転生者についての考察   作:すぷりんがるど

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更新が非常に遅くなってしまい、申し訳ありません。
あと数羽でこの物語も簡潔となりますが、そこまでお付き合いいただければ嬉しく思います。


考察その31~黒い鎖~

 分厚い手の平を貫き、この世界に生を受けて初めて感じた『痛み』に範馬は顔を歪ませた。微かな息遣いを背中で感じながら、肉厚の瞼に押し込められた眼球は淀むことなく目の前の白髪を注視する。天津神零児――この男を見ると範馬はいつも、どうしようもなく胸の奥底から湧き上がる凶暴なうねりを感じさせられていた。しかし今はそのような感情に流されて良い状況ではない。チタン合金のような歯で噛みつぶしながら、冷静を装って口を開いた。

 

「天津神先生、何をされているんですか?」

「――退けよ」

 

 ぎしり。女のように細い彼の指と範馬の手の中で、きしむ音が奏でられたのを確かに聞いた。噛み合わせた歯に力がこもる。少しでも気を抜けば押し返されてしまいそうな力の均衡。この身体を持って生まれてしまったが故に二度と起きることはないと諦めていた現象に、範馬は――

 

「あぁ? なに笑ってやがんだ、テメェは」

「へっ? あ、いや……そんなつもりは」

 

 まとまり切らない、とっさの言葉で零児に対応する。だが突きつけられた眼差しは冷酷な現実を塗りつけるかのように、範馬にその事実をねじ込ませていた。この場に鏡があれば、きっといま歓喜にうち震えている自分の表情を見ることが出来るのだろう――そう、容易に想像させてしまうのだと。

 

 範馬は目の前の零児と同じく転生者だ。そしてこの身体でこの世界に生を受ける前は格闘技観戦か趣味で、自分自身も空手を嗜むただの一般人だった。才能があった訳ではない。今のような強靭すぎる肉体に恵まれていた訳でもない。空手というものが好きで、少しずつ強く、逞しくなっていく自分が嬉しいただの凡人だった。

 

 だが転生する際――自分に絶望しきってしまうほど思いつめてはいないが――地上最強の生物としての肉体を望んでしまったばかりに、強くなっていく嬉しさを無くしていた。同時に、持ってしまった力のぶつけ先も。

 範馬の転生する際に抱いた思考は決して間違ったものではないだろう。男なら誰しも一度は夢見る地上最強。強く在る――なんの小細工もなしに、純粋な肉体のみで、何よりも強く在る。そんなちっぽけな男の夢を望んだだけだ。

 

 故に、範馬は孤独だった。

 優しく愛おしい母親、自分を受け入れてくれた新しい父親、その間に生まれた大切にしたい幼い妹。転生する前と変わらず温厚で寛大な性格の彼には友人も多い。職場でも尊敬する上司にも恵まれた。

 

 ――それでも男は孤独だった。

 前世と変わらず格闘技観戦をする時、友人がスポーツに励んでいた時、生徒が部活動に青春を捧げていた時、範馬はいつもこの肉体を呪った。その場に立つことのできない悔しさと、望んでしまった浅はかな思考とに、身を焦がされるような想いだった。

あの時、あの瞬間、範馬は捨ててしまったのだ。強くなっていく喜びも、積み重ね輝く努力も、その果てにある勝利という名の王冠も。他の誰のせいでもなく自分の手で、範馬はそれらをごみ箱に投げ捨てた。

 だがもう範馬は子供ではない――諦めたのだ。渦巻く本能と感情に理性で蓋をして、このまま一生終えていくのだと思っていた――それで良いと。

 

 けれども今は違う。流れる白髪、宝石のような朱と蒼の双眸、絶世の美女の皮をかぶった目の前の男になら――自分と同じようなバケモノとならば、捨て去ったはずのモノが取り戻せるかもしれない。初めて零児を見た瞬間抱いた、それでも不用意に喧嘩を吹っ掛ける訳にはいかないと自制した想いが、湯水のように湧き上がってきていた。

後ろにいるうさぎはズタボロで気を失っている。今なら――そう、今ならば。

 

「……テメェ」

 

