SAO異聞 ~curiosity player~ 作:コーメイ
一
キンッと金属同士がぶつかる音が森に響く。
空は夕焼けに赤く染まっているが、木々に遮られ、森の中は薄暮と言って良い。その森の一角で、少年と青年の狭間の時期にある黒髪長身痩躯の男は、握っていた曲刀を鞘に収める。
二〇二二年も十一月に入り、日の入りの時刻も随分と早くなっていた。
それは、現実の時間や環境とリンクしているSAO内でも変わらない。
森の中に居る男、牧村光輝はアバター名《
十一月六日。午後一時に、SAOは正式サービスを開始した。光輝は開発陣の伝手を通じて、激戦とも呼べる限定一万本しかない初回ロットの、SAO製品版の争奪戦に勝利している。
サービス開始と同時に、光輝は曲刀を数本購入した後、すぐに《ホルンカの村》へと移動する。《森の秘薬》というクエストを受け、レベリングと同時に、クエスト報酬である片手直剣を売って金策とする為だ。
開始してすぐに、マップの奥深くに分け入り、MOB狩りをしてレベリング。この事に光輝は苦笑する。開発の手伝いとしてログインした、β時代とする事が変わっていないのだ。
変わっているのは、自身のステータスとスキル。初期値から始めるのが、こんなにも大変だとは思わなかった。
現実世界の方が早く動けるって、と軽く絶望しつつも、リトルペネントと呼ばれる植物型のMOBを屠っていく。
光輝の狙いは、《実つき》と呼ばれる個体だ。そいつの実を割って周囲のペネントを集め、一網打尽にする。
攻撃力・防御力共に不安があったが、攻撃力は手数で補えば良いし、防御面は当たらなければ良い。避けられない攻撃も、被弾する位置を調整すれば痛手にはならない。
幼い頃から鍛えた光輝の眼と思考速度は、それを可能にした。無茶・無謀とも言える行動だったが、リスクを背負っただけあって、ハイリターンだ。
何度かヒヤリとした場面はあったものの、光輝のレベルは既に、五になっていた。もっとも、数本購入していた曲刀も、一本を残してポリゴン片となり、データの海に消えていっている。
右手を振り、メニューを開いて時刻を確認する。メニュー内の時計は、五時二十六分と表示されていた。次いでインベントリを確認すると、クエストのフラグアイテムとなる《リトルペネントの胚珠》は三つあった。
売ればそこそこの金額になるだろう。ここにはもう用は無い。一度《はじまりの街》に戻って装備を整えたら、今日はもう落ちよう。明日からは迷宮区かな。
そう考え、光輝は歩き出した。初期からセットできる二つのスキル枠には、《曲刀》と《索敵》をセットしている。曲刀は刀への派生を考えてであり、索敵は効率良く狩りをする為だ。
索敵スキルを使い、周囲を確認する。集めてから乱獲した為、何も反応しなかった。POPが枯渇しているようだ。
そんなに急ぐ事もないか、と光輝はゆっくりとはじまりの街へ向けて歩き出す。
と、遠くから鐘の音が鳴り響いているのが聞こえ、光輝は顔を上げる。その音を訝しく思っていると、光輝の身体は青い光に包まれた。
全身を包んでいた発光が収まると、光輝は辺りを見回した。良く判らない事態に対し、少しでも情報収集をしようとしたのだ。
見回した光景には見覚えがあった。数時間前、このゲームにログインした時に見た光景だ。
――黒鉄宮。はじまりの街の中央に位置している、はじまりの街の象徴たる黒い宮殿。
その前の広場に、大勢のプレイヤーらしき人々が集められている。カラフルな髪色、奇抜な髪型、整った容姿に、簡素な鎧を着込んでいる人々。色彩が豊かすぎて少し目が痛いが、壮観である。
周囲のプレイヤー同士の会話に耳を傾けると、光輝は信じられない発言を聞いた。内心の動揺を抑え、メニューを開いて確認してみる。
無い。確かに無い。
ログアウトボタンが無い。これは、ネットゲームとしては致命的なバグだ。だからこそ、開発陣はその辺りを入念にチェックし、その可能性を潰していっている事を光輝は知っている。なのに何故?
