前の席に座っていた幼女が可愛すぎて死ぬかと思った。
マジで。
ロリを性的な目で見る奴、そこに正座。
分かっていたはずだった。
彼を派遣したのは、危険な狩り場だった。
最近、飛行船が航行途中に消失する懸案が龍歴院で二件報告されていたし、危険性の高いモンスターが古代林に住み着いた可能性もあった。
モンスターから寄ってくるような彼の近くにいれば、あの少女も同様に危険にさらされると言うことも、承知の上であったはずだ。
どこで間違えたのだろう。
彼なら何とかしてくれる。
どんなハンターよりも信頼出来る彼の腕ならば、どんなモンスターと遭遇しても切り抜けられる、そう確信していた。
その考えに、間違いはなかったはずだ。
けれど、これは──。
打開策を立てようと考えて、俯いたまま目の前のハンターのことを思い出す。
虹天を思わせる“EXフィリア”を纏う、純白のハンター、ラファエラ=ネオラムダ。
この十年で二十一体の古龍を討伐し、当代きっての“古龍キラー”と目される彼女なら、確実にこの窮地から彼を救い出す事が出来るだろう。
ラファエラとレオンさんを会わせる?
吐きたくなるような、黒い感情が沸き立ってくる。
意志を持った汚泥のように身体を縛り付けてくるその化け物は、どろどろと視界を暗く染め上げ、一寸先も見通せぬ闇夜のような絵の具が思考を塗りつぶしていく。
舌の上に嫌な苦みが走る。
会わせたくない、この人達は私を置いてどこかへ行ってしまう。
嫌だ、私を置いていかないで、見捨てないで、こっちを見て、私のことを見てよ、無視しないで、寂しい、苦しい、暗い、私しかいないここは暗くて怖い、独りぼっちは嫌。
彼女を、会わせたらダメだ。だって、彼を盗られてしまう。
そうしたら、私には何も残らない。
ぐらりと傾きそうになる自我は、まるで駄々を捏ね喚き散らす童子のようで、そうであるならどうしたらいいと傷ついた理性がうずくまる。
この白きハンターは、こちらが許せばきっと彼の元へ行こうとするだろう。
そうなれば、レオンさんの安全と引き替えに、レオンさんを失うことになる。
今までは仕事中だからと、ここで待っていることを納得させてきた。
アナスタシアをクエストに派遣すべきなのか。
否、盛った雌猫を勝手に彼とくっつけさせるワケにはいかない。
この猫は油断できない。レオンさんとの距離が近すぎる。
アナスタシアに懐いているラファエラがついて行こうとする可能性もある。
私が行って、レオンさんに武器を届けるのはどうだろう。
この人達が黙って待っているかしら、そんなことはありえない。ついて来る可能性が高い。
レオンさんを信じて動かないようにするのはどうか。
絶対にダメ、武器を持たないでモンスターに挑んだら、いくら彼でも勝ち目は薄い。
それならば、どうしたらこの親愛なる邪魔者と彼を引き合わせずに済んで、尚且つ彼を迎えに行ける?
…………そうだ。
対人能力は未知数なアナスタシア、ネオラムダ家の作り出した殺戮兵器ラファエラ。
けれど、彼女達は今、
制服の袖の端をキュッと握る。
毒針は四本、ナイフは二本。
いける?
ヤるのは久しぶりだけど、鍛錬は怠ってない。
自分より格上を相手するのは茶飯事。今さら、恐れるようなことではない。
レオンさんに武器を届けることが出来て、且つあの人を横取りされないように、この人達が、消えてしまえば────。
「────シャウラさんッ!!」
ビクッと肩が浮く。
反射的に指が刃を手繰り寄せてしまい、その声がアナスタシアのものであることを思い出して、モミジはギリギリの所で踏みとどまった。
下に向けていた視線を上げると、嫌になるくらいに真っ直ぐで純粋な色をした栗色の瞳と目があった。
細くたおやかな指が、モミジの肩をガシッと掴んだ。
「何、ためらってるんですか?」
「…………」
真正面からの問いに、モミジは答えられなかった。
何を考えていたか、それを実行してしまおうとした自分を恥ずかしく思ってしまうほどに、彼女の言葉が胸の中で響いている。
目の前にいるハンターは、こんなに力強かったのだろうか。
何故、彼女は私につかみかかっているの?
心臓がドキドキと脈を打っている。
動揺しているんだ。
一体何に?
レオンさんの窮地?
