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翌日。
誰かの声によって、ウルはまどろみからゆっくりと引き戻される。
「――様、ルタール・ウル様」
ゆっくりとその黄色い目を開く。
どのような姿であっても、寝起きというものは辛いものであった。
「……もう、少し」
ウルは睡魔に負け、触腕で目を覆って二度寝に入ろうと――
「ウル様……モモンガ様がお呼びになっておられます」
――そう言われると、寝るに寝られない。
ウルは気力を振り絞り目を見開いた。弾みでつい石化能力が発動してしまい、慌てて切る。向いていたのが天井だったのが幸いであった。
「……何」
そこには、昨日部屋に居たメイドとは違うメイドが居た。
金髪のメイドだった。瞳には星の輝きが宿っているようである。
「用件は言われないのですが、モモンガ様がウル様をお呼びしろと仰られまして」
「……今、何時くらい」
「そろそろ日が昇るころに御座います」
「……ちょっと早いけど、まぁ順当な時間に起こされたってわけだ」
これで深夜にでも起こされたのであれば、よほどの理由が無い限りさすがのウルでも怒る所であった。
「……あー、でもお腹空いたな。いや、我慢しようか。モモンガさんを待たせるわけにもいかない」
這い、ベッドから降りる。
「モモンガさんは何処に?」
「私室で御座います」
「そう。ありがとう、行ってくるよ」
「勿体無きお言葉――行ってらっしゃいませ」
メイドがドアを開ける。
丁重な扱いに感謝しながらウルはカーペットの上を這う。
「ありがとう」
「滅相もありません――」
そういいながら、メイドはドアを閉める。
メイドはそのままウルの後ろを付いて行く。
「……そんなに律儀に付いて来なくてもいいんだよ?」
「いえ。至高の御方に仕えることこそ創られたメイドとしての勤めであり最高の幸せでもありますので」
ウルの移動速度はかなり遅い。一番速い状態でも人間の早歩き程度の速度しか出ない。
ましてや今はそんなに速く歩いているわけではないので、およそ人間がゆっくり歩く程度の速さである。
歩調を合わせて後ろについてくるメイドが逆に疲れてしまいそうである。
「……疲れない?」
「まったく、何の苦も御座いません。至高の御方の後ろに付いていられるだけでメイドである私はこの上なく幸せに御座います」
「そう……?」
そういうものなのか、と考えているうちにウルはモモンガの私室に着く。まぁ、ウルの私室とモモンガの私室が特段離れていたわけでは無いのだが。
ウルは触腕の先を硬質化させてノックする。間髪入れずにドアが開いた。
「――ルタール・ウル様」
ドアを開けたのはセバスであった。
ウルの後ろについてきたメイドが深く礼をする――セバスも深くお辞儀をする。
「お待ちしておりました――リュミエール、下がっていいですよ」
「かしこまりました――」
メイドが下がると共に、部屋の中から声が聞こえる。
「セバス。誰だ?」
「ルタール・ウル様に御座います」
「通してくれ」
「――こちらへ、ルタール・ウル様」
セバスに導かれるがまま、ウルはモモンガの元まで連れられた。
内装はウルの部屋のものとほとんど変わらない。特に目新しいものを見つけることも無く、ウルはモモンガの元まで着く。
モモンガは、一メートルほどの鏡の前にある椅子に座っていた。今はスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っていない。
「――セバス、そこで待機せよ」
「御意に」
「……何してるんですか? モモンガさん」
その鏡面に映るものを見やり、ウルは少し驚く。
そこには前に座っているモモンガではなく、牧歌的な草原が映っていたのだから。
「――
「それは、分かるんですけど……それ、外の景色ですか?」
ウルはモモンガが何をしているかを悟る。
「――外の観察ですか。で、あわよくば外敵や知的生物を探そうと?」
「察しがいいですね」
モモンガは空中で指を動かしながらウルに言う。
その動作に合わせて、鏡面に移る景色がスクロールしたり視点が変わったりした。
「……で、どんな感じですか?」
「正直なところ、全然」
「ですよね、見た感じ適当に指動かしてますもんね……」
「操作の仕方を見つけることからですよ……結構大変です」
そうぼやきながら、モモンガはセバスを覗き見る。
ウルには、セバスの視線がいつもよりさらに鋭いものであるように見えた。
「どうかなさいましたか、モモンガ様――」
ウルはセバスがモモンガに言う姿に、昔の仲間であるたっち・みーを幻視した。
微笑んではいるのだが、怒気を隠しきれていない。その隠し方は実に巧妙であるが、言葉の端にそれが見えている。
(……何か、似てるなぁ)
親子のようなものか、とウルはごちる。
正義感にあふれ、怒ると非常に怖いワールドチャンピオンかつ元『アインズ・ウール・ゴウン』ギルドマスター。
たっち・みーその人に、セバスは何処と無く似ているのである。
「――ウルさんも外出したではないか」
「僕は求められる通りに、きちんと近衛を付けましたからね」
「ぐ……そ、それに関しては――」
「――まぁ、そんなことより、これをいろいろ触ってみましょうか」
モモンガに反論すると共に助け舟を出す。
「そ、そうしましょう」
もちろんモモンガはそれに乗り、鏡を操作し始めた。
時折、ウルが横から助言をはさむ。紆余曲折しながら、鏡を操作し、どうにか周囲の景色を見ようとする。
