…………マズい。
レオンハルトは、人生最大の危機に陥っていた。
中々捕食を受け付けないレオンハルトに業を煮やして、本体を地表に現したオストガロアが本格的に暴れた余波で、ナッシェとフローラの隠れていた洞穴を暴いてしまったのだ。
抵抗するための武器をほとんど持たない丸腰の少女と、脚を負傷して動くことが出来ない少女。
それに気づかぬほど、古龍の神経は鈍くない。
ちょこまかと動く餌よりも、彼女らを狙った方が楽に食事が出来ると、暴食を極めてきたオストガロアの思考が判断した。
結果。
「らめぇぇぇ! アッチ行っちゃらめぇぇぇ!」
ガンガンガンガンッ!
ゆっくりと二人のもとへ進攻していくオストガロアの歩みを止めんと、レオンハルトは古龍の身体をやたらめったら殴り続けていた。
鉱脈で採掘する炭坑夫の如き振りかぶりでバックラーを振るい、左手に持った解体用ナイフで古龍を刺身にせんと躍起になる。
だいぶ扱いに慣れてきてしまった触腕をいなし、六時間にも及ぶ戦闘の疲れを強走薬グレートと素早いガッツポーズでごまかして、ガンガンバキバキと骨の鎧を砕き、オストガロアの身を削っていく。
しかし、その程度の足掻きは、オストガロアにとっては痛くも痒くもない。
街に進撃してくる巨大古龍を討伐せんと躍起になったハンターたちの話を思い出しながら、レオンハルトは半泣きで必死の攻勢をさらに強めた。
盾の方も、予想以上の消耗に見舞われていた。
一時間ほど前、このオストガロアが捕食し、ストックしていたモノと思われるケツ顎モンスター、“爆鎚竜”ウラガンキンの頭骨を触腕に装備して、レオンハルトを叩き潰しに来たのだ。
当然、オストガロアの注意を自分から逸らさないようにするため、
「チクショウが……。誰が好き好んでモンスターのケツなんぞシバかなきゃならねぇんだよクソが……。俺だよ……。しかも顎っていう……。ハチミツ舐めてぇ……」
しかし、最早なりふり構っている余裕はない。
腹を空かせた古龍から漏れ出てくる龍属性エネルギーのせいで、水分を奪われる目からはボロボロと涙が出てくるし、鼻水は止まらないし、なんなら口の端を垂れる涎も止まらない。
脚力全回で骨を蹴り折り、露出した身に刃渡り二十センチほどのナイフを突き立て、オストガロア特有の青い血も滲まぬ肉を切り裂いては切り分け、歩みを止めない古龍の体側面にべったりとくっついて切り落としていく。
「ギシャァァァァァ……」
煩わしそうに身を捩らせ、オストガロアが無造作に触腕で地を凪いだ。
「おぶしっ」
腕の死角に滑り込んで避けるも、悪化の一途を辿る現状は、レオンハルトにとって最も忌むべき事態だった。
十数年間、人を守りながらの狩りは何度も経験してきたことだけれども、ここまで追い詰められたことは一度もなかった。
武器を持たないハンターは、これほどまでに無力なのだろうか。
感じたことのない絶望感と苦しさが胸を鷲掴みにする。
「ええい、ままよ! このまま殴り殺してくれる!」
散々フラグを立てたら、このざまである。
独り言で己を鼓舞して、レオンハルトは盾を掲げて、起死回生の一手を打とうと、オストガロアの顔前へと飛び出した。
かくなる上は、ヤツの喰砕牙を壊して、ブチ切れを狙うしかない。
文字通り目の前で動かれれば、さすがの古龍も歩みを止めざるを得ない。
喰われたり噛まれたりしたら即死確定の状況だが、選ぶ道は他にない。
獲物を求めてグイグイと動く喰砕牙を視界の真ん中に見据える。
骨を“へし折る”ことに特化した、ハサミ型の歯だ。
触腕の根元にある頭部に、裂け目のように開いた口、爛々とイエローの光を発する二つの眼。
モンスターの捕食口の目の前に出るなど、通常の思考で考えればただの自殺行為だが、そんなことを気にしている場合ではない。
生き物を殺すときは、自分の命を懸けるくらい当然なのだ。
黄色の双眸が焦点を自分へと合わせたことを肌で感じながら、古龍の放つプレッシャーへと真正面から飛びかかった。
軽快なステップで、モノを水平に切断する喰砕牙の真下をくぐり抜け、ポーチから取り出した投げナイフを死の鎌の根元へ投擲、上手く突き刺さった小さな刃の柄目掛けて、右手の盾をフルスイングした。
バキッッ!
「あっ」
衝撃で砕け散る盾。
「ジャシャシャシャ…………」
湿っぽい悲鳴が、オストガロアの口から漏れる。
加工屋のオヤジに言われて、はるか遠い火山から掘り出してきた鉱石を使って、当代最高級の逸品と保証されたバックラーは、銀色の破片をまき散らしながら、その武器生涯を閉じた。
新品が逝った時って、減価償却の再評価が必要なのかな。
「マズ……」
目論見通り、喰砕牙を動かすオストガロアの腱へナイフを突き立てることには成功した。
いくら硬い古龍の歯と言えど、それを動かす重要な腱にナイフを突き立てられれば、正常な動きは不可能となる。
だが、経験と勘とを照らし合わせても、人の二倍ほどはありそうな喰砕牙を壊すためには、少なくともあと十本ほどはナイフが必要だ。
そしてそれらを、古龍の丈夫な腱へと差し込む手段は、既に奪われてしまった。
オストガロアと殺意の視線が交錯する。
ヤツの意識を引きつけることは、一応成功した。
けれど、目下の脅威は過ぎ去っていない。
盾は死んだが、残りの手持ちで何とかしなければ。
次の手段を、と思考を巡らせ、ポーチに手を伸ばすレオンハルトは、自分を狙って動く牙のリーチ圏外へ離れようとバックステップの一歩目を踏みながら、オストガロアを睨みつけて。
――ズドンッッッ!!
