捉される。
《敵空母の艦載機、発艦確認!》
《バレたぞ! サントアンネ、サントロープは最大船速! 全艦、第二戦速。高射砲、機銃用意! 那珂! 水偵は潰しても妖精は戻って来れんだ、時間稼ぎしろ! 初風は俺と配置を変われ!》
俄かに無線の先が騒がしくなると、大淀は焦りを堪える為に深呼吸をした。
当時の作戦室には、大淀の他に三人の情報担当官がいた。一人は部隊との通信官、一人は記録官、もう一人が他鎮守府および泊地への連絡官である。
大淀の前には海図と部隊情報が広げられ、天龍隊、敵部隊達の想定される位置、支援要請した泊地の場所などに、凸型の駒が置かれている。
《大淀! 一番近い泊地はどっちだ!》
無線機の前の女性士官が答える。
「タウイタウイ三一本隊から天龍へ。北北東三十度に強速で五時間です。其処に先程支援要請を送りました。該当泊地は現在部隊編成を行っている模様。」
《よし――――撤退戦に移る! 全艦、北北東に舵を取れ。初風は引き続き先頭を走れ! 那珂は左舷後方に回って暁と変われ。ケツ捲って逃げるぞ!》
そして、天龍の命令と間を置かずに、既に接敵していた偵察機が被弾する。
《偵察機被弾! こんの……!》
戦闘詳報には、その後直ぐに偵察機を帰艦させた事になっていたが、司令部の記録には、敵巡洋艦にぶつけ、中破させたとある。また、鎮守府配備の零式水上偵察機の数が書類と合わなくなっているため、詳報に誤りがあると見られる。
《……やるじゃねえか、那珂。偵察機、敵軽空母に墜落、効果は分からんが煙は上がってる。》
其の場にいた情報官によると、天龍からの報を聴いて、大淀は慌ててマイクを取り、那珂の偵察機の扱いを叱責したようだ。其れに対して天龍は歯牙にも掛け無い様子だったと言う。
《構うもんか、敵には空母がいるんだ、あっという間に制空権を取られてチン、だろうよ。》
《それに、川内ちゃんからもう一機借りてきてるもん。》
那珂も、悪びれもせずに、もう一機偵察機を持ち出している事を吐露した。大淀は頭を抱えていたと言う。
《敵航空隊接近! 大淀、怒るのは後だ! 全艦、機銃掃射!》
「……分かりました、護衛部隊、目算で良いので敵航空隊の数を報告して下さい。」
□○☆○時。敵航空部隊と接敵。記録担当官が書いた物には『三機~五機編隊が四つ』と記されている。次の行に、大淀が後発部隊の警戒を無線官に伝えている事が書かれていた。そして、此の記録の真下に『部隊長、コノ回線切ルナ、要請』と走り書きがされてあった。其の通信の前後に此の要請があったと推察される。
《暁、一機撃墜!》
《潮、二機撃墜です!》
其れから十分間に二十八の撃墜報告が司令部に送られているが、此れは経験の薄い艦娘が編成の大半である為、報告が重複したのであろう。詳報での撃墜数は十七となっている。尚、この詳報を書いたのは、副隊長の那珂である。
次々と撃墜報告が上がる中で、大淀は、『正直、迷っていました。』と語る。
艦娘のみを反転させ、反撃戦に移るか、此の儘商船の回りに着き、防衛戦を続行するか。何方にもメリットがありデメリットがあった。問題は、何方が勝率が上がるか、である。編成は水雷戦隊、敵の航空戦力は削いだ、練度が高いのは三艦、改修を二度重ねた者もいる。併し、旗艦天龍は最も旧式の軽巡洋艦で、練度の低い三艦は、本格的な戦闘は初めてである。風向きは此方に向いている。だが、リスクが高い。
大淀は本来、鎮守府沿岸の警備隊に同行し、索敵を行いつつ、隣接する鎮守府の部隊と連絡を取る事を日々の任務としている。司令官が本土に出向などで不在の場合は、一時的にだが運営を任された事もあった。此度のような事は数度ともなく、其の数回も、本土に出向いた司令官と通信を行い、窮地を乗り越えている。彼は今、感染症で病床の上だ。熱が引いたとはいえ、未だ司令室に引っ張り出す訳には行か無い。
《ぐうぅうっ!》
其の時、彼女に判断を迫るかの様に、スピーカーからノイズが響いた。
《っ! 天龍ちゃん!》
《一寸、天龍! 何してるのよ!》
那珂と初風が叫んだ。
「護衛部隊、何があったのか報告して下さい!」
通信官が云うが早いか、焦る那珂の声が届いた。
《旗艦・天龍が脚部被弾の後、反転して機関を停止!》