ウルの助言があるのだから、早めに終わるだろう。モモンガはそういう考えもあってウルを呼んだのであった。
少し気が晴れたのを感じながら、モモンガは鏡面を操作し続けた。
それから進展があるまでは数十分かかった。
「おっ!」
「おおっ!」
二人の歓声が響く。セバスの前でなければ二人ハイタッチでもしていそうな雰囲気だ。
鏡の視点は大きく変わっていた。モモンガが何らかの操作をした際こうなったのである。
「おめでとう御座います、御二方。このセバス、流石としか申し上げようがありません!」
「ありがとう、セバス。それにしても長くつき合わせて悪かったな――」
ウルは脱力し、座っていた椅子にもたれかかった。
「――ありがとう、セバス」
(朝ごはん食べておくんだったなぁ……)
ウルは空腹を感じていた。かなりの頭脳労働を行ったことと朝食を摂っていないためである。
糖分が欲しいと脳が――脳が本当にあるかどうかは分からないが――訴えている。できるならば板チョコでも齧りたい気分であった。
「……あー、セバス」
「はい、何でしょうか」
「すまないけど、何か、軽食……ここで食べられるようなものを持ってきてくれないかな。糖分が補給できるとなお良いんだけど」
「かしこまりました。メイドに命じ、至急運ばせましょう」
「いいかい、軽食でいいからね。一品だけで良い、ここにコース料理を持ってこられても逆に困る……」
「了解いたしました――モモンガ様、少しばかり席を外すことになりますがよろしいでしょうか」
「良い、許す――許さなくてはウルさんが困るだろう」
「ありがとうございます、では」
ドアを開き、閉める音。
「……大丈夫ですか? ウルさん」
「あいにく、朝食を摂っていないもので……」
「すみません、朝早くから呼び出して」
「いえいえ、気にしてませんよ」
「……そうか、俺はアンデッドだけど……ウルさんは、そうでしたね」
「大丈夫ですよ――僕のことはいいですから、続けましょう。というかさっきの操作方法僕にも教えてくださいよ」
「……ええ、そうしますか。えっと、さっきのは、両手をこうして――いや、こうだったかな?」
幾度か先ほどと同じような動作をすると、さらに鏡面に映る景色が変わる。
「こうですか」
「そうです」
ウルが二本の触腕で、モモンガの動きをなぞるようにして鏡面をなぞると、同じように景色が変わった。
それは視点の高さを変える動作らしく、高さがより高くなった。辺りが高い地点から見渡せる。
「これじゃちょっと高すぎますね……」
触腕を先ほどとは逆方向に動かすと、高さが低くなる。
「いい感じでしょう?」
「ええ、いい感じです――この調子でやって行きましょうか」
今までの気が滅入るような退屈な雰囲気は消え、和気藹々とした感じで二人は鏡面を操作し始めた。
「ふう」
ウルがため息をつくのとドアがノックされるのはほぼ同時であった。
「失礼致します」
セバスは銀色に輝くクローシュの乗った皿を手にして戻ってきた。
部屋に備えられた机にそれは置かれる。蓋をされているのに、皿からは良い匂いが漂ってくるようであった。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いいよ、気にしないで」
「では、こちらが本日の朝食のメニューの一つ、インテリジェンスアップルパイに御座います」
「ありがとう、いただくよ」
ウルがいざパイを食べようとした時、鏡面を操作していたモモンガがつぶやく。
「……祭り、か?」
鏡に映った景色を見ながら、モモンガが疑問の言葉を誰へと無く投げかける。ウルとセバスの視線が自然とそちらへ向いた。
ウルがパイを触腕で器用に口に運びながら鏡面を覗くと、そこにはとある村が映っていた。
のどかそうな村だ。映画にでも出て来そうな、絵に描いたような『村』である。
しかし人々があわただしく家に出たり入ったりしており、何かが起こっていることが察せられた。考えられるのは『祭り』であることか、それか――
「――いえ、それは違います」
ウルの横に控えながらも、セバスが鏡面に映る景色に鋭い視線を送る。
モモンガが鏡面を操作する。俯瞰図は拡大され、村の様子がよく見えた。
咀嚼しながら、ウルはそれを後ろから見つめる。
ウルは触腕を動かすのを止めた。
「――――――」
村人は抵抗することもできず体から血を噴き出して倒れていく。
一人、また一人と、花が手折られるように村人が死んでいった。
――それは『蹂躙』であった。
「ちっ――!」
モモンガが吐き捨てるように言い、鏡面を操作しようとする。
ウルは、パイを口に運ぶのも忘れ、鏡面をただじっと見つめていた――セバスと同じように。
(――――――)
ウルの心には、何も浮かんでいなかった。
モモンガと同じように、憐憫も憤怒も焦燥も浮かんでは居なかった――ただ浮かんでいた感情は一つ。
(――糞が)
――『不快』。ただそれだけが、ウルの心を埋め尽くしていた。
とにかく、不快。誰もその場に居ないのであれば、唾を吐き捨て、さっさとその光景から目を背け立ち去りたいほどであった。
何故不快に思うのか、ウルは考える。
思えば、不思議であった。何故憐憫や吐き気を覚えず、さらには不快感を感じたりするのだろうか。
前者に関しては、いくつかの見当は付いた。最早体が人間ではなく異形となっているが故に、心――精神もそちらに引っ張られているのでは無いだろうか。
そんな考えであった――もちろん突拍子も無いことはウルにも分かっている。
(もしそうだったとしても……不快感?)
