ハンターズギルドは今日もブラック【未完】   作:Y=

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走れナッシェ〈1〉

 ナッシェは奮闘した。

 必ず、かの鈍感の王子様を堕とさなければならぬと決意した。

 

 約三週間前に。

 

 あれから二十日あまり、男女としては何の進展も無いまま、レオンハルトと師弟の絆を深めたナッシェは、ハンターを始めて一ヶ月の少女とは思えないほど卓越した狩猟技術を修めていた。

 

 ディノバルドの若い個体ならば単独(ソロ)で討伐することが出来るくらいには腕を上げた。

 今度龍歴院に帰ったら、HRランクを上げてくれるらしい。

 

 

 いくらか犠牲にしてしまったものもあったけれど、代償の対価はどれも素晴らしい宝物だった。

 『レオンハルト式ストレッチ』やら、『レオンハルト式マッサージ』やらを伝授されたおかげで、身体の整備もバッチリである。

 

 後悔などない。

 あるのはただ、モンスターを狩って師匠の後を追うだけの、単純で楽しい狩猟生活だ。

 

 彼女は今、好き合う(予定の)レオンハルトが掛けてくれた期待に応えるべく、悠久を生きる古代林の中を駆けていた。

 

 

 ナッシェがここ最近特に心待ちにしているのは、憧れの師匠と呼吸を合わせてモンスターを狩る一時(ひととき)だ。

 彼の技術をコピーした少女の狩りは、レオンハルトという人外の紡ぐ殺戮舞曲(スローターロンド)に合わせてステップを踏むことが出来る。

 

 それは、何より心が踊る時間だった。

 邪魔する者のいない空間で、二人きりの踊りに興じるのは、きっとどんな舞踏会よりも素敵に輝いている舞台なのだから。

 ある時は挟撃したイャンガルルガの身体を切り刻み、またある時は木々の間に誘い込んだホロロホルルと二人とで血みどろの曲芸(サーカス)を演じたりもした。

 

 

 そう言うこともあって、最近は狩猟に対する精神的な耐性も上がってきた。

 ハンターとしての度胸が身についてきたのだろう。

 あるいは、頭のネジを幾つか飛ばしてしまったのか。

 仕方がない、強さとは他との比較で上に立つことであり、それはどこかしら“おかしい”と言うことなのだから。

 

 永遠に終わらない地獄の中で、それでも己の理想を追いかけ続ける英雄を目にしたような恍惚が、苦しみと悦びの区別も付かない無垢の少女に、穢れと興奮に満ちた闘争の美酒を覚え込ませたのだ。

 

 自分たち人間を(あなど)り、一瞬前まで意気揚々と吠え猛っていたモンスターが、涙を流しながら逃げようともがく姿を見たときなど、得も言われぬ快楽の螺旋に飲み込まれてビクビクと身を震わせた。

 

 そんな中で、地べたに這いつくばるモンスターへと、容赦なくトドメを刺すレオンハルトの横顔を見つめるその刹那は、まさに至福の一言に尽きる。

 

 愛しき官能の坩堝の中で夢見るナッシェは、血塗られたバージンロードをしずしずと歩んでいく。

 その道の先に、おとぎ話のように綺麗な花畑があると信じて、少女は古代林の柔らかな土を蹴って進むのだ。

 

 

 

 

 

▼ △ ▼ △ ▼ △

 

 

 

 

 ナッシェには常識が分からぬ。

 

 ナッシェは、ハンターになった元姫である。

 童話を読み琴を弾き、メイドと遊んで暮らして来た。

 本当はそんな箱入り娘のまま、現実味のない夢など捨てて、会ったこともない高貴な御方と結婚するはずだったのだろう。

 けれども、自分の夢については人一倍の憧れと衝動とを抱いていた少女に、諦めの二文字が浮かぶことはなかったのだ。

 

 欲しいモノは手に入れる、やりたいことを成し遂げる、才ある支配者に相応しき性質は、王族の血筋によるものだろう。

 一応の公務はこなしながら、無茶苦茶な横暴を申しつけて押し通してしまう、乱暴者の姉の背中を見て育ったというのもまた、ナッシェの踏み出した一歩の足場となっていた。

 

