シャリン!
一際強く鳴らされた神楽鈴の雅な音が、緊張していた戦場の空気を一瞬にして闘争の迸る凛としたものへと変える。
美しい桃色の蓮が花開くように、可憐で清らかな鈴の音は、天へと昇る魂の道を示し、慈悲無き戦の幕開けを告げた。
「ギャア゛ッッ!!」
歴戦のディノバルドが短く吼えた。
爆発した空気の波は、古代林を強く打ちながら広がっていく。
ビリビリと防具を打ち据える咆哮。
割れる静寂、古代林を満たしていた緊張が破壊され、かき乱される。
弱肉強食、自然の因果の前には人の倫理など意味を為さず、ただそこにあるのは闘争のみ。
目の前に立つ敵全てを屠る自然界の王者は、王の座す闘争の頂に侵入してきた愚かな人間を、全力を以て排除し捻り潰さんと、殺意に全身をたぎらせた。
「止めろよ、そんな大声いきなり出されたら、ちびっちゃうだろうが。マジで」
大質量の音を打ち消すように、レオンハルトは“コトノハ”の手元の弦へ指を伸ばし、力強くかき鳴らす。
シャン、リン、トンテンシャン――!
“コトノハ”の鈴へと繋がる機構が動き、細く丈夫な弦とともに優雅な旋律を紡ぎ奏でた。
瞬間、全身を浮遊感が包み込む。
四肢に漲る力強さ、血液が沸騰するかのような興奮、それとは反対に研ぎ澄まされていく神経、鮮明になっていく視野、思考はよりクリアーになり、右肩に担いだ“コトノハ”の発する妖艶で苛烈な戦意に柄を握る両手で応えた。
髪の毛の先から足の爪まで、身体中に張り巡らされた感覚が、古代林に流れる張り詰めた空気を、斬竜ディノバルドの荒々しい呼吸を、その力強き心臓の鼓動を感じ取る。
そして、鋭敏に尖った知覚神経が、四十メートル弱の距離を一跳びで縮めて飛びかかってきたディノバルドの心臓の収縮を、下肢の動きを捉えた。
踏みつけ、からの尻尾による斬撃――!
ドンッッ!!と地面が蹴りつけられて、大質量が宙を跳ぶ。
圧倒的な脚力によってなされる大跳躍。
赤く染まったディノバルドの太ももをレオンハルトの眼前に寄せ、その速度と質量を以てちっぽけなハンターの身体を挽き潰そうとするが、レオンハルトはそれを紙一重の距離で身体を捻って避ける。
狩猟笛を握る手に力を込めながら、大跳躍の勢いを目を見張るような脚部の筋力で殺すディノバルドに振り返ると、シャランシャランと優麗な音を立てる“コトノハ”を斜め上へ振り抜いた。
至近距離の回避によって自然と詰められた彼我の距離。
勢い良く振り回された“コトノハ”が、ディノバルドの脚裏を打ち据える。
ガリッッ!
赤黒い欠片が宙を舞い、鱗がバラバラと地面に落ちた。
“コトノハ”から清らかな水が垂れる。
「いいね、削れる。このまま剥がしてやんよ」
続けざまに“コトノハ”が右へ振られ、大上段に振り下ろされ、また左へと打ち抜かれる。
“コトノハ”の一撃一撃は重く、ディノバルドの堅い甲殻を容赦なく削りとっていく。
「ギャアァッッ!」
ディノバルドは火の粉を吐きながら吼え、足下で好き勝手に暴れる挑戦者を噛み千切らんと、振り向きざまに火炎を帯びた牙をレオンハルトへ迫らせる。
「っ!」
その凶刃をまたも紙一重でかわすと、火の粉を掻き分けて前転したレオンハルトがアクロバティックな動きで身体を切り返し、ディノバルドの膝を打ち、太ももを殴りつけ、赤い喉元を打ち抜いた。
「ギッッ」
ディノバルドの口元から漏れる僅かなうめき声。
レオンハルトは素早く身体を転がしてディノバルドの眼前に躍り出ると、“コトノハ”をゴツゴツとした王者の頭部へ振り回す。
ゴッッ、ガッッ、ゴンッ、ゴリッ、ガッッ!
