ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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エピローグ

「ふー、ふー…………はい」

 

「ふふ、あーん」

 

 少女が目覚めを覚えてから、少しして。

 一悶着の末に、ナッシェは腰を下ろしたレオンハルトの身体に寄りかかり、彼の主体性をそのままに『ふーふー&あーん』を敢行させたのである。

 動けないことを逆手に取った、ナッシェ渾身の一撃だ。

 レオンハルトほどのチキン(ナッシェ推定)になれば、控えめに言って容姿の悪くない自分(ナッシェ推定)にこういうことを要求されれば、そのまま気分が高ぶってベッドイン一直線なのだ。

 

「はは、こうしていると、妹のことを思い出すなぁ」

 

「…………むぅ」

 

 が、しかし、盛大な空振りを決めていた。

 

 この間まで、喋ることすら覚束なかったレオンハルトは、師匠と弟子という心理的優性に置かれたためか、ナッシェという少女に慣れたためか、完全に以前のコミュ障っぷりを喪失していた。

 

「…………妹、ですか」

 

「え、ああ、妹だよ。二歳下の妹なんだけどさ。親は共働きで、手の掛かる妹の世話は、大体俺の仕事だったんだよ。いや、ほんと、おしめを換えることから風邪の看病まで、幼少期の人生のほぼ全てだったからさ。今でも思い出すんだよね」

 

 ペラペラと喋るレオンハルトは、片手間にさじですくった粥に息を吹きかけ、はい、とナッシェの唇に差し出す。

 

「…………私のおしめ交換は、先生の思い出作りに貢献できましたか?」

 

 異性としては見てくれないのですか、という言葉の代わりに、ナッシェは人生初の皮肉を吐いた。

 

「いや、ホントごめんって。うん、よく考えたら、さすがにまずかったよな。師匠と弟子ならいっかな、とおもったんだけど、俺は師匠いなかったし、歳が十歳くらいしか違わない師匠に下のお世話をされたら、割と本気で落ち込んだと思うし。反省してるよ。想像力が足りてなかった」

 

 拗ねる弟子は何も言わず、茶色の粥をたたえたさじをパクッと咥える。

 大いに反省してくださいとばかりの流し目に、レオンハルトはハハハと笑うだけ。

 

 え、エッチな仕草も空振りですか。

 

「ふーふー…………はい」

 

「……あーん」

 

 実のところ、レオンハルトも最初は迷っていたのだ。

 いくら弟子とはいえど、年頃の少女、それもとびっきりの美少女なのだ、コミュ障ぼっちを何年も続けているレオンハルトからしたら、その壁はとてつもなく高かった。

 すでに手首に鉛の輪っかが付いていてもおかしくはない。

 

「ふー、ふー……はい」

 

「…………あー」

 

 しかしながら、どことなく雅な気品があるナッシェの安らかな寝顔は、侵犯しがたき天使の聖なるに似ていて、“おねしょ”などという事故によって壊されてしまうだろうその未来を思えば、行動に踏み切らざるを得なかったのだ。

 

 一番の理由は、おねしょを放置するのは衛生的によろしくないということであったが。

 

 しょうがないのだ、清潔な布に含ませた砂糖水をナッシェの唇に当てていたのだから、出てしまうのは当然のことである。

 むしろ、それがなかったら今すぐに龍歴院へ帰らなければいけないほどの異常事態である。

 

「……終わりっと。ちょっと多かったか?」

 

「いいえ、大丈夫です。先生、とても美味しかったです」

 

 そう言って、花が開くように頬を綻ばせる少女の笑顔を見ていると、頑張ったかいがあったと、レオンハルトはそう思うのだ。

 

「そうか、それは良かった」

 

「…………むしろ、これからもずっと、私のために作って欲しいです……」

 

 勇気という名の大ジャンプに踏み切って、精いっぱいの告白を敢行したナッシェであったが

 

「それ、アナにも同じなこと言われたなぁ」

 

「…………むむ」

 

