「
何を言っているのだ、このクソ両生類は。上座でふんぞり返った閻魔の唐突な発言に、心の中で毒を吐く。まず第一に、『たいざんおう』なるものが何を意味するのか分からない。
「聞こえなかったか、人間。お前を次期泰山王に任命する」
「無礼を承知で申し上げます、『たいざんおう』とはこちらにおける役職か何かでしょうか?」
「博識な人間と見受けたが、買い被りだったか」
今度は向こうから挑発してきた。随分と人間臭い閻魔様も居たものだ。容姿が蛙なのに人間臭いとはこれいかに。
「十王も知らぬとは」
傍聴席のざわめきが耳に届く。思い出した。『十王』、以前聞いたことがある単語だ。仏教十王信仰、閻魔王や泰山王を始めとする十王から成る。十王はそれぞれ死後の裁判を受け持ち、中でも泰山王は四十九日の死者を裁く。この四十九日の裁判こそが事実上の最終審判であり、それ以降は『再審』の扱いを受ける。
「不服そうだな、人間」
「いえ、なぜ
一般人である俺を、地獄の重鎮たる泰山王に指名する理由が分からない。露骨なご都合主義、やはりこれは自分の夢だったかと落胆する。
沈黙が場を支配した。実際には一瞬の出来事だろうが、俺にはその沈黙が長く、それは長く感じられた。
「選ばれた?選ばれただと?図に乗るなよ人間。
二人称が『お前』から『貴様』に変わった。声を荒げてこそいないが、どうやら怒らせてしまったようだ。怒髪天を衝くとはまさにこのことか、蛙故に頭髪はないが。自分の言葉遊びに自分で失笑する。無論、顔には出さない。今の閻魔王に笑いを堪えていることが知られれば、無間地獄行き確定だ。振り返れば、傍聴席の人間もこちらに野次を飛ばしている。理解に苦しむが、今の発言は『地雷』だったようだ。
にしてもこの閻魔、
「もう良い、後のことはそこの小娘に訊け」
そう言われて右に視線を移すと、件の少女が立っていた。この少女は法廷に着いてすぐ、用事があると言って席を外していたはずだ。いつの間に、という疑問が浮かぶが意味のないことだと思考を放棄する。
横目に少女の顔色を窺うが、感情をそぎ落としたようなその表情からは何も読み取ることができない。少女はこちらを一瞥した後、軽く頷いた。今は大人しくしておけということだろう。
「それでは健闘を祈るぞ、人間」
閻魔の宣言を以て、『あの世』の裁判は終わりを告げた。
「あなたは運が良い」
前を歩く少女が語りかけてくる。列車の中では長いこと一緒に居たはずだが、随分と懐かしい声に感じる。
「普通、死神のような下っ端です」
言い渡される判決が、だろう。果たしてあの問答――それも一方的な問答――を裁判と称して良いのかは甚だ疑問だが。
「君も死んだのか」
「はい、死んだ瞬間の記憶も鮮明に残っていますよ」
こういった時は深くは聞かずに流した方が良いのだろうか、死者と会話をする経験などなかったから分からない。
「ところで、まだ名前を聞いていない」
無理やり話題を変更する。自分で言うことではないが、俺は昔から会話というものが得意ではなかった。
「そういえばまだでしたね」
そう言うと少女は足を止めた。俺たちが今歩いているのは狭い洞窟のような通路、灯りは左右にずらりと並んだ蝋燭の炎のみ。どことなく不安を煽る空間である。ちなみに目隠しはしていない、したところで意味がないということだろう。その点に関しては全く以て同感だ。
「イザベラです」
少女は再び歩き始めた。外見からして日本人ではなかったが、案の定名前も日本人ではなかった。
「イザベラ、閻魔様はどうしてあんなに怒っていたんだ」
「痛い所を突かれたからでしょう」
「痛い所?」
「長くなりますが、歩きながらで良いなら説明しましょう」
そう前置きをして、イザベラが説明を始めた。彼女の説明の要点をまとめると、こうだ。
