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いざ図書館に行こうと言う所でまず直面したのが、その場所を知らないという問題である――しかしこれは、受付の男に訊ねると簡単に教えてくれたので問題なかった。宿からそう離れていない場所にあったようで、馬車を使う必要すらなく、そんなに歩かないうちに目的の図書館に着いた。
『神都図書館』。それがウルたちの前にそびえる図書館の名前である。この世界でも最大級の規模を誇る図書館であり、建造物としても最大級の部類に入る。
言うまでもなくスレイン法国最大の図書館であり、蔵書量は計り知れない。書庫や禁書庫には重要な文献や史料なども置かれている、いわば国家機密の塊である。
納められている書物の種類も豊富で、子供向けの絵本や図鑑などから一般的な百科事典や伝記、小説など、また専門的な知識の詰まった堅苦しい論文や図鑑など……まさに『何でもある』と言えるような状態である。
「大きいな」
ウルは、図書館といえばナザリックに存在するアッシュールバニパルしか訪れたことがなかった。
神都図書館はそれよりもかなり大きい。蔵書量が桁違いなのだろう。もっとも、全蔵書の価値の合計は前者の方が圧倒的に上だろうが。
蔵書の区分別けもできており、元の世界にあった図書館と遜色ない利便さである。外装の観点ならばこちらのほうが上であろう。
壁は全て白亜であり、書庫は別棟に分かれている。特に重要な蔵書を納めているであろう書庫の近くには守衛も居るので、さながら城のような様相である。
その存在はなかなかの威圧感を放っており、一目見れば、普通の人間なら気圧されるだろう。まあ、ウルはナザリック地下大墳墓の第九階層に住んでいるのだから、そんなに驚くほどではないと感じたが。
しかし――
「――こんな大きな建物全体に、大量の本が?」
そこについては、想像も付かなかった。
しかし、じっと立っていても仕方が無い。このままでは人通りの邪魔になるだけである。
「行くよ、ミケタマ」
「はっ」
ただ図書館に入って調べ物をするだけなのだが、どこか覚悟を決めた様子で二人は歩を進めた。
『入館料は一名につき銅貨一枚です』
小銭を作っておいて良かったとウルは安堵しながら二枚の銅貨を差し出し、図書館に入る。
古い紙のにおいが充満していた。中は粛たるもので、ひそひそとした声さえも聞こえない。
誰もが本を探し、また本に目を通し、また何かを書いている。ほとんどの人間が学術者ではないかと思える。
「――じゃあ、ミケタマ。君に命を与えよう」
人間のほうの耳に耳打ちし、ウルは命令を与える。
「司書の人に場所を聞いて、子供向けの絵本などを数冊持ってきてくれるかな?」
「御心のままに――」
「ここでは跪かないでね、かなり目立つから……」
「はっ、申し訳ありませんニャ」
「――というわけで、行動開始。急がずゆっくり歩くんだよ、それと語尾に『ニャ』をつけないこと」
ミケタマは癖で思わず跪きそうになり、とどまり、綺麗な礼をしてから歩き出した。
(……さて)
ウルは無数に並ぶ本棚を見渡す。本棚の横には小さく紙のラベルが貼られており、どのような本が置かれているかおおまかに書いてあった。
まずは百科事典だろうか、もしくは文法書だろうか。それともどちらも持ってくれば良いだろうか。
できるだけ早く持ってくるのが良い。迷うことのできる時間は少なかった。
(どちらも持ってこよう)
まずもっとも薄く見える百科事典と適当な文法書を手に取り、自由に使えるよう設置されていた机に置く。なるべく薄い百科事典を選んだのは、今は情報量がそんなに求められないからである。
普通の辞書と広辞苑、どちらが目的の単語を引きやすいだろうか。言うまでもなく前者であろう。
後者は情報量が多いのが利点だが、今は速度のほうが求められる。よって事典の棚にあったウルの手のひらよりも厚いような大辞典は却下だ。
(あとは歴史書とか……いや、今は最低限で良いか? 随時ミケタマに持ってきてもらおうか)
早速椅子に座り、文法書を開く。
暗号文のような文字の羅列は日本語の分かりやすい文章に変換され、モノクルを付けているその黄色い目に飛び込んできた。
(まるで教科書みたいだな……何年ぶりだろう? こんな風に勉強するなんて)
巻頭には文字一覧のようなものも載っていて、まさしく教科書であった。
漢字に当たるような字は無いようで、覚えることが少なそうに思ったウルは安心する。
(………………)
――もしかすると、日本語よりも簡単なのではないか?