「上を見ろ!」
思考の渦に嵌まりかけた光輝を、誰かの叫び声が引き戻した。
言われた通りに見上げる。そこには赤があった。
血を思わせる、鮮烈のようにも、黒くくすんでいるようにも見える、赤。それは文字であった。
システムアナウンスと表示されたそれに、プレイヤー達は水を打ったように静まりかえる。やがてそれはドロリと溶け出し、徐々に人型を形作っていく。
プレイヤー達が見上げるそこには、異形とも呼べる、巨大なローブ姿の人が浮かんでいた。その人の表情は窺い知れない。顔がないのだ。
虚無。そう言っても良いかもしれない。フードを被っている人の頭部の部分には、暗い闇があった。
『ようこそ、私の世界《アインクラッド》へ。私の名前は茅場晶彦。私は諸君を歓迎するよ』
人々の頭上に居る異形は、そう告げる。その声は、光輝にも馴染みのある声であった。間違いなく、茅場本人である事を光輝は確信する。
『さて、諸君達はログアウトボタンが無い事を、疑問に思っている事だろう。これは、SAOの正式な仕様である。そしてもう一つ。このSAOでは、死に戻りは出来ない。HPゲージが零になると、諸君は二度と復活できない。そして――現実でも死に至る』
ザワリと人々に動揺とざわめきが走る。ヒッと小さく喉から悲鳴を漏らす、女性の声も聞こえてきた。
光輝は無言で上空のローブを見つめたまま、微動だにしない。表情の抜け落ちた顔で、内心の冷や汗を隠したまま、思考のギアを上げる。
真なる異世界の実現が夢なんだ。茅場は光輝に良くそう言っていた。アーガスの休憩室で、一緒に食事に行ったレストランで、和食が好きな光輝に合わせた料亭で。
成る程。不思議と光輝は理解した。してしまった。
以前、製品版をプレイすると言った時の、茅場の表情の違和感はこれだったのか、と。自分が二十歳になったら、茅場が良く行くバーにも連れていけと言ったら、寂しそうな表情で「わかったよ」と言われた事も。
茅場との関係は良好だった。兄のように見てもいるし、茅場も弟のように見てくれた、と光輝は自負している。自分を巻き込みたくは無かったのかもしれない。そうも思える。
しかし、光輝は今、この場にいる。
茅場は自身の夢を優先したのだ。それはそうだ。出会ってからまだ数ヶ月の若造の為に、自身が丹精込めて作り上げ、自身の未来を全て投げ打ってでも実現させた、《真なる異世界》の夢を諦める事など出来ないだろう。
上等じゃないですか。
声には出さずに光輝は呟き、ニヤリと口角を上げる。
茅場は今、この電脳の世界において唯一絶対の神となった。神のように天上から、否が応にもこの世界の住人となった、プレイヤー達を眺めるのだろう。
ならば、と光輝は思う。茅場さんが神の目線なら、俺は人の目線からこの世界を見てやる、と。次に会った時は、一発ぶん殴ってから、この世界について一晩でも二晩でも感想を聞かせてやる、と。
絶対にクリアしてやる、と決意すると同時に、一つ疑問に思う。この世界では、皆アバターだ。自分のように、アバターを弄っていないのは少数派だろう。だとすると、危惧される事がある。
従来のネットゲームと同じ感覚で、他のプレイヤーを殺し、強力な武器や金銭、経験値を奪う。アバターでの
光輝のその疑問は、茅場の発言で氷解する事になる。
「お前、誰だ?」
「え、君って男だったの?」
「嘘だろ、俺じゃねぇか!」
様々な場所から、悲鳴や絶叫に近い声があがる。
茅場の指示に従い、アイテムストレージに入っていた、手鏡と言うアイテムを使用すると、アバターが現実の自身のものと同一に変化したのだから、それも当然であるが。
――チッ。光輝は舌打ちを一つ残した。隣に立っていた、長身の美人女性が可愛らしい少女へと変化したのだ。十三歳以上という
拙いな。どうする?