それとも、他の…………。
「…………シャウラさんは、人と話すのにいっつも壁を作ってますよね? 一歩引いて人と話しているアレです。
でも、センパイと話すときだけ、シャウラさんの作っている壁は薄くなる。それって、普通にセンパイのことがすごく好きだからですよね? ラブの意味で。マンガにそういう人が出てきたことがあります」
遅れて、モミジはようやく気が付いた。
彼女は怒っているのだ。
焦燥感だとか、悲しみだとか、そういう感情を一緒くたにして怒っている。
肩を掴む手の力が強くなって、指先がギリと食い込んだ。
「不快でした。
なんでセンパイはオッケーで私はダメなのかとか、どうしてセンパイは楽しそうに振り回されてんのとか、どうしたら私もセンパイに言うこと聞いてもらえんのとか、仲の良い人同士な日常見せつけられて、すごくイライラしました。
雌猫とか蛮族娘とか淫乱とかビッチとか、最初は褒め言葉だと思ってたのに、実は悪口だったりして。
正直に言います。共通語を教わってたときから、シャウラさんは本当に怖くて苦手な人で、モンスターみたいだと思ってました。
…………だけど、いつの間にか、嫌な人じゃなくなってたんです。こういうの、共通語で“ほだされる”って言うんですよね?
出来の悪い私みたいなおバカを、最後まで見てくれました。
センパイのことを信頼してたし、センパイのことを邪険に扱ってるようで、実はとっても大切にしてた。あの人のためにっていつも頑張ってた。あの人を一番に考えてた。なのに……」
ギリリと歯を噛みしめたアナスタシアは、自分の内側にある感情を爆発させるように叫んだ。
「なのに、どうして迷ってんですか!!
面倒なことは後にして、取り敢えずセンパイのことを助けてよ!!」
ピシャリと冷水を打たれたような、そんな気持ちだった。
その言葉は、自分に従順であった子供の言葉にはっとさせられるのに似て、受付嬢の曇っていた心を叩いた。
それで、モミジはようやく気がついた。
そういう風に怒ってくれる人に対して、自分が陳腐で無意味な殺意を向けていたことに動揺していたのだ。
二年前、泣いてばかりだった彼女に吐いた言葉は、決して嘘などではなかった。
何十頭ものセルレギオスを狩ってきたとは思えないほど心優しい少女は、自分という芯のないハンターだった。
年の割に成長したその身体に、心が追いついていなかった。
誰かのためだけに生きようとする人間は、どこかで折れてしまう。
彼女はきっと立ち上がれないだろう。
そして、そんな彼女をレオンさんが気にかけることもない。
取るに足らない、どうでも良い人間。
そう思っていた。
けれど、どうだろう。
自分をジッと見つめてくるこの少女は、見違えるほどに成長していた。
自分という核があって、レオンハルトという一人のハンターのことを想っていて、一点の曇りもない目で私のことを見つめてくる。
その瞳の色は、十年以上焦がれてきたそれと強く結びついているように見えた。
私は、誰かを想う気持ちのことを、いつの間にか忘れていた。
醜い独占欲に大切な想いを食われて、愚かなくらいに焦っていた。
二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。
最優先事項は何か、今とるべき選択肢は何か。
ジンジンと痺れる心とは裏腹に、頭の中で思考が速やかに構築されていく。
古龍“オストガロア”の出現。
七年前、古代林深層に住み着いたオストガロアを討伐したのは、他ならぬレオンハルトであった。
同じように飛行船を落とされ、一度は撃退し、改めて彼のモンスターの巣へと赴き、これを討伐したのだ。
その時は、彼の手元に武器があった。
嫌な記憶が蘇る。
武器を持たぬ人間など、モンスターの餌にしかならない。
圧倒的なポテンシャルの差に打ちのめされ、その巨躯の前に膝を折ることしか出来ない。
跡形もなく消えたはずの古傷がジクジクと痛む。
たとえどんなに強くても、死んでしまうかもしれないのだ。
────それだけは、許せない。
心は決まった。
後は、足を踏み出すだけだ。
「…………
「なに?」
昔のように名前を呼べば、間髪入れずにラファエラが返事をした。
彼女は、興味がない人と興味を失った人には、イエスとノーの応答すらしない。
つまり、彼女にはまだ見捨てられていないのだ。
穢れを知らぬ天使の如きこのハンターの前で、これ以上醜い自分を曝すことなど耐えられない。
「緊急クエストをお願いします。
