最初にその人に会って俺が抱いた印象は――変わった人だということ。
「え~、今日から同じ職場で働くことになった天津神零児くんだ」
新田先生からそう紹介された風貌は、男の名前に反してひどく女っぽいものだった。
朱の右目と蒼の左目の顔は美女と見間違わんばかりで、腰まである純白の髪がその認識を加速させる。
声も男にすれば高い部類で、知らされていなければ本当に女だと勘違いするほどだろう。
だが同時期に赴任してきた瀬流彦先生が綺麗な人だ、といった途端すごい顔で睨んできた――俺は男だと。
ならば髪を切ればいいように思うが――何かこだわりでもあるのだろう。
故に、そんな天津神先生のことを俺は変わった人だなと感じた。
――彼は俺と同じく社会科教師らしい。
職員室での紹介が終わった後、新田先生は俺の方へ彼を伴なってやって来た。
そして申し訳なさそうな顔で俺に言う。
「範馬先生、すまないが君の授業の際に彼と一緒に教鞭をとってもらえないだろうか」
不思議な内容の話に俺は首を傾げていたに違いない。
俺に限らず麻帆良中等部に詰める教員の多くが、彼は優秀で信頼に足る人材だと学園長から聞かされていた。
だというにそんな申し出――良く意味がわからない。
だが教師になってからだけではなく、俺が麻帆良学園に通う生徒だった頃からお世話になった新田先生に頼まれて嫌とはいえない。
むしろ俺を信頼して頼ってくれているようで嬉しいのだ。
ふたつ返事で頷くと、新田先生は胸をなでおろして俺の肩を叩いた。
「範馬です。まだまだ若輩者ですがよろしくお願いします、天津神先生」
ぺこりと頭を下げて天津神先生に挨拶する。
フランクな声が下げた俺の頭頂部に俺に投げかけられた。
「おぅ、よろしく。てかめんどーだし敬語とかいらねーぞ」
「はぁ、そうですか……いや、ですがケジメですので」
「ふ~ん――ちなみに何歳?」
「24歳になりますが」
「マジか、年下じゃん。ハハッ、ホント敬語とか気にしねーから、俺そんなくだらねーもんに囚われねーし。もっと仲良くいこうぜ」
「……はぁ、そうですか」
ぽかんとあいた口で不抜けた返事を返してしまったと思う。
頭の中に疑問符が浮かぶが、けたけたと楽しげに笑って俺の目を見る天津神先生は、きっと悪い人ではないはず。
何でも長い間外国で暮らしていたらしいし、外国人の人は敬語を使うのが苦手だと聞いたことがある。
彼の人種自体は日本人だが、天津神先生もその類いなのだろう。
「範馬先生、一限目はちょうど2-Aでの授業でしたよね? よろしければご一緒にお願いしたいのですが」
「はい、それはもちろん」
凛とした声が俺にかけられる。
スーツに着られている俺とは違い、黒いスーツを着こなした星野先生は俺の返答を確認すると、クラス名簿を持ってきびきびと歩いていく。
相変わらず仕事の出来る女、といった感じだ。
バリバリ働き生徒の相談も親身に受ける彼女の姿に――俺は個人的に憧れている。
故に孕ませたい――などという腐った結論に至る訳ではないのだが。
こんな教師になりたい、という目標のひとつであることは間違いない。
――出会って一時間と経っていないが、やはり天津神先生は変わった人、というイメージが俺の中で出来始めている。
2-Aの教室前に着くと星野先生は、なにか言いたげな天津神先生を廊下で待たせて後ろ側の扉から教室へと入った。
前側の扉に仕掛けられていた黒板消しなどによるイタズラは華麗にスルーし、突然の来訪者に呆気に取られている生徒たちの脇を抜け教壇に立つとまずギロリ、チャイム前で席に座っておらず、思い思いに話していた生徒たちを睨みつけた。
その視線ひとつで教室が動く。
まずイタズラを仕掛けた生徒たちがそそくさと撤去をはじめ、次に残りの生徒たちが席に着き星野先生に視線を集める。
星野先生がこのクラスの副担任に就任したのは冬休み明けから――つまり一週間ほど前から。
だというの既にこの状況――学年の中でも特にお祭り騒ぎが好きなこのクラスで――というのだからすさまじい手腕だ。
教室の後ろに立って見渡すようにしてみるが――やはり憧れる。
俺は生徒たちにどこか舐められているのか、プラスに考えれば慕われているからか、授業中でも急に話しかけられたりする。
だが最近はそんな彼女たちをなんとかあしらえるようになったのは、大きな教師としての前進だと感じている。
