「――アナ、背中に登って。蕾がある、そこにまち針を刺してきて。私はちょっと、ぷるりん抜いてこないと」
「無理ぃ! 何言ってるか分かんないけど! ララさんに絶対無理な要求されてるのは分かる!」
……ララ、さん?
「ドレス作りは楽しいから大丈夫」
「人間に通じる言葉で話して!! お願い!!」
……そうか。
アナは、いつの間にか、ラファエラさんとあだ名で呼び合うほどに親密な仲になっていたのか。
そうだったのか。
この一ヶ月で、本当に成長したんだなぁ……。
レオンハルトは、四つん這いの姿勢のまま、オストガロアに刃を突き立てる二人のハンターを眺めていた。
長身のアナスタシアが、長いリーチを生かした多彩な攻撃で触腕を翻弄し、淀みのない連撃をオストガロアへと叩きつけていく。
攻撃を予測し、よりオストガロアにダメージを与えられる部位はどこかを見定め、命を懸けて全力で立ち向かい続ける。
その動きはまさに天賦のものであり、人の賞賛を受けるに十分値する、英雄の如き戦い方だ。
だがそれ以上に、ラファエラは、アナスタシアの輝きを押し隠すような存在感を放っていた。
見た目は小柄であるものの、顔面の近くに刺さったガンランスを引き抜こうと、盾を最小限に動かして喰砕牙を弾きつつ、悠々と接近していく。
どうあろうと敗北を想像できない、絶対強者の小さく白い背中。
あそこに追いつき、並ぶために、どれほどの努力を重ねてきただろうか。
一体どれくらいの憧憬を抱き、崇拝と嫉妬から生まれた執念を燃やしてきただろうか。
どれほどの人間が、彼女に絶望させられたのだろう。
「……グスッ。無視されたよ。ガン無視だったよ。辛いなぁ……」
「せ、先生……」
ポタポタと地面に落ちる涙は、どこかで期待していた自分の残滓だ。
だが、これでいいと思っている自分もいる。
もう、少年時代の淡い夢を追いかけなくてもいい。
俺には、もっと叶えたい夢があるのだから。
「……ナッシェ」
「……帰還ですか?」
「いや、違う」
「え?」
弟子の前で、敗北した己を見せるわけにはいかない。
立ち上がって、雨晒しの墓場の地面に突き刺さった大剣“ブラックミラブレイド”を引き抜く。
手に伝わるずっしりとした重みと、それ以上に呪怨めいて重い何かが宿った、古龍“ミラボレアス”の大剣。
最硬の甲殻から時間をかけて削り出した黒の剣は、邪悪なプラナリアのようだ。
プラナリア・ブレイド、か。
可愛いじゃないか。
「グスッ。アイツは、G級ハンターの頂点の一角に立っているハンターだ」
どんな醜態を曝していようとも、関係ない。
この身が燃え尽きるまで、誰も知らない世界をこの目に収め続けてやる。
「……グスッ。正直、俺より強い。狩りの才能もある。体型もナッシェと同じ感じだし、お手本としては、これ以上ないくらいナッシェの為になる。
だけどな、ナッシェ」
勝利への一歩を踏み出した者こそが、真の勝者なのだ。
俺も、【白姫】ラファエラ=ネオラムダという天才に追いつけなかったハンターの一人だった。
だが、それも昨日までのこと。
可愛い弟子にサムズアップして、精一杯の決め顔を作った。
「俺の狩り方を一番よく見ておけ。アイツより、俺の方が百倍上手くモンスターを狩れる。
……『本当の』古龍の狩り方ってヤツを教えてやるよぉ。覚えて、俺の場所に来い。グスッ」
この子が一流のハンターになること、ナッシェの将来に最高の光を当てるのが、レオンハルト・リュンリーの現在の勝利条件だ。
ナッシェは、見たものをそのまま学び取り、最適解を出力する才能を持っている。
この子は、強さを覚えることができるのだ。
つまり、俺は、“白雪姫”よりも強いハンターになればいい。
ナッシェは、動けないフローラの元に戻ることも忘れて、濃紺の血の海に沈んだオストガロアの亡骸を、暴食の古龍を仕留めたハンターたちを、ずっと眺めていた。
ぺたんと地面にへたり込んで、そっと呟く。
「どうして……」
どうして、私はあの場所に立てないのだろう。
ナッシェには、今の自分が彼女らと共に狩りをする姿を想像することが出来なかった。
オストガロアが死に際に空へと放ったブレスが、鈍色の曇天を裂いて、覗いた空から竜ノ墓場へ橙色の斜陽が射し込んできている。
空は明るくなったのに、目の前に広がる断絶は、圧倒的な闇に包まれていた。
分かっている。
殺し合いの技術は、一朝一夕で身に付くものではない。
お城勤めの騎士が、どれだけの鍛練を積んでいたのか、師匠のレオンハルトがどれだけ長い間武器を振るっていたのか。
ひよっこの自分には、彼らのような狩りが出来ない。
それが、どうしようもなく悔しかった。
先生の横で自由自在にガンランスを操っていたラファエラというあのハンターは、これ以上ないくらいに息のあった
狩り場を縦横無尽に飛び回っていたアナスタシアさんは、先生の洗練された一撃を支えるよう鋭く尖った攻撃を繰り出し続けて、先生はアナスタシアさんに適宜指導を飛ばしつつ、彼女の援護を含めて主体的にオストガロアを狩っていた。
先生は、誰かと一緒に狩りをしたことがないなんて言っていたけど、そんなの嘘だ。
そうでなきゃ、あんなにピッタリと息のあった狩りができるわけがない。
純粋な、ハンターとしての才能。
彼らは、まさに一流のハンターで、狩りの中で唯一無二の役割を担っていた。
私は?
