社畜になりました。元気にやってます(白目
——宙を舞う感覚は、久しぶりの痛みだった。
「……」
耳をつんざく大音響の後、ラファエラの世界からすべての音が消失した。
砂漠を吹き荒ぶ乾いた風の声も、大咆哮の反動で地に埋まった両腕を引き抜くティガレックスの身じろぎも、殴るような一撃を受けてバウンドしながら転がる自分の体の軋みも、あらゆる音が聞こえなくなった。
どれくらいの距離を飛ばされたのだろう。
『イチゴちゃん』の捨て身の一撃で壊れた盾を手放し、右腕で地を突きパッと跳ね起きて、しかし、平衡保持能力を失った体幹がそのまま立つことを許さなかった。
とと、とたたらを踏んでその場に留まる。
思った以上に自分の身体が脆い。
それとも、思った以上に『スモモちゃん』の地力があったのか。
とても合理的な攻撃選択だった。
確かにあの時、『スモモちゃん』の視界を半分奪っていた。
そして、戦闘ポテンシャルの高いティガレックスが視界を奪われたときの、外敵に対する最も広範囲且つ有効な攻撃法は、他の種族の追随を許さず、ともすれば古龍すら凌駕する圧倒的な咆哮だ。
攻め立てられる片方のカバーをしようと特攻をしかけ、それを囮にもう片方がうまく大音量を放ってくる。
こんなに精度の高い連携を成功させるなんて、尋常のことではない。
顔の五分の一ほど——重要な感覚器官——を抉られてから、攻撃に復帰するまでのスパンが、モンスターにあるべき本能的な反応にあらず早いものだった。
もしかしたら、片目を奪われて痛みに倒れるフリをしたのかもしれない。
“荒鉤爪”の個体は、その代名詞である凶悪な鋭爪の一撃を実現するため、超然的な力を手に入れる代償として、竜鱗の下には似つかわしくない脆弱性を隠し持っている。
事実、はちきれんばかりに膨らんだ青い静脈の透けて見える彼らの肉体は、ラファエラの——一撃の威力は人外のものとしても——攻撃で惨憺たる裂傷を白日の下に晒しているのだ。
だが、人間の体は彼ら以上に脆く弱い。
回復薬、持ってきてない気がする。
銃槍の穂先を突いてなおフラつくラファエラに、隙を見て取らないほど“荒鉤爪”は甘くない。
青い腕を赤黒く血走らせながら、『スモモちゃん』がガンガンガンガンと大地を殴りつけるように突進してくる。
白い花びらが散った後には剥き出しの骨格が露わになり、赤い花吹雪はまき散らされる血飛沫へと姿を変えた。
距離はまだ三十メートル以上離れている。
隻眼となった右目に灯す殺意は、もはや砂漠の陽炎のごとく揺らいでいた。
あの動きには見覚えがある。
全身の筋肉を興奮させて、岩盤をも砕く渾身の振り下ろしで、獲物をミンチにする一撃だ。
あまりの威力に両腕が地中へ埋まってしまい、大きく致命的な隙をさらすことになるが、今のラファエラにそこを突く余力は残っていない。
避けるだけで精一杯だろう。
近くの岩場に残された、およそ一週間前の滅茶苦茶になった戦闘痕を見るに、“荒鉤爪”に特徴的なこの攻撃法を繰り出そうとしていると見て良いはずだ。
あるいは、全力の咆哮を放つための予備動作か。
どう防ぐべきか。
ラファエラの遥か後方に飛んでいった『イチゴちゃん』をチラリと確認した。
両腕を砕かれたにも関わらず特攻の跳躍を仕掛けてきた“荒鉤爪”は、勢いをいなせずに転がって着地したために、ようやく起きあがってこちらを振り返ったところだった。
立ち上がるので精一杯と言ったところか。
とは言っても、『スモモちゃん』の脅威が大きすぎる。
対して、ラファエラは耳を塞がれ、身体ポテンシャルが著しく減少している。
感覚受容器官を一つ潰されると、どんな人もモンスターも厳しく戦闘能力を制限されるものだ。
ティガレックスもラファエラも同じ条件だが、傷の治癒は彼らの方がずっと早い。
早々に片を付けて離脱して——。
ボゴッ!!