 零児の拳を包み込んだ右手に力がこもる。だらんと垂れ下がっていた左腕は徐々に持ち上がり、結びあわされた指により強固なハンマーが作り出されていく。

 

「ハハッ! イイぜ、雑魚ばかりで飽き飽きしてたんだ。英雄様の道を阻むには中ボスぐらいは必要だよなァッ!」

 

 目には見えない苛烈な気迫が零児の身体から噴き出すのを肌で感じる。ひしひしとした緊張感――前の世の空手の試合の折のような――それとは比べ物にならないほど大きな威圧感。本能が喚起し、肉体が狂喜乱舞する。

 零児の眼はこの場に駆け付けた時と変わらず、ツンドラのように冷たかった。されどその奥で地獄の釜のような強烈な熱気が渦巻いているのを範馬は感じ取った。眉がつり上がり、眉間にしわが寄り、薄い唇から言葉がこぼれた。

 

「くだらねぇ、人形世界の哀れな人形が、クソのような道化が……壊れろよ」

 

 黒く深い呪詛に満ち満ちた音を皮切りに、剛腕と豪腕が交差した。

 片や地上最強の生物という存在に裏打ちされ猛り、片や『千の刃』に匹敵する膂力を『千の呪文の男』を越えるやもしれない魔力によって強化され唸る拳は、双方防御など考えもせずかっぽりと空いた腹に着弾した。

 石畳が薄氷のように割れる。衝突によって生み出された衝撃が気絶したうさぎをごろごろ転がしてゆく。幾万という爆竹が破裂したかのような音が響き渡る。

 やがて砕けた瓦礫が地面に落ち、うさぎの身体が壁にぶつかり動きを止めた頃、かはっという呼気がどちらからともなく発せられた。

 

「天津神先生、あなたは星野先生を傷つけた」

 

 腹を沸騰させるような痛みとごうごうと燃える業火のような頭で、範馬はそう切り出した。

 

「女の人は傷つけてはだめだ。女の人は子供を産む……星野先生は嫁入り前の大事な身体で、いつか会う旦那さんのために大切にしなきゃならないんだ」

 

 零児の手は握ったまま、突き出した拳はまだ腹に触れたまま、矢次に言葉を紡ぐ。

 

「だから俺はあなたを謝らせる。星野先生に、謝罪の言葉を言わせるまで、俺は――」

「ハッ! 取り繕ッてんじゃねェよ」

 

 焦るように滑らせていた言葉を嘲笑う声。掴んでいた零児の拳が前へ前へと進もうとする。先ほどより更に濃く、更に強く、練られていく気と魔力。巨漢の範馬より下にある零児の顔は嘲るような表情に彩られ、見下すような視線とともに吐き捨てた。

 

「振いたかっただけだろうがッ! 誰にも咎められることもなくテメェがテメェ自身の暴力をッ!」

「おっ、俺はっ――」

「イイじゃねェか……イイじゃねェか! それの何が悪いッ! 流石は中ボス、イイ子ちゃんばかりの人形とは一味違うって訳だ」

 

 否定の言葉は霞の如く消え、巨大な疑問が燃えたぎっていた思考を冷やしていく。

 

「力を持った! 誰にも負けねェ、縛られることもねェ、俺の力だッ! 思うがままに生きて何が悪い! 所詮人形だろうがッ!」

 

 ――違う。そう言いたくて、そう言うことができない。この滾るような欲望をぶつけたい訳じゃないのならば――なぜ、傷だらけのうさぎを助けようとしなかったのかと。疑問が思考を奪い去っていく。

 

「ほォら、隙だらけだ」

 

 めりぃと拳が範馬の顔面に突き刺さる。握った手は力なく離れ、二転三転、地面を転がって行った。仰向けに倒れ伏し、広がる視界の彼方、無機質な太陽が昼の光を注いでいる。

 

「踏み台はしょせん踏み台か……めんどくせェ野郎だったが、まァ久々に全力で叩き込めるサンドバッグだったぜィ」

 

 ケタケタと嗤い、悠然と歩を進める零児に範馬は身体が動かなかった――否、動かすことができなかった。地上最強の生物としての肉体と本能は、いまだ少しも緩むことなく、むしろ加速するように範馬を駆り立てようとする。動かせないのは精神だ。黒い自己嫌悪の波にのまれていく。