「星野先生、今日は少し早いようですが何かあったのですか? 範馬先生も来られているようですし、まだ授業開始までには時間があると思うのですが」
丁寧な言葉遣いでクラス委員長でもある雪広さんは星野先生に尋ねる。
彼女の問いかけにビシッとしていた表情を穏やかに緩ませると、イタズラを撤去し終えて入れるようになった教室前側の扉を開けた。
「先日言った通り、三人目の副担任がこのクラスに就くことは聞いているな。今日からその先生が来てくれることになったので、みんな良くやるように」
星野先生の言葉が終わると、教室に天津神先生が少し難しい顔をしながら入って来た。
――あの表情は恐らく緊張からだろう。
俺も初めての授業の時は非常に緊張した。
がちがちに凝り固まった俺の顔は、無理に笑おうとしていてもひきつっており、教室に入った瞬間ひぃと短い悲鳴を上げられたのは良く覚えている。
それほどまでに、はじめての会合というものは楽しみでもあるのだが、それ以上に恐いものだ。
「今日から副担任をさせてもらうことになった天津神零児だ。めんどくせーがよろしく頼むぜ」
瞬間、星野先生が両耳を押さえる仕草を取った。
黄色い声が教室中から噴き上がった。
その主だったものが――美人だとか、綺麗だとか、顔が小さいだとか、そんな類いのものだった。
そんな発言に天津神先生は憤慨したかのように吠えた。
「俺は男だっつーの! どいつもこいつも女扱いしやがって……お前ら少し、頭冷やそうか」
低い声で、威圧感たっぷりに教室全体を見つめる天津神先生に――生徒たちはまた黄色い声を上げた。
すごいな、ほんの少しのやり取りで生徒たちとの距離をぐっと縮めた。
このクラスがお祭り好きというのもあってこそかもしれないが――故にこそさっきのような対応をしたのか?
だとすれば、この人は本当に学園長の言った通りに優秀な人なのだろう。
星野先生は怪訝な視線を天津神先生に投げかけているが。
「天津神先生への質問は私が代表させて貰うよっ」
そう名乗りを上げたのは新聞部に所属する朝倉さん。
無秩序に質問がわさわさ教室が飛ぶ中、メモ帳を片手にぐぐいっと天津神先生に詰め寄った。
「朝倉、次は範馬先生の授業があるからな、押し込まんようにだけは気を付けろ。それと今日の朝の連絡はそれくらいだ」
ぴしっと伝える星野先生の言葉に、天津神先生は朝倉さんから彼女へと視線を移した。
「別に一時間くらい質問タイムでも良くねーか? このクラスの副担任になる訳だし、仲良くなるのにこしたことはねーだろ」
天津神先生の言葉に米神を押さえる星野先生。
「常識と今の時期を考慮してください」
疲れたような表情を浮かべて、星野先生は朝倉さんへと視線を投げつける。
すると朝倉さんがどんどんと天津神先生へと質問を始めた。
――質問の時間を長くとることは、特に悪いことだと俺は思わない。
このクラスが一年生の時から副担任を務めている源先生や、同じく一年生の時からずっとこのクラスの授業を受け持ち、源先生が忙しい時には駆り出されることが多かった星野先生と、今日来たばかりの天津神先生とでは生徒たちと触れ合った時間が違うのだ。
副担任になるならば深く彼女たちのことを理解しておく必要があるだろう。
ならば親交を深めるためにも、悪い選択肢では決してない。
だが星野先生がそれを是としなかったのは――俺のためだ。
三年目とはいえまだまだ俺は若輩者。
ようよう一年間の授業構成通りに運べるようになって来たが、それでもいっぱいいっぱいだ。
もし俺の担当する授業を一時間潰して質問の時間にあてたならば、きっと俺は学期末までにテスト範囲を終わらせることが出来なくなってしまうだろう。
無論、プリントなどで補完しようと努力はするだろうが、授業で教えるということは不可能だ。
そして結局新田先生か星野先生かに頼み込み、授業時間を分けてもらうことになる――これまでがそうだった。
新田先生と星野先生はあらかじめ俺のような若輩教師のそんな事態にも対応できるように授業日程を組んでいる。
だがいつまでも頼りきりというのは歯痒く、気分の良いものではない。
そんな俺の気持ちを、恐らく星野先生は知っている。
だから気を効かせて、自分を悪者にして星野先生はそんな事を言ってくれたのだ。
本当に頭が上がらない。
――そうこう考えているうちに天津神先生への質問はどんどん進む。
出身、年齢、好きな食べ物などなどと。
