咲-Saki- 鳥屋野編 episode of side-T   作:秋のさんま

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第2局:旅行
第一章:それが私のやり方だから


 突然だが、庵は藤城に金曜から日曜にかけてお泊り会をするから、両親に家を空けると説得してくれと言われた。私のするしないの声はいらないのかと聞くと、麻雀部の仲を深める定番だから出来れば参加して欲しいとの事。

 

(友達って、こんな事するんだね)

 

 庵の心はぴょんと浮かび、友情の暖かさを感じていた。いきなりこんな親密な事をするなんて、迷惑かけたりしないかな。何で私と仲良くなってくれるのかな。そもそもそこに行く許可がもらえるかな。そんな事ばかり考える、夕方の食卓。庵を含む家族三人はあまり会話を交わさない。明かりは十分ついているのに、口も開かない雰囲気のせいで部屋は薄暗く感じ、無感情にニュースを読み上げるテレビの音が食卓を支配してるかのように感じさせる。

 

 庵はお泊まり会の事を口に出すのに憚りがあった。沈黙を破るのに少しの勇気を必要とするのが彼女であった。それでも心の準備は既に出来ていた。では何故行動しないのかと言うと、恐怖によって気持ちにヒビが入ったからだ。

 

 庵は父への畏怖を多少持っていた。庵の父は強面とは言い切れないが、やはり男らしさはあった。無精髭を生やし、眉間に少しの皺が残っている。その皺が更に深くなるのだとすると、彼女にとって非行に近いと思われるお泊まり会の事が言いづらかった。

 

 庵は何気なしに隣の修一郎(しゅういちろう)に目をやる。父の威厳に圧される私の心も知らぬまま、隣の弟は今日も健気に……いや、健気じゃない。何だか普段以上に食事のスピードが速い。食べる量もだ。何かあったのだろうか。それでも、今の私程の異常な事があるわけないと庵は断言し、お泊まり会の事をどう切り出そうか思索する。

 

「……庵。何かあったのか」

「えっ――」

 

 唐突に、父は、隆道(たかみち)は庵に聞く。言葉はまるで何か後ろめたい事を隠しているのではないかと思われているようだ。

 

「ううん。何でもない、何でもないよ」

「……そうか」

 

 ここで庵は、自分の箸が止まっている事に気づく。食事時に箸を止め、下を向いていれば、確かに何かあるのではないかと思われても仕方ない。庵が知らないだけで、家族内では承知の事実だが、庵にはあの一件から友達があまりいない。何か考えてたりすれば、家族はすぐに学校の影の部分を感じ取ってしまうのだ。

 

「えっ、と。父さん」

「……なんだ」

 

 庵はそのまま動いた口で、お泊り会の事を尋ねようとした。

 

 その時、味気ないデフォルトの電子音が庵のポケットから発される。それは明確にこの場の三人の鼓膜の不意を打った。

 

「うわっ、ととっ」

「ふぅ……食事中だぞ」

「ご、ごめんなさい……藤城先輩から? もしもし?」

 

 二人は先輩の声に反応し、庵の会話に耳を傾ける。庵から先輩の文字が喉から出て来た事はなかった。珍しい事だった。

 

『あーもうすもうす。庵ちゃーん。お父さんからお泊まり会の許可取った?』

「……まだ取ってない、です」

『あちゃー! やっちまったなー! 今どんな状況?』

「えっ? 食事中です」

『よし。そのまま食事してればいいよ。今から私達君を迎えに行くから』

「へっ?」

『震えて待て』

 

 電話は切れた。庵はそのまま愕然とするばかり。二人はその様子で首を傾げる。

 

「ど、どうした? 庵」

「えっ、えっと……」

 

 庵の脳は状況理解と誤解なき説明の内容についてフル回転。寸刻経った後、おおよそ使える脳のエネルギーはなくなり、少しの煙と降参の旗を立ち上らせた。

 

「先輩が、迎えに来るみたいです」

「なんだそれは。今からか? 何しに行くんだ」

 

 父が困惑の色を見せていると、玄関のチャイムが部屋に鳴り響いた。

 

「……もしかしてもう来てたりして」

 

 弟が冗談めかしく言葉を吐く。まさかと思いつつ、庵は箸を置いて玄関に向かい、そのまま扉を開けた。

 

「おまたせっ」

「待ってないです」

 

 いたずらっ子のような笑みを見せた藤城は私服姿で腰に手を当て立っていた。藤城の後ろの方に目を移せば、夜の暗闇の中銀色のファミリーカーが光を反射し舞台の主役のように輝いていた。庵は本当に迎えにきたと目を白くして竦然とするばかりであった。

 