 そうして今、背中に負っていた色々なものを脱ぎ捨てた少女は、たった一つのゴールを目指して森の中を走っている。

 

 

 今日明け方、ナッシェは仮ベースキャンプを出発し、草食竜の闊歩する草原を駆け抜け、足場の脆い谷を越えて、十キロ離れたここ古代林深層へとやって来た。

 足元はぬかるんでいて、所々で地面から顔を出している木の根が歩きにくさに拍車をかけている。

 

 けれど、およそ一ヶ月に渡る古代林での狩人生活は、少女の足腰を十二分に鍛え上げていた。

 時には新鮮な血と臓物が人為的に捲き散らされた地獄絵図の中で踏み込み、または苔蒸して湿った岩場の上でマッカォたちと組み合ったりと、熾烈な訓練を耐え抜いてきたのだ。

 この程度の環境など、今さら何と言うことがあろうか。

 その足取りは一定の速度を保っており、筋肉質とは程遠い華奢な身体からは、すぐにでもモンスターとの戦闘を始められるような殺気が放たれていた。

 

 周りには人影も、モンスターの気配もない。

 争いの形跡もない。

 シンと静まり返った森の中を、ナッシェは定まった方向を目指して進んでいた。

 強い意志の宿ったその瞳が映すのは、一振りの盾と片手剣──“金狼牙剣【折雷】”だ。

 

 金狼牙剣【折雷】に駆け寄ったナッシェは、地面に刺さっていた盾と片手剣をずぶりと引き抜き、刃の状態を確認しながら、近くの岩に腰を下ろした。

 

 手に取った片手剣には多少の汚れや菌糸が付着していたけれども、二週間近く放置していたにも関わらず、少し整備すればすぐに使えそうだ。

 ナッシェはポーチから取り出したタオルを盾の縁に当て、丹精と愛を込めて整備を始めた。

 

 この片手剣は、もしものことがあった時のためにと、レオンハルトが隠し置いていた武器だった。

 つまり、世にその名を聞く“金雷公”ジンオウガの身体から作り出した一級武器を、こんな森の奥に放置するというトチ狂った思考が、古代林へと持ってきていた武器の大半を整備のために龍歴院へ送ってしまっている今、初めて役立つことになったのだ。

 

 砥石で刃の曇りを磨いていく。

 

 ナッシェは自分の映り込む銀色の武器を見つめながら、コミュ障な先生の言葉を一語一句違えずに思い出していた。

 

『俺は一度、渓流っていう狩り場で受けた、たくさんのモンスターを一度に狩る大連続狩猟ってクエストで武器を折られたことがあってさ。たまたまその時、渓流の奥の方にあった神社みたいな所に『お供え物しとこ』って思って隠し置いていた武器があってな。それを使って、なんとかしのげたんだ。あれ以来、長丁場の時は、神秘的な雰囲気のある場所に武器を隠しておくようにしてるんだ。そうすれば、武器を壊されても狩りが続けられるからな』

 

 その理論はおかしいと思ったナッシェだったが、何と言おうと結果が全て、今日この時ばかりは、彼の思考が一応は役に立っていることを認めなければならない。

 

 ナッシェはそれ故に、黄金の狩人の爪を抜かんと、砥石を携えはるばる古代林の深層へと分け入って来たのだから。

  

 刃と盾を研ぎ終え、表面をじっと見つめて仕上がりを確認するナッシェ。

 この一ヶ月で、血飛沫と血煙の舞う狩り場で砥石を使うことにすっかり慣れたナッシェの目は、すっかり一人前の狩人のものだった。

 

 うん、完璧。

 レオンハルト先生が振るうのに相応しい刃。

 

 時間をかけてじっくりと剣の仕上がりを確認をしていた少女は満足そうに頷いて、剣を腰に佩き、盾の裏にあるベルトに右腕を通して紐を閉めた。

 