光輝は悩む。MMORPGの常として、男女比は男性が多くなる。ざっと見た限り、SAOも例外では無い。ただでさえ、ネットゲーム内でのナンパや出会い目的、といった事が問題になっているのに、デスゲームと言う一種の極限状態では、何が起こるかわからない。所謂、下半身直結なる類の輩を警戒する。
幸か不幸か、この子は可愛らしいのだ。閉じた世界であるSAOでは、有象無象がそれこそ寄って集ってくるだろう。猛烈なアタックが実らず、ストーカー行為に走ったり、断られたからと誹謗中傷を始めたりする事もありうる。
かと言って、自分が面倒を見ると言うのも難しい。デスゲームにおいてそれは、自分以外の誰かの命も背負う事になる。その上、『太っ腹で面倒見の良い善人』っぽく装い、知らぬ間に囲い込んでいるようで気が引ける。
しかし、見て見ぬ振りもしたくない。どうする、どうする――?
思考が堂々巡りを始めかけた時、決め手になる出来事が起こった。
隣の少女が、光輝の袖を掴んだのだ。
右手にすこし重みがかかり、光輝はそちらに目を向ける。少女が虚ろな表情で真正面を見たまま、無意識に光輝の右袖を握っていた。その手は少し震えている。
腹を括れ! 光輝は内心で自身を叱咤し、袖を掴んでいる少女の左手に、自身の左手を添える。
ビクッと一度震えた後、少女は恐る恐るこちらを見上げてくる。安心させるように微笑み、袖を離してもらった後に、右手で少女の手を握る。
丁度、茅場のチュートリアルも終わるようだった。このまま、この場に居るのは拙いと光輝は判断し、少女の手を引いて広場を離れる事にする。
おそらく、大多数の人は混乱し、悲嘆にくれるだろう。やり場のない憤りを抱え、自身の運命を呪い、広場は怨嗟の声で満ちる筈だ。そんな場所に、幼い少女を置いておきたくなかったのだ。
彼女の他にも、少年少女は居るかもしれない。妙齢の女性も多いだろう。
しかし、光輝は葛藤を振り切る。
この子の事も、自分のエゴだ。それに、どれだけ居るかも判らない、少年や少女の面倒は見切れない。カリスマなんて、俺には無いしな。
――光輝はそう考える。その自己評価はあながち間違ってはいなかった。
確かに光輝は、武術をやっているという土台がある。その上、頭の回転が速く思考も柔軟だ。βテストで培った知識もある。そうそう負ける事は無いだろう。だが、負ければ死、という極限状態で切った張ったをするには、経験が足りていない。
精神の状態が、戦況を左右する事もあるのだ。強敵に出会い、恐怖で足が竦むという事も考えられる。そんな時、無責任に誰も彼もの面倒を見るなんて言っていたとしたら、目も当てられない。
自分がこのデスゲームをクリアしてやる、と大言壮語し、いざと言う時に怖くて無理でした、だなんて死んでも嫌だと光輝は思う。
そして、光輝には人を引っ張るという能力には疑問符が付く。元々、覚えが早く大体はそつなくこなす事が出来る為、他人と歩調を合わせる事が苦手だった。高い能力が故のプライドの高さも邪魔をし、人に弱味を見せる事も嫌がる。リーダーとなって先頭に立ち導くよりは、表に出ずに裏で手を回したりする、参謀タイプと言えるだろう。
故に光輝は、すぐ傍に居た少女の面倒を見る、と言う事を免罪符にして、その他大勢を見捨てると言う事から目を逸らしたのだった。
「このまま此処に留まるのは良くない。移動するよ?」
少女を落ち着かせるように、ゆっくりと笑顔で話しかける。
コクリ、と少女の顔が僅かに上下したのを見て、光輝は手を引いて広場を後にした。
光輝と少女は黒鉄宮前から北に延びる道を歩き、大通りから少し西に曲がった路地にある宿屋兼酒場に入った。