「お父さんー。麻雀部二年の藤城と言う者ですがー。部活でこれから日曜まで連れて行きますねー」

「えっ、日曜?」

「い、いやっ、待て! 待ってくれ!」

 

 頭が混乱する中、父は外へ飛び出し必死に静止の声を搾り出す。だが、無情にも泡沫に帰した。庵は藤城に強引に車の中へ入れられ、車はのろのろと発進して行く。

 

「ああ……行った……」

「……これで食費が大分浮くね」

「それならお前がいなくなってくれた方が良かった……! ああ、庵……私の知らない間にぐれてしまったのか……?」

 

 父は車が見えなくなるまで立ち竦んでいた。車が見えなくなると、修一郎のおかわりの声に肩を落とし、夜を背にして家に戻った。

 

 

 

――――――

――――

 

 

 

「藤城せんぱぁい! これは一体どういう事ですかぁ!?」

 

 車内には鳥屋野高校麻雀部の全女子部員が集まっている。運転席には麻雀部唯一の三年生の宰務旭(つかさあさひ)が。助手席にはカーナビがあるのに地図本に夢中になっている吉中が。後部座席が二列あり、前列に今来た藤城と庵。後列にクラリスと荻川富代(おぎかわとみよ)が手を繋いで座っている。クラリスはこぼれんばかりの笑みを見せるが、富代はどうも気恥ずかしいようで、照らしたかのように頬を薄い赤で染め上げ、茶色のショートの髪を片手で掻き毟っていた。

 

「まあまあまあまあまあ。私はただ、新入部員と現部員の女子会、別名交遊会がしたかったんだ」

「それなら、こんな突然にしなくても……」

「まあまあ。まずは部員紹介からだ。庵君とクラリスは、トミーと狼先輩を知らないでしょ? 紹介してあげる。運転席にいる釣り目のおっさんが狼先輩の宰務旭さんだ」

「誰がおっさんだ。お前の部屋の方がよっぽどおっさんだよ」

「見てないくせにうるさいよ。で、後ろにいる美少年がトミー。荻川富代だ」

「び、美少年って……女子会って先輩言ってましたよね。ボクは鈴井さんとは違って言い逃れはさせませんからね!」

「へいへい」

 

 藤城は指差しをしながら暴言を交えて庵に二人を紹介した。庵は確かに二人とは初対面だった。それでも庵が真っ先に望んでいるのは二人の紹介ではなかった。

 

「……紹介はありがたいですけど、先輩はどうしてこんな誘拐紛いの事するんですか!」

「どうしてって言われればー、それがうちらのやり方だからかね」

 

 なんのやり方だ。誰も口には出さなかったが、全員がそう呟いたような空気が車内に散漫した。

 

「も、もういいです。庵はすっかり理解しました。完璧です」

「分かってくれたか」

 

 分かる筈がない。だが、そうでもしないと埒が明かない。庵にはまだまだ聞きたいことが沢山あるのだ。

 

「で、次に私が聞きたい事です。誰の家でお泊り会するんですか?」

 

 庵が問うと、藤城は謎の動作をし始めた。それは僅かな動きで、そして突然で、庵にはすぐに理解できなかった。

 

「ここ」

「は?」

 

 藤城は人差し指で車内の床を指した。

 

「お泊り会ってのは言葉の綾です」

「は?」

 

 理解し難い言葉をどんどん続けていく。それで庵の脳内回路は処理をしても追いつけずにいた。

 

「……えっ、何々、お泊り会じゃないんですか? 車に泊まるのは、まあおかしいとは思いますよ? おかしいと思いますけど、この際いいです。車内泊で、お泊り会じゃないのが、金曜夜から日曜まで? 何をするつもりなんですか?」

「じゃあ発表します。このお泊り会の本当の目的。それは鳥屋野高校麻雀部でー、旅行する事よ!」

 

 胸を張って目的を告げる藤城と対照的に、目的を耳にして父譲りの眉を深く顰め、呆然と座り込んだままの庵。

 

「……麻雀は?」

 

 何か言おうとして、庵は無意識に呟いた。

 

「さあ?」

 

 誤魔化された。麻雀部なのに。

 

「…………はあー…………」

「ああっ、庵君っ。随分、深い、溜め息をして……くっくっくっ」

 

 驚きと呆れを吐き出した深い溜め息は、藤城が噴出す事の起爆剤になった。確かに庵の反応は笑いを誘うには十分なものだが、よくここまで溜め息で笑えるもんだと、地図を読み耽っている吉中とクラリスと笑う当人を除いた全員が思った。

 

「じゃあ、今から私達が何処に行くのかと言うとー…」

「あっ、それ多分分かる。吉中先輩。今見てる物を見せてください」

「んっ、はい」

 

