艦隊これくしょん The Bridge 閑話・短編集 作:Piyodori
ブーメラン島沖海戦で連合艦隊は壊滅。残存兵力は東へ離脱中だった。そんななか、そのはるか南方で哨戒中だったの潜水艦伊一六八と潜水艦隊司令のカメヤマ提督は高速で北上中の敵艦隊のスクリュー音を聴知するのだが……。
※全編ほぼ戦闘シーンのみです。例によってご都合主義がいきすぎている点はあらかじめご容赦ください。
重巡那智がシューズ・ベラ島に帰港するおよそ十二時間前。遙か南方海上。
潜水艦伊一六八に座乗するカメヤマ提督と艦娘イムヤが、不規則な周期で響く探信音を聴知したのは朝のスコールをやり過ごしてしばらくしてのことだった。
「聞こえるか? ノイズに隠れているが、周期的にゆっくりと……」
蒸し風呂のようにじっとりと湿気た薄暗い発令所で、ヘッドホンの音に耳をそばだてていた提督が静かに言った。となりに立っていた艦娘のイムヤも目を閉じてじっと耳をすませていたが、突然はっと目をあけた。
「うん、聞こえたわ」
「とりあえず南南東に軍艦がいる。それも二隻以上……」
探信音ははるか遠くの海中から高く澄んだ音として。
「今ピーン!と鳴った。一秒、二秒、三秒、今度はピピーンっと」
うんうんとイムヤはうなずく。探信音の発信が不規則で、さらに重複しているということは、発信元が複数ある可能性が高いことを意味していた。カメヤマ提督はこの世界に来て初めてソーナーとか音響探知という概念を知ったのだが、艦娘と艦を預かって以来、技術書やそれを活用するための戦術書をむさぼるように読んできた。元々、理系の素養がなかったカメヤマ提督自身、その半分くらいしか理解できていないことを自覚していたが、今聴知した探信音をどう解釈するべきかはおのずとわかる。むろん、海中の音響ほど、自然界のいたずらが白黒を変転させてしまうということも忘れていなかったが……。
「さぁてこいつは敵か味方か……」
「もう司令官たら。本当は見当がついているんでしょ?」
「だめだぞイムヤ、当て推量だけじゃ」
そう言ってランニングシャツ姿のカメヤマ提督は色眼鏡をはずして海図台の上へ身を乗り出し、三角定規で海図の上に赤鉛筆で線を引いた。
「今の本艦の位置がここ。聴音機の捉えた音源は方位一七七。理屈の上ではこの線上のどこかだが、はて……」
海中を通る音はまっすぐ音源から飛んでくるとは限らない。水中の温度の変異層や海面、海底に反射して、あらぬ方向へ曲がることもある。カメヤマ提督は海図の赤い線上に『S1』と記入した。
「今の音を便宜上、『シエラ1』と指定。えっと時間は……」
カメヤマ提督は手拭いで首筋の汗を拭いながら、金の懐中時計をハーフパンツのポケットから引っ張りだした。カメヤマ提督が唯一生前から持ってきたのがこの金時計だった。
「一六四二。今日の日の出まであと二十分か……。音源に沿うように西へ、四十分後に露頂深度まで浮上。潜望鏡と逆探を上げるぞ」
的針に並走しながらゆっくりと潜航していた伊一六八の水中聴音機が、『シエラ1』のスクリューが水をかくシュルシュルというかすかな周期音を捉えたのはそれからしばらく経ってからだった。目標が複数現れたので、海図上の『シエラ』はすでに3まで増えていた。
「少なくとも三隻。速いな……」
「ええ、計算したらざっと二十一から二十四ノットくらい出てるわね」
スクリューの回転数と音源の方位偏差からおおよその的速を計算して、イムヤは腕を組んだ。
「案外、はやく接的しちゃうかもね」
カメヤマ提督はもう一度金時計をのぞく。あれから三十分経っていた。
「よし、一度上がるか」
伊一六八はバラストタンク内の海水を圧搾空気で徐々に追い出し、ゆっくりと海面近くまで浮上した。黒くペンキで塗られた艦橋だけを波間に漂わせた伊一六八は、艦橋上から小さな網状のESMアンテナ、通称逆探と夜間哨戒用の光学潜望鏡を伸ばし、くまなく周囲を探る。
「信号だんだん強くなってるわ。方位二二三から二二六、電波の発信源は複数ね」
艦橋の上段にある丸いハッチの穴から上半身を出して、艦娘のイムヤは逆探の支柱を支えている。
逆探をイムヤに任せ、カメヤマ提督は海大型潜水艦特有の大きな平たい艦橋の天井によじ登って双眼鏡をのぞく。
「いたぞ……。まだ黒い豆粒だが。くそ、急速潜行だ! ダイブ! ダイブ!」
カメヤマ提督は天井からとびおりると、イムヤを手伝って逆探のアンテナを壊さないようにやさしくハッチに押し込み、イムヤに続いて自分も艦内へと飛び込んだ。ガチャンと音を立てて金属ハッチが閉鎖される。
まるで滑り落ちるように昇降梯子を降りた二人は発令所へと駆け込んだ。
「深度二五、攻撃用潜望鏡上げ! 両弦微速、進路〇三〇」
「了解! 深度二五、進路〇三〇、ヨーソロー」
イムヤが復唱する間にカメヤマ提督は海図台に新しい海図を広げた。
――駆逐艦は四隻以上、空母も複数……。やれるか?