大通りに面してはいず、看板も出ていない少し判りにくい場所にある此処は、β時代に光輝がアルゴから聞いていた場所だ。宿代としては平均的な値段で、高くも安くも無い。が、部屋の設備や料理の味といったものが、相場に比べてとても良いのだった。βテストも終わりに近づいていたある日、光輝は序盤のロードマップを計画するにあたり、隠れた名店や宿と言った、拠点となる場所の情報も集めていたのだ。
自身の先見性(?)への自画自賛と、情報を提供してくれた(買ったとも言う)アルゴへ感謝しながら、入ってすぐの所にある酒場部分のテーブル席に座る。
「まずは落ち着く為にも、何か食事をしよう。嫌いなものはある?」
「い、いえ……特に無いです……」
少女の返答に覇気はなく、最後の言葉は微かに光輝の耳に届いた程度であった。
無理もないか。光輝は内心で呟きながら、手早く注文を済ました。きびきびと、無駄の無い動きで注文を取り終えた店員が去っていくのを、視界の隅に置きながら、光輝は少女に話しかける。
「えっと、いきなりこんな所に連れてきてごめんね? 俺は……ブリリアント。君の名前は?」
「
「あー、うん。珪子ちゃんは、このゲームはその名前で登録したの?」
「あ! えと、えと、《シリカ》です……」
「うん、わかった。シリカちゃんだね。オンラインゲームは初めて?」
「はい……そうです」
自己紹介をしたら、
「じゃあお返しに、俺もリアルネームを言っておこうかな? 牧村光輝です、よろしくっ」
シリカの緊張をほぐす様に、光輝は明るく名乗り直す。
「でもまぁ、オンゲーとかじゃ
おどけたような光輝の発言に、シリカは表情を和らげる。
丁度、注文していた料理も運ばれてきた。美味しそうな、尻尾のついたエビフライに、色鮮やかなサラダ、そしてフランスパンがテーブルに載せられる。光輝の目の前にはコーヒーが、シリカの前にはオレンジジュースがグラスに入って並べられた。
「まぁそれは横に置いておいて。とりあえず、食べよう。そのエビフライっぽいの食べてみて? オススメだよ」
悪戯そうに輝く光輝の瞳に気付かず、シリカは言われた通りにエビフライを口に運び、目を白黒とさせる。
「え……ええ? エビフライなのに、カニクリームコロッケの味が……!」
「そう。ココじゃ味と見た目が一致しない事が多いんだよ。俺が飲んでるコレも、コーヒーっぽい味であって、コーヒーじゃないしね」
でもそのエビフライっぽい奴が一番インパクトあったよ――と光輝は続ける。
シリカは相槌を打ちながら、他のものにも手を伸ばした。付け合せのトマトはスイカっぽい味がし、色とりどりなサラダはゴーヤやパセリ、ナスビっぽい味と言った具合である。間違っても、サラダ向けの取り合わせでは無い上、単体でも苦手な人が多い野菜だったが、シリカはそのギャップを楽しんだ。
「さて、落ち着いたかな?」
「はい、ごちそうさまでした。ありがとうございます」
例に漏れず、見た目に反してとても柔らかいフランスパンっぽいモノを食べ終え、オレンジジュースっぽい味がするドリンクを飲んで、人心地が付いたらしいシリカに、光輝は本題を切り出した。
「じゃあ、現状を整理しようか。まず、俺達はこのゲームの世界に閉じ込められた。外からの救助は期待できず、ここでHPがゼロになったら、現実でも死んでしまう。ここまでは良い?」
「はい……」
返事と同時に、シリカの目には涙が再び浮かんできていた。
「大丈夫、ごめんね。結構とんでもない状況だったから、ちゃんと理解できてないと危ないと思ったんだ。嫌な事を思い出させてごめん」
シリカに再度謝り、光輝は続ける。
「で、ここから出るにはこのゲームをクリアしなきゃいけない。百階登りきれって事だね」
真剣な顔で話す光輝に、シリカも頷きを返す。
