ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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快楽螺旋の中の

 ――そこは、暖かい場所だった。

 

 どうして暖かかったんだろう。

 暖炉の火で暖かかったのか、目に入るオレンジ色の明かりが暖かく感じたのか。

 はたまた、布団の持つ暖かさだったのか、暖かい人肌に触れていたからか。

 

 そんな些末事はよく覚えていなかったけれど、それでもそこは、確かに暖かいと感じられる場所だった。

 これまでの人生の中で、一番の暖かさ。

 

 

「止めてッ……レオンさ、いやっ……!」

 

 どこか他人事のように口から漏れ出る拒絶の言葉を、すぐ横から傍観しているような気分だった。

 

 それまでずっと、嘘を()きつづけた人生だったからか、こんな時にも薄っぺらい言葉を平気で発することが出来る自分がいて、そんな自分をどこか冷めた目で見ている自分もいて。

 

 自信のあった演技は、結局何のためのものだっただろう。

 

 欲しかったもの、守りたかったもの。

 大切だったもの、汚したくなかったもの。

 

 私はいつも、逃げてばかり。

 自分が傷つかないように、相手を傷つけるばかり。

 

 真っ赤な血に汚れきったその手でこの人の身体に触るなと、どこかでそう叫び続けている自分を、そっと胸の中に仕舞い込んで。

 

 

「――……こんなの、うそだ…………」

 

 

 嘘でなければならなかった。

 その痛みの中に、ひどく独善的で醜く歪んだ、奪ったことへの幸せを感じてしまった自分の感情は、まがい物にしてしまわなければならなかった。

 

 そうやって、どこへ逃げようとしているのかも分からないまま、誰かを傷つけなければいられないのかと無意味に自分をなじる声だけを聞き続けて。

 

 

 

 

 チュン、チュン、チチチチ……。

 

「……起きなきゃ」

 

 『龍歴院一仕事が出来る』と評判の高い受付嬢は、窓辺から差し込む初秋の朝日に目を(すが)め、それからベッドの横に掛けられたカレンダーに目を通した。

 

「……【我らの団】、三週間の滞在予定」

 

 枕元のナイフを引き抜きながら寝台を離れ、化粧台へと向かう。

 

 

「……さて、うまく乗り切らなきゃ」

 

 自嘲気味に、そう呟いた。

 今日も、終わりのない逃げ道を模索しながら。

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 どうしてこうなったと、私はそう言いたい。

 

「……ぐー」

 

「…………気持ちよさそうに寝て……人の気も知らないでぇ……っ」

 

 ナッシェは、計五日間に及ぶ素振り地獄を乗り切った。

 それはもう、筆舌に尽くしがたい五日間であった。

 起きては異常な筋肉痛に全身を軋ませながら武器を取り、寝ては身体に巻いた肉から漂う血臭に誘われた肉食獣としのぎを削る。

 

 まともな睡眠なんてとれなかった。

 最後の方は、素振りによって培われてしまった技術がキチンと生かされていることに気付いて喜びすら覚えてしまった。

 自分の中にあった何か大切なものを、一つか二つは失った気分だ。

 

 そして迎えた六日目。

 

 

「今日は休みな!一日身体をゆっくり休めとけ!俺はちょっとイビルジョー狩ってくる!」

 

 

 ナッシェは、目の前が真っ暗になった!

 

 

 

 

 

 チカチカと星が瞬く夜。

 パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、ナッシェ・フルーミットは師匠の身体を座布団にして、地面に座り込んでいた。

 彼の頭には、ザブトンが枕代わりに敷かれている。

 座布団の枕にザブトン…………非常にややこしい。

 

 むむむと唸るナッシェの小さなお尻が、呼吸に合わせて上下するレオンハルトの腹の上でもぞもぞと動く。

 

 すっかり身に馴染んでしまった防具の胸を撫でながら、ナッシェはポツリと呟いた。

 

 

「…………眠れない」

 

 

 そう言って、そっと腰に手を当てる。

 

 そこには、五日間、五十時間以上を共にしてきた()()()の感触が無かった。

 

 

 そう、鉄臭い血のニオイが香る生肉(ぼうぐ)の感触が。

 

 

「…………うぅ」

 

