ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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反攻

 ガクガクと震える腰が勝手に動いて身体を反転させ、すぐ目の前まで迫ってきていたゲリョスのひん曲がったくちばしへ、力の入らない腕に振られた操虫棍の刃が真っ直ぐに突き立てられる。

 

 つつ、と頬を涙が伝い、金色に鈍く輝くセルレギオスの防具へと落ちた。

 

 地面に座ったままのアナスタシアのことをつつこうとしたのだろう、彼女にくちばしを突きだそうとしていたゲリョスは、自分の頭を振る勢いのみによって刺さったカウンターの刃に、「ギッ!?」と首を振り上げながら悲鳴を上げる。

 

 炎属性の蒼い刃が抜け、紅蓮の火の粉が飛び散った。

 

 ああ、爆焔の方(・・・・)にした方がよかったかな、でもこの子――“灼炎のテウザー”の方がゲリョスにはよく刃が通るってセンパイが言ってたし。

 

 完全に抜けていた腰が息を吹き返し、それでも未だ震えの止まらない脚を無理矢理踏み込んで、飛び退いたゲリョスに袈裟懸けの追撃を仕掛けた。

 

 わき腹の震えるふわふわとした心地は、およそ勇気から来る感覚ではない。

 

 首元を浅く傷つけ、返す刀で切り上げ、勢いを利用して左手首を軸に棍を縦回転。

 

 刃先の抵抗が増したところで、右手で棍の背を押し、体重移動をしながら斬り込みを加え、たまらずくちばしを差し出してきたゲリョスの頭へすれ違いざまに一太刀、彼のわずかな抵抗をいなしきった瞬間に下から腹を切りつける。

 

 赤い血が飛び散り、沼地の湿った土へと染み込んでいく。

 

 手首の回内・回外運動で8の字を書くように刃を突き入れて、横にのけぞったゲリョスの差し出す尻尾を切りつけ、その先端が当たる前に前転、倒れまいと地に踏ん張った脚へ一太刀浴びせた。

 

 絶え間なく繰り出される、まとわりつくようなアナスタシアの攻撃を振り払おうと、翼を打ちつけ、あるいは走って退こうとするゲリョス。

 

 そんなゲリョスの抵抗を、紙一重の距離でいなしながら斬撃を加え続けていくアナスタシアの表情は、涙に濡れながら引きつったような笑みをたたえていた。

 

 「ギャッ!?」と叫ぶゲリョスの右わき腹へ、テウザーを真一文字に斬り、右足の先をゲリョスへ向けながら、腰を回転させる力で弾力のある身体へ重い一突きを入れる。

 

 紅蓮の炎が切り裂かれた肉を焼き、ジュゥゥゥッと生々しい音を立てた。

 

 刃の根本まで刺さったテウザーを抜く勢いで時計回り、振り子の要領で振り回した右足を、草原の中にザッと踏み込ませながら、火を吐く袈裟懸けを浴びせ、(かが)めた右膝を伸ばす勢いで棍を再び縦回転。

 

「はい、一周」

 

 震えた声でそう呟くアナスタシアは、垂れ下がったゲリョスの眼へとテウザーを差し入れ、苦痛に歪む瞳の真下を深く切った。  

 

 目の下を斬られ、反撃の隙を許さぬ怒涛の攻撃に怯み、のけぞったゲリョスの隙をついてさらに踏み込み、地面に棍を突き立て勢いにのって飛び上がった。

 

 物心ついたときには既に隣にあった浮遊感。

 

 十七年間連れ添ってきた世界で、アナスタシアは見下ろすゲリョスへ大上段に振りかぶった。

 

 翼爪を狙った一撃は、ゲリョスの翼へ一筋の浅くない傷を刻み込む。

 

 グニュリとした感触と共に鱗と火の粉と血飛沫とが飛んで、そこで気がついた。

 

 ゲリョスの翼爪って、ショボい。

 

 それもそうだ。

 

 セルレギオスの頑強で刺すような鋭さのある翼爪とは違う。

 

 警戒すべき対象じゃないのに、それでも翼爪に攻撃したのは、思考停止した頭の致命的なミス、無駄な一手。

 

 どうでも良いことを考えながら、無意識に翼の付け根へもう一太刀を素早く入れる。

 

 それをする暇があるくらいに、致命的なミスが致命的にならないくらいに、ゲリョスの反応は鈍重なのだ。

 