 吉中に渡された物を覗き込むと、わんこそばの店が載っていた。わんこそばが名産の旅行地といえば、多分あそこだと、庵は向かう場所への大体の目処が立った。

 

「ああ、岩手だー……」

「よく分かったね。今回、秘密裏に振ったサイコロの結果私達は――岩手に行く事になりました!!」

 

 いよっ、の掛け声と共に藤城は小さく素早く拍手をする。それで庵の気分は上がりはしなかったが、楽しげにしている藤城を見て、雰囲気でも気持ちでも嫌とは言えなくなっていた。

 

「もう、楽しむしか道はないんですね。藤城先輩。私、腹が決まりました」

「よっしゃ、んじゃあテレビでも点けながら話をしようや」

「で、でも、藤城先輩。本当に女子だけで行くんですか? 鈴井さんとか、内野先輩は? それじゃ麻雀部の真の交遊会とは言えないのでは?」

 

 庵は親切心から言ったのだが、藤城にとってはそれは天使の誘いのようなもので、極楽浄土への直行便だが、鈴井にとっては、もう、地獄に真っ逆さまと言って良いだろう。これから自身が嫌だ嫌だと毛嫌いしていた拉致が実行されそうになるのだから。これを鈴井が見れば口撃のマシンガンをドドドドドと撃ちかます事だろう。

 

「…確かにそうだね」

 

 誘拐紛いの事が起きるのが決まりました。

 

「義春も大変だなぁ。そろそろ自動車道に乗るのに、ここから追いついて岩手の花巻に来なきゃいけないなんて」

 

 旭は前から目を離さず、ポツリと呟いた。

 

 

 

――――――

――――

 

 

 

「しかし、この車は便利だなあ。テレビもあるし、コンセントの穴がある」

「家族共用だけど、壊したりするなよ」

 

 藤城は自身の携帯の充電器をコンセントに入れ、車内を眺めて言った。家族共用と旭は言ったが、壊したりしたらどうなるのだろう。そこから先は考えない。流石にそこまで非常識ではないし、取り返しのつかない事もあると弁えていた。だからと言って彼女が非常識なのに変わりはないが。

 

「さて、まずは鈴井に事の経緯を話すかー……ん?」

 

 連絡しようと指を動かす最中、藤城は突然時間が凍りついてしまったかのように指の動きを止める。

 

「どうかしましたか?」

 

 荻川が藤城に起きたかすかな異変に気づき尋ねる。

 

「……ブロックされてるなあこれ」

「えっ!?」

 

 荻川は信じられず、思わず身を乗り出してSNSの画面を覗き見る。

 

「電話にでんわ」

「お気楽な顔していきなり何言ってるんですか!! 藤城先輩、鈴井さんに何かしましたね!?」

「いや~、色々してるから分っかんないわ~」

「あっ、確かに…ってぇ、色々してるからブロックなんてされるんでしょう!?」

「二人ともっ」

 

 夢中になる二人に聞こえるように声を張り、旭は続ける。

 

「それなら義春に電話すればいいじゃないの。誘拐するのは義春なんだから」

 

 その時バックミラーに映った旭のニタリ顔は、庵の目にしっかりと焼きついてしまった。あんな悪魔のような表情見たことないと、寝る時まで庵の頭にこびりついて離れなかった。

 

「なるほど、じゃあ早速…………あー、もしもしマイコー?」

『もしもし。君がわざわざ電話するってことは、もしや例のアレをするのかい』

「察しがよくて助かるねー。んじゃ、誘拐出来たら電話してねー」

「……えっ、何も言ってないのに、内野先輩は誘拐って分かったんですか?」

 

 庵は疑問の声を上げる。

 

「まあ、何回もやってますからね。慣れって怖いですね」

 

 何回もやってるという吉中の言葉で、庵は天地がひっくり返るような衝撃に襲われるが、この拉致誘拐の嵐に慣れる吉中の適応力にも吃驚した。ここまで慣れるものなのか。

 

「ボクもこの人達とはまだ付き合い浅いけど、もう慣れちゃったよ」

「荻川さんも……もう、この麻雀部駄目じゃないの?」

 

 どういう意味で駄目なのかは分からなかった。

 

「愉快、痛快、コントは爽快!」

 

 クラリスは体を小気味良く揺らして韻を踏んだ。

 

 

 

――――――

――――

 

 

 

「おっ、やったか」

 

 藤城の手元にある携帯から着信音が鳴ると、それを素早い手つきで取る。

 

「もしもーし」

『お嬢。捕まえやしたぜ』

「ご苦労。変われ」

 

 先輩に対してふてぶてしくないか。先ほどまでの庵ならそう感じる。しかし藤城はこれでいいのだ。もうこれが藤城になってしまった。

 