発令所の中央には太い柱のような潜望鏡が二本設置されている。そのうちの一本が音をたててせり上がり、接眼孔と旋回ハンドルが上がってきた。カメヤマ提督は制帽を後ろにクルリとまわして単眼の接眼鏡をのぞき込む。
丸い視界の奥に、白波をたてて進む深海軍の駆逐艦の姿がはっきりと見えた。自分の体ごと潜望鏡を回すと、視界も一緒に回転する。角度を変えると、駆逐艦の背後にはさらに大きなグレーの船体が見える。まるで小型の自動車運搬船のような四角い船だった。その一番高い甲板には脚のないカメムシのような黒い艦載機が列をなしている。
「やっぱり空母だ!」
「ワオッ、大量、大量~!」
艦娘はわざわざ自分で潜望鏡をのぞかなくても、そこに捉えたものをすぐに自分の脳内にフィードバックすることができる。イムヤも敵艦隊の姿を認識し、少し興奮した様子で言った。一度潜望鏡を下ろしてから、カメヤマ提督は海図に敵の艦隊の位置を記入した。
「やっぱり、北西を目指している。敗走中の連合艦隊に追い討ちをかける気だな……」
「行くんでしょ、司令官。相手は空母。私の十八番よ」
カメヤマ提督は色眼鏡を顔からはずして、そのツルをかじった。健気に言うイムヤの顔をカメヤマ提督はしげしげとみつめた。危険をおかしてまでやる価値があるのか? その表情に迷いの色を見たのか、イムヤは元気のいい声で言った。
「司令官! わたしたちはそのために来たんだよ!」
提督はため息をついてうなずき、イムヤの頭をなでた。
「そうだな。苦労をかけるな……」
カメヤマ提督は色眼鏡をかけなおして海図台に手を置く。
「イパネマ環礁の北側まで先回りして、そこで仕掛ける。スコールが何度かあったから、海面は濁ってるはずだ。ぎりぎりまで近づいてできるだけ多く仕留めるぞ」
そう毅然と言って、カメヤマ提督は海図の一点に〇印をつけた。
「このまま触接を維持しつつ北上。七ノットまで速力上げ」
すでに伊一六八の水中聴音機は、敵艦隊を構成する七隻のスクリュー音を拾っていた。カメヤマ提督は先の潜望鏡観測と音源の方位から大まかな敵艦隊の陣形を予測する。
「前衛にイ級駆逐艦が二隻並列に並んで、その後方にヌ級軽空母が従陣で二隻。その左右にさらに駆逐が二隻。あと遠方にもう何隻か見えた」
「確かに多いわね。でも空母は甲板に艦載機が出ていたから、離陸準備中じゃないかな? それを最優先でやっつけないと」
カメヤマ提督はニヤっと笑ってイムヤの頭を撫でた。
「よーしよし、わかってるな。一撃目でこれをやるぞ」
提督は海図の上に、潜望鏡で確認した空母二隻の位置をV1、V2(ビクター1、ビクター2)と記入した。
伊一六八はラグーンを左手に迎えながら、北へ向かっていた。先ほどまでガンガン船を叩いていた深海軍の探信音とスクリュー音が唐突に途絶える。敵艦隊とイムヤ達の間を小さな珊瑚礁でできたイパネマ環礁が遮ったのだ。
――伊八にこのあたりの海図を作らせておいて正解だったな
カメヤマ提督は色眼鏡のツルを噛みながら海図を睨む。一撃目は奇襲だからなんとかなるが、敵に存在を悟られた後が問題だった。
――何とかして逃げきらねぇと
再び聴音機が探信音とスクリュー音を捉えたのは十分後のことだった。
カメヤマ提督は深呼吸して潜望鏡の横に立つ。
「魚雷戦よーい。本艦、進行中の目標、ビクター1、ビクター2に対処する。攻撃武器、魚雷。前部一番から四番発射管、魚雷装填。調停深度は5メートル。後部発射管、全門装填」
「了解、魚雷戦よーい。一番から四番、魚雷準備よし。後部五番は装填中、六番はどうするの?」
「特別に時限信管を付けてもらったやつがあるだろ。あれを使う。だが、装填はまだだ」