 ギャッ!?と叫びながら慌てて前に倒れ込むゲリョス。

 

 足元をぐらつかせながらも、今度はなんとか着地に成功したアナスタシアは、衝撃をいなすために屈めていた膝に力を込め、身体を反転させるように地面を蹴った。

 

 つらつらと流れていく景色を置き去りに、もう少し重心を前にしてしまえば転んでしまうくらいの前傾姿勢で草原を駆ける。

 

 もがくゲリョスの荒々しく力強い生命力を目の当たりにして、(はらわた)を鷲掴みにされるような怖気が走ったけれども、そんなことには構っていられない。

 

 無防備な背中に飛び乗るチャンスだ、背中にはゲリョスの身体が届かない。

 

 そんなことを思いながら、アナスタシアは腕から放ったエルドラーンと共にゲリョスへ棍の先を叩き込んだ。

 

 硬い鱗を纏わないことで得られる弾力性をもって、外敵の攻撃を無効化するゲリョスは、身を焼く炎に表面の皮が弾力性を失ってしまい、火属性の刃は易々と彼の身体を傷つける。

 

 痛みにゲリョスが激しく暴れ、そんな竜の頭へエルドラーンが火の粉を散らせる一撃を入れた。

 

 思わず頭を仰け反らせながらも、転げたゲリョスは必死に翼を大地へ打ち付け、ゴム質の尻尾を振り回している。

 

 こんなに暴れているモンスターの背中に乗る?

 

 冗談じゃない、だってコイツは、全然生き生きとしている。

 

 沼地の泥の上に、自分の血で真っ赤な池を作り、それでもなお、血の池の中で暴れ跳ね回るゲリョスの身体は、失った血を知らないかのように映った。

 

 背中に乗ったら、きっと噛みつかれ、地面や木の幹に叩きつけられて殺される。

 無自覚に想起される死のイメージを振り払うように、赤い身を輝かせる棍から、強烈な一撃が一瞬の猶予もなく放たれる。

 

 棍へ腕を巻き付け、コマのように左回転を二回見舞って、右手に持ち替えて切り下ろし、エルドラーンを回収しながら切り上げ、蒼く煌めく円弧が幾条にも空を斬り裂く中へ再びエルドラーンを滑り込ませ、棍虫一体の攻撃が若いゲリョスの柔軟な尾に無数の裂傷をぶち込み、畏怖さえ覚えるほどの生命力が溢れる翼を切り刻む。

 “斬竜”ディノバルドの身体から剥ぎ取った尾が放つ蒼い軌跡が、ゲリョスの翼膜を引き裂いた。

 

 死ね、死んで、お願い、死んでください。

 そんな思いが、アナスタシアの背中をぐいぐいと押していた。

 

 種として、ゲリョスよりも遥かに強大なモンスターの矜持か、己が唯一斬り捨てることの出来なかった主へ報いるためなのか、息つく間もなく振られる刃には、敵対する者悉くを屠った王者の遺志が宿っているかのよう。

 哀れ地に身体を倒してもがく藍色の鳥竜種は、無数の火の粉と切っ先から逃れんと、足で必死に地面を掻き、沼地のほとりでようやく立ち上がった。

 

 仁王立ちするゲリョスを前に、指先を震わせるアナスタシアは、エルドラーンをゲリョスへと放ちながら、棍を振るう勢いをもって後方に飛び退いた。

 地を征く獣竜種の中でも最強の一角に座すディノバルド、その代名詞たる尾から作られた刃に焦がされ切り裂かれ続ければ、いくら人間とは比べものにならないほど強靭な肉体を持つモンスターとはいえど、数刻を待たずに大地へ斃れ伏すのは必定。

 

 そんなことを本能的に悟ってか、ゲリョスは必死に翼をばたつかせながらアナスタシアへと威嚇を放った。

 

「グギャァ! グギャァ!!」

 

 この短い遭遇の間に全身から血を滴らせる運命を辿ったゲリョスは、傷だらけの翼を広げ、目の前の恐るべき敵を討たんと、逃げ腰だった眼光に初めて明確な殺意の火をともした。

 間断無く叩き込まれた連撃によって、脚や翼膜をやられたゲリョスは、満足に飛んで逃げることが出来ない。

 追いつめられたネズミは、反抗の牙を剥いたのだ。

 

「ぴっ……」

 

 爛々と輝くゲリョスの瞳。

 目があってしまったアナスタシアは、一本の棒を頭頂から背中へ通されたように、ガクンと動きを止めてしまった。

 心臓が見えない手に鷲掴みされたかのようにドクンと締め付けられる。

 

 あの目だ。

 どんなに切りつけても、どんなに刺しても、目の前に立ちふさがってくる圧倒的な生命力。

 

 なんで、まだ、そんなにつよいの?