「そこで、シリカちゃんが取れる手はおおまかに分けて三つ。ああ、えっと、選択肢は三つあるよーって事ね。一つは、安全なこの街で、クリアされるまで待つ事。これは余りおすすめしないかな」
そこまで言った時、シリカが質問を挟んだ。
「どうしてなんですか? 安全……なんですよね?」
「うん、今はね。でも、この街がクリアされる最後まで安全だ、とは限らないんだよ。もしかしたら、ここにモンスターが攻め寄せてくるイベントがあるかもしれない。街の中にも、モンスターが入ってこれる様に、仕様が変更されるかもしれない。あくまでも、もしかしたらって例え話なんだけどね。それでも、それは絶対じゃない。可能性はあるんだよ」
シリカの疑問に、光輝は丁寧に説明する。
「なる……ほど、です」
光輝の言葉を理解してしまった為、シリカの顔が再び曇る。
「もう一つは、十分に安全を確保して、ある程度のレベル上げをする事。最初は怖いかもしれないけど、レベル差があれば滅多な事じゃ死ななくなる。
「はい」
シリカは気を取り直して返事をした。確かにそうだ、と考える。百層もあれば、様々な街があるだろう。観光に行ったり、気に入った街に住むのも良いかもしれない、と。
対する光輝は、目の前の少女の精神力に感嘆する。立ち直りというか、気持ちの切り替えが早い。
この世界において、思考の目先をすぐに替える事が出来るのは、貴重な強みとなるだろう。ああすれば良かった、こうしておけば何とかなったかも、と言った、『たられば』に囚われず、自由な発想が出来るのではないか。
その可能性を、光輝は感じたのだった。
「最後は、このゲームの攻略に君も参加する事」
「あたしが……ですか?」
「そう。シリカちゃんが、だよ」
光輝の言葉に、シリカは目を丸くさせる。それほど予想外の提案だったのだ。
――広場では、知らない間に今目の前に居る光輝さんの袖を握って、震えていたくらい怖かった。手を繋いでニッコリと微笑んでくれたから、震えは止まったけど、正直、今も少しは怖い。ああ、でも、あの時の光輝さんの笑顔は綺麗だったな――って、あたしは一体何を――!
等と徐々にズレていく思考だったが、光輝の返答がシリカを正気にさせた。
「えっと、勿論、無理にとは言わないよ。これからの可能性について話してるんだから」
「は、はいっ。あの、光輝さんは……どうされるんですか?」
「ん? 俺? 俺はこのゲームを、攻略しようと思ってるよ。やりたい事があるんだ」
そう言った時の光輝の目は、とても真摯な光りを帯びていて。
――綺麗……。
思わずシリカは見蕩れてしまう。
「やりたい事ですか……」
知らずシリカは呟いていた。対する光輝は力強く頷いて、言葉を続ける。
「さっきも言ったけど、無理に攻略しようとしなくても良いんだ。この街に留まっても良いし、ある程度レベル上げをして色々見て回るのも良いと思う。攻略するにしても、俺と組んでも良いし、他の人とPTを組むのも良い。オススメはしないけど、ソロでも良いしね」
そこまで言って、光輝は一度コーヒーに似た味のナニカで喉を湿らせる。シリカが聞いた内容を頭で整理し、理解してもらう為でもあった。
「大丈夫。シリカちゃんがどうしようと、ある程度の事はシリカちゃんが自力で出来るようになるように、色々とレクチャーしようと思ってるから。嫌なら断ってくれても良い」
そう告げて、光輝はシリカの返答を待――とうとして止める事にした。中学生になって居るかも判らない子に、こんな事を即断させるのは酷だと判断したからだ。
「返事はゆっくり考えて良いよ。今日はここまでに――」
「あのっ」
光輝を遮り、シリカが身を乗り出して発言する。
「あたしも攻略……できますか?」
「――勿論。やろうと思えば、シリカちゃんにも出来るよ」