読書家で勉強家である伊八の発案によってカメヤマ提督と大鯨、明石が話し合い、夕張製作所で開発してもらった時間設定が利く時限撃発信管を組み込んでもらった特注の九十五式酸素魚雷が各艦に二本ずつ割り当てられていた。
後ろ端に位置する無人の魚雷発射管室では、白くペンキで「時」とかかれた魚雷が装填用の架台に乗せられ発射管の前まで押し出されてきた。隣の架台では通常弾頭の九五式魚雷がゆっくりと五番発射管へと挿入されていく。
しばらくすると、再びあの澄んだ探信音が再びイムヤたちの耳に届いた。環礁を抜け敵艦隊と伊一六八の間を遮るものがなくなったのだ。時計で時間をはかっていたカメヤマ提督は再び潜望鏡を上げるよう命じた。
カメヤマ提督は帽子を前後逆に被り直すと再び接眼孔をのぞき込む。測距用の黒いレティクルの越しに、ずっと大きくなった敵の黒い艦影が映る。敵の進行方向、距離、予想速力を計算するため、カメヤマ提督は再び潜望鏡を下ろして藁半紙のメモ帳に走り書きした。
「進路は三一三から三一五のあいだ、距離およそ八千五百メートル……」
カメヤマ提督は海図台の上にそろばんを引っ張り出して珠を弾く。
「一円なーり、二円なーり、さて正解は何文?」
様子を見ていたイムヤが楽しそうに冗談を言うので、提督は少し笑ってイムヤの頭をグシャグシャっとなでた。他愛もない掛け合いで、張りつめていた緊張が心なしかほぐれた。
「およそ二十五ノットなーり……。さて答え合わせの時間だ。その前に見直しは大切だな。潜望鏡上げ」
カメヤマ提督は色眼鏡をとると、再度潜望鏡をのぞき込む。
少し曇った空の下、スコール明けで透明度の下がった海面を、白波を立てて進む敵空母と駆逐艦の姿が見える。敵艦の煙突からは焦げ茶色の煙が左後ろへとたなびいている。先ほどのぞいた時と比べ、敵艦隊はわずかに西へ進路を変えたようだった。煙は再び敵艦の真後ろへとなびきはじめた。
「第一魚雷、方位修正二五五。二番発射管から三度ずつ北へ修正、放散射。わかるか?」
「もっちろん、敵は艦載機を上げるつもりでしょ? 風上へ舳先を向けて全速力ってわけね」
深海軍の空母にも近代的なカタパルトは装備されていない。深海棲艦が、そのグロテスクな艦載機が飛行甲板から発艦させるには、艦自体が向かい風を受けて翼に揚力を与える必要があった。
――敵が今のタイミングで転舵したり之字運動をする可能性は低い
カメヤマ提督は何とも味気ない敵軽空母のシルエットを睨みながらそう確信した。
「進路修正二〇七。速力そのまま。次に撃つ」
そう告げてカメヤマ提督は潜望鏡をおろした。『次に撃つ』という言葉を聞き、イムヤは魚雷発射へ最後の行程に入ったことを悟る。
「一番から四番、注水完了。門扉開放、発射準備よろし」
イムヤはそう答え、艦首の四門の発射管が海水で満たされ、外部の門扉が開いたことを報告し、カメヤマ提督の指示を待った。金時計を見つめていたカメヤマ提督は深呼吸してから命じた。
「一番から、四番、てーっ!」
「シュート!」
イムヤがそう応じるとともに、高圧タンクから開放された圧搾空気の悲鳴のような音が発令所にも聞こえてきた。まずは一番発射管から高圧空気で魚雷が押し出される。豆鉄砲のように魚雷が外へ飛び出すと同時に、イムヤは発射管から空気の泡が吹き出ないように圧搾空気の開放を止め、二トン近い重量物から急に開放された艦首が浮き上がるのを防ぐため、バラストタンクを調整した。
魚雷が当たる前に発射管から漏れた空気で海面がゴボゴボ沸き立ってしまっては敵に気づかれてしまうし、魚雷を撃つ度に海中で艦のバランスを崩して四苦八苦していては、二発目の発射もおぼつかない。カメヤマ提督が今回の同行者に、敢えて旧式艦のイムヤを選んだ理由は、イムヤが自分の潜水艦隊のなかで一番の経験と練度をもっていたからだった。