「……えっ」
――それは、冥府へと降り注いできた紅い彗星が、地獄の時を止めた瞬間であった。
ギルドが独自開発した砲撃機構を備える、銃槍。
地上へと流れ出てきた熔岩を想起させるような、真紅の灯火を明滅させる槍身が、喰砕牙の根元へ正確に突き立っていた。
並み居るモンスターたちの中でも、屈指の戦闘力を誇る“燼滅刃”ディノバルドの死体から剥ぎ取った素材をふんだんに用いた一級武器、燼滅銃槍ブルーアだ。
『月刊:狩りに生きる』で特集された、ただ一人のハンターのための武器。
その持ち主は、この世でただ一人、その持ち主の名を思い出す前に、レオンハルトの乳首は今生最大級の勃起を行っていた。
砲撃機構の、主に砲撃エネルギーを司る機関が空気へと完全開放され、中に覗く動力炉がウンウンと回転している。
アレは、ギルドがガンランスのために開発した超高出力の砲撃、“竜撃砲”を放つための予備動作だ。
いっそ黄金と形容すべき輝きを放つ動力炉には、瞬間的に莫大なエネルギーが蓄えられているのが目に明らかだった。
砲撃準備が整った瞬間であることを、頭が考える前に、本能が察知していた。
なお、竜撃砲は、火竜のブレスを再現していると謳われるほど、威力が高い砲撃である。
それは、悟りを開いた聖人のごとき、非常に穏やかで澄んだ心地であった。
非常に緩慢な時の流れの中、ゆっくりとオストガロアから背を向け、人生最高のアルカイック・スマイルで逃走を始めたレオンハルトの目に、瞠目しながら立ち尽くす弟子の姿が映った。
なんだよ。来ちゃったのかよ。
もうちょっと、格好良く撤退すれば良かったかな。
レオンハルトは、爆発した。
▼ △ ▼ △ ▼ △
二次被害を避け、竜ノ墓場の近くで着陸した気球船。
『この辺りには、私だけでは対処できないようなレベルのモンスターは残っていません』
そう言って気球船に残ったモミジを置いて、ラファエラとアナスタシアの二名は、オストガロアの巣へと近づいていた。
すり鉢状に形成された骨の巣の縁から、恐る恐る中を覗き込むアナスタシアと、EXフィリアの裾についた砂を払うラファエラ。
「うわぁ…………あれがオストガロア…………聞きしに勝る骸骨っぷりですね……。
……うわぁ…………センパイ、ホントに素手で古龍と戦ってる…………。さすがにドン引きするくらいの非常識さですね……」
「武器なら、盾があるじゃない」
顔をしかめるアナスタシアに、ラファエラが不適切なツッコミを行った。
「盾は武器じゃないですよ、ラファエラさん」
「ララ」
「…………はい?」
脈絡不明な返答に、首を傾げるアナスタシア。
「ララって、呼んで」
ラファエラは、淡々と、しかしキチンと言葉で、アナスタシアと会話した。
「え、はい、ララ、さん?」
まともな会話だ!
困惑と喜びをない交ぜにした感情を顔に出しながら、ラファエラの要望に答えたアナスタシアに、白髪の美女は無表情で微笑みながら、無邪気な少女へ、ごく自然な動作ですっと手を伸ばし、
「はい、いってらっしゃい」
トン。
「えっ」
予想外に強い力で肩を押され、グラッと体勢を崩したアナスタシアに、ラファエラは淑やかな仕草で足払いを仕掛け、彼女をすり鉢の中へと転がした。
それは、ブロの犯行だった。
栗色の目をまん丸に見開き、宙に手を伸ばすも、指先は虚しく空を切り、アナスタシアは本当に呆気なく巣に落ちた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
情けない断末魔の叫びを上げながら、ゴロゴロガラガラと骨の坂を滑り落ちていくアナスタシアを見送って、ラファエラは背中に吊したガンランス、“燼滅銃槍ブルーア”を引き抜いた。
ラファエラのために作られた、オーダーメイドの一級品。
この
ヒョイッと巣の中をのぞき込めば、レオンハルトがうぞうぞと動くオストガロアの顔の前へと走り込んでいく所が見えた。
狙いは、頭か、目か、歯か。
ナイフを目に投げ込むか、あの巨大な歯の機能を停止させるか。
「私とハルは、以心伝心」
明滅するブルーアよりも紅い双眸が、期待される
――いいか、ファーラ、良く聞け。誰が何と言おうと、ファーラは可愛い女の子だ。ファーラは将来、好きな男と結婚すればいいんだ。
「『心が繋がっているから、距離なんて関係ない』」
槍投げの体勢で大きく振りかぶったラファエラは、つい先刻読んだばかりのマンガのセリフをなぞりながら、紅色の愛の橋を一息に投げ渡した。