よろよろと立ち上がったナッシェは、フローラの足になろうと隠れ場所に向かう。
私は、先生の劣化コピーでしかない。
あの人たちの隣に立てなかった自分が、これ以上ないくらいに憎らしくて、私を置いて、綺麗な女の人と狩りをしに行った先生が、嫌になるくらいに腹立たしかった。
「……でも、そんなところも、好きかも」
あの人の隣は、貴方の隣は、ずっと私だったのに。
どうして私に“見ている”ことを言い渡して、他の女の人とペアーを組んでしまったの?
私が弱いから、武器を持っていないから。
頭では分かっていても、全く納得できない。
私は、貴方の背中を後ろから眺めているだけでは、絶対に満足できない。
貴方の隣に立たなければ、本物の
貴方の隣に他の人がいることを思うだけで、胸が引き裂かれそうなくらいに痛い。
だけど、
「…………それも、いいかも」
今まではずっと、レオンハルトというハンターを、おとぎ話に出てくる孤高の英雄と重ね合わせて見ていた。
彼はたった一人で戦い続ける孤独なヒーローで、私は彼の心を支える茨の城の姫。
それも、今日までのこと。
先生が英雄の一人であるのではない。
レオンハルトという人間の中に、英雄の姿があっただけ。
彼の周りに、彼を英雄的なハンターたらしめる人間がいただけ。
私は、その彼の隣の場所を、すぐに奪うだけでいい。
モンスターたちの悔恨と怨念の残る、白骸のバージンロードを歩く少女の目には、既に悲しみの色はない。
青い瞳の見つめる先には、笑顔で手を振る受付嬢の姿があった。
「…………」
「…………」
「…………」
地に伏したオストガロアの前で、三人は沈黙し続けていた。
アナスタシアは初の古龍討伐を終えて緊張の糸が切れたのか、骨が敷き詰められた地面の上に寝転がって寝息を立て始めていた。
ラファエラは、感情の動きを一切感じさせない真紅の瞳でレオンハルトをじっと見つめ続け、レオンハルトはあまりの気まずさに、オストガロアの触腕に腰掛けながら空を眺めていた。
ナッシェ。
どこに行ったんだ。早く帰ってきてくれ。
早くこの居たたまれない空気をどうにかしたいんだ。
帰りたいから船の場所を教えてくれとか、そういう話のきっかけが欲しいんだ。
アナスタシアは返事がないただの
そんなことを延々と心の中で思い続けているレオンハルトに、ラファエラがゆっくりと近付いてきた。
新たな動きに、レオンハルトはビクッと肩を跳ねさせて警戒する。
なんだ、何を言われる、狩りは上手くやったはず、事務連絡、救援関係、船のことか?
レオンハルトから一メートルほどの距離まで近づいて、そこで止まったラファエラは、長い沈黙を経てから、
「…………口に出すことも大事って、モミジが言ってた」
「……はい?」
「だから、あなたとは喋らなくても良いけど、喋ってもいい」
「…………」
その言葉に、レオンハルトは思わず涙を一筋流した。
…………心が死にそうだ。
『あなたとは喋らなくても良い』って言われた。
もう帰って飯食って寝る……今日のことは忘れよう……。
そんなレオンハルトの千々に乱れた心情などつゆ知らず、ラファエラは渾身の笑顔を浮かべ、親愛の情を込めながら、二年越しのデート相手に言葉を掛けた。
「ハル、ひさしぶり」
本人の努力をよそに、人形のような顔はピクリとも動かず、声の温度は全く変動を見せなかったが、レオンハルトには、ラファエラが笑っているつもりであることが、何故か伝わってきた。
周りに散らばる無数の白骸と相まって、まるで花園に佇む死神のような美しさであった。
…………もしかして、俺。
今、人生で初めて、ラファエラさんから声をかけられました?
