着替えを済ませて隣室へ移動すると何人かが感嘆の声を漏らす。
室内には八人の老人がいるはずだ。
俺が立った箇所だけが照明に照らされて周囲は暗く保たれている。おかげで俺は室内を見ることができない。
八人はそれぞれ全員がどこかの組織に幹部として所属している。医学会の権威や製薬会社の会長なんてのもいた。
そういう何もかもを持ち合わせた人間ってのは、普通の事じゃ満足できなくなるらしい。
そんな話を俺にしたのは八人の誰かの秘書を名乗る男だった。
そして俺は今、八人の老人が眺める前で見苦しくも女性看護師の制服を着て立たされている。
部屋は今も暗いままでどこに誰が座っているのかなんてわからない。けどそんなものを把握する余裕は俺にはなかった。
ナースの格好をさせられて老人たちの奇異の視線を受けるなんざ、死ぬほど恥ずかしい事だ。
けど連中はそれが狙いらしい。
羞恥プレイってやつだと前の時に秘書の男が教えてくれた。
やがて老人の誰かに指示されて俺はスカートの両端をつかみゆっくりと持ち上げる。
きっとこの後もまた好き勝手にいじられるんだろう。前回は入れ歯をはずした老人のひとりにくわえられて何度もイかされた。
気持ち悪い。無様で情けなくて死にたくなる。
けどこんなことで死ねない。
これを耐えさえすれば外科部長としての立場を磐石にしてやると連中が言ってる。
だからどんなことにも耐えなきゃならない。
晒し者にされた翌日、俺は疲れ果てた状態で仕事を片付けていた。
外科部長としてやることはそれなりに多い。新人の世話も見なきゃならない。
けどその気力が出せない俺は地下の研究室で少しだけ休んでいた。
同じ徹夜でも仕事の徹夜は平気だが、アレは気力が根こそぎ奪われるから駄目だ。
「新人を放置していいんですか?」
机に突っ伏していると石黒がコーヒーをいれてくれた。最近の石黒はすっかり研究室の主になっていて、いつの間にかコーヒーメーカーまで置いてやがる。
「あの二人はほっといても平気な人種のやつだよ」
たぶんなとつぶやきながらコーヒーの入ったカップを手にする。
「貴方は放置できない様子ですが」
苦味の強いコーヒーを飲んだところで石黒がつぶやいた。
だから目を向けても、石黒は既に手元の顕微鏡へ目を落としている。
だからか、俺はなんとなく返事ができなかった。
石黒との付き合いはもう五年になるか。
それだけ一緒にいれば互いのことがなんとなくわかるようになってくる。
けどだから隠さなきゃならないことも生まれてしまう。
休憩を済ませて研究室を出た俺は職員室へ向かうために階段をあがっていた。
すると上から見覚えのある男が降りてくる。
そいつに気付いた瞬間、俺は背中に寒気を感じて足を止めた。
心臓がざわつく。
男は俺に目を向けたが何も言わずにすれ違った。
昨日の俺の痴態はあいつの中で無かったことになってんのか。
男が立ち去ると、俺は再び職員室へ向かうために歩き出す。
するとすぐに緋色の頭の新人と出くわした。階段の上に立つ緋田信長は不機嫌そうな顔を見せている。
「今のは○○製薬会社の人間だね」
「知ってるのか」
「実家が脳外科をやっていてね。そういう人間とも面識があるんだよ」
生意気な黄緑色の瞳に見下ろされた俺は自然と視線を落としていた。
「製薬会社の御曹司と知り合いなんて、さすがは外科部長というところかな」
緋田の言葉を聞いた俺は自分の耳を疑ってしまっていた。
だが一般家庭育ちの俺と違って、今年の新人はどちらも実家がそれなりに規模の大きい病院を経営している。
それなら俺の知らないことを知っていてもおかしくない。
職員室で仕事をしていると院長の呼び出しがかかった。何かあったのかと思いながら院長室へ行く。
たどり着いた先で、珍しく月城さんは不機嫌な顔を見せていた。
「明紫波君がもしそういう趣味を持っていて、喜んでやっているというのなら邪魔はしないのだけどね」
月城さんはいつになく険しい顔で言う。
俺はその話を聞きながらさっき階段で遭遇した男を思い出していた。
老人の誰かの秘書を名乗っていたあいつは昨夜もあそこにいた。
そして今回は、あの時の俺の痴態を月城さんにばらしたということか。
よりにもよって俺のヒーローに。
「明紫波君、君は次の学会に行かなくても良いよ」
「それは……つまり俺を部長職から……」
「関係者には僕から話をつけておく。君がこの医大の為に犠牲になることはないよ」
どうやら月城さんは俺を見捨てるという選択はしないらしい。
だが月城さんに迷惑をかけたという現実だけが俺に重くのし掛かっていた。
俺を晒し者にするあの秘密の集まりはあれからすぐに解散となった。
月城さんが裏でどんな手を使ったのかは知らねぇ。
けどきっと今の俺に必要なのはそうやって誰かを守るための手段を増やすことなんだろうと思う。
その為に多くの人と知り合い、信頼関係を築いておく必要がある。
今年の新人たちでも他の後輩たちでも誰でも良い。
今回のように絶体絶命と思えるほどの窮地に立たされた誰かを救う手段を、俺も持ってなきゃならない。そう切実に思えた。