流れが変わった。そう思った大淀は声を上ずらせて通信官に命ずる。
「天龍に隊列に戻るよう命じて下さい! 護衛部隊は防衛戦を続行!」
「タウイタウイ三一本隊から護衛部隊旗艦天龍へ。今すぐ隊列に戻り、部隊と共に防衛戦を継続してください!」
暫時、通信が入った。
《……タウイタウイ三一本隊へ。命令は了承しかねる。》
まるで氷のような、昏い、いつもの彼女とは、まるで違う声だったと言う。大淀の背筋に水銀を流し込まれたかの様な感覚を味わった。
「護衛隊旗艦、理由を述べて下さい。」通信官が尋ねた。
《商船の最大航高速度はサントアンネが二十四ノット、サントロープは二十六ノット。積み荷があって、今日は波があるのを踏まえると、大体二十ノットがサントアンネの最大船速だ。俺の最大速力は三十三ノットだが、今の攻撃で足を手酷くやられた、波も高い、風向きは南。俺の凌波性なら良くて五ノットがいいとこだ。……追い付きたくても追い付けねえんだよ。》
「なら、全艦反転して天龍の救出を……。」
《那珂と初風だけなら何も問題はねえ案だ。だが、商船が居る。護衛対象から離れるわけにゃ行か無いだろうが。其れに、烏合の衆が束になってギリギリ勝てる戦力差の現状、其の中に足手纏いが居たら、先ず勝て無いだろうが。》
大淀は天龍の経験と事実に基づいた返答に、何も答えられ無かった。
記録には先頭を走っているであろう初風が通信に割り込んだ内容も書かれている。
《天龍、あんた単艦で殴り合う気!? 今のあんたの装備って、魚雷すらないでしょうが!》
《ん、単装砲と機銃……。嗚呼、忘れてた、それと、対艦刀だな。》
《そんな玩具みたいな兵装で、生きて帰れるわけないじゃない!》《何を。俺はちゃんと帰って見せるさ――――なんたって、世界水準……。》《あんたが世界水準だったのは、十何年も前の話でしょう!》
何も策が浮かばず言い合いを聞くしかない大淀に、連絡官が彼女へ振り返った。
「司令官代理、□□鎮守府から救援部隊が出発の報! 並びに、別行動していた航空戦隊からの支援攻撃も行う模様!」
□○☆○時、救援部隊、所属鎮守府を出港。同じくして同鎮守府司令官は別作戦より帰投中の航空戦隊にアウトレンジからの航空支援を命令する。
「救援部隊と航空戦隊へ回線を開いてください! 今の報告を護衛隊へ!」
《聞こえてるっての、大淀、マイク切り忘れてるぜ。》
其処で彼女は耳元のマイクのスイッチを、戦闘が始まって以来、ずっと触っていなかったことに思い当たった。
《救援部隊に航空戦隊から支援とは、豪勢だな。タウイタウイ三一本隊、支援隊の編成を教えてくれ。それから、航空部隊の到着予測も。》
《こちら、□□鎮守府配下、第四部隊旗艦、由良。これより貴鎮守府配下隊の救援に向かいます。タウイタウイ三一本隊、応答願います。》
□○☆◇時、天龍の通信から入れ替わりで支援部隊との回線を開始。連絡官がマイクを取った。
「タウイタウイ三一本隊より□□第四戦隊、現在護衛隊は中破艦が一人出ています、其方の編成を教えて下さい。」
《私以下、駆逐艦五名の水雷戦隊です。了解しました、急いで向かいます!》
《敵航空戦力、全滅!》
《……ああ、もう!》
《那珂! あんたまで!》
《那珂ちゃんさん!》
《潮! ああ、此方が『ああ、もう!』だっての!》
敵航空隊全滅と共に、今度は那珂が反転。同時に潮も反転する。
《護衛隊副隊長・那珂、旗艦・天龍を曳航します!》《護衛隊・潮、那珂と天龍の護衛をします!》
「何やってるんですか! 部隊を二つに分けてしまったら、戦闘になりません! 命令を遂行して下さい!」
大淀がマイクに噛みついた。
《うるせえよ、叫ぶんじゃねえっての。…………だが、言ってる事は的を射てる。那珂は俺を引っ張って戦闘は出来ねえだろうし、潮は護衛対象を間違ってる。二人とも、ちゃっちゃと戻れ。隊長命令だ。》
《そんなの、後で始末書書けばいい話でしょ!》
《見捨てる訳には行きません!だって、天龍さんは……。》
《わかった、わかったって。大淀、航空隊はあと何分で到着だ?》
其の時、司令室の無線機にでは無く、大淀の艤装に、天龍から打電が入った。
《ジカン ハンブン ツタエタシ》と。
「……後、十八分です。」
其の場に居た情報担当官達は大淀の方を振り返った。