 何だったんだ――自分は何だったんだ――絡め捕るような己の弱さは鎖のように範馬を地面に縫い付けた。誰にも明かしたことのない、誰に明かすこともできない自分の本心に、零児の声が楔の如く打ちこまれる。抗うことのできない自分の業。そんなどす黒い欲望に罅を入れたのは――

 

「範馬さんッ!」

 

 写輪の少女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 消沈し、ぐたりと石畳に張り付いていた巨漢の男は、か細い少女の声が零児自身の耳にはいるかはいらないか、という絶妙なタイミングでがばりと身を起こした。野獣のようなその両眼から、鋭い視線が縛りつけるような意志とともに投げ込まれてくる。とっさに歩みを止めて、零児はにやりと口角を持ち上げた。

 

「中ボスはやっぱりこうでねェとなァ」

 

 茶化すように口笛を奏で、ゆっくりと立ち上がる男――範馬を零児は見つめていた。

がこっ。何かが砕け散る音がして、零児の視界から範馬の姿がかき消えた。筋肉に覆われた脚があった所には砕けた石畳。無残なその様子にまた少し口角を持ち上げて、零児はのんびりと視線を後方へと移していく。

 美しい街並みが無残に汚れた麻帆良の中、あたりより少しだけ背の高い建物の上。右腕にうさぎを、左腕に先ほど声をあげた黒髪の小さな――というより痩せた少女を抱えて範馬は立っていた。消沈しかけていた気迫は再び盛り返し、しかし先ほどのように暴力的な気配は顔を潜め、いつも麻帆良女子中等部の職員室で会う際の範馬の雰囲気を零児は感じ取った。

 

「内田さん、助かりました」

 

 いささか距離が離れているが、低く良く通る範馬の声が零児の耳に飛び込んでくる。どうやら抱えた腕から下ろした少女は内田という名前らしい。そして恐らく彼女も、この状況から顧みるに転生者だろう。

 

「範馬さん……」

「すいません、でももう大丈夫ですから」

 

 つり上がっていた口角は垂れ下がっていく。うさぎをそっとその場に寝かせ、範馬はまた体重を預けた足場を砕いて零児と水平な石畳の上へと降り立った。いつもと変わらぬ――見た目は鬼神、中身はチワワと麻帆良の人々に囁かれる範馬としての姿で。

 

 零児はちらり、離れた建物の上から怯えたような視線を送ってくる少女に視線をやった。そこにふと既視感を感じた。どこかで見たことのあるような、ムズかゆい感覚。だが距離を詰めてくる範馬の手前、気を抜きすぎることが出来ず、とりあえず回転させた脳裏から引き揚げられなかった少女の記憶はなかったモノとして断定し、切り捨てた。

 

「天津神先生、もう一度お聞きします。何故星野先生に対して暴力を振るったんですか?」

「人形だからだよ」

 

 こちらに歩み寄ってくる範馬に短く返し、零児は腹に力を込めた。

 胸に走った衝撃は十年来、零児が英雄と称させる戦争が終わってから感じたことのない強さを持っていた。目の前の男は先ほどの魔法使い――星野うさぎとは一味違う。例えるならば帝国の、龍樹以上の存在感を人側に内包した存在だ。初めて目にした時から解っていた。アレは普通にこの世に生を受けた者ではなく、自身と同じモノなのだと。だからこそ、揃えた右手に気と魔力をからみ合わせる。鋭利に、稀代の鍛冶師が生み出した名刀のように。

安穏としたこの地の空気を振り払い、血と硝煙と骸に彩られた戦場を纏う。

 

「人形は土に還すべきだ……腐った世界は壊されるべきなんだよ」

 

 鼓舞するようにそう言い聞かせ、姿勢を低く頭を下げた零児は奔った。最短距離を直線状に、弓のように身体を引き絞り、矢のように右腕を突き出した。

 ぬっぷり、温かな感触が爪から肘まで到達する。一拍遅れて頭の上から赤い雨が降ってきた。

 