 さて、武器の準備は完了した。

 跳ね起きるように立ち上がって、淡い燐光の舞う菌類の森を置き去りにするように、矢の如く走り出した。

 

 

 

 

 ナッシェは駆けた。

 ヒラヒラとゆっくり舞い降りてくる木の葉を吹き飛ばし、ふかふかの腐葉土をぴょんぴょんと駆け抜けて、止まることなく走り続けた。

 

 ナッシェの姿を見て喜んで飛びかかってきたマッカォの群れに、彼女は表情一つ変えることなく、腰に佩いた片手剣も抜かずに飛び込んだ。

 

 飛びかかってきたマッカォの着地点を予想して急停止、腰を落としながらタイミングを合わせて足を蹴り上げ、小柄な肉食獣の跳躍の勢いを利用して彼の顎を強く打ち据えた。

 白目を剥いて倒れ込む一匹のマッカォ。

 息する間もない一瞬の攻防で、倒れた仲間を見て群れに走った一瞬の動揺を突き、ナッシェは包囲網をスルリと抜け出した。

 

 無駄な殺生はしなくていい。

 小型の肉食獣だって、ハンターが守り守られる生態系の一部だ、必要以上に殺すべきではない。

 

『モンスターだって生き物なんだ。傷つければ血が出るし、脳を揺さぶれば意識がトぶし、普通に殺せば普通に死ぬ』

 

 その通りです、先生。

 

 どんなに強大に見えるモンスターだって、酸素や栄養を運ぶ血を流し続ければ倒れるし、身体を支える腕や脚を失えば、文字通り手も足もでず、地面をただのたうち回るしかなくなる。

 相手を見て、どんな攻撃が今必要なのかを判断する。

 そんなことも、ナッシェはレオンハルトから学び取った。

 

 それに、今は手に持つたった一つの武器(片手剣)を使いたくないのだ。

 自分の思う完璧な仕上げを施した“金狼牙剣【折雷】”は、レオンハルトに使って欲しい。

 自分の愛をいっぱいに込めた武器を振るってくれるレオンハルトの背中を想うだけで、ナッシェは天を翔るように走りながら、腹の奥がじゅんと熱くなるのを感じていた。

 

 開けた緑の草原に辿り着いた。

 折り返しの三分の一ほどを過ぎて、残りは全体の三分の一。

 

 きっと、レオンハルトも刃の先に込められた思いを汲み取ってくれるはず。

 驚いたことに、彼は人と話すより武器と話す方が得意なのだ。

 そして、ナッシェの込めた想いに、レオンハルトは爽やかな笑みを浮かべて、「殺してくるよ」と耳元で囁いてくれるのだ。

 それはつまり、“両想い”ということなのでは。

 

「…………あぁ」

 

 恍惚の表情を浮かべて、ナッシェは空を仰ぎ見た。

 開けた視界いっぱいに広がるのは、どこまでも青く高く、掴み所のない澄んだ空。

 

 ああ、なんて綺麗なのかしら。

 吸い込まれて溶けてしまいたくなるような、甘い空。

 

 けれど、とナッシェは思う。

 私は行かなければならない。

 私のことを待ってくれている先生の元へ、私を信じて戦ってくれている殺戮王子の元へ。

 

 待ってと無言で手を引いてくる誰かを振り解くように、ナッシェはグンと速度を上げる。

 

 

 ふと、ナッシェは強烈な腹部への締め付けを感じた。

 不思議そうな顔をした少女は、新調した防具──“マッカォSシリーズ”のお腹を撫でる。

 防具の紐を強く締めすぎたのだろうか。

 

 くぅぅぅ…………。

 

 否、これは空腹故の違和感だと気づいて、そう言えば今朝は食事を摂り損ねたのだったと、無意識にアイテムポーチを漁りながらそう思った。

 

 

 

 朝食前の一運動にと、繁殖しすぎたドスマッカォの群れへ掃討作戦を仕掛けていた二人を襲撃したのは、一頭の飢えたイビルジョーだった。

 