《……なんだ、早えじゃねえか。聞いたろ、お前らが来なくても俺は帰れんだっての。其れに、軽空母は未だ航空機が空になった訳じゃねえだろうしな。》
《でも!》
《あー、しょうがねえな。じゃあ、魚雷を一度撃ったら戻れ。那珂、お前は今この部隊での最大火力なんだ、足手纏い引っ張ってちゃあ駄目だろ。護衛対象にくっついてもらわなきゃ困る。》
其の瞬間だけ砲撃音が収まったかの様に、大淀には、スピーカーからはホワイトノイズだけが聞こえた。
《……絶対だよ。》
次に聞こえたのは那珂の声だった。
《約束だよ、天龍ちゃん。》
《ああ、約束だ。帰ってやるよ。だから、潮も、な。》
《……はい。》
□○○△時、那珂、潮、敵艦隊に対し雷撃。駆逐艦二隻の轟沈を確認。同刻、旗艦・天龍、部隊指揮権を那珂に移行。
大淀は頭を垂れていた。
其の後の事を、一生私は忘れないだろう。そう大淀は語った。
《タウイタウイ三一本隊へ、こちら、護衛隊旗艦・天龍。……悪いな、大淀。》
「御免なさい、天龍さん。」
《さん付けは止めろ、未だ作戦中だぜ。》
大淀には、もう此れ以上被害を出さず、彼女を助ける術が思い付かなかった。顔を上げると、士官達が、大淀の統制力のある発言を待って此方を見ている。改めて、彼女は司令官の職の責務を思い知った。
「私が、私が指揮していたばっかりに……司令官が指揮していたのなら、こんな事には……。」
《ならなかったな。彼奴、決断と連絡だけは其れなりに早いし。だが、誰かしら破損はしてただろうさ。》
大淀は、もう一度、御免なさいと繰り返した。すると、スピーカーの向こうから、バリバリと頭を掻く音がした。
《……タイミングを逃したんだ。運も悪かった。人選も合わなかった。もう、過ぎちまった事だ。》
無線から着弾音が聞こえた。天龍が敵の射程に入ったのだ。
《……敵空母、さらに航空機を射出。数は二編隊。敵駆逐艦、巡洋艦、砲撃開始。こちらも射程に入ったぞ。大淀、俺は死ぬ気なんて更々ない。ただ、今を死ぬ気で戦うだけだ。シャキッと指揮を執れよな。》
「……はい。はい。」
このとき大淀がどのような表情をしていたかは誰も語らない。彼女は返事を二つしてから、マイクを切った。
□○○◎時、天龍、単独での戦闘行動を開始する。
「天龍に左舷に回頭後、主砲・機銃、一斉撃ち方を始めるよう命じてください!」
「天龍、取り舵の後、全砲門一斉撃ち方!」
《了解。……天龍、一斉撃ち方、始めるぜ!》
天龍は、いつもと変わりない調子で宣言した。
※ ※ ※
大淀が療養所に入ると、男はあの時の記録官と何事かを話し合っていた。
提督がこちらに気づいた。
「来たか。ああ、敬礼はいい。今は一応、職務の外だ。――では、君は任務に戻ってくれ。」
記録官は敬礼しかけて先程の男の言を思い出し、三十度にお辞儀をして退出した。
「本当は早くベッドから出たいものなのだが。」提督は嘯いた。「そこの医務官が、経過観察が必要だからと許してくれないのさ。もう、とうの昔に完治しているのに。」
部屋の端には医務官が丸椅子に腰掛け、なにか書類を作成していた。こちらを見向きもしないで、彼は言った。
「司令官の感染したマラリアは、一度熱が引いても、またぶり返すんですよ。蚊を媒介としていますので、艦娘たちには移らないでしょうけれども。艦隊指揮の途中で倒れられては私の責任になるのですよ?」
「優しい言葉、痛み入るね。」
提督が朗らかに笑った。大淀が返答に困り口をもごつかせていると、提督は背筋を伸ばし、顔を引き締めた。
「大淀。君を呼んだ理由は、大体はわかるだろう。」
大淀は口の中が乾いていくのを感じながら「はい。」と答えた。
「二つ、話さなければならないことがある。ひとつは君個人に、もうひとつは那珂にも話す。那珂はもうすぐ来るだろうから、先に君個人への話をしよう。」
医務官が立ち上がった。「私は出ていた方が?」
「ああ。十分、いや、八分もあれば終わる。廊下で待っていてくれ。」
医務官が出ていくと、大淀が先に口を開いた。
「……私は、懲戒解体処分でしょうか。」
提督は口だけを笑みの形にしていた。
「これから決まるけれど、そこまで大事にはしないさ。精々が無期限の艤装凍結だ。」
会話が切れ、薄い壁の向こうから、医務官がペンを滑らせる音が聞こえた。水差しからコップに半分ほど注いだ水を、男は一息に煽った。