イムヤは第一射から三秒あけて二発目、また三秒後に三発目、四発目と等間隔で魚雷を放った。艦から解き放たれた四本の九十五式魚雷はすぐに機関を始動し、定められた方位と深度へ頭を向けながら二重反転スクリューを高速で回転させはじめる。
カメヤマ提督は海図と懐中時計を交互に見た。潜水艦が主導権を維持できるのは敵に気づかれていない最初の一撃までだ。
「一番から四番発射管は排水と再装填急げ。後部五番、六番発射管、発射準備! 速力七ノットに増速。方位〇一三。敵と平行に進むぞ」
潜水艦は急速転舵してモーターを勢いよく回し始めた。スクリューが海水をかく音が海中に響きわたった。同時に、さっきまで聞こえていた敵艦隊の推進音は雑音によってかき消されてしまった。
太平洋戦争時の日本の聴音機の性能は今一つで、機関にも自分の発する雑音を低減する対策はほとんど施されていない。これは、敵に自分の位置を盛大に暴露しつつ、自分は耳と目が利かないことを意味している。
カメヤマ提督自身、着任当初にこれらの事実を知ったときは内心途方に暮れたこともあったが、こればかりは艦娘にはどうしようもできないことだった。艦娘の練度とは、その機械の性能をどれほど上手に、適切に引き出せるかというもので、カタログスペック以上の性能や、劇的に攻撃力や防御力が向上するというものではない。つまるところ、どうやったらうまく運用してあげられるのか、提督のほうが試されているとカメヤマ提督はいつも自分に言い聞かせてきた。
カメヤマ提督は懐中時計をのぞき込む。
「あと九十秒……」
五キロ先の海中を酸素魚雷は二酸化炭素を吹き出しながら敵艦隊へと迫っていた。
「機関停止。潜望鏡深度まで浮上」
スクリューが停止し、艦は惰性で前進しつつ、ゆっくりと海面近くまで浮上した。カメヤマ提督は潜望鏡を覗き、敵艦隊の影を探す。レティクル向こうの黒い艦影は進路を変えることなく、白波を立てて進んでいた。
「命中まで五秒、四、三、二、一」
一番先頭を進む軽空母の右舷側の海面が一瞬真っ白に変色した。まもなく海面から吹きあがった海水の柱が二筋、完全に軽空母を覆い隠した。同時に海中の伊一六八に猛烈な爆発音が届いた。
「魚雷命中! やったぁ!」
イムヤが万歳して飛び跳ねた。
「敵空母に二発命中」
潜望鏡の視界の端にさらに一筋水柱が見えた。一番近くにいた護衛の駆逐艦を狙った一発が見事に目標を捕らえた瞬間だった。爆発音が断続的に届く。潜望鏡を巡らすと、二隻目の軽空母の艦首から水柱があがっていた。
カメヤマ提督は慌てて潜望鏡をおろすと、イムヤに急速潜航を命じた。
「深度八十、速力五ノット。次発装填急げ」
「了解、ベント開け、急速潜航、きゃ!」
爆発音とともに艦がわずかに揺れた。
「艦砲射撃だ。見つかったぞ!」
――こちらの優位もこれまでか
ピーン!とすぐにあの耳障りな音波が耐圧殻壁越しに艦内に響く。これまでの音より、かなり大きく響いている。
「敵艦、急速接近中。方位三〇五。護衛の駆逐艦ね」
海大6型潜水艦の水中速力はわずか七ノット。一方背後から迫る敵駆逐艦は三十ノット以上で走れる。速力を武器に逃げきるのは無理な相談だった。
「最大戦速で進路〇一五。敵はついてくるか?」
「ええ、ぴったり。どんどん距離を詰めてくるわ」
――ヘッジホッグの射程に入る前に仕掛けるか
カメヤマ提督はそう決心し、イムヤに命じた。
「後部六番発射管に時限信管魚雷装填。撃発まで、えーと七十秒で調整。五番発射管も続けて準備」