それは、正確には音ではなかった。
皮膚に、足元に伝わってきたその異質な“破砕音”は、硬く結合した物体から、乱暴に一部分を取り出した時に、岩盤が感じるような喪失感であった。
『スモモちゃん』との接触には早すぎる、相手が跳躍してくるようなコンディションでないことは明らか——ということは。
瞬きの間もない内の予測と反応の後、振り返ったラファエラの視界に飛び込んできたのは、自身の十倍はあろうかと言うほどの巨岩を頭上に掲げて後ろ脚で屹立したティガレックスの姿だった。
顔の一部が抉られ、鱗の下から細く鮮血の噴き出しているのは、その行為が彼の体にとっての許容範囲を越えているからだろうか、それでも漲る闘志と殺意が滔々と溢れてくるかのようなその出で立ちは、さながら瀕死に追い込まれてなお暴れ続けるラージャンのよう。
浮き出た肋骨、ギチギチに膨れた四肢の筋肉、何より自分を死の淵まで追いやったラファエラを未だ喰らうべき獲物として睨みつけるゾッとするほどの眼光。
深手をものともしない王者の姿に、ラファエラは思い出した。
“荒鍵爪”ティガレックスは、攻撃こそを最大の防御としているモンスターだ。
その破壊力は抜群だが、反面自分のポテンシャルを凌ぐ密度の攻撃を受ければ容易く狩られる側へと転落する。
いくら人類の最高峰に座すハンターとはいえど、ラファエラの数度の攻めで鱗は剥がれ、肉体には穴があいた。
相手がモンスターであればなおのことだろう。
そして、彼らは自然界に生き、生き残ってきた個体だ。
故に、彼らは勝者であり王者であったのだ。
ブオン、と重い風切り音と共に、巨大な影が太陽の光を遮った。
彼らは、死にかけなれている。
自然界の絶対王者たるティガレックスとしてではなく、捕食者たることに挑み続けるティガレックスとして生きてきたのだ。
宙に浮いた赤茶色の岩塊、遠近感覚が狂ったかのような質量感の前に、か弱いラファエラは回避行動以外の選択肢を持たなかった。
急速に近づいてくる大岩、かわすために身を倒すも、平衡感覚の損なわれた体はうまく動かない。
当たる——。
ガリッッ!
全力の跳躍でギリギリ直撃を避けたものの、“
大岩がずうぅんと地面を殴りつけ、しばらく奇妙な沈黙を熱射が照らしていた。
ガシャン、ガシャンと音を立てて“鬼神大銃槍ドラギガン”が地面に転がる。
埃の舞う中で人形のように横たわって動かないラファエラ。
やがて、大岩を投げた反動から立ち直った“荒鉤爪”はむくりと体を起こし、のそりのそりと慎重な足取りでラファエラへと近づいてきた。
静まり返った荒野の真ん中で、二頭と一人は死闘の終幕に近づきつつあった。
◆
捨て身の一撃の反動からいまだ動けずにいる相方を視野に入れながら、『スモモちゃん』は人をはるかに凌駕する巨躯には似合わず、さながら獲物を狩る狡猾なハンターのように、ひっそりと足音を消した接近を続ける。
その姿は、『王者』というより『挑戦者』と称すべき、慎重さと猛りをにおわせた。
銃槍の炎に焼け爛れた肉片がポタリと地面に落ちる。
彼らの距離は十五メートル、十四、十三とだんだんに縮んでいき、やがてその距離が5メートルほどになったところで、ティガレックスは傷ついた四肢にゆっくりと力を込め始めた。
“荒鉤爪”たるシンボルのいくつかを根元から抉り取られていたものの、残りを地面に食い込ませて、静かにゆっくりと息を吸い、
「ゴアアァァァァァァァァッッッ!!」
渾身の裂帛が放たれるのと、ラファエラが耳を塞ぎながら飛び退くのはほぼ同時だった。
“荒鉤爪”の咆哮のキルゾーンから離脱したものの、重い衝撃が体の内部に届いて動きが鈍ったラファエラは、なんとか愛用の銃槍に手を伸ばす。
その隙に、ググッと姿勢を沈めたティガレックスが、体からミシリと音を立てながらラファエラへと飛びかかった。
前転して凶爪をいなすラファエラ。
埃にまみれた白髪がふわりと踊る。
爪と突き出た骨でガリガリと地面を削り勢いを殺した“荒鉤爪”は、地面を殴りつけながら反転してラファエラへと突進を始めた。
その勢いは死力と言うにふさわしく、猛者の進撃に地面が小さく震え、乾いた壁から小石がパラパラと落ちた。
