俺は転生者だ。
あの日、俺の乗っていたバスにトラックが突っ込んで来たことで、俺は死んでしまった。
あの日のことは良く覚えている。
母親にせっつかれ、弟の手を引いて俺は近所のゲーム屋に行こうとしていたんだ。
何でも弟がやりたいゲームがあるらしく、ネット通販で買えば良いと思ったんだが外に出る機会だからという両親の意見により、俺が付き添いで着いていくことになった。
久々に外に出た弟の肌は運動部に在籍している訳でもない俺よりも、ずっとずっと白かった。
双子であるにもかかわらず、弟は俺よりずっと細く小さく見えた。
身長はあまり変わらないのに、猫のように曲げて落ち込んだ背中に俯いた顔が俺にそんな印象を与えたのだろうか。
弟がひきこもった理由はわからない。
いじめがあったのか、少し探ってみたがそんな風でもない。
だが何かのきっかけで、人が通る度に俺の後ろに隠れて、目深に被ったパーカーのフードを更に深くしてみせるのだろう。
おどおどとした目。
家の中で母親や俺、時には父親にすら怒鳴り散らす姿はまるで感じさせない。
――いつからこんな風になったのだろうか。
俺と比べて、特に違った何かを受けて育ったわけでもない。
兄弟仲が悪かった訳でも、家族仲が悪かった訳でも、ないと俺は思う。
むしろ兄である俺の方が劣等生で、それなりに弟はなんでもそつなくこなしていた。
弟に何が起きて、弟がひきこもる様な事になったのかはわからない。
だが俺が何をしなかったかはわかる。
俺は――俺は弟に向き合おうとしなかった。
口うるさく罵られても、時に手を上げようとしても、俺はそうだなと適当にあしらって来た。
子供の時のように、俺は真っ向から弟に対立する事もなく、俺は弟から逃げていた。
深く関わるのが怖かった。
自分の所為で弟が現状から更に下に落ち込んでしまうのが怖かった。
だから俺は弟の好きなようにさせて、俺のやらないを弟の為にという言葉に都合よく置き換えて、俺自身に言い訳をしていた。
ただ弟の苦しみを受け止める度胸がなかっただけだというのに。
俺は兄として失格だ。
だから俺は、光に出会った時、強く望んだ。
――目の前の問題から逃げずに、物事を向上させようと努力できる精神力――俺は心の強さが欲しかった。
光が消えて、次に俺の眼に映ったのはぼんやりした月の光だった。
女の人が、俺ともう一人赤子を抱えて夜を走っている。
そしてとある建物の前に俺ともう一人を置き、ごめんごめんと謝罪を繰り返して、女の人は走り去っていった。
目の前には赤子がいる。
朱い右目と蒼い左目の、白い髪の赤子が。
色の違う双眸には間違いなく理性の光が宿っている。
そこで俺は確信した。
目の前に居るのは弟だと。
あの時、一緒にバス事故にあった双子の弟だと。
弟がちらりと俺の方を向く。
とっさに俺はわんわん泣きだしてみた。
鬱陶しそうな光が眼に宿った。
――俺の声を聞いて、建物から老人が出てきた。
建物は孤児院らしく、老人は院長だった。
その小さな孤児院で、俺と弟は育った。
俺の黒目黒髪とは違う、異質な弟の容貌に弟は孤児院でいじめられた。
だがまるで気にした様子もなく、弟は鼻で笑うばかりだ。
めんどうだ、と斬り捨てるだけ。
この心の強さを前世でも持ってほしかったの願ってしまった俺は、やはり逃げていた昔の自分から変わっていないからなのだろうか。
そして俺と弟が5歳になった日、弟は煙のように消え去って、いつまで経っても帰ってこなかった。
弟はどこに居るのか。
幼い身ながらも、今度は逃げまいと、俺は麻帆良というこの地を必死にかけづり回った。
だが――結局弟は見つからなかった。
朝から食事もとらずに捜し歩いた俺は、なんともいえぬ自分の無力さにうなだれていた。
そこにぷんと良い香りが漂ってきた。
無力感は空腹感に変わり、俺の腹が大きくなった。
それに気付いてか、匂いの発信元である屋台から一人の男の人が出てきた。
大学生くらいだろうか。
20代の男は俺に気付くと、軽く手招きした。
ラーメン食ってくか、という言葉とともに。
「おいしい」
俺の口から素直に洩れた言葉だった。
その言葉に男は笑い、俺が食べるのを促す。
麺を食べ終えた頃だろうか。
男は唐突に、俺に問いかけた。
「弟さん、見つかったか?」
俺ははっとして顔を見上げると、そこには煙草に火をつけようとしている男の顔。
訳がわからなかった。
「なんで……そう、思うの」
子供らしく、だが抑えきれない疑問を口いっぱいに、俺は男に問いかけた。
「俺は何でもわかるんだよ」
「そんなわけないじゃないか」
「そーなんだよ。俺はありとあらゆる答えがわかるのさ」
けたけたと喉を鳴らして男は答える。
冗談――なのだろうか。
だとしても、俺の現状を男は良い当てた。
院長先生が警察に知らせて、それでテレビで流したのだろうか?