 のん気にぼやくレオンハルトは、それが特別な言葉であるということすら理解していなかった。

 ナッシェは不満そうに唇を尖らせながら、心の中でアナスタシアの名前を要注意人物のリストに載せた。

 

 鍋からおたまで直接お粥をかき込むレオンハルトを後目に、ナッシェはうんうんと頭をひねって、次善の策を考える。

 ライバルは多く、自分は女性としてすら見られていない。

 一緒にいられることにあぐらをかいている暇はないのである。

 

 『攻めこそ闘争の全てである』と、先生もそう言っていたではないか。

 

 そして、少女は捨て身の作戦を思いついた。

 手段は選んでいられない。

 

「せ、先生」  

 

「む? …………どうした?」 

 

 美味しそうに夕餉を啜っていたレオンハルトが、口の中のものを嚥下してから返事をした。

 

「その、私、狩りの練習をしてたままです」

 

「あ、まあ、そうだな」

 

 若干頬を染めて、俯きながら切り出した少女に、レオンハルトは訝しさを覚えながら相づちを打つ。

 

「それで…………私、汗くさいです、今…………うぅ」

 

 恥じらいと涙ながらのナッシェの告白に、

 

「そうか? そんなに気にすることはないと思うけど…………」

 

 レオンハルトは、正直に返した。

 

「女の子は気にします。覚えておいてください」

 

「あっ、はい」

 

 冷えてハイライトの消えた瞳に射抜かれ、レオンハルトは思わず頷いた。

 なんだろう、どこかモミジさんを想起させる剣幕だったぞ…………。

 

「それで、その、身体を清めたいのですが…………」

 

「…………ん?」

 

 レオンハルトは、再び下を俯くナッシェの言葉に違和感を覚えた。

 

 そして、ナッシェは核心を切り出した。

 

「私は、ようやく身体を起こせるようになったくらいで、身体がうまく動きません。だから…………」

 

 以前にも増して、年頃の少女に相応しい輝きを放つようになった碧眼が、レオンハルトをじっと見つめる。

 ほんの少し、熱の籠もったナッシェの視線に、レオンハルトは嫌な予感を抱いた。

 

 

 ハンター界には、こんな格言がある。

 

『嫌な予感を的中させる。これが、一人前のハンターになった証だ』

 

 

「わ、私の身体、綺麗にしてください!」

 

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 ナッシェのぶつけた全力の一撃はしかし、プロハンターの奥義『慣れた』を発動させたレオンハルトが、涼しい顔をしてこなしてしまったがために、少女の羞恥心をイタズラに刺激するだけに留まったのはまた別のお話。

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 ――パリーンと皿の砕ける甲高い音が響き、続いて壮年男性の怒鳴り声が白亜の城から飛び出した。

 

「フルーミットォォォッッ!?」

 

「ご、ごめんなさぃぃっ」

 

 バラバラに砕け散った白い皿の破片たちの傍らで、それは見事な熟練の土下座を決め込むのは、ロングスカートの青いメイド服に身を包んだ、おさげ髪のメイドだった。

 

 その土下座を受けながら、なお怒りに身を震わせ立派な顎髭を逆立てるのは、老境に差し掛かったのであろう、白髪の執事だ。

 

「お前はッ、何度言ったらッ、皿割りの仕事を辞めてくれるんだ!?

 お前、皿は来月分の皿まで割り切ったんだぞ!?」

 

 ブルブルと肩を震わせる執事は、もはやこれ以上の怒りはないとばかりに憤激を爆発させている。

 

「えっ…………?」

 

 そんな彼の言葉に、フルーミットは顔を上げ、不思議そうな顔をして、

 

「私、お皿割りの仕事を仰せつかっていたのですか?」

 

 ぶちっ。

 

 何か大切なものが切れる音がした。

 

「────こンの、大馬鹿者がァァァァッッ!!」

 

 執事の咆哮が、メイドの能天気な頭を直撃した。

 

