そうして始まった古代林でのハンター教習合宿。
「これが薬草、こっちは解毒草……」
道に生えている様々な植物の中から、ハンターの調合に用いる素材の小さな群生を見分けていく。
「そうそう、あ、じゃあこれは?」
レオンハルトが指した先には、ピンク色の葉を広げる小さな植物。
「漢方薬の素材の……落陽草、根っこが調合素材、です」
「あたり。葉っぱの部分は毒だから、気をつけて。教本には書いてなかったけど、食べると三時間くらいめまいと吐き気に襲われるから」
「ぇ」
その知識は一体どこで?と思うナッシェであったが、怖くて聞けなかった。
「好奇心に駆られても、狩り場ではやっていいことといけないことがあるんだ。狩り場で持ってしまう好奇心は、ハンターをも殺す。いいね?」
「…………はい」
聞かなくても、察してしまった。
「よし。…………それじゃあこっちのキノコは?」
目に付いたキノコをプチッと採集して、ナッシェに手渡す。
青紫色のかさは、所々ではじけた水玉のような白い線を描くキノコ。
なんとも毒々しいそれは、毒テングタケにも見えるが、
「家で見たのとは模様が違うけど…………ドキドキノコ?」
キノコをひっくり返しながら、そう答えた。
「そうだね。ドキドキノコは、基本的にはかさ下の胞子の付き方が特徴的だから、そうやって見ればいい。まっ、複数群生していたら、分からなくても食べれば良いんだけど」
「……………………」
それがもし、強靱な肉体を持つモンスターにも効くような毒性のある毒テングタケとかだったら、この人は一体どうするんだろう。
きっと、解毒草でも噛みながら狩りを続けるんだろうと、ナッシェは半分諦めた面持ちで黙った。
この人は、回復薬と解毒薬さえあればどんな地獄からでも生還するバケモノだ。
あの
理解すればするほど虚しく感じてしまうような、圧倒的で歴然とした差。
その笑みの下に、どれほど血のにじむような努力を積み重ねてきたのか、想像すら出来ない。
これがプロのハンターなのだと、ナッシェは密かに羨望と憧憬の念を強めていた。
そこの誤解を解いてくれる人間は、この場にはいない。
「じゃ、そろそろここら辺で、回復薬と解毒薬だけ一瓶ずつ作っておこうか」
「……はい、せんせ」
予想通りのレオンハルトの言葉に、ナッシェは短くうなづいて、手荷物を持ち直しながら彼のそばを離れ、採集を始めるのだった。
それにしても、とレオンハルトはひとりごちる。
隣に座って、すり棒で素材をすり潰すナッシェの手つきは、今朝初めて調合の仕方を習ったとは思えないほどの上達ぶりだった。
手渡した薬草とアオキノコをすり鉢の中に入れたナッシェが、餅つきよろしく鉢へすり棒を
いきなりの狂乱に、開いた口がふさがらなかったくらいだ。
何が起こるか分からない狩り場でも、あれほどのドッキリは受けたことがない。
真剣な表情で勢いよく振り下ろした陶器製のすり棒が、粋な音を立てて器と共に砕け散ったのを見たときの、ナッシェの呆然とした顔と言ったら…………。
調合初心者とはいえ、さすがにそこまでとは思わなかった。
え?そこから?どころではない。
街を歩いていれば、薬草をする人間の一人や二人はいるだろうに。
そんな今朝の惨状と比べて、どうだろう、この変わり様は。
十数年間、独学で調合を修得し、自分なりに最良のやり方で素材を加工してきた。
そのレオンハルトの手つきそのままを、ナッシェは見事に、完璧に再現してみせているのだ。
今朝、すり鉢の使い方を教わったばかりの少女の調合は、レオンハルトがいつも見ている手先の動きと寸分も違わないものだった。
…………この子は、ひょっとすると、人のやり方を見て、真似をするのが非常に得意なのかもしれない。
「…………出来ました」
最初の頃とは比べものにならないほど巧みな手際で調合を済ませたナッシェが、青緑色の透き通った薬品を振りながら、レオンハルトに報告した。
これほどの学習能力があるのならば。
「すごいじゃないか、ナッシェ。今日一日で、びっくりするくらいに成長した」
「…………へへ」