カメヤマ提督が海図に鉛筆で計算式を書き込みながら命じると、イムヤは了解と応答、艦の最後尾にある発射管室では慎重かつ迅速に九十五式酸素魚雷が発射管に挿入され、すぐに注水作業がはじまった。
なおも、探信音が立て続けに船体を打つ。
「何隻来てる?」
カメヤマ提督がヘッドホンを耳に押し当てながらたずねる。
「三隻は来てる。二隻はまだ距離があるわ」
そう言いつつもイムヤは不安そうな顔をしている。
「よし、じゃあ一匹退場させるぞ。潜望鏡上げ」
カメヤマ提督はイムヤを安心させるように元気よく言うと潜望鏡を覗き込む。敵の駆逐艦がこちらに艦首を向けグングン接近してくる。さらに前部砲塔が立て続けに発砲した。敵の砲弾は付近の海面に着水し、艦がかすかに揺れた。
「そうだ、まっすぐついてこい。イムヤ、機関停止。外扉開放、六番魚雷発射!」
「了解、外扉開放。六番、シュート!」
後部の魚雷発射管から圧搾空気によって魚雷が放たれた。さすがのイムヤも今回は慌てているようで、艦外に空気の泡が派手に噴出した。海面に白く泡が立つ。
「ごめん司令官」
「大丈夫だ」
懐中時計をにらみながらカメヤマ提督は歯をみせて笑って見せた。敵はまっすぐ突っ込んでくる。
「五番発射! 最初の爆発音と同時に機関始動、進路〇〇〇に回頭し最大戦速」
「了解!」
一本目から四十五秒遅れて二本目の酸素魚雷が艦尾から後方の追っ手めがけて放たれた。カメヤマ提督は再び潜望鏡を上げて敵の姿を確認した。
「よーし、耳ふさいどけよ」
まもなく、猛烈な爆発音が海中に響きハ級駆逐艦の前方四百メートルに巨大な白い水柱ができた。滅茶苦茶にかき乱された海水と泡により、付近一帯の水中聴音機はすべて雑音に覆われ使用不能となった。
「本艦後方一千にバッフルズ(正体不明ゾーンの意味)!」
「よーし! 機関始動、急速回頭。第二次攻撃だ!」
潜望鏡を下ろしながらカメヤマ提督が叫んだ。
同じ頃、「水中の目」を失い混乱しているハ級駆逐艦の艦首へ二本目の魚雷が迫っていた。重さ一トンの爆薬の炸裂により基準排水量二千トンの駆逐艦の艦首は、水柱と同時に海面から大きく持ち上げられた。艦橋と第二砲塔の間でキールが断裂、艦首が完全にもげた状態となった。
発令所のイムヤとカメヤマ提督はハイタッチを交わす。
「さぁ、どんどんやっつけちゃんだから!」
イムヤはそう得意気に言うが、カメヤマ提督は躊躇いを感じはじめた。敵艦隊にさらに攻撃をかけるのは、当然大きな危険を伴うことになる。敵が混乱しこちらを失探している今、急いで北東へ避退すれば無事に追撃を振り切ることができるだろう。ただ、そうすれば目下ヤムヤム島とタロタロ島へ敗走中の連合艦隊は、この敵軽空母の艦載機に必ず捕捉されてしまう。
「司令官?」
急に黙ってしまったカメヤマ提督の顔をイムヤが心配そうに見上げた。カメヤマ提督は覚悟を決めた。
「大丈夫。これから一気に敵空母へ接近するぞ」
「了解!」
イムヤはカメヤマ提督の心配をよそに元気よく返答すると艦を急回頭させた。
時限信管魚雷によって生成されたバッフルズの効果も、離れたり、時間がたてば影響は減ってくる。発令所のヘッドホンからは、ゴボゴボという雑音越しにすでに敵の連打する探信音がしだいにはっきり聞こえはじめてきた。
「前部一番から四番発射管、魚雷装填完了。全門注水中」
イムヤが報告した。カメヤマ提督はうなずきながら、海図台に自分達の現在地を書き込むと、再び潜望鏡を上げて海面上を観測した。