狩り場は竜ノ墓場、種別は討伐と救援、対象モンスターは古龍オストガロア。報奨金は三万z。救援対象は、HR1のナッシェ・フルーミット、ベルナ村統括受付嬢のフローラ。
現地でHR7のハンター、レオンハルト・リュンリーと合流し、該当モンスターを討伐してください」
「わかった。よく聞いてなかったけど。ハルとお花摘み、してくるね」
表情をわずかも変えず、あっさりと古龍討伐クエストを引き受けた彼女は、やはりどこか嬉しそうな無表情だ。
ラファエラは、昔から変わっていない。
狩りか、レオンハルトか、純粋すぎるくらいにその二択なのだ。
「よろしくね」
「ふふ、ハル、待っていてね。お仕事から帰ってくるお婿さんを待つのはお嫁さん、お嫁さんと一緒にお花摘みするのはお婿さん。わたしは白いお花を希望」
…………話が通じたかと思えば、早速トリップしていた。
古龍の事が頭にあるのか、それすらも定かではない。
その純朴な真紅の瞳には、既に彼の背中が映っているのかもしれない。
武器を取りに行くためだろう、身体を反転させた彼女は、パッとこちらを振り返って、
「モミジ、お花の中に埋もれたらダメだよ」
それだけ言い残して、龍歴院管理下のハンターホームへと風のように駆けていった。
処女雪のような髪がたなびき、人の出払っている龍歴院の庭に白い光の残滓がちらつく。
今なら、理解しがたい彼女の言動が指すところを理解できるような気がした。
「ええ、気をつけるわ」
その耳に届くかは分からないけれど、伝える必要もないだろう。
彼らは、私が落ちこぼれて花の中に埋もれてしまえば、そのまま私を置き去りにする。
「…………はぁぁぁ。ようやくいつも通りに仕事しましたね、この鉄面皮」
ぎゅっと手の内を握るモミジに、アナスタシアは大きなため息を吐いて戯れた。
「……貴方ね、鉄面皮っていうのは、“恥知らずで厚かましいこと”を言うのよ?」
「まさにシャウラさんのことじゃないですか」
「急にズケズケと物を言うようになったわね……」
「もう遠慮しなくても良いですし。言いたいこと言ってやりましたし。これでシャウラさんとも
ドヤ顔で言い切る少女を見つめて、この子の心は幼いままだとモミジは心の中でそっと息を吐いた。
「…………ベルナ村で何人目?」
「……えと…………。…………よ、四人目ですよっ。アイルーちゃんいれたら四人目ですよ! 悪いですか!?」
正確には、三人と一匹である。
「いいえ? 子猫ちゃんの成長が嬉しいなぁ、って思っているだけよ? 見栄を張らなくて偉いのね。」
「ぐぬぬ…………」
歯ぎしりをするアナスタシアに、モミジはクスクスと小馬鹿にするように笑って、
「それで、貴方は準備が終わっているの?」
「…………はい?」
唐突な言葉に、栗色の目をぱちくりと瞬かせるアナスタシア。
そんな彼女に、モミジは親愛の情を込めて、
「だって、貴方は初めての
「…………、……………………えっ」
ピシリと固まるアナスタシアに喧嘩をふっかけるように、モミジはいつもの営業スマイルを浮かべてこう言った。
「行きたくないの? それなら、喜んで置いていってあげるけど」
若干涙を浮かべながらホームへと戻っていくアナスタシアの後ろ姿を見送って、モミジは急いで気球船の準備へと走った。
つまらない独占欲で、危うく大切なものを失うところだった。
私は、多くは望まないから、レオンさんの一番近くで一緒に生きていきたい。
誰かがあの人の隣で笑っているのを眺めるのは、とうてい我慢できるものではないけれど、彼女たちだけは、彼の近くにいることを許してあげても良いだろう。
いつの間にか、自分中心の衝動を省みるくらいには“
心の門を自由にすればするほど、自分の首を絞めるだけだと、ずっとそう思っていた。
けれど、アナスタシアが言うところの“友だち”というのも、悪くない気がする。
他ならぬ自分のために繰り返してきた
夢の実現にとって明らかな障害であるのに、それを受け入れようとする奇妙な感覚は、すっぽりと違和感なく心に落ち込んだ。
それを枷としないように動けるかどうかは、私の手腕如何だ、無理に拒絶する必要はない。
レオンさんの隣は、私のもの。
それ以外の場所なら、譲ってあげても良い。
その頃、主人の大事を伝えた忠臣アイルーは、
「…………ニャ、ニャヒィ……」
伝達した情報の真偽を確かめるための尋問──という名の拷問──にかけられて、そのまま放置されていた。
誤字脱字等ございましたら、ご一報いただけると幸いです。