『……もしもし』

「やあやあ鈴井晃。元気してるぅ?」

『元気してるねぇ。寝てるっつってんのにいきなり先輩に逆エビ固めくらう位には元気だよ』

「それ元気なのマイコーの方じゃないか? まあいいや。早速本題に移ろう」

 

 携帯を右手から左手に持ち替える。口角を上げ目を細くし、楽しそうにしている藤城の笑顔が庵からは見えなくなってしまった。

 

「さあ鈴井さん。今から我々はー何処へ向かうでしょうか!」

『…毎回思うの。旅行する時にはね、ちゃんと同行者に行き先を伝えよう? 僕らまだ高校生なの。ハプニングなんか期待してないの』

「なんでよ、高校生が旅行しちゃ悪いか?」

『悪いとは言ってないよ。立派な趣味だよ旅行。ただ、僕は君とは一緒に行きたくないんだな』

「ははっ、なんでさ。これは麻雀部が親睦を深める為の旅行だよ? お前がいなきゃただの旅行になっちゃうよ」

『君はあっさり流したけどね。ボクは趣味のラグビーに体力を使い切ってこの7時半に寝てたの。地味に足つってんの。そこをビンタされてエビ固めで叩き起こされたんだ。酷いだろう』

「あっ、てことは今勝負服かっ!」

『はあ? 気にする所はそこじゃないだろ? 言われてないだろうけどバカでしょ君』

「それはお前に耳タコが出来る程言われてんだよ。ヒモムシだから自分の言ってる事も覚えてねえか」

 

 何度押されたか分からない鈴井の怒りのスイッチがカチッと押された。

 

『なんやとぉー!!!』

「うわっ! み、耳が潰れるぅ」

『バカやアホは散々言われとるし、自分の事やからまーいいけれど、ヒモムシは僕の料理が可笑しいっつってるのと同じなんやで? そんな変化球ぶち込んだらキレるよホンマ』

「……ごめんねヒモムシ。私、ヒモムシの事全然考えてなかった」

『よぉし分かった今から殴りに行ってやるからな。場所を言いな』

「今の言葉、宣戦布告と心得た! 岩手の花巻駅の第一駐車場で待ってるぞ。必ず殴りに来い」

『えっ、岩手? そん』

 

 そんな所まで。そう言おうとした矢先に電話は切られ、その言葉が通じる事はなかった。

 

「あっ、あんの野郎……あんな遠くの田舎行って何がしたいんだ……」

「えっ、岩手行くの? 藤城も本当に無茶するなぁ」

「マイコー。それに付き合う俺らも大概無茶してるよ……本当、なんでこの車はカーナビがないの」

 

 鈴井は心許なかった。鈴井家の車は普通にカーナビやラジオがあるが、この車にはなかったからだ。

 

「そんなの僕の婆さんに行ってくれ。家の車を借りてるんだから」

 

 内野も鈴井と同じように感じているが、こっちは現実を受け入れ、開き直っていた。

 

「それより、僕が運転してるんだから、君は地図開いてナビゲートしてくれよ」

「へいへい……」

 

 携帯の電源を入れ、地図のアプリを開く鈴井の指に力はなかった。まるで操られるみたいに無心に操作し、道を調べていく。

 

「岩手って上の方だよねマイコー」

「うん」

「……上の方には山形があるよね」

「うん」

「今は春で、山形はサクランボの名産地だ。サクランボの季節は春」

「いやいやいや、駄目だよ鈴井君。藤城さんの約束はちゃんと守らないと。僕らが行くのは上の方の山形じゃなくて、岩手なんだから。約束を反故しちゃ信頼を失うんだよ。駄目だよそんな事」

 

 マイコーは諭すように鈴井を戒める。

 

「分かった分かった。ごめんねマイコー。僕が悪かった」

「よーし、分かればいいんだ。さ、道を言ってくれ」

「磐越自動車道と東北自動車道の二つがあるけど、どっちがいいんだろうマイコー」

「そりゃあ、岩手に近い方さ。僕らは今から上の方へ向かうんだから」

「う、上の、方ね……くっくっ、じゃあ、東北自動車道だね。道は分かる?」

「分かる」

「途中で山形に行くけど、いいんだね?」

「何を仰い。岩手に近いから上に行くんだよ。サクランボ狩りなんて微塵も考えてもいないさ」

「じゃあ、いいねマイコー」

「これでいいんだ」

「「よし」」

 

 二人の声がハモり、内野はアクセルを踏む足にいつも以上に力を入れ、車はスピードを上げ夜の風を切る。

 

「よーし、狩るぞぉ」

「アッハッハッハッハッ……マイコー。藤城に怒られても二人で怒られような。俺だけに擦り付けたら訴えるからな」

 

 夜、男二人は狩りを始めようとしていた。

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