対して、静かに槍を引いて半身の姿勢をとったラファエラは、ティガレックスの一挙動をも見逃さない冷徹な目を離さない。
そこにはそれまでの無意味で茫洋とした赤はなく、純然たる殺意のみがまっすぐに光っている。
殺気を溢れさせる血走った黄金の片目と、余計なものすべてを削ぎ落として透徹した真紅の視線が交差した。
血液混じりの唾液が垂れて、鋭くぎらつく牙が近づく。
銃槍のみを左腕にとって構えるラファエラは動かない。
群青色の鎧に包まれたその身体をボロボロの右腕が叩き伏せようとしたその瞬間、白い尾を引いてラファエラは身を翻し、それでも食らいつこうと伸びた首に、口角を狙って鋭く横振りを当てた。
口の端を切って咆哮や噛みつきのたびにダメージを与える痛覚の強い一撃だが、ぱっと飛び散る血漿にティガレックスは微塵も怯まない。
そのまま飛びずさって離れるラファエラ。
一瞬の交叉の後、“荒鉤爪”は再び勢いを殺して反転し、ラファエラに向かって突進していく。
減速はしない、おそらく噛みつくか、大きな体でぶつかってひき殺す算段なのだろう。
すれ違いざまに一発撃ち込んでみよう。
迎撃姿勢を取ったラファエラ目掛けて、“荒鉤爪”は全く速度を緩めずに突き進んで、
「——っ!」
彼我の距離が二メートルほどになって、ティガレックスは唐突に地面を掴んだ右前脚を刹那の内に異常に肥大させた。
極太の血管が浮き上がり、鱗がピッと跳ね飛ぶ。
ラファエラが回避行動に入った瞬間の動きだ。
読まれていたのだろう。
何をしてくるか。
桁外れの筋力が実現する自分への反動を省みない無理矢理な身体の動かし方は、手足の一挙動、筋肉の伸縮から行動を予見するラファエラにとって非常に厄介なものだった。
とにかく避けるしかない。
ラファエラが銃鎗を縦に構えて身体を隠したところで、張り裂けるほどに筋肉を膨張させたティガレックスは、大地に刺した右腕をブレーキにして、全身を鞭のようにしならせながら横に広がる当て身の一撃を見舞った。
ドッッ!!
大質量の衝突に、ラファエラの身体はいとも容易く宙に飛ばされた。
盾代わりに使った銃鎗では衝撃を殺しきれず、一瞬意識が途切れていたラファエラは、普段モンスターからの攻撃を受け慣れていないせいで、あることに気が付くのが遅れた。
もう一頭の“荒鉤爪”は、『イチゴちゃん』はどこに?
平衡感覚の崩れた世界で、肌に刺さる殺気と直感で、巨岩を持ち上げ投擲する荒技でダウンしていたはずのティガレックスの存在と次の行動を読んだ。
その蒼い爪で獲物を屠る必殺の一撃。
このままなら、防具ごと確実に我が身を二つに切り裂くであろう、会心の一手。
今まで、これまでのハンター人生で、狩りの間は絶対に離すことの無かった左手の銃槍が随分重く感じられる。
それでも空中でしっかりと握り直し、体軸から直角に構えて、受け流しの技術のすべてを以てティガレックスの凶爪を受けた。
二本しか残っていない血塗れの爪が“鬼神大銃槍ドラギガン”の銃身を滑っていく。
それでも流しきれなかった爆発的な勢いがラファエラの身体を簡単に押して、彼女はその身を小山になった岩肌に叩きつけられた。
“鎧裂シリーズ”越しに強打した背中が痛む。
頭にぽろぽろと小石が降ってきた。
衝撃にまた飛びそうになる意識を捕まえて、ぱっと目を開いた。
瞬間、内臓が持ち上がるような異物感と脳をかき乱されるような不快感が襲ってきて、立ち上がることができなかった。
地面に無様に着地したティガレックスが、妄執を感じさせる勢いで振り返り、崖の下で崩れるラファエラを視野に収めた。
グラグラと揺れる視界の中、砂漠の天は高く、こうして地面に膝をついたのはいつ以来だっただろうと記憶の糸をたどった。
そう、あの日だ。
忘れもしない、自分に初めて殺すか殺さないか以外の選択肢を与えてくれたあの日。
昼夜夢に見る走馬燈のような幻の光が流れていく。
ふと、揺れる地面に視線を投げれば、視界の隅にこちらへと迫ってくる『イチゴちゃん』の姿を見つけた。
殺せる。
言葉のない歓喜が漏れ出るかのような突進、そのティガレックスの妄執の籠った接近に、ラファエラは愛おしさすら感じていた。