 喉が渇く。

 ナッシェは手に持っていた水筒から喉に水を流し込む。

 

 …………満たされない。

 

 潤いが足りないのだ。

 喉が、乾く。

 

 

 既視感のある赤いアイマスクを装着して熟睡するレオンハルトの身体の上で、ボスンボスンとトランポリンよろしく跳ねてみる。

 

「うっ…………ふぅ…………うっ………………ふぅ…………がー」

 

「…………」

 

 起きない。

 何故。

 

 モンスターの接近には異常なくらいにキチンと反応するのに、敵意が必要なのかと、その顔をじーっと見つめてみるが、気持ちよさそうな寝顔は心がほっこりとするだけで、特段何も変化がない。

 

 私がこんなに苦しんでいるのに…………。

 

 

 レオンハルト工房謹製の“強走薬グレート・戒”には、とある致命的な副作用があった。

 

 それは、調合の相乗効果によって強化された元気ドリンコの効果と、竜人族の生み出した“秘薬”によって強化された強走薬グレートの効果。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 それは、ギルドの()()()()()が喉から手を出して欲しがるほどの素晴らしい副作用を持つ、耐ブラック用のクスリであった。

 

 

 眠れない夜、ナッシェは手持ち無沙汰に双剣を弄っていた。

 何もしていないのは落ち着かないと、昼間あれだけ素振りをしていたのに、いざ夜になってみれば、物足りなさとでも言うべき独特の倦怠感が、眠ろうとする意識を妨げて不快感を煽るのだ。

 アグナコトルの身体から作られた双剣──“フレイムストーム”。

 手に握る柄の感触が、眠ろうとする身体の感じる物足りなさを補ってくれる気がして手離せない。

 

 …………これじゃだめだ。

 なんとかしなきゃ。

 明日からまた、地獄のように忙しい日々が始まるんだから、今寝ておかないと酷いことになっちゃう。

 

 …………早く夜が明けないかと願う自分に気づき、ナッシェはぶんぶんと頭を振った。

 

 頭では分かっているのに、あのクスリがまだ消えずに身体の中で働いているせいで、眠気が飛ばされてしまっているのかもしれない。

 この師匠の悪影響を受けて、自分の中に望ましくない自我──戦闘狂的観念──が芽生えてしまった可能性もある。

 

 どうするべきか、一端素振りをして身体を疲れさせて…………と考えたところで、それはおかしいと思い踏みとどまった。

 それではまるで、あの辛く厳しかった毎日を恋しがっているようではないか。

 

 全てはこの、幸せそうに眠っているレオンハルト先生が悪いのだ。

 

 双剣を地面に置き、体勢を変えてレオンハルトの腹に(また)がり、八つ当たり気味に師匠の頬をむにむにと抓る弟子。

 

「…………うー」

 

 うー、だって。

 

「…………ふふ」

 

 柔らかくて、面白い。

 あと、ほんの少しだけ可愛い。

 

 眠れない夜の素晴らしい暇つぶしを見つけたナッシェは、仲の良かったドジメイドのことを思い出しながら、レオンハルトの頬を引っ張って遊んでいた。

 

 …………あの子は、私のことを心配しているかもしれない。

 

 メイドだけじゃない。

 何の断りもなく家を飛び出してしまった私を、家族みんなが心配しているはずだ。

 

 そうじゃなかったら、少し寂しいかも。

 

 それでは家に戻りたいかと自問して、それはちょっと嫌だなぁと、矛盾した思いに気がついて、ナッシェはむぅと眉をひそめた。

 

 …………この人は、どうしてハンターになったんだろう。

 

 うにうにと頬を弄られるレオンハルトの安らかな寝顔を見ながら、ふとそんなことを思った。

 

 大した理由は無かったのかもしれない。

 

 自分の先生はそう言う人だと、ナッシェは遠い目をしながら思う。

 理由があって行動する人じゃないのだ。

 やりたいことをやるだけの自由人、わがままな人。

 そういうところに、少し憧れもしている。

 

 それでは、何が彼を強さへと駆り立てたのだろう。

 彼をこれだけ強いハンターにするには、『だだなんとなく』では足りない気がした。

 