一瞬呆気に取られた光輝だったが、すぐにニコリと笑顔を浮かべて言う。しかし、釘を刺しておくのも忘れない。
「ただし、死ぬ危険性が一番高いのも、攻略なんだ。情報の無いモンスターと戦ったり、トラップにかかったり。怖い思いもするかもしれない。だから、良く考えてね」
シリカに遮られた、今日はここまでにしよう、と言う言葉を今度は告げてコーヒーらしきドリンクを飲み干し、光輝は宿のカウンターに向かった。
光輝は自身とシリカの二部屋を借り、シリカを部屋の前まで送った後、メニューからメールリストを開いていた。
「チッ」
思わず舌打ちをしてしまった。明日奈の兄、浩一郎もこのSAOをプレイしている筈だが、連絡が取れないのだ。
彼は普段から、一風変わった名前をHNにしていたし、今回もその名前で登録するつもりだと聞いていた光輝は、別のゲームで良く見慣れたスペルを打ち込んで、メッセージを送ってみた。結果は芳しくない。
――浩一郎さんが別の名前で登録なんて、考えにくいしなぁ。流石に、さっきの今で無理なレベリングはしてないだろう。浩一郎さん結構慎重な人だし。だからザコ敵にやられてるのは、想像できないんだよな。……って事は、何かの事情でログインしてなかった? それだと、浩一郎さんは
家族ぐるみの付き合いがあり、小さな頃から兄のように慕ってきた、結城浩一郎の安否。そして、こんな状況になってしまって、おそらくは物凄く心配しているであろう、家族に加えて妹のように思っている明日奈の事を考え、光輝は思考の渦に飲み込まれていた。
――と、その時、聞きなれない電子音が耳に入り、光輝は一つ頭を振って、思考をシェイクし切り替える。
メールが届いていたようだ。差出人は、光輝も見覚えのある、アルファベット四文字だった。
光輝に部屋を案内され、とりあえず今日はここに泊まるように言われたシリカは、シンプルなベッドに腰掛けて、今日の事を振り返っていた。
ログインし、アインクラッドの世界に魅了された事。鐘の音と共に、不気味な赤とローブ姿の人物によって、絶望に囚われた事。知らぬ間に、隣に立っていた人の袖を握り締めており、その人に夕食と宿を世話して貰った事。そして、その人から言われた事を。
シリカはもう一度、今居るこの部屋を見回す。清潔感のある白いシーツをかけられた、木のベッドが二つ。これも木製の丸テーブルに、背もたれのない椅子が二脚と、テーブルの上に置かれた陶器製の水差し。窓にはカーテンが引かれているが、開ければ外は既に夜の帳が降りて、暗くなっているだろう。
二人部屋を独りで使って良いのかな?
そんな事を考えてしまい、その場違いさに思わずシリカは苦笑する。それと同時に安堵もしているのだが。
光輝はどうやら、悪い人じゃなさそうだ。シリカは漠然と思う。彼に手を握られると、彼と会話をしていると。不思議と落ち着くのだ。わざわざ別の部屋を取ってくれたのも、好感が持てた。出会って数時間の異性と、同じ部屋で過ごすのはやはり少し怖い。
彼は信用しても大丈夫そうだと斟酌し、シリカはこれからの事を考える。
光輝が言った通り、とりあえずは一緒に過ごす事になるだろう。狩りの仕方や、ネットゲームにおける常識やマナー等を教えてくれる事は、シリカにとってとても有難かった。
シリカはしばらく考えていたが、結局は一度、モンスターを狩ってみない事には答えは出せないと判断した。今日した事は、街中を歩いて見て回ったくらいだったからだ。
そこまで考え、今日はもう寝てしまおうと思い至った時。明日は何時に起きれば良いのか、光輝に聞いていなかった事を思い出した。
――このまま独りで寝るのも寂しいし、ちょっとくらいは、光輝さんとお喋りしてから寝た方が良いよね……?