そんな考えがウルの頭の片隅に湧き出した。
事実、日本語にはひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字があり、特に漢字は表意・表音の二つの役割を果たしている。そして音読みと訓読みという複数の読みかたを持ち、さらには熟語になると特殊な読み方をするようになるものなどもある。それに対して、この世界の文字は――少なくとも今ウルが見ている表には、一種類しか存在しない。もっとも、地域や国によって文字の種類が異なるという場合も考えられるのだが、それを今知る方法は無い。
(そうだとしたら少し面倒だけど)
さすがにそれぞれの国々の文字を覚えていくというのは面倒だ。それの時間を割くのなら現地に居る翻訳魔法を使える者を捕らえて使役するか、もしくはあきらめてモノクルを使うほうが良い。
「仮定で話を進めても意味が無いか」
何にしてもとにかく文字を覚えるのが先決であった。
そうと決まればウルは本に視線を走らせ始めた。
書かれている文字が、ウルの脳内にあるホワイトボードにそのまま書き写されていくようであった。羊皮紙に書き取るまでも無い。
そこにある情報が、ウル自身さえ驚くほどに理解できるのである。
(国語は苦手だったはずなんだけど……)
それどころか、勉強に集中できる
しかし久方ぶりに本を読んでみると、これが頭に内容がすらすらと入ってくるのだ――やはり身体が人間とは変わっているからだろうか、とウルは考える。
特にそれが悪いことであるというわけでもないのだが、どこか気持ち悪く感じた。
(体が変わったのだから、脳の作りも変わってるんだろうか……)
人間に対して哀れみなどといった感情が湧かないのも、そのせいであろうか。
半ば並列思考気味にそんなことを考えていると、ミケタマが大量の絵本を抱えて歩いてきた。
「お持ちいたしましたニャ、ウル様」
「……ありがとう、ミケタマ」
「勿体無きお言葉――」
数冊で良いと言ったのだが、という気持ちが感謝の言葉が口を衝くのを一瞬止めた。
それはさておき、ウルは
六人の人間――人と言って良いのか分からないが――が表紙に描かれている。モノクルを使わず、先ほど見た表と照らし合わせてみると、どうやら『しんわのえほん』という題名だそうだ。見るからに子供向け。再度モノクルを使い、表と記憶が間違っていないことを確かめる。
神話とあるのだからおそらく神話に関する児童書だろう。宗教国家であるが故に子供にはあらかじめ神への敬意とその素晴らしさを植えつけておかねばならない。となればこういった子供向けの本が現れるのは必然だ。
(しかし、この感じだと……予定が良い意味で狂いそうだね)
当初はある程度文字が読める程度になれれば良いな、といったレベルの目論見だったのだが、それは良い意味で外れたようであった――それも大きく。
表を見ずともすらすらと読めてしまう。まるで母国語を読んでいる気分だ。少し異常なほどである。
絵本を開く。それはどうやら、六人の神が旅をするという内容であった。
御伽噺に相応しく、その六人は強大な力を以ってして人類を救済する。六人はそれぞれ火、水、風、土、死、生を司っているそうであった。
いくつほど前の話かは分からないが、しかし神話と呼ばれるのだから相当前の話だろう――たかだか数十年前の出来事が神話として語られるわけが無い。
ということは伝聞によって整合性が欠けていると言う外無いのだが、しかしいくつかそこから情報を得ることができた。
(スレイン法国は『六大神』を信仰してるのか……他の信仰対象はあるのかな? まぁ、その辺は王国の方に行ってるモモンガさんに聞くことにしようか)
他にも、この世界における魔法に関しての理解が深まった。
これもやはり正確さが足りないのだが、ユグドラシルで魔法発動時に発生するエフェクトと酷似した描写の魔法が絵本の中でも行使されている。
(だいぶ昔からユグドラシルと同じ魔法が使われているみたいだね……転移に時間差がある? これは……)
かつての仲間も居るかもしれない――と考えて、一方にある脅威にも気づく。
それは気づいて然るべき事項であった――かつての仲間が居る確率があるのであればかつての敵が居る確率もあるではないか。
(怖いね)
やはり絵本など児童書程度では得られる情報が少ない。簡単なものを読んで文字に馴れるという行為が不必要であると分かった今、今度は情報量が求められる。
ウルはもう少し文献を読み漁ることを決めた。
一応絵本をぱらぱらとめくり、閉じ、ミケタマに命ずる。
「ミケタマ、この事典と絵本を戻し――いや、やっぱりやめた。これは置いておこうか。追加で分厚い辞書と、少し難しそうな文献を数冊だけ持ってきてくれる?」
「御意に」
「――それと。持ってきたら次にこのモノクルと百科事典を貸すから、ミケタマには残りの絵本を読んで欲しい。この世界の伝承や歴史、文字の勉強になるし、何より分業したほうが情報収集の効率はよくなる」
「はっ!」
「少し声が大きいよ……周りの迷惑になる」
「っ、も、申し訳ありません」
「これから気をつけてくれれば大丈夫。さあ、行って」
ミケタマは一礼して本棚の合間を縫うようにして歩いて行く。
ウルはモノクルを外して机の上に置き、一息ついた。
「……どうなっちゃったんだろうね、僕」
身体に備わる能力の急激な変化に戸惑いつつ、ウルはもう一冊、絵本を手に取った。
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