 自分がやってきた中で一番効果のある方法だと言って、レオンハルトはナッシェに素振り地獄を課してきた。

 つまり、このハンターはそうやって、或いはそれ以上のことをして、こんなデタラメなハンターになったのだ。

 

 うまく成果が得られなかったこともあっただろう。

 たった一人でハンターをしてきたという孤独感もあっただろう。

 

 ナッシェは、その支えとなったもの、彼の刃に込められているもののことを知りたかった。

 

 今の自分は、中身の無いまま刃を振るっているような気がしていたのだ。

 家を飛び出したばかりの頃と比べれば、今の自分はずっとハンターらしいハンターになれているはず。

 

 ただ、それだけでは()()()()のだ。

 彼が見せてくれた武器の振り方は、今まで見たこともないくらいに綺麗なものだった。

 色々な人の色々なことを真似してきたからこそ、その技術が完成するまでに辿ってきただろう艱難辛苦も、ぼんやりと感じ取ることが出来た。

 

 けれど、あの刃の軌跡を辿るだけでは、その“真似っこ”が完成していないことも分かるのだ。

 実際の経験や年季、身体的能力差、それらの要素すべてを取り除いた先にある、中身たり得る何かが、彼我の刃を隔てていると、ナッシェは何となくそう思った。

 

 斬撃の軌跡をなぞるだけでは届かない、神懸かった強さの秘密は、一体何だろう。

 磨耗した心の中を、その疑問が占めていた。

 

 月の見えない夜、静かな古代林に、薪の爆ぜる音が響く。

 

 あの受付嬢だろうか。

 彼らの関係は少しギクシャクしているようだけど、どこかで信頼し通じ合っているような所も見えた。

 

 愛、という言葉が出てきて、ナッシェは少し嫌な気持ちになった。

 けれど、今まで読んだ本の中には、英雄とお姫様の恋愛を描いたものもたくさんあった。

 『愛は人を強くするのだ』とお父様も仰っていたし、そういうことなのかな。

 

 それとも、何か、別の……──。

 

 

 

 

 

「…………うむむ、モミジさん、勘弁してくだしあぁ…………」

 

 頬を弄られて夢でも見ているのだろうか、その口から漏れた寝言は、あの受付嬢の名前を含んでいた。

 

 つまり、あの受付嬢の手を自分の手と勘違いしているということだ。

 

「…………むむむむ」

 

 失礼な人である。

 女の子と二人きりでいる男の人は、他の女の人のことを考えてはいけないのだと、そうメイドが力説していたのを思い出す。

 

 ナッシェは、胸にかかった()()のようなものに再び眉をひそめながら、彼の頬から手を離した。

 そんな夢を見る必要は無いのである。

 すでに、ここには立派なレディがいるのだから。

 そのレディを意識していないというのは、全く失礼な事態であり、早急な改善を求めなければならない事案である。

 

 ナッシェは、何日間も引きずっている深夜テンションをフル稼働させたまま、とある名案を思いついた。

 

 つまり、“きせいじじつ”を作ってしまえばいいのでは。

 

「…………おぉ」

 

 天啓を得たとばかりに、満足げに頷くナッシェ。

 

 少女はしばらく考えてから、えいっとレオンハルトの掛けていた毛布を捲って、その中に潜り込んだ。

 

「んん?…………ごー……」

 

 身じろぎしながら寝息を立てるレオンハルトの懐に顔をつけるナッシェ。

 うん、暖かい。

 

「…………ん?」

 

 ふと、漂ってきたとあるニオイに、ナッシェは鼻をひくつかせる。

 

 それから、ニオイの元を辿って、見つけた。

 レオンハルトの大きな手、そこから漂ってくる、芳醇なチーズのような香り。

 

 自分の手のニオイを確認してから、もう一度彼の手に鼻を当てる。

 

「…………」

 

 ……これだ。

 求めていた潤いが、ナッシェの身体を満たしてくれた。

 

 あれほど苦しかった渇きが薄れ、まぶたが急速に重くなっていくのを感じる。

 その感覚へ抵抗せずに身を委ね、ナッシェはレオンハルトの腹を枕に、そのまま寝息をたて始めた。

 

 

 積み重ねてきた闘争(つみ)の香りが、優しく少女を包み込んだ。

 

 


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