右へ、左へ、右へ、上から振り下ろし、ぐるんと体軸を回して、下へ伸びた顎を“コトノハ”で打ち抜く。
尖った下顎に衝撃を受け、脳を揺らされたディノバルドが思わず空を仰いだその一瞬で、レオンハルトは狩猟笛の演奏に踏み切った。
シャン、トンテンシャン――!
鈴の旋律が夜の古代林を揺らすと共に、指先の感覚が研ぎ澄まされ、筋肉のない耳殻に力がみなぎった。
“コトノハ”の紡ぎ出した不可視のオーラが、レオンハルトを守らんと防具ごと身体を包む。
瞬間。
「ギャォアァッッ!!」
古代林の空間を破壊するかのような大音量が解き放たれた。
身体の弱い人間が至近距離で食らえば、鼓膜を破られるに止まらず、内臓と頭蓋を破裂させてしまうような破壊力を持ったその咆哮に、しかし、レオンハルトは耳を塞ぐ真似もせず、素早い身のこなしで瞬く間にディノバルドに肉薄した。
狩猟笛に許された特殊な技巧の一つ、演奏は、体力の回復から神経の鋭敏化、
“コトノハ”の流麗な音がもたらす演奏効果の一つ、“高級耳栓”は、モンスターによる音響攻撃を無効化してしまう力を演奏者や仲間に与えるものだ。
憤怒の絶叫を夜空に向けて放ち、ディノバルドが顔面の向きをレオンハルトへと変える。
交錯する憤怒と殺意の視線。
剛き牙の生え揃った凶悪な口から火の粉が漏れ、今度こそレオンハルトを噛み砕かんと迫り、華麗な旋律を戦場に響かせた“コトノハ”がディノバルドの頭蓋を砕き割らんと振り下ろされる。
「ギャッ!?」
果たして、レオンハルトが打ち下ろした“コトノハ”は、ディノバルドの頭を強く殴りつけ、容赦なく地面に打ち下ろした。
ぐらぐらと揺れる視界。
脳に加えられた強烈な衝撃。
いかなディノバルドと言えど、その巨躯に命令を下す最上位機関にダメージを与えられてしまえば、まともに抵抗する
「ほら、隙あり」
ちっぽけで孤独な
右から殴打、左から顎を打ち、回復しないうちに額を強かに殴りつけ、赤熱した喉元をぶち壊すように振り上げた。
それが決定打。
バキッッ!!
割れてしまった喉の甲殻から、シュゴォォォッ!と高熱が漏れ、地面を這う下草を焼き払う。
ディノバルドの口から溢れていた火の粉がかき消え、ディノバルドが身体をかち割られるという痛みと衝撃でようやく意識を覚醒させるが、
「遅い」
目を回していたディノバルドが身を引こうと判断するよりも早く、足下へと回っていたレオンハルトが“コトノハ”をぶん回した。
「ギャア!?」
ギャリリリリッ!と金属音が響き渡り、ディノバルドが悲痛な叫び声を上げて倒れ込んだ。
ディノバルドの太ももを護る異常に硬いはずの甲殻が無惨に剥がされ、下に控える分厚い筋肉を露出させる。
「硬いな。流石は長寿個体。スタミナもありそうだ。もしかしたら、獰猛化個体か?」
ブツブツと独り言を呟くレオンハルトは、身体を止めずに近くの草むらへ駆け込み、自身の胸ほどもある赤くて大きな樽をえっちらおっちらと転がしてきた。
超重量を支える重要な脚部に打撃を加えられ、なんとか立ち上がろうともがくディノバルドの脚に、それは添えられる。
「ダメージはどうか知らないけど、甲殻剥がすならやっぱ爆破だね」
そうして、地面を引っ掻き回し、傷つける
ヒュンッ、と風を切って飛ぶ小石。
赤い樽の上面縁からひょこっと飛び出していた雷管に当たって、大タル爆弾Gの爆発に必要な衝撃が加わった。
弾ける閃光、瞬時に広がっていく熱風。
無音の衝撃の後に、ディノバルドの咆哮をも凌駕するほどの爆音と激震が古代林に走った。