最初に目に入ったのは南西方向にいる二隻の軽空母が高速で左右に舵を切って回避行動をとっている様子だった。その左方、南の方角には火災を起こして真っ黒な煙を吹き上げる空母、そして艦首を吹き飛ばされ艦尾を空へ向け直立して沈んでいく駆逐艦、そしてやや遠方には被弾して右舷にやや傾いて停船している駆逐艦と軽空母が見えた。
ようやく潜望鏡観測で三百六十度一周というところで、巨大な黒い影が潜望鏡の視野を覆った。すぐに倍率を低くすると、それはカメヤマ提督が想像していたよりもずっと近くまで接近していた敵駆逐艦の艦舷だった。
「しまった!」
まさに双方五里霧中のなか、偶然出会い頭に敵とはち合わせてしまった状態だ。
「イムヤ、クラッシュダイブだ! 深度百まで! 急げ!」
海大六型潜水艦の安全潜航深度は七十メートルだが、設計上はその倍近い深度の水圧にも耐えられるよう設計されているはずだった。多少のリスクを犯しても今は安全な深深度まで避難したかった。ただ、伊一六八はカメヤマ提督指揮下の潜水艦のなかで、もっとも旧式の潜水艦で、他の潜水艦と比べても潜航速度が非常に遅いのだ。バラストタンクへの注水がゆっくりで、伊一六八が深度五十に達した時には、すでに敵駆逐艦は頭上にあった。
バシャン バシャン バシャン
聴音機越しにかすかに水のはねる音がした。二人は青ざめた顔でお互いを見た。
「ば、爆雷! かわさないと!」
「ダメだ! 下手に動かず、深度を稼ぐことだけ考えろ」
カメヤマ提督は聴音機のヘッドホンをはずしながら叫ぶ。そうしているうちにも、ドラム缶型の爆雷はゆらゆらと海中を揺れながらゆっくり落ちてくる。もっとも海中にいる提督とイムヤには、爆雷がどう落ちてくるかなんてことは全くわからない。当て推量で逃げ回るしかないのだ。
ドスーンと、もの凄い爆発音と衝撃が艦を揺さぶったのはその時だった。縦揺れとともに艦内の照明が激しく明滅する。
「くそ! 来たな……近いか?」
「今のはそんなに、キャア!」
今度はさらに強く、縦揺れと横揺れが混じった衝撃が襲う。二人は慌てて潜望鏡の筒にしがみついた。艦内で何かが倒れたり壊れたような音が響く。
「損傷箇所はないか?」
「大丈夫……」
さらにもう一撃爆発が襲うが、今度は少し遠かったようだ。幸いにも爆雷は全て伊一六八より浅い深度で爆発したようだ。
爆雷は少し離れていても潜水艦に重大な損傷を与えるだけの威力をもっており、その破壊力が最も強く作用するのはその直上だった。爆発によって生じた瞬間的な上向きの水圧は大型船すら真っ二つに引き裂いてしまうだけの力をもっている。今は敵が爆雷の起爆深度を浅く設定していたから助かったのだ。
「間一髪だったな」
「ええ、現在深度七十。あと前部魚雷発射管、全門装填完了よ」
「よし……。ただ、これじゃ撃ちようがない……」
二人はそう言いながら、敵と爆雷が見えるわけもないのに、潜望鏡にしがみつきながら発令所の天井を見つめる。
イムヤとカメヤマ提督は再び白熱球に照らされた海図台に向き合った。潜航深度百に達し、艦のあちらこちらから水圧で金属がきしむ音がする。
「せめてあと一回だけ空母を捕らえたい」
「そうね、これで終わっちゃったら、ちょっと悔しいわね。でも蓄電池の残量がちょっと危なくなってきたから、あと一回が限界だよ」
そう言いつつもイムヤの表情はどことなく自信がありそうな様子で言った。カメヤマ提督はそんなイムヤの顔を見て、再び海図の上に鉛筆を走らせた。離脱中の敵空母にV3、V4とコードを振り、予想進路と自分達の位置、そして一番やっかいな敵駆逐艦の散開状況を書き込んだ。もっともこの混乱のなかで、その位置がどれほど正確なのかは潜望鏡を上げてみなければわからない。二人は無言で発令所の天井を見上げた。
(後編に続く)