単細胞は、たった一滴のエッセンスを垂らしただけで、簡単にバラ色に染まった。
▼ △ ▼ △ ▼ △
「…………ったくよぉ、なんなんだよもー」
龍歴院の船着き場のベンチで、G級十位、【蒼影】のアーサーは、空を仰ぎながらブツブツと愚痴をこぼしていた。
「ラファエラたんはいつの間にかキャラバンの船から消えてるしよー。あの娘は元々キテるけど、団長も人が悪すぎる。何が『愉快だ!』だよ、ガキ書記官殿め。こっちはちっとも面白くねーんだよ、ホント。ラファエラたん、ろくに買い物も出来ないからなぁ。
エイドスの糞やろーは人使いが荒いしよー。何だよ、まだお目見えしてなかった第四王女が行方不明だから探して来いって。頭おかしいだろ。どうやって見たこともないお姫様を見つけるんだよ。アイツ絶対自分で人捜ししたことねーだろ。お姫様のお守りは大変なんだぞ。
どーせ、第三王女みたいなやんちゃに決まってる。城から出てきたことがないとなると、アレをぷくぷくにした感じのワガママお姫様なんだろうな……テンション上がらないなぁ……いや、第一王女みたいな女の子の可能性も……お城を抜け出すようなおてんばじゃあ、無理か」
周りには人っ子一人いない。
まごうことなき、立派な独り言である。
「うーん、お城の人も困ってるんだろうなぁ。執事さんの苦労が少し分かった気がするぞ。王様に怒られたりしてさぁ。監視が行き届いていない! どう言うことだ! みたいなね。いやぁ、上司が理不尽で部下がワガママ、中間管理職は辛いねぇ。分かります。
ラファエラたんは可愛いから絶対正義なので仕方ないとして、問題はあのバカ議長エイドスの野郎だ。何もかもアイツのせいだ。エイドスのクソ、アホ、バカ、トンチンカン、エイドス。ヤになるなぁ……。
てか、古龍討伐とか嘘でしょ? またピクニック感覚で古龍討伐したんだろうなぁ、うちのお姫様……。ヤになるなぁ……。これだから天才は……心折れそう……。
レオンもレオンだ。どういう良識の乗り越え方したら、オストガロアに素手で殴り込むようになるんだよ。キチガイ野郎め…………ん?」
ふと、アーサーは首に掛けた双眼鏡を手に取り、青い空の向こう側を覗いた。
「……おっ、戻ってきた。あの気球船だよな? つーか、モミジさんが行ってどーすんのよ。いやまぁ、龍歴院の抱える公式の大仕事なんだから、受付嬢が出っ張ることには何のおかしな点も無いわけだけどさ。少しはギルドナイトとしての自覚というか、公私混同は良くないなぁとお兄さん思うなぁ。思うだけで、自分がやらないとは言っていない」
ポリポリとオレンジ色の頭をかきながら、アーサーはとても楽しそうに独り言を続けた。
「うーん、うちのお姫様は元気そうだなぁ。
…………おっ、あれはもしかして、二年前のエキゾチックなお姫様じゃね? うーん、蛮族の姫君って響きがヤバいな。族長の娘だよな。顔結構可愛かったんだよな。なんか、守ってあげたくなるような、危うい雰囲気だったよなぁ。ぶっちゃけ俺もそうだけど、レオンもああいう娘は滅茶苦茶タイプだよな。でも、俺はソフィさんにぞっこんラヴだからなぁ。
あ、レオンのヤツ、完全に固まってやがるぞ。まあアイツは女子慣れしてねーし、コミュ障クソぼっちだしな! あんな可愛い子に囲まれていれば、そりゃあドモリまくりのしくじりまくりなんだろうなっ。ククッ、早く弄りてぇ!
…………ん?」
ふと、アーサーは目に飛び込んでくる景色に違和感を覚えた。
レオンハルトの左腕に、誰かが抱きついているような幻覚が見えたのだ。
「…………あれ?」
よく見ると、幻影の人物がエキゾチックな顔作りの少女と言い争っているようにも見える。
…………おや?
モミジさんが、あれ? お姫さんが、あれぇ?
これは、つまり?
「………アイエエエ!? シュラバ!? シュラバナンデ!?」
レオンが、女の子を、しかも複数人たらし込んだと!? 修羅場!? 修羅場ってなんだよ!
……いや、待て、落ち着けアーサー、お前は優秀な子だ。
冷静に状況を分析するんだ。
あのコミュ障チキン野郎のレオンに限ってそんなことがあるハズは……。
……じっと目を凝らすと、レオンハルトの腕に抱きついているのは、金髪の女の子だった。
レオンハルトは慌てている。
あれは、ドンドルマでよく見るヤツだ。
浮気した旦那が、奥さんに必死に言い訳をしているアレだ。
いや、ちょっと待て。
「……どうして、金髪碧眼の美少女が、レオンハルトに抱きついてんの?」
なるほど。
一周回って冷静になった。
アイツは、一回死ぬべきクソ野郎だ。
…………あ、我らが団ハンターが、レオンハルトに抱きついた。
レオンハルトは鼻血を吹いて死んだ。
国立前期も受け終えたし、とりまランキングを漁るかと思ってページ開いたら、日間三位にモンハンssがあった。
題名見ずにメッチャ期待して開いてみた。
拙作だった。
Yはそっとブラウザを閉じて寝た。
ありがとうございます。
何がありがたいかと言いますと、読者様がいてくださることがありがたい。