シリカが光輝の元へ向かおうと、ベッドから腰を上げた時、ノックの音が四度、部屋に響いた。
「はーい」
返事をしながらドアを開ける。開けた先には、見知らぬ金髪の女性が立っていた。
「……えと、あの、どちら様でしょうか……?」
光輝がなにか伝えに来たものと思い込んでいたシリカは、目の前の女性に少しばかり恐怖する。
対する女性は、一つため息を零した後、シリカからは死角になっている方に顔を向け、言った。
「なるほド……確かに危ういかもナ」
混乱しているシリカに向き直り、女性は尚も告げる。
「こんばんハ、シリカちゃん……で良いんだヨナ? オレっちはアルゴってモンダ。ちょっと話したい事があるカラ、コーキんとオレっちを部屋に入れて貰って良いカ?」
「もしなんだったら、一階の食堂でも俺達は構わないよ」
アルゴの肩越しにヒョコっと顔を出し、光輝はシリカに言う。光輝の顔を見た事でシリカは大いに安堵した様子で、二人を部屋に招き入れた。
アルゴにとっては、一種の賭けであった。
デスゲーム宣言がなされた後、彼女は記憶に残っていたフレンドの名前を、片っ端からメールの宛先に入力して連絡を取って状況を整理したかった。
しかし、その整理したい状況というモノが、まず拙い状況だった。
β時代から、彼女はアバターを弄っていなかった。当時のフレンドは皆、口調やキャラも影響してか、彼女の事を
光輝がシリカに対して懸念していたように、彼女もまたこの特殊な状況を憂いていた。男女比の差は、時に厄介な事情を運んでくる。
レベル差によって蹂躙される事も無いが、レベル差でこちらが優位に立てる事も無いのだ。スタート直後の横並びと言うのも、意外と難しい。
それに加えて彼女は、β時代との相違点を探しており、狩りはしていなかった為、レベルは一のままだった。
だからこそ、アルゴは悩んだ。下手に連絡を取って、不埒な事を考える輩が居ないとも限らない。極限状態においては、倫理や理性という壁も、時に容易に崩れるものだ。
人気のない町外れのベンチで一頻り考え、結局アルゴは大多数のフレンドには、今の所はメールのみの遣り取りに留める事にした。
そして、アポを取って会いに行くのは、彼にしようと思い定める。SAOで偶然に辺鄙な村で出会い、リアルでこれもまた偶然に同じ電車に乗り合わせても、紳士的な態度で接してくれた光輝に。
そして現在、アルゴはその賭けに七割方は勝ったと言える。
すぐに返事も来たし、快く無事の再会を喜びあえた(?)し、相変わらず紳士的な態度である。これが七割。
残りの三割は、光輝の口から語られたイレギュラーの存在だった。あわよくば光輝とはペアでPTを組み、相方になって貰おうと思っていたアルゴだったが、なるほど、話を聞くと確かに放っておけない。
しかし、β時代は頑なにソロだった光輝だ。そのような少女を引っ掛けているとは、思いもよらなかった。
その光輝から頼まれ、アルゴは今、シリカという少女と向き合って座っていた。
「サテ……シーちゃん」
「あたしの事ですか?」
アルゴの突然の呼びかけに加え、いつの間にか渾名を付けられていた為、シリカは思わず聞き返した。
問われたアルゴは大きく頷き、もったいぶるような口調で話し始める。その口元は厭らしく歪んでいた。
「シーちゃんについてはコーキんカラ、ある程度の事は聞いタヨ。ネットゲームは初めてなんだッテ?」
「あっ、はい。そうです」
「ソッカ。初めてなら仕方ない……ナ!」
シリカの返事を聞きながらメニューを弄っていたアルゴは、突然ストレージからナイフを実体化させ、シリカに突きつける。
小さく悲鳴をあげ、シリカは後ずさった。チラリと壁際に腕を組んで立っている光輝に視線を向け、助けを求めようとしたが、光輝は能面の様に無表情のまま、感情の読めない目でこちらを見ている。
――やだやだ、怖いっ! どうして?