「天津神先生……どうして……」

「俺こそが本物で、この世界は俺のために用意された舞台だからだ。人形は俺のために踊って、気に食わなくなったら俺が壊していいモノなんだよ」

「それでもこの世界にはっ」

「関係ねェよ。俺が自由にして良い、俺は自由にして良い世界なんだからよォ」

 

 かすれた声にそう返し、零児は体内から気と魔力を爆発させる。力の暴風は紙上の鬼の体現者を壊し、街並みを崩し、箱庭を砕け散らせた。

 気づけば耳元に雑踏の音がし、視界が闇と光を混ぜ合わせていた。どうやら目を閉じていたようで、ゆっくりと瞼を開けるとそこには学園祭一色の麻帆良学園の光景が広がっていた。

様々な表情を張り付けた人影の中、見知った人影が目に入った。その人影は零児を見つけると、頭の上でふりふりと手を振りながら小走りに駆け寄ってきた。艶やかな黒髪が美しい、将来きっと美人になることが予想される幼い大和撫子。

 

「せんせ、せんせ、あんな……」

 

 駆け寄ってきた少女――木乃香は零児の正面で立ち止まると、わずかに乱れた息遣いとともに顔を上げる。街灯の光に照らされてか、その他の要因によるものか、彼女の頬は薄紅色に染まっていた。もじもぞと視線が泳ぎ、小さな手が行き場をなくしたかのようにさまよっている。

そして決意したかのようにぎゅっと手を握りしめ、さながら倒れこむように零児へと飛びかかってきた。

 

「うち、やっぱせんせのことが好きやっ!」

 

 眼を閉じて、唇を突き出すように、端正な顔が迫ってくる。

 そう、きっとこれが本来あるべき世界なのだ。かつて読みふけった二次創作のように、自分で妄想し投影した数多の世界のように。やさしい世界、世界の誰もが誰よりも自分に優しくしてくれる世界。己が主人公で、みんなが己に寄り添ってくれて、世界が己にほほ笑んでくれる――そんな――都合の良いおとぎ話のような。

 

 だから解っていた。自分の唇に触れたのはマシュマロのような柔らかな少女の唇ではなく、鋼のように押し固められた拳だということが。

 人間の持つ痛覚を上回るような痛み。口中鉄臭い味が広がり、弾き飛ばされ、吹き飛ばされ、瓦礫の山へと叩きつけられた。

 空にはやはり、脈動を感じさせない無機質な太陽が居座っていた。

 

「あァ、どっかで見たことあると思っていたが」

 

 街の欠片から身を起こし、豆粒のような大きさになった少女を見る。相も変わらずかたかたと肩を震わせているが、その紅の双眸はしっかりと零児を見つめていた。震える唇が語っている――いつから幻術に掛かっていないと錯覚していた、と。

 

「写輪眼……となりゃここはとりあえず、なん……だと……、とでも言っとくか」

 

 こきりと首を鳴らし、零児は立ち上がる。徐々にぶ厚く、太くなっていく範馬の姿を確認し――先のような暴力的な風体を消し去った目の前のバケモノを見捨てるように、血の混じった唾を吐き捨てた。

 

「天津神先生、俺は貴方がどうしてそんな悲しい考えを抱くようになったのか、少しわかる気がします。だから俺は貴方が貴方自身のために闘うことを否定しません……きっと、良い気分なのでしょうから。だが俺には母がいます! 父がいます! 妹がいます! 大切にすべき友人と尊敬する上司と愛すべき生徒とこんな俺を受け入れてくれた麻帆良の地があります!」

「だからどうした踏み台がァッ! 俺は俺の意思で人形だらけの偽りの世界を壊すんだよォォッ!」

 

 誓うような範馬の言葉を自分の意思で握りつぶす。

 黒く、暗く変わってゆく。殲滅の権化と恐れられた戦争の時のように、零児は目の前の男を切り捨てようとする――ではなく、切り捨てた。

 

「ならば俺は愛のために闘おうッ! 母よりもらったこの名を誇りとしてッ!」

 

 巨漢の男――優しき鬼神が咆哮する。びりびりと振動する空気を肌で受け止めながら、零児はふと思った。

 

「俺の名は範馬ケンシロウ! 天津神先生、貴方を止めさせていただきますッ!」

 

 やはりこの世界は、こんな世界は、壊れるべきなのだと。

 


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