整った鼻梁にほんのわずかな満足の色を乗せる少女を褒めながら、レオンハルトは先を急ぐように立ち上がった。
「それじゃあお待ちかね、武器の扱い方を教えよう」
俺の初弟子は、この上なく強くなる可能性を持っている。
その事実が、レオンハルトの背中を押した。
「…………はいっ」
嬉しそうにうなづくナッシェ。
二人の間には、最初の頃にあったような、遠慮を含んだ緊張感は既に無い。
古代林の青い空に浮かぶ雲を、傾いた日差しがほんのりと黄金色に照らしていた。
▼ △ ▼ △ ▼ △
「────今みたいに、ハンターの使う武器としての弓は、矢を射るときに自分の
武器種としての弓が持つ最大の利点は、なんと言ってもそのピンポイントな攻撃性だ。人間よりも遙かに巨大なモンスターの急所を狙って、普通の近接武器だと届かないような位置にある急所だって狙えるのが、遠距離武器の特徴とも言えるけど。
ともかく、普通の動物を狩るのであれば、強靭な生命力を持つモンスターの素材から作った弓を使わなくてもいいんだけど、やっぱりモンスターを狩るとなると、弦を引く段階から気力を消費して、矢を射ることになるんだ。
その時、弓に伝わった気力は矢の射出直後に弓からすぐ消えてしまうんだけど、その気力が消えない内にもう一度矢をつがえて弦を引くと、ゼロから気力を弓に入れるよりも強力な一矢を放てるようになるんだ。これは、ハンターズギルドでも弓の扱い方として公式に認められている“剛射”という技術で、モンスターとの距離感に威力を左右される弓にとって、最も大事な撃ち方の一つなんだ。
もちろん、剛射の時も気力は消費するし、連続で気力を消費してしまうと急激な負荷で身体が動けなくなってしまうのは既知の事実だけど。だから、自分の身体と相談しながら、より強力な一撃を、より正確にモンスターの急所に当てていく。これが、弓の極意なんだ。剛射は、ノータイムで気力十分の矢を放てるという点で、特に重要な技術なんだよ。
弓は単純だ、矢をつがえて放せば攻撃出来る、それ故に難しい武器でもある。でも、ナッシェならすぐに上達して、うまく取り回せるようになると思うんだ。
まあ、今やって見せたとおり、弓構えの段階で弓と手、身体の位置関係と、弓を握る手の力が、いつでもどんなときでも正確に再現できるようになれば、弓は簡単に使えるようになるんだけどね」
だいぶ傾いてきた昼の日差しの中、相も変わらず長ったらしい説明を一方的にまくし立てるレオンハルト──当の本人はいたって真面目である──。
二人は、開けた草原に来ていた。
のん気に背の高い木の上に生えている葉を食べる草食竜、それを囲みながらも巨体を前に襲いかかるのをためらうマッカォたち。
相変わらず細く白い煙を立ち上らせる火山は遠近感が掴みにくい。
ナッシェは、ボウガンの知識は一通りあったが、弓に関しては引いて射ることくらいしか知らなかった。
俄然、説明にも力が入る。
「じゃあ、さっきの溜めて射たところから剛射に繋げるから、よく見てて」
と、自身が手にもつ弓に矢をつがえる。
巨大な生物が動き回るのにちょうどいいような、だだっ広い草原で、白金色の弓は陽光を鋭く反射していた。
その弓の名は、【THEデザイア】。
混沌のただ中において圧倒的な光を帯びた秩序を生みだし、先の見えぬ狩り場に希望を与え、血みどろの闘争を制する弓だ。
“黒触竜”ゴア・マガラや、“天廻龍”シャガルマガラといった危険なモンスターの素材を用いている分、並のハンターではまともに弦を引くことすら出来ない強力な武器になっている。
なお、未だに
半身姿勢で淡い金色の光を纏う右腕を引き、弓を構えるレオンハルトは、気力を纏った弓にキリリと力を加え、刹那の呼吸の後、
ビンッ!
放たれた四本の矢が、空気を切り裂きながら飛んでいき、負荷から解放された弦の立てる音が耳朶を叩く。
その矢が狙った対象に当たるよりも早く、レオンハルトは背中の矢筒から“THEデザイア”の矢を引き抜き、腰を落としながら二の矢をつがえた。
金色の光を纏ったまま、注がれた気力を保ったままの矢は、呻り声を上げながら“剛射”の矢を放った。
ズバンッ!!