まとまらない思考が恐怖に埋め尽くされる。身体はまったく言う事を聞いてくれず、椅子に座ったまま、上半身を後ろに逸らした状態で止まったままだ。
「ジャア、シーちゃんにオレっちからお願いがアル。有り金全部と装備一式をオレっちに寄越しナ」
「えっ……」
「嫌なら『死』ぬだけダヨ」
脅迫し、強盗を迫る。感情表現が大袈裟なシステムにより、シリカの瞳には大粒の涙が今にも零れそうになっている。
対峙しているアルゴは未だにニヤニヤと口元を歪めており、立場の上下をシリカに思い知らせていた。
「……なんてナ」
フッとシリカが感じていた恐怖やプレッシャーが和らいだ。
突きつけていたナイフをストレージにしまい、椅子に座ったまま両手を頭の後ろで組む。そのホールドアップの体勢で、アルゴは光輝に視線を送った。
――嫌われるのを覚悟で、やる事はやったゾ。失敗したら酷い目に合わせるカラナ。
そう言わんがばかりの剣呑な視線である。
頼む人を間違えたのかもしれない。そう思いながらも、光輝はシリカに説明する。
こういった犯罪まがいの行為をするプレイヤーが居る可能性がある事。ノックに簡単に反応し、相手を確かめもせず無防備に応対するのは良くない事。悪いとは思ったが、一度体験させた方が骨身に染みると判断した事を。
アルゴが予想以上の演技を披露し、必要以上にシリカを怖がらせた為、シリカを落ち着かせ、理解させるのは至難だったが、自分で蒔いた種だったので、光輝は苦労しつつも説明を終えた。
「イヤァ、ごめんネ、シーちゃん。悪いのは全部コーキんだからナ」
なんとか落ち着いたシリカに、アルゴは申し訳なさそうな笑顔を浮かべながら握手を求める。その際、光輝に責任を擦り付けるのも忘れていない。
オズオズと、少し怖がりながらもシリカがその手を取ると、アルゴは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべ、ギュッと手を握って上下にブンブンと振る。
それでようやくシリカも緊張を解いたようで、身体全身から力が抜けていくのをアルゴも光輝も感じ取った。
「シリカちゃん、御免。アルゴが予想以上に演技派だった」
さりげなくアルゴにやり返し、光輝はシリカの頭を撫でる。
「あっ、はい……。本当に怖かったです」
安心したのか、シリカは再び目に涙を溜めていた。
「改めて紹介するね。こちらはアルゴ。俺と同じ、βテスターのフレンドだ。で、この子がシリカ。チュートリアルの時に知り合ったんだけど、放っておけなくてね。ここまで引っ張ってきた」
「アルゴってモンダ。よろしくナ、シーちゃん」
「はいっ、シリカです。よろしくお願いします」
互いに自己紹介を済ました後は、アルゴと光輝によるネチケットやメニューの操作方法、便利機能と言った部分の講座が始まるのだった。
宵の口も過ぎ、今日はそろそろ寝ようか、という流れの時。シリカが唐突に質問を投げかけた。
「そう言えば、えっと……光輝さんは、ブリリアントって名前なんですよね? でも、アルゴさんは『コーキん』って呼んでますし、あたしは何て呼べば良いんですか?」
「あー、そうだったね。なんて呼んでもらうか考えてなかったけど、あまり酷いのじゃないなら何でも良いよ。シリカちゃんが呼びやすいので呼んでくれて」
「ククッ、コーキんの
混ぜっ返すアルゴに、光輝は苦笑いで答える。
「確かに名前の英語読みをHNにしてるけど、あの時はまさか一発でリアルネームを渾名にされるとは思ってなかったよ」
「えと、あの……! あたしもこれからも光輝さんって呼んで良いですか?」
「うん、別に構わないよ」
光輝の承諾を貰い、ホッと一つ胸を撫で下ろしたシリカは、グッと握りこぶしを胸の前に持っていき告げる。
「そ、それでですね……あたしの事は、シリカって呼び捨てにして下さい」
「判ったよ。よろしくな、シリカ」
ニコリと微笑んで答え、光輝は部屋を出て行こうと腰を上げる。
「それじゃ、今日はお開きって事で。アルゴ、シリカ、お休み」
「はい、おやすみなさいっ」
「グッナイ、コーキん」
光輝が出て行き、パタン、と扉が完全に閉まったのを確認してから、シリカはアルゴに詰め寄った。
「あのあのっ、アルゴさんっ! 光輝さんについてお聞きしたい事が!」
「ちょ、時に落ち着いてクレ、シーちゃん」
そう、アルゴはシリカと同じ部屋に泊まる事になっていた。
シリカも独りでは不安だろうし、光輝も同性が居た方が彼女も何かと便利だろうと判断したからだ。
体験学習、という形で脅した事も水に流し、シリカは笑顔でアルゴを迎え入れた。
アルゴもそれを快諾し、お互いがベッドに腰掛けて向かい合う。
「ベータの時の光輝さんと、どうやって出会ったんですか?」
「それハ――」
「逆に、シーちゃんはなんでコーキんを――」
「ええっと、それはですね――」
「――じゃあ、やっぱりアルゴさんも?」
「……まあ、ナ」
時刻は夜半前に差しかかろうとする頃。ガールズトークは続く。