いくら問おうとその答えは出なかった。
ただどうしようもない不快感が心の中を埋め尽くしたのだった。
心を掻き毟りたい衝動に駆られたのだった。そしてできるならその騎士風の者たちを殺したいと思うのであった。
ウルが謎の不快感の原因に頭を悩ませていると、鏡面に映る景色が変わる。
村人が何度も何度も、念入りにかつ乱暴に剣を突き立てられていた。
騎士の顔は憤怒により真っ赤になっている。村人は殺されそうになったから抵抗しただけであり、なんとも理不尽なことだが、そんな理屈は騎士たちには通用しない。
悲鳴を上げ続けていた村人はやがて口を閉じ、動きを止め、口の端から血を流しながら、血だらけの顔をこちら側へと向けた。
よりいっそうウルの不快感は強まる。パイを咀嚼し嚥下する気も失せた。
「――どう致しますか?」
セバスが訊ねる。それはモモンガとウル、二人に対するものであった。
そこでようやく、ウルはその村の持つナザリックに対しての価値を考えた。
村を助けることと、戦力未知数の敵を大勢相手取ること。
二つの価値の比は、言うまでも、考えるまでもなかった。
「――見捨てる」
――考えるまでもなかった、のだが。
「助けに行く理由も、価値、利益も――」
それはあまりに非合理に過ぎるだろう。
理由など無い、価値など無い、そんな行動はよせ。
どこか冷静な声をウルは心中で聞いた気がした。
しかしウルは口を開く。
「――モモンガさん」
ウルは、未だに自分の心が人間性を保っていることを確信できた。
「――『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』」
いつか、昔の仲間が言っていた一節を諳んじる。
それは幾度と無く聞いたその人の口癖。ワールドチャンピオンであり『正義』という言葉が大好きな人の口癖だった。
「ですよね、モモンガさん――?」
「――――――」
モモンガは固まり、黙りこくる。
セバスが目を少しだけ見開く。それは驚きによるものだった。
モモンガはため息をつく――ような動きを見せる。
「――ずるいですよ、ウルさん」
「さぁ、何のことやら?」
目論見どおり、と笑うウルと、額に手を当て再度ため息をつくような動きを見せるモモンガ。
「……そうですよね、誰かが困っていたら、その人を助けるべきですよね――たっちさん」
モモンガはセバスを――否、その背後を見ながらつぶやく。
「――セバス。ナザリックの警備レベルを最大限引き上げろ。私は先に行くから、隣の部屋で控えているアルベドには完全武装させ、後で来るように伝えろ――」
一通りセバスに命令を下し、言い忘れたことを思い出したかのようにモモンガは言う。
「私とウルさん二人で征く。お前は後詰としてナザリックに残れ」
「……畏まりました。ですが、それでは御方々の警護をする者が居なくなります。であればやはり私が」
「良い。お前が付いてくればいったい誰が命令を伝達するというのか。それに騎士がナザリック近郊まで来ている可能性も――」
「しかし」
モモンガが命令を下す中、ウルは鏡面をじっと見つめていた。
二人の少女が映っている。姉妹だろう。
騎士がその姉妹ににじり寄り、剣を振り上げている。手はプルプルと震えている――怒りによるものであるということは明らかである。
不快感は増大する。
それによって、ウルは先ほどの不快感が何によるものかようやく、直感的に理解した。
もちろん、ウルの人間に対する価値観は変質している――モモンガと同じで、人間は昆虫のようなどうでもいいような扱いとなっている。
しかし、ウルは、どうしようもなく――『弱いもの虐め』が大嫌いなのであった。
(
ウルは席を立つ。銀の皿の上にパイを数切れ残して。
「――セバス、これを作った人に美味しかったと伝えておいてくれないかな」
「御意に」
「――さて、セバス」
モモンガが鷹揚に手を振る。
「もう一度言おう、近衛は必要ない。もし危険だと判断すれば我らの命を優先し、迷い無くすぐに帰還する。それに――私たちは、至高の四十一人の二人だぞ?」
何を恐れることがある、と誇らしげにモモンガが言う。ウルはゆっくりとうなずいた。
セバスが黙して跪き、了解の意を示す。
「――<
モモンガの口から転移魔法が滑り落ち、空間を跨いで門が開かれた。
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