再び放たれる四本の矢。
四組、計八本の放たれた矢は、それぞれが八つの対象を正確に射止めていた。
一本は、巨木の枝先に実っていたウチケシの実のヘタを射抜いて実を落下させ、一本は空中を舞っていたブナハブラを蹴散らして、一本はマタタビと戯れるザブトンの尻を掠めて地面に突き刺さった。
ギニャーッ!?と悲痛な叫びが上がり、古代林の青い空に溶けこんでいく。
残りの五本は、背の高い木の葉をはんでいた草食竜を囲む六頭のマッカォの群れに襲いかかり、その内の五頭を打ち砕いていた。
「…………ふっ、完璧だぜ」
驚き逃げていくマッカォを尻目に、アンニュイな雰囲気を纏ったレオンハルトは呟いた。
「…………す、すごい」
「だろ?」
純粋に神懸かっているとしか言いようのない射撃技術に、ナッシェは純粋な驚嘆の声を漏らした。
と言うか、ある程度離れているマッカォの頭を五頭分一気に打ち砕いたり、ウチケシの実のヘタの部分だけを射抜いたりしているのは、すごいを通り越して若干ドン引きするレベルである。
若干分かってはいたけれど、この人頭おかしい。
得意顔になるレオンハルトは、そのまま足下に置いてあった“狐弓ツユノタマノヲ”──“コトノハ”と同じく、タマミツネの素材から作られる弓──をナッシェに手渡しながら、
「じゃあ、今みたいにやってみよっか」
「ぇ」
うん、わかった、このひとあたまおかしい。
いや、剛射のことだからね?と言うレオンハルトに、ナッシェは微妙な顔でうなづきながら弓を受け取る。
さすがにあの人外っぷりは誰にも真似できない。
「うーん、あの草食竜にしようか。ほら、あそこの小さめのやつ」
レオンハルトの指差す方向を見ると、龍歴院随一の人外ハンターに目を付けられているとも知らず、平和に草を食べている草食竜がいた。
体格からして、まだ若い個体だ。
「今晩の夕飯と、明日の肉にしよう。狙うのは頭。脳幹をぶち抜けば、たいていの生き物は即死するからね。逃げられる前に仕留めよう」
この人エグい。
でも、それは人間も同じこと。
頭をやられたら、死ぬ。
これは、生きるか死ぬかを賭けた狩猟なのだ。
「…………はい」
ナッシェは返事をしながら、張られた弦の調子を指先で確かめ、弓のしなりを確認して、矢筒の中から矢を引き抜いた。
「そういえば、ナッシェは弓とかボウガンとか、どこで教わったの?」
しっかり自分の弟子と雑談がこなせるようになるまで進歩したレオンハルトが口を開く。
「えっと、家で、弓の使い方とか、てっぽうの使い方とかを教えてくれて」
「そ、そうか」
…………ナッシェが良家の出身説に、さらに信憑性が増してきた。
ハンターの家に生まれたのなら、調合のやり方をあそこまで知らないということもないだろうし……。
それとも、ナッシェの家では、あの
うむむ…………。
悩むレオンハルトを放って、ナッシェは碧い目を閉じ、弓構えのイメージを始めた。
今まで使ったことのあるどの弓よりも長くしなやかで、強力な気配を感じる弓。
“狐弓ツユノタマノヲ”は、ナッシェよりも格上のモンスターだ。
妖艶な雰囲気の中に潜む強者の気配に、弓を握る手にキュッと力を入れて、脱力した。
自分が身につけてきた弓構えの姿勢は、すぐに思い浮かぶ。
これに、先ほどの──いっそ惚れ惚れとするほど──綺麗な弓構えをしていたレオンハルトの姿を重ね合わせる。
これ以上無いくらいに完璧な姿勢、弓を握る手の力加減や矢の向く先まで、一心同体となったプロのハンターの在り様。
一射目を放った後の、流れるような動作は、今まで見たことのない異端の撃ち方であり、まぶたの裏に鮮烈に焼き付いた憧憬の集約点だ。
彼我の体格差、弓の経験値、真っ直ぐと伸びた背中、真剣な視線。
呑まれてしまいそうになるような緊張感の中、ふと、脳内のイメージがカッチリと身体に馴染む感覚があった。
今――ッ!