「……さて、大淀。此度の君の艦隊指揮は、可にはなら無いが不可と言う訳でも無い。殆どの行動と命令において理由を考える事が出来る。只一つの行動を除いて。――――何故君は、航空部隊の到着を早く伝えた?」
「それは――――。」
言うべきか、言わざるべきか悩んでいると、男は目を細めて大淀を射抜いた。
「士気高揚目的とは思えない。あの状況では、全体の士気を揚げたところで、天龍がああなることは、もはや確定的だった。僅かばかりでも彼女が生きる事に執着するのを狙うのも然りだ。逆に、天龍に偽の情報を流し、那珂達の支援がなくても助かると思わせる、と言うのも、無理がある。間接的な暗殺行為にしては、下品で大っぴら。君との怨恨もない。君が何処かの間喋という話も聞いていない。何より、その後の会話だ。天龍は嘘だとわかっていた風だった。」
「………………。」
「言いづらいか。なら、こう聞こう。天龍は、君に何をした?」
「天龍さんは……。」
彼女は黙祷するように目を閉じて俯いてから、また顔をあげた。
「天龍さんは、私の艤装に打電しました。」
「そうか……。」
それだけで合点が言ったようで、続けて彼はこう問うた。
「場に流されたな、大淀。」
「…………はい。」
最早言い訳の余地もなく、大淀は、目を落として肯定する。
「司令官は常に理を持たねばならない。迷う時間は一秒でも削り、冷酷に部下たちに生き死にを命ずる。それを君はできなかった。」
「……はい。」
「天龍は、一刻も早く仲間と商船を自分から引き離したかった。言い方が悪いが、カッコつけたかったんだと思う。だが、那珂らは離れようとせず、助けに来ようとさえする。彼女は、恐らく君の甘さにつけいったのだろう。私なら天龍の思い通りに動かないが、情に溢れた君ならば、とね。」
「………………。」
「そして、君は迷った。迷いすぎた。流れを掴み掛けた所で、口を動かせなかった。結果論にすぎないが、命令を間違えた。分かるね。」
大淀は、下唇を噛み締め、黙して聞いている。それを見た提督は、また水差しをコップに傾けた。大淀は神経の大半を内省にかけて、何も動かない。
壁の向こうからは医務官の声と、誰かは判らないが少女の声が聞こえた。那珂が来たのだろうか。僧思った司令官は、一口水を含んで、大淀を真っ直ぐ捉えた。
「現、指揮官代行/軽巡洋艦娘・大淀。」
名を呼ばれた彼女は姿勢を正す。
「……は。」
「指揮官代行の任を全うした後、無期限の艤装凍結とする。現場海域で艤装の捜索が終わり次第、鎮守府正面玄関受付の、窓口方に任ずる。」
ここは、本土より遠く離れた諸島の、本島ではない離島の鎮守府である。来客など、月に三人いればましであるから、鎮守府内においては珍しい、誰が見てもわかりやすい閑職であった。
艤装解体の手前の処罰に、分かりやすい左遷。大淀は青ざめて強張っていた。
「責任の所在が必要なんだ、大淀。」
「……わかっています。」
「無期限とするのも、私の任意の判断で君を部隊に戻す為だ。君が被る罪は殆ど名前だけのもの。負い目を感じることはない。」
彼女は頭を振った。
「ですが、私は……失敗したのです。」
「誰にだってあることさ。」
「私は……天龍さんを、死なせてしまったんです。」
「違う。」提督は断言した。「彼女は死にに行った。君に命令を促して、自ら進んだんだ。艦隊にとって必要だと思ったから、天龍はそうした。」
大淀は俯いた。
何を言っても駄目か……。司令官は大淀早く立ち直ることを祈り、口をつぐんだ。
バン!
突然部屋のドアが開き、二人はそちらを振り返る。
ドアからは初風が現れた。
「初風さん……。」
「どうした、初風。」
初風は何も答えず、大淀にツカツカと歩み寄った。
「君、止めなさい!」
医務官の制止も聞かず、彼女は胸筋を張り、腕を後ろに引き絞って、大淀の顔を強く打ち据えた。
「ふざけんじゃないわよ!」
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ありがとうございます
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夕方にもう一度投稿します。