ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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Ⅰ ボランティアは、報酬より心
プロローグ


 

 汗ばむ肢体。

 アルコールに上気した、滑らかな白磁の如き肌。

 暑くて熱い、夜。

 

 リーリーと外で鳴く虫が耳朶の奥の方を打ち、射し込んでくる月の光は満月の夜に相応しい明るさを帯びていた。

 

「止めてッ……レオンさ、いやっ……!」

 

 そんな拒絶の声さえ可愛くて、愛しくて、その裏にある本当の意図を読み取った気になって。

 ああ、意識の奥底を擽るこの声の、なんと麗しく可憐なことだろう。

 

 ボーッとする頭、停止した思考、本能のままに動く身体はまるで自分のものではないような気がして、その実、心の底から望んだ通りに動いている。

 上辺の言葉の裏にある、真理のような何かが、言葉にして伝えない思いが、確かにそこにある気がして、回らない脳みそが必死にその感触を確かめろと喚き立て、俺はそれを拒否しない。

 

 ぐるぐると空回りする熱い何か。

 

 喉元にせり上がってきては無理矢理に飲み下し、頭のてっぺんを殴りつける。

 それを飲み込んで、ああ確かにその通りだと納得して、ぼやけた視界越しに彼女の目を見て、ああ確かにその通りだと一人合点して。

 

 

「――……こんなの、うそだ……」

 

 

 そうして、()だるような蒸し暑さに包まれた暁の頃に、ようやく気付いたのだ。

 両手で顔を覆い、背中を丸めて泣きじゃくる彼女の、その目の色は――

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

「……はっ……はっ……はっ……はっ……」

 

 後ろを振り返らずに、泥沼地帯を走り続ける。

 ピチャピチャと音を立てる足元は緩くぬかるみ、長く走り続けるほどスタミナを容赦なく奪っていく。

 

 脚を前に出す度に、愛用の防具、EXレウスS一式装備が立てる音は、スタミナが尽きて倒れ込みそうになる体を叱咤してくれる唯一の存在だ。

 隠密行動の時には本当に厄介なガチャガチャと言う音が、今は自分の行動の道しるべとなってくれている。

 

 あるいは下らない茶番劇に出てくる道化のような今の自分を、道から踏み外さないように支えてくれる橋の欄干であった。

 だからといって、防具にありがたみを感じる瞬間は、今ではあり得ない。

 

 追っ手から逃げる者にとって、人の域を超越する強大な相手と刃を交えるための防具は、よく働く足枷(あしかせ)にしかならないのだ。

 精神面ではこれ以上ない味方であり、物理面ではこれ以上ない敵であった。

 

「……はっ……ひっ……はっ、あっ、はっ…………ああっ」

 

 胸が苦しい。

 喉を通る空気が、肺を刺しては引き裂いていくようだ。

 

 太ももが限界を迎えている。

 極度の疲労からくる、ギリギリとした締め付けるような痛み。

 あるいは、これ以上の脚の酷使を拒否するかのような、地面に引きずられているような痛み。

 

 身体中から悲鳴が上がる。

 汗を掻いた額に灰白色の髪がべっとりと貼り付き、不快なそれをかきあげる余裕もない。

 比例するように、レオンハルト・リュンリーの頭の中は冷静になり、思考がさえ渡っていく。

 

 ハンターとしての性だ。

 どうしたら生き延びられるか、どうすれば生き残ることが出来るか。

 どうすれば、喫緊の危険を取り除けるか。

 危険な状況に陥るほど、モンスターに対峙する矮小な人間は、なんとか創意工夫を凝らして生き延びようと足掻き、生来備わった知性(ぶき)を総動員させる。

 

 

 ハンター生活、苦節十二年。

 数々の命の危険に遭い、そのことごとくを独力で退け生き延びてきたが、これほどの窮地に立たされたことは一度もなかった。

 人生の半分以上を死と隣り合わせに生きてきたからこそ分かる。

 一種の防衛本能のような、或いは長年のハンター生活で身につけたハンター自身の(・・・・・・・)スキル、自分の命を守るための勘のようなものが、囁くのだ。

 レオンハルトの中には、一つの確信めいた予感が生まれていた。

 

 これは、もうだめかもしれない。

 

 

 臨死体験など、モンスターハンターなどという職業に就いて生き続けていれば、自ずとその数は数百にも、数千にも上るだろう。

 心臓が縮みあがるスリルなど、()り取り見取り、そこら中に転がっている。

 命を賭けたギャンブルを好んで味わいたい奴は、好きなだけ味わっていればいい。

 

 これまでは持ち前の闘争心と、体の奥底に染み着き、そこから湧き上がってくる自己完結したやる気を元手に、モンスターを殺す力へと変えることができた。

 討つべき敵への憎悪と生存本能の成す技によって、なんとか目の前に立ちふさがるモンスターたちを討ち破り、彼らとの生存競争に打ち勝つことができていたのだ。

 

 そう、ヤツら相手ならば、レオンハルトは『龍歴院』一の腕を持つハンターだった。

 

 モンスター相手ならば。

 

「…………くっ、…………は」

 

 赤茶けた土が剥きだしになっている崖下の、陰になっているところにレオンハルトは駆け込んだ。

 絶壁の上から小さな滝のように流れ落ちてくる水。

 シダ植物が垂れ下がり、目のいいモンスターだって滅多なことでは視認させないような、緑色のカーテンを作っている。

 モンスターの影がないことを確認してから、哀れな歩兵は静かに、水が地面一面を覆う原生林の湿地の一画、崖の下の陰の岩肌に、静かに腰を下ろした。

 

 同時に、背中に負っていたモノを下ろし、膝の上に座らせる。

 それは、白くて丸い、大きな卵、モンスターの卵であった。

 

 『原生林』は広く、豊かな自然と生態系が育まれている場所で、ギルド公認の狩猟環境だ。

 生態系が豊富であるということは、すなわちそこに生息する生物の“卵”の数も、種類も豊富であることを意味する。

 一般的に、普通の動物たちよりも身体が大きく、生命力の強いモンスターたちの卵には、他の動物の卵よりも巨大化する傾向にあり、総じて栄養価が高い。

 

 つまり、食べれば美味しい。

 メチャクチャ美味しい。

 加えて、日常的に口にするには、余りに希少価値が高い代物でもある。

 

 だからこそ。

 欲深い人間たちは、モンスターの卵を求めて、狩猟場を駆け回るのだ。

 

 

 当然、モンスターの卵の“親”だって、自分の直接の子孫たる我が子の卵を何の抵抗なしに譲ってくれるわけがない。

 そこには、ハンターとモンスターの親による、壮絶な駆け引きと熾烈な闘争が勃発する。

 

 人間は、勝てばモンスターの卵を食らうことが出来、負ければ子守り、子育てで腹を空かせた親モンスターの血となり肉となる運命だ。

 

 原始的な生存競争、単純化された食物連鎖の在り方が、美しく残酷なこの世界の縮図が、生命の尊厳を賭けた誇り高きの証明が、“モンスターの卵採集クエスト”には存在しているのだ。

 

 そのはずであった。

 

(――なんで同業者(ハンター)が、俺から卵を強奪しようとしてるんだよ!?)

 

 


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