 

 全身が恐怖に総毛立ち、ギリギリと臓腑が痛む。

 胸を流れる汗がいやにはっきりと感じられて、恐怖に(すく)んだ膝が笑い出した。

 ダメだ、足を止めちゃダメだ。

 

 ガンガンと警鐘を鳴らし続ける頭の言うことを聞かず、アナスタシアの身体は心の奥から縛り付けてくる恐怖にがらんじめにされて、前にも後ろにも横にも動こうとしない。

 それは、ゲリョスが傷ついたくちばしをガバッと開けて、喉元をプクッと膨らませたのを見ても、変えられなかった。

 

 蛇に睨まれて固まるカエルのことが、脳裏をよぎる。

 ああ、私はカエルなんだ。

 逃げることも、戦うことも出来ない、弱くてみじめなカエル。

 ……こんな私が、どうして狩りに来ちゃったんだろう。

 

 情けなくならないの?

 幾度目かも定かでない自問の声が、脳裏に虚しく響いた。

 

 ビシャッと降りかかる紫色の液体に、尻餅をつくことでしか抵抗できず、アナスタシアは全身にゲリョスの毒液を浴びてしまった。

 バシャッと音を立てて四散した毒液は、すぐに蒸発して空気に溶け込み、鼻から彼女の呼吸器へと侵入した。

 

 モンスターの中では比較的弱いゲリョスの毒――それでも、少女のか弱い身体を犯すには十分な毒性を持っている。

 ぐらりと傾いた頭が、地に座り込んだ少女の身体を右横に押し倒した。

 

「あ…………れ……?」

 

 ぐにゃぐにゃと曲がる視界。

 チカチカと明滅するのは、なんだろう。

 ぐるぐると身体が回転しているような気がして、背中が地面から離れない。

 意味をなさない思考が離合集散して、形にならない意識を砕いてはバラバラのまま寄せ集めて。

 

 嘔吐感? めまい? 頭痛? 分かんな――

 

 ――ピカッッ!!

 

 強烈な閃光に、ぼうっと空を仰いでいた瞳の裏が一瞬白く、次いで赤く染まった。

 あ、ヤバい、閃光、ゲリョスのとさかの。

 ぐるんぐるんと意識が揺さぶられる。

 立とうともがいても繋がらない手足の感覚、もどかしさに脳が溶けるよう。

 

 身体を動かしているのか、動かされているのか、そもそも今動いているのか、それさえ分からない。

 もしかしたら天と地がひっくり返ったのかもしれない。

 じゃあ今は空の中なのか。

 でも手に握るのは柔らかく湿った土の感触。

 

 ああ、やっと感覚が繋がった。

 起きなきゃ、ズンズン身体が揺れてる、逃げなきゃ。

 

 ――回復薬と解毒薬さえあれば、どんな狩り場でも生き残れるんだぞ!

 

 耳の裏に聞こえてきたのは、優しくて芯の通った声。

 支離滅裂な言葉と心の狭間で、思わず縋りたくなるような、暖かい光に手を引かれた。

 

 そっか。

 解毒薬、飲まなきゃ。

 耳元で囁かれたような、くすぐったい快感に唇を綻ばせたアナスタシアは、半ば夢見心地で口を開いた。

 

「…………センパイ?」

 

 きっと、振り返ったらあの人がいる。

 

 私、頑張ったんです。

 弱くて、みじめで、情けなくって、この歳になってもお漏らしするようなハンターで、全然ダメダメだったけど。

 頑張って、ようやくゲリョスと向き合えるところまで来たんです。

 もうすぐ、追いついてみせますから。

 その時は、ちゃんと、私のことを見てください。

 

 そうして、振り返って目を開けた少女の、ぼんやりとした視界に入ってきたのは、憤激に染まるゲリョスの瞳だった。

 

 懐かしい浮遊感。

 霧の中に尾を引く、黒くて赤い閃光が、まぶたの裏から離れない。

 

 


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