「ヒィィッ、ご、ごめんなしゃいっ、すみませんっ、ごめんねっ、フルちゃん大失敗っ、てへぺろっ!」

 

 必死で土下座して謝罪の言葉を繰り返すメイドは、自分が無意識に執事を煽りまくっていることに、ちっとも気がつかない。

 

「あっ…………」

 

 執事はそっと声を漏らした。

 

 あまりの怒りに、憤怒が頭を三周ほどして、どこか遠くへと飛んでいってしまったのだ。

 無我の境地に到った執事は、諦観と絶望の入り混じった声で、

 

「もう、お前は食器関連の仕事に関わるな…………」

 

「…………あの、一昨日もそう言われました」

 

「…………じゃあ、どうしてお前が、その皿を触ることになったんだ?」

 

「その、お掃除に邪魔だったから、運んでしまおうと…………」

 

「それで、何もないこの廊下で転んだのか…………?」

 

 戦慄して問う執事に、フルーミットは何が嬉しいのか、「はいっ」と元気よく返事をした。

 

「…………もういい。お前は、ナゥシエルカ様の部屋専属に戻すから、あの部屋以外で仕事をするな」

 

「…………えっと、あの」

 

「黙れッッ!!」

 

「はぃぃ…………」

 

 何かを言おうとしたフルーミットを一喝した執事は、本当に疲れ切った顔で、

 

「いいか、分かったな。これ以上、儂を怒らせないでくれ…………。王宮に就職してから、ここまで怒ったのはお前が初めてだ…………」

 

「わ、私が初めてですか…………なんだか、恥ずかしいですね…………」

 

「お願いだから、もう止めてくれ……フルーミット、お前はもう二十二だろう。この仕事に就いてから十年目なんだ。後輩にも示しがつかん。いい加減にまともなメイドになってくれ……儂は限界だから……頭の血管切れる…………」

 

 フラフラと歩み去っていく老執事は、はっとして振り返り、

 

「その残骸は、しっかり片付けておくんだぞ。それから、言葉遣いを直せ。ナゥシエルカ様がいつお帰りになられても良いように。フルーミット、お前の言葉遣いが姫に移ったら、儂は今度こそ死ぬからな…………ストレスで…………」

 

 ブツブツと呟きながら去っていく執事の背中を眺めなから、フルーミットは申し訳無さそうに皿の残骸をほうきで集め始めた。

 その手つきは、割れた皿の処理に慣れた熟練のメイドのものである。

 

 大理石の床でよかった。

 絨毯が敷かれていると、お片付けが大変だもの。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 部屋の主はいないと分かっていながら、フルーミットは扉をノックして、一礼してから部屋に入った。

 手に持つ花は蕾を硬く閉じていて、鉢植えに入っているにもかかわらず、フルーミットは珍しく、その花を床に落とさなかった。

 

 青白い蕾が開けば、きっと美しく可憐な青紫色の花が咲くだろう。

 夜空から落ちてきた星のような、儚く輝く美しい花が。

 

「今回は、青紫色の“星見の花”です、ナゥシエルカ様」

 

 誰もいない部屋で、フルーミットはそっと呟く。

 

 鉢植えをいつもの窓辺に置いて、フルーミットは入ってきたときと同じ扉を押し開け、腰を折って、

 

「失礼しま…………あっ」

 

 胸元に付けていた名札を落とした。

 

 “()()()()()()()()()()()()”と書かれた名札を拾って、胸に付けなおし、改めて一礼する。

 

 顔を上げたフルーミットは、チラリと窓辺の花を振り返った。

 

 “星見の花”ナゥシエルカの花言葉は、『堕ちた一等星』、『儚き夢に焦がれる』、そして、『永久に輝く初恋』。

 

 

「…………ナッシェ様、早く帰ってこないかなぁ」

 

 

 寂しそうに呟くメイドは、重厚な造りの扉をそっと閉めた。

 

 火がついたままの燭台を落としたメイドが、顔を真っ青にさせるまで、残り三十秒。


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