まず、冥界には十王と呼ばれる裁判官が存在する。審判の順に
話を戻そう。イザベラによれば件の十王の一角、『泰山王』の任期満了が目前に迫っているそうだ。十王が任期満了あるいは不慮の事故によりその位を退く際、他の九人の王が人間界から後釜を推薦するという取り決めがある。そして推薦された九人の候補者から、次期十王が選出されるという仕組みだ。
「閻魔様の宣言、『任命』ではなく『推薦』が正しいと思うのだが」
「体裁の問題でしょう、閻魔様は誰よりもプライドが高いことで有名です」
例の
「そうなると、閻魔の言っていたことが分からない。俺が、『自らの意思で』ここに来ただと?」
「私から言えるのは『現状はあなたの意思が少なからず反映された結果である』、ということだけです」
やはり、身に覚えがない。ふと、ここの住人と俺の間には何かしらの大きな
「もうすぐ着きます」
そういえばまだ行き先を聞いていない。少女に声をかけようとした時、急に視界が開けた。
「わ」
駅だ。現実世界の地下鉄と何ら変わりない、古びた駅構内。先ほどまで乗っていた列車が停車している。妙に近代的なプラットフォームの中で、二十世紀初頭の西欧を彷彿とさせる列車はひたすら異彩を放っている。
「また列車か?」
「我慢してください」
どうやら、退屈な列車の旅が再開するらしい。
「どうですか、この眺めは」
イザベラが問いかけてくる。どこか誇らしげに見えるが、あくまで無表情なので実際の所は不明だ。
「まるで意味が分からないね」
あれから列車に乗り込み、出発してから程なくして地上に出た。橋の上を駆ける列車から見える景色は、確かに素晴らしいの一言に尽きる。
「ここは閻魔様の領土なんだろう?」
「そうですね」
「もう一度言おう、まるで意味が分からないね」
閻魔の領土というものだから古代中国の古き良き町並みを期待していたのだが、見事に期待を裏切ってくれたな
「どう見ても西欧の町並みだろう、これは」
「閻魔様の趣味です」
ここが冥界の、それも閻魔の領地であることを除けば悪い趣味ではない。だが、やはりというか
「建築様式がてんでバラバラだ」
バロック、ビザンツ、ルネサンス、ゴシックにロマネスク。違和感を覚えないのが不思議なくらい統一性がない。まさに現代の日本人が考える『中世ヨーロッパ風』を良くも悪くも体現していると言える。
「『現実』では見られない、と考えればまた一興でしょう」
確かにイザベラの意見も一理ある。しかし、だ。ここは
「もうじき、カシア貿易港を抜けますよ」
そういえばこの街は貿易港という設定だったか。橋から見下ろす街の向こうには、蒼く輝く海が見える。
「ここの住人は、現実世界で言うところの死者なのか?」
「はい、そうなりますね」
「地獄にしては、なかなか良い生活をしているようだが」
往来を行き交う人々の顔は、活気に満ちているように見えた。
「天国も地獄も、便宜上そう呼んでいるだけです」
「どういうことだ?」
『極楽』ではなく『天国』という言い回しをすることに違和感を覚える。
「文字通り天の国が天国、地の国が地獄というだけです」
これはまた、意味不明な発言が一つ増えた。つまり天国は文字通り、この上空に存在するということか。
「なにせ土地が足りませんので」
白旗を上げる。いちいち真面目に考えていたらこちらが先に参ってしいそうだ。そういうこと、と納得してしまおう。
「トンネルに入ります」
少女の宣言通り列車がトンネルに入ると、当然だが外の景色が見えなくなってしまった。ここからはまた退屈な旅の始まりとなる。
「イザベラ」
そういえばまだ一つ、大事なことを聞いていなかった。
「これからどこに向かうんだ?」
「それは当然――」
「現
胃に穴が開きそうだ。
『失笑』って扱いにくい単語ですね。