「ふーんふーふふーん」
レオンハルトの家で風呂掃除を兼ねた入浴を終えたアナスタシアは、鼻歌交じりで家を出た。
そんな彼女の肩に、ガシッと手が置かれる。
ビクッと振り返ると、そこには日頃の営業スマイルすらも浮かべていない受付嬢の姿が。
「…………な、なんですか、シャウラさん」
「どうしてアナスタシア氏が、レオンハルトさんの家掃除をして、お風呂に入っているの?」
瞳からハイライトの消えた彼女は、冗談抜きで殺気を放っている。
「ど、どうしてって、それはもちろん、センパイが帰ってきたときに、お家が綺麗だった方が良いじゃないですか?」
「そういうことはいつも私がやっているので結構ですよ?」
「えっ?」
「何か?」
それは掃除の方なのか、お風呂の方なのか、あまり聞きたくはないけれど、少し気になるアナスタシアだった。
「…………まあ、それは別に良いんです」
「いいんだね…………」
それじゃあそろそろ、肩から手を離して下さると嬉しいです。
なんか殺されそうで怖い。
「貴方は、子守りには自信がありますか?」
「へっ?」
そして、受付嬢が妙なワードを突然繰り出した。
子守り?
「…………もしかして、シャウラさんって子持ちの方?」
想像したくはないけれど、それってセンパイとの…………。
「そんなワケないでしょう。これからですよ」
一瞬、つらい現実を想起したアナスタシアであったが、彼女の言葉にほっと胸をなで下ろした。
アナスタシアは、元々辺境の村出身なのだ。
実の兄弟姉妹はいなかったけれど、他の家族の子供を観ることなら慣れて、
「ちょっと待って、これから?」
「そんなことはどうでも良いんです」
「待って、どうでもよく────」
「────モミジ、髪やって」
突然、スズランの花が咲いたような声が割り込んできた。
受付嬢は──本当に驚いたことに──心底うんざりとした顔をして、後ろを振り返って言った。
そこに立っていたのは、絵本の世界から切り抜かれたような、真っ白で綺麗な髪の毛の女性。
「えっ」
雪の華みたいなハンター。
“白雪姫”。
「どうして貴方がまだここに残っているんですか? 【我らの団】はとっくに出発したでしょう?」
「置いてってもらった」
「はぁ!?」
「まだ髪結ってもらってない」
「…………アホなの? それともバカなの?」
「えっ、えっ」
戸惑うアナスタシアを余所に、モミジが会話し始めた相手は──【白姫】の称号を受けたG級ハンター、ラファエラ・ネオラムダ。
ハンターの名門ネオラムダ家の才媛にして、ネオラムダの門下で歴代最高の腕を持つと評される“ほんまもん”の化け物だ。
「えっ、えっ、えっ」
どうしてG級ハンターがここに、え、昨日雑誌で読んだばっかり。
「…………アナスタシア氏」
「えっ、えっ」
うわ、雑誌に乗ってた肖像画と瓜二つじゃん、こんなお姫様みたいな人がいるワケないって思ってたのに、え、こんなお花みたいな人ホントにいるんだ。
「この人の子守りをしていた
「えっ」
「モミジ、わたしは子供じゃないの。知らなかったのでしょう? ふふ、かわいい」
花が咲くように、ふわっと笑った。
あ、今のは多分ドヤ顔だ。
えっ、何この人かわいい。
「私はレオンハルトさんが急に帰ってくるからその仕事をしなくちゃいけないんだけど、この人の面倒まで見ていられないから。お願いできるかしら」
「え、ハル、かえってくるんだね。…………あれ? 団長さん、そんなこと言ってたっけ?」
「え、お願いって、ぐ、具体的に何を」
「この人の子守りよ」
「…………え?」
G級ハンターの子守り?
何それ無理そう。
その前に意味が分からない。
「あれ?」
と、ラファエラの真っ赤で純粋な瞳が、アナスタシアを真っ直ぐ射抜いた。
「ふぇっ」
するりと吸い寄せられるように近づいてきたラファエラの動作は、アナスタシアが気づかないくらいに自然で、接近に気づくことすら遅れたほどだった。
小動物のように目を丸くするアナスタシア。
身長の高い彼女を見上げる形で、ラファエラは不思議そうに呟いた。
「あなた、お花の顔じゃないのね」
「…………はい?」
アナスタシアはこの日、G級の真髄を垣間見ることになる。