普段ならその慢心ともとれる油断と隙だらけの単調な直線攻撃に三太刀は入れていただろうけど、今はそんな些末事に意識を割いている場合ではなかった。
この瀕死のティガレックスの目にもまた、自分の姿しか映っていないのだろうとどうでもいいことを考えて、ラファエラはまた一人悦に浸った。
ああ、なんていい日だろう。
どこかで獣のなく声が聞こえた。
遠くへ行ってしまう誰かを引き留めようとする、悲痛な叫び声。
仰ぎ見れば、いつの間にか虹色の円を描いていた日暈があって、珍しいなあと思い、そんな日暈をティガレックスの体が隠した。
それでも、ラファエラの目には燦然と輝く太陽しか見えない。
その瞬間を待ちきれずに漏れ出した快感に押されて、そっと呟く。
「いいよ、来て」
そして、赤黒く染まった青色の死が振り下ろされた。
◆
大質量と速度が集中したエネルギーに大量の血が飛び散り、破裂した頭が骨と脳髄をまき散らせる。
勝利と栄光の下を突き進んで名を成したその身も、死んでしまってはただの肉塊にしかならない。
自然界の生存競争はいつだって熾烈だ、油断も隙も見せてはいけない。
強さとたくましさと、それからずる賢さ、相手を殺すためのすべてをより多くつぎ込めた方が生き残れる。
負けたら最後、勝者の血となり肉となるだけ。
だから言ったのだ。
狩りを始める前に、せめて何か合図をくれと。
“荒鉤爪”、しかも連携度の高い——おそらく番の——二頭を前に、正面から油断しきって突っ込むからこういうバカを見る羽目になるのだ。
俺が。
「し、死ぬかと思った……」
脱力とともに、思わずそんな言葉が漏れた。
そんな俺に、彼女は短く、
「ありがとう、ハル」
「それだけ!? 崖から飛び降りて“荒鉤爪”を上から一撃でぶち殺す偉業を成し遂げた俺への言葉はそれだけ!?」
“真滅笛イブレスノヴァ”を握る両手がまだ震えています。
飛び降りって、自殺するより勇気がいりますね。
「それよりファーラさん、あなたどうして無抵抗に攻撃受け入れようとしてるの? その手に握るガンランスは飾りか何かですか?」
「だってハルが助けてくれるし」
「わあ嬉しいな、信頼の証……」
……さて、仲間の熱いエールも受け取ったところで、死にかけのモンスターでも狩りますか!
よく考えたら、今日まだ何もしてないしね!
◆
そんなこんなでクエストを達成して、ふと砂漠で日暈なんて珍しいこともあるもんだと空を仰ぎ見れば向こうに雨雲が見えて。
ああ、これは激しく一雨きそうだ、この地域の雨季はそろそろかな、とか思って、ふと、クエスト後の大雨って単語に妙な既視感がある。
「……」
案の定、乳首が立っている。防具の下から指を突っ込んで弄ってみる。気持ちいい。
「……」
いい加減にしてほしいな、もう今日はお仕事って気分じゃないんだよな、そう思いつつ振り返ってみれば、岩山の向こうから元気よく走ってくる緑色の悪魔。
「ハル、私、しばらく動けそうにないかも」
そんなことを言いながら、のんきに僕のポーチの回復薬を漁っているG級一位のハンターが一人。
あのね、君には日常の出来事かもしれないけど、僕にしてみれば、イビルジョーなんて大ごとなんですよ。
仕事しない日が一日くらいあっても怒られないよねとか思っていた自分がいました。
泣いていいかな。
◆
イチゴちゃんもスモモちゃんも、最期の一瞬までハンター達を殺し生き残ることに執着していた。
強い闘争心は、どうしてこんなにも綺麗に咲くのだろう。
幻の花びらをかき分けて本当の姿を見せた彼らは、なんと美しく散ったことだろう。
美しい花は美しく摘まれてこそ。
ゾクゾク、と背筋が震え、真紅に喜悦の色が混じる。
「——……なーんて、ね」
舞うように笛を吹く彼と、緑色の愚者。
守られながら見つめるその背中の、なんと愛おしいことか。
G級のハンターは手に持つ武器どころか自分のいる環境の広範囲も自分の体の延長のように感じているのではないでしょうか
更新は続けていく所存ですが、何分書きためもなくリアルが死なない程度に忙しいので、完結するまで相当の日数を要すると思われます。
読者様には申し訳ないのですが、今しばらくお時間を下さいませ。
誤字脱字その他、ご容赦ください。