「じゃあ時間的に最後の質問ですけど、このクラスの中で誰が一番好みですか?」
時計を確認した朝倉さんは、これまで以上にぐぐいと天津神先生に詰め寄って尋ねる。
――このような異性関係の質問は必ず、ちょうど恋愛沙汰に興味深々なこの年代からは持って来られる質問だ。
故に、俺たち教師は様々な場面で教えられる。
教師は誰にでも平等で中立であらねばならない。
故に、誰か特定の生徒を特別視している、などとは口が裂けても言ってはいけない。
故に、適当に煙に巻いてごまかして流すのが普通なのだが――
「容姿だけの好みでよければエヴァと長谷川、それと君かな」
ニコッと擬音でも背後に付きそうな笑みを浮かべて天津神先生は指定した。
この瞬間、俺の中で天津神先生は変わった人、という大きなイメージが完全に固定化された。
――今から俺のやろうとしていることは、ひどく失礼なことだということはわかっている。
だが俺にはそれでもやらねばならない時がある。
さすが英雄候補の俺、越えるべき試練が目の前に現れる。
だからこの試練を越えた時、また一歩俺は彼女の英雄として大きく成長できるに違いない。
踏ん張れ俺、頑張れ俺。
妄想は頭の中で固まっている。
元々俺が王の財宝を望んだのだって、彼のあの姿に憧れたからだし。
傲慢不遜で、やりたい放題で、そんな我が儘を通すだけの力を持っている。
――俺はあの黄金の王に憧れた。
誰に対しても、どんな状況でも、自分の矜持を崩さず揺るがさず貫き通したあの背中が、俺には気高いものに見えた。
だから俺は今日、これから会う人に不快な思いを与えたとしても、他の誰にどう思われて、他の誰の前でどんなにかっこ悪くても――彼女の前では英雄で在るために、俺は俺のやるべきことを成す。
時間は17時45分、場所は喫茶イグドラシル。
冬の冷たい風が骨身にしみるが構わず座ったテラスの机で、俺はじっと彼を待つのだ。
――来た。
前見たときとは違う作業服姿だが、確かにあの時俺が記憶処理の呪文を施した男だ。
それによく見れば毎朝俺が英雄となるべく頑張ってるジョギングの時にすれ違う人じゃねぇか。
なんて言うか、妙な縁だよなぁ。
「すまない、仕事帰りに急いで来たから作業服姿なんだ。こんな恰好で本当に申し訳ない」
小さく頭を下げて、駆け寄るように作業着姿の男は近付いてきた。
――あ、ヤバい、スゲー良い人だ。
年下の俺に気まで使ってくれちゃって、ホントに悪かったと頭まで下げてくれてる。
こっ、心苦しいっ! これから俺がやろうとしていることを考えると――胃が痛くなるっ!
だが、だがだがだがしかし! 俺はやらねばならない。
それが何より俺のためでもあり、きっとこの人のためにもなる――はずだ。
息を大きく吸って、吐く、吸って、吐く。
心を静めて、出来るだけ傲慢不遜に身勝手に――俺は妄想を具現化する。
「ほぅ、我を待たせるとは何様のつもりだ?」
作業着の男は引いた椅子に座るのも忘れて、棒のように立ちつくしていた。
俺は構わず続ける。
「元来貴様のような下郎が我の前に立つということだけでも身に余る光栄だと咽び泣くべきだというのに――気に食わんな」
まだ反応も返答もない。
「王たる我の御前だというにその不遜な態度……良かろう、貴様は我が直々に裁いてくれるわっ」
ぬっと俺が立ちあがった時、作業着の男は再起動した。
戒めるような厳しい視線で俺を見つめ、やさしい口調ながらに苦言を呈した。
「初対面の俺がこんなことを言うのはなんだけど、目上の人の前でそんな言葉づかいと態度は止めた方が良い。きっと社会に出たら君自身が苦労することになるよ」
そんな彼の態度に、とりあえず俺は額を膝にぶつけんばかりの勢いで頭を下げた。
「すいませんでした!」
あれから何度となく頭を下げて、前世もあわせて間違いなく一番謝罪したというくらいに謝罪して、俺と作業着の男――天津神一人さんは向かい合うようにして椅子に座っている。
幸い天津神さんは凄く、という強調詞が重ねて付くほどに良い人で、俺のことも――まぁ本心はわからないが、最低でも向かい合って話をするまでには――許してくれた。
ここで嫌われたら何にもならないのだ。
もしかしたら俺は世界をひっくり返すような存在と出会ったのかもしれないのだから。
うむ、なんだかこの表現は非常に英雄らしいな。
俺の冒険譚だって書けるんじゃないか?