 満たされぬ狂気を振り撒く健啖の悪魔は、餌となる肉に事欠かぬ魅力的な古代林へと引き寄せられやすい。

 そのままイビルジョーを放置してしまえば、腹のくちくなった雄雌が交尾を始めて、あっという間に古代林にイビルジョーが繁殖し始めることだろう。

 待っているのは、古代林の生態系崩壊だ。

 

 古代林の生態系を守りたい龍歴院は、レオンハルトに名指しで度々討伐クエストを発注していたし、ここ一ヶ月ほどで六頭ものイビルジョーと対峙したナッシェにとっても、彼のモンスターはさして珍しくもないモンスターへと変わっていた。

 

 ああ、また貴方ですか(おまえか)

 そんな感慨を共有しながら、二人はいつも通り、冷静に臨戦態勢に入った。

 

 レオンハルトが武器を失うまでは。

 

 くきゅぅぅぅ。

 

 血の臭いを嗅ぎつけたのだろう、森の奥から突進してきたイビルジョーは、足元に散らばっていたマッカォの死体には目もくれず、レオンハルトの“白猿薙【ドドド】”を背中に突き立てられていたドスマッカォへ飛びかかったのだ。

 間一髪で離脱したレオンハルトに怪我はなかったものの、強酸性の唾液で急速に酸化されて錆となった【ドドド】は、犠牲になったドスマッカォと共にバキバキと音を立てて噛み砕かれた。

 

 レオンハルトの【ドドド】と、ナッシェが持っていた片手剣──“ボーンククリ”を除いて、古代林に持ち込んでいた武器を整備のために龍歴院に送っていたタイミングで起きた、痛恨のミス。

 ナッシェはこの日、武器を失うという恐怖と絶望感を知った。

 

 『こんな事もあろうかと、予備の片手剣を隠してあるんだ!』とドヤ顔で言い切った彼の、何と頼もしかったことか。

 

 一瞬後に、『ここから十キロくらい離れてるとこなんだけどな』と付け足したレオンハルトはこの日、弟子にぶん殴られる痛みを知った。

 

 くるるるるる。

 

 ぐーは良くなかったかも。

 ぱーにしてあげれば、鼻血出なかったかな。

 

 ナッシェはキノコの森を駆け抜けながら、初心者用の片手剣(ボーンククリ)でイビルジョーを相手しているだろうレオンハルトのことを思って、ほんの少しだけ反省していた。

 無意識に手が出てしまったのだ。

 自分でもびっくり。

 

 くきゅるるるぅぅぅっ。

 

 ふと、ナッシェは腰のポーチに目をやった。

 確か、この中には薬草が数種類入っていたはず。

 トウガラシ、ネムリ草、落陽草の根…………それから、食べてからがお楽しみのドキドキノコが一本。

 口に入れても、空腹感を紛らわせるどころか永遠に空腹を感じなくなりそうなアイテムが揃ってしまっている。

 なんて役立たずなアイテムポーチ。

 

 くきゅうくきゅうぅぅぅぅ…………。

 

 最近自重を忘れてしまった腹の虫が、食べ物を寄越せと盛んに叫んでいる。

 毎日激しい運動をしているせいか、はたまた大きなこんがり肉を日頃から大量に食べているせいか、家出する前と比べて明らかに燃費が悪くなっているのだ。

 

 幸い、お腹の肉が出てきてしまうような大事には到っていないけれども、心なしか、二の腕やふとももが柔らかくなってしまっているような気がしなくもない。

 『必要なところにはいなくて、要らないところで付いてくるのは、先輩メイドと柔らかお肉』だと、フルーミットがよくこぼしていたけれど、つまりはそう言うことなのだろう。

 

 くぎゅるるるるる…………。

 

 だんだん、腹の虫の鳴き声がえげつないものになってきた。

 心なしか、頭がぼーっとしている気がする。

 

 上の空で全力疾走を続けるナッシェは、自分が無意識に噛む動作を行っていることにも気がつかなかった。

 

 

 


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