いや、そんな個人情報と不安を煽るような事はテレビで流したりはしないだろう。
占いか、メンタリズムか、だがどちらにせよ良い機会だとすれば――。
「ねぇ、僕は弟と会えるの?」
「んくっく、そうくるか。ああ、会えるとも」
「いつ?」
「大人になったら会えるんじゃないか」
「大人っていつ?」
「……大人だ」
「お兄さんは全部の答えがわかるんだよね? 僕はいつ弟に会えるの?」
男は俺の言葉に押し黙ると、くしゃくしゃっと俺の頭を撫でた。
「2003年1月14日、君の弟は麻帆良女子中等部2-Aの副担任になるだろう。それまでは多分会えないな」
今から考えて……大体二十年後。
本当に会えるんだろうか?
しかも副担任。
つまり教員免許を取って真っ当に大人になっているってこと。
だったら俺も真面目に勉強して働いて、恥ずかしくない俺として弟に会おう。
そして昔のことを、俺の自己満足かもしれないけれど謝ろう。
そう思った矢先、男は言葉をつづけた。
「だが君の弟はひどく強い力に酔っている。自分がこの世界の中心に居る人間だと信じている。常識では測りきれない力を使い、際限なく溢れだす欲望に身を染めている」
「どーゆーこと?」
「世の中には君の知らないことが沢山あるってことさ」
そう言って男はぴっと指をさす。
大きな、大きな木があった。
「あんな木、普通ないだろう。それにもう少ししたらピカピカ光るらしい」
「イルミネーション?」
「いや、あの木自体が光るらしいさ」
世界樹という名前の凄い木だと……そういえば弟が言っていた気がする。
発光がだの、22年周期だの。
「君は、弟にどうなって欲しいんだい」
男は俺に問いかけてくる。
正直、さっき男が言った言葉はまるでわからない。
弟が帰ってくるかもしれないという言葉も、信じられるものではない。
だけど――もう逃げないと、あの光の前で俺は誓った。
弟からも、どんな困難からも、逃げずに立ち向かう努力をすると、俺は誓ったんだ。
その結果どんなことが起きようとも受け入れる覚悟を俺はしたんだ。
「俺は、弟とまた遊びたい。昔みたいに、仲良かった頃みたいに、笑いあって遊びたいだけだよ」
俺の言葉にもう一度男は俺の頭を撫でる。
「そうか、だったら強くなると良い。精神的にも、物理的にも、兄として弟を受け止められるくらいに」
「うん」
「あとはそうだな……仲間を探せ」
「仲間?」
「剣持てぬ英雄、星の担い手、暗き万華鏡、慈愛の鬼神、RPGみたいだろ」
「……これは絶対に嘘でしょ」
「ホントだ。さっきも言ったが俺は全ての答えがわかるんさ。まぁこの四人を連れて来たら、世界で一番カッコイイ賢者である俺が仲間になっちゃうぜ」
そう言って男は笑う。
「ま、今度は逃げずにやってみな」
男の言葉に俺がぎょっとした視線を向けると、男はとっとと店じまいを始めて俺を追い出した。
屋台をがらがら引っ張っていく男の背中を見つめながら、俺は――。
男の言葉とは関係なく、弟と再び笑いあうために、強くなる覚悟を決めたのだ。
今度は絶対に、逃げることのないように。