「それで田中くん、ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど構わないかな?」
「もちろんです天津神さん。なんでも、もうなんでも聞いちゃってください!」
天津神さんの言葉に、俺は全力の笑顔で答える。
今なら擂鉢と擂粉木がなくても胡麻がすれるような気がするな。
天津神さんは口に手を当てて、考え込むように眉間に皺を寄せた。
そしてぽつぽつと慎重に選ぶようにして、文章を作り上げていった。
「この世界には俺の知らないことがたくさんあって、田中くんや俺の弟は俺の知らない世界でも生きているんだよね」
「そうですね、この世界ではまるでファンタジー小説みたいな出来事が起きていたりします。あの日、天津神さんが見た狼も現実のもので、もちろん俺が持っていた剣も、一緒に居た人たちが持っていた日本刀も銃も本物ですよ」
俺の返答に天津神さんは眉間の皺を更に濃くする。
まぁ信じられないよな。
俺だって前世で実は魔法があったんです! とか急に言われても本気で信じないし。
この世界は魔法があるものだ、と俺が確信しているからこそ、魔法があるだの魔法先生がいるだのということもすんなり理解した――というより確認できた訳だ。
実際にその目で見たとしても夢かな、と思って下手に追求しないのが普通だと俺は思う。
わざわざ怪我すること請け合いな事象を探りに行く人はきっと馬鹿だけだ。
「……つまり生まれた時から特別な力を持っている人が君のいる世界の住人な訳かな」
「いえ、先天的に決まるものもありますけど後天的に訓練してこっちの世界に入ってくる人もいますよ。俺の師匠は15歳で魔法を知ってこっちに入って来たらしいですし」
――なんというか変な質問だな。
いや、聞く内容がずれている訳じゃないが、このタイミングで聞くようなことなのか?
生まれつき、生まれたとき――カマかけてみるか。
「でも生まれる前に光から問いかけを受ける場合もあるらしいですよ」
俺がそう言った瞬間、天津神さんはぎょっとした顔で俺を見つめた。
理解した、この人転生者だわ。
もしかしたらそうかもしれないと思って我様っぽくふるまってみたんだが、よく考えればあの人を知らない人もいるわな。
それは俺のうっかり――もとい慢心だ。
俺の容姿と言動なら気付く人は絶対に気付くという俺の慢心だな――うん、英雄っぽいぞ。
ちなみに天津神さんが転生者かもしれないと思ったのは天津神零児とかいう名前の男女のせい。
あれに会ったとき、俺はあれが転生者だと確信した。
どう考えても、どう考えてもそうとしか取れない容姿に言動。
更に元紅き翼で賞金首と来ればこれは間違いないっしょ。
鉛筆の芯がバキッと折れるように当然のことだろ、天津神さんは浩次とか呼んでたし。
――それよりも問題なのはあれが恐らく神様転生、チートな俺tueee、身勝手ハーレム願望、正義の魔法使いアンチ、と四重苦なことだ。
確実に前世の俺ならプラウザバック対象だぞ――俺も神様転生のようなものでチートな道具は持ってるけどさ。
だが俺は頭ごなしに人格否定するような社会不適合者じゃないはず。
とにかく俺が危惧しているのは、あれがテンプレ主人公みたいに英雄という地位と、それに見合うだけの実力と、妙な思想を持ち合せているということ。
下手をするとこの世界の根幹からひっくり返されちまう。
――それは困る。
俺はこの世界で英雄となると決めたんだ。
あの子だけの、あの子のための英雄となると。
だが今の俺などあれにとっては風の前の塵に同じ。
故に、俺は打算の下に天津神さんと話し合いの機会を持とうとした。
もしあれが超の前に立ったとき、俺があれの前に立ち塞がれるように。
さて、食い入るようにして俺を見つめる天津神さんに、俺は何から話したものか。
とりあえずは――
「天津神さんって転生者ですよね」
軽くジャブからいこうか。
次から本編です。
その前にキャラが多いので簡易人物紹介を入れます。