転生者についての考察   作:すぷりんがるど

35 / 40
考察その33~転生者の友人~

 らーめんと暖簾の掲げられた屋台があった。

 字面だけ見てみれば何の変哲もない事柄である。数席の椅子と、ことこと湯気を上げる鍋が二つ、木造りの容器に均等に並べられた麺。長い顎鬚をたくわえた翁が難しそうな顔で鍋を見つめているが、それは御愛嬌。どこにでもある、何の変哲もない光景のはずである。

 

 ただ、その屋台がある場所が異様だった。

 夜の帳が世界を覆い、その下で巨大な飛行船が悠然とたたずんでいる空。屋台は足場ひとつない空に浮かんでいた。

 

 和装束を纏った翁がかっと目を見開く。すると鍋の中から麺の塊がふわふわと浮き出し、そのまま上下に二度三度、張り付いた水気を振り払うように運動した。満足した様子の翁の顔。それに合わせて麺はあらかじめ用意されていた中華風の器の中へと滑りこみ、乳白色の水面が微かに揺れた。はじめに焼き豚、続いてめんま、最後にネギをひとつまみの器に乗せると、翁はふうと息を吐く。

 

「クソジジィぃッ!」

 

 翁は皺だらけで糸のように細くなった瞼を少し開いた。声のする下方に目を向ければ、金色の髪を振り乱し、人形のように端正な顔立ちの幼女が牙をむいて突貫してきていた。少女は不思議現象満天の屋台には眼もくれず、屋台と同じように闇夜を舞い飛ぶ翁の首に小さな手を食いこませた。

 

「貴様ぁっ、イタチをどこにやったッ!」

「落ち着くんじゃエヴァ」

「これが落ち着いていられるかッ! 何処だッ! イタチはどこにいるッ!」

 

 歳の頃は十ほど。まごうことなく幼子に見える彼女の手に籠る力は万力の如く、翁の枯れ木のような首を締めあげる。その上エヴァと呼ばれた彼女の爪は剣のように鋭く、触れた翁の首から零れる赤い液体で真赤に化粧し始めていた。

 

「そっ、その前に……」

「あァッ?」

 

 がくがくと翁の頭が前後に振れる。エヴァの眼光は突き刺すようで、噴き出す威圧感は恐惶の闇を凝縮して押し込んだかのようで――それでも翁は極めて冷静な声で、飄々とした様子で、彼女へと二の句を告いだ。

 

「らーめんはいかかじゃ? ワシとここの店主の共同制作じゃぞ」

 

 言い終わった頃、翁の腹に幼子の拳が捩じり入れられていた。

 

 

 

 

 

「麻帆良祭挙げての一大イベント、お主ら本当に御苦労さまであった! 大いに遊び、大いに楽しんでくれたじゃろうか? もしそうであるなら学園長としてこれ以上の喜びはないっ!」

 

 眼の前に居るはずの、等身大の学園長。蓄えた立派な顎髭に手を添えながら、彼は麻帆良祭に参加した人々へと言葉を向けた。

 魔法という不可思議に支えられ、宙に浮いた椅子に腰を下ろしたエヴァは首を横へ向ける。麻帆良学園都市の象徴でもある巨大な世界中の傍ら、その大きさに負けない身丈を持った学園長が立っていた。

 正面に立つ学園長がまた口を開く。それに連動するように、世界中の隣にいる学園長も口を開いた。

 

「さて、そこでワシも皆に負けぬようひとつ出し物を作っておったのじゃ。ジャンルで言えばアクション映画になるんかの? もし良ければ皆の者、空へと目を向けてくれればうれしく思うわぃ」

 

 再び眼前の学園長へと視線をやる。その周りをふわふわと、六つの水晶が飛びまわっていた。

 関東魔法協会理事にして麻帆良学園の学園長でもある近衛近右衛門は、その名を世界に轟かせる稀代の魔法使い。恐らく光魔法を基盤に於いて水晶で姿を撮影し、世界樹の側に投影を行っているのだろう。そう推察したエヴァは、不機嫌そうな顔で目の前のドンブリへと箸を差し入れた。乳白色のスープは豚骨ベースで、口に入れたラーメンは自分の思っていたより美味しかった。

 

 ぱん、と学園長が手を叩く。煌々と光る世界樹から一陣の筋が伸びあがり、麻帆良上空を覆うような薄い膜となって広がっていた。音に合わせて出現した夜空のシアターには、瓦礫まみれの麻帆良学園が映し出された。

 

「なお、この空中投影放送は超包子の提供でお送りしておるぞ」

「……嫌味なジジィめ」

「これくらいは彼女も許してくれるじゃろうて」

 

 ふぉっふぉっふぉ、と老人臭さを感じさせる声にエヴァは鼻を鳴らす。ふと目線を下へと移すと数刻前まで空を漂い、炎と雷の競演を見守った飛行船が横たわっていた。その傍でじっと上空の銀幕を見上げる黒髪の少女。呆然とし、やがて総てを理解したかのように肩を落とした彼女の視線に誘われるように、エヴァは視界を移動させた。

 

「オー、血ガ滾ルゼ」

 

 けたけたと無表情の人形が嗤う。どんぶりの隣に腰を下ろした二等身の人形――チャチャゼロは、関節丸出しの小さな腕でシャドーした。

 

「随分と準備が良いじゃないか。貴様の手のひらの上という訳か?」

「ふぉっふぉっふぉ」

 

 人のよさそうな――エヴァには胡散臭く見える――笑みを深く、カウンター越しに置かれた椅子に学園長は座る。その所作に呼応するように、彼曰くアクション映画が動き出した。

 

 崩壊した麻帆良学園には二人の男が映っていた。一人は筋骨隆々の上半身を惜しげもなく晒し、申し訳程度に残った――大事なところはしっかり隠れる――ズボンを履いた鋭い眼光の男。もう一人は陽光に照らされ天使の翅のように広がる銀糸の髪を揺らし、虫が喰ったように少し破れた衣服を着た女性と見間違うほどに整った顔立ちの男。

 

「調子に……乗ってんじゃねェッ!」

 

 激昂し、端正な顔を歪ませ声を張り上げたのは銀髪の男。

 対して獰猛な笑みと共に両腕を掲げ、背中に鬼を背負ったのは筋骨隆々の男。

 

「悪いが調子こかせてもらうぜッ!」

 

 上空の舞台から、自分の目の前に置かれた小さな球体から響いたふたつの声は、人ならざる身を持つエヴァの胆に冷や水を浴びせかけるようだった。

 夜に生き、闇を支配する吸血鬼の真祖――それがエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルとしての本来の姿である。『千の呪文の男』と讃えられた英雄によりこの麻帆良の地に封じられたエヴァは、力の大半を世界樹の力を借りることによって削り取られていた。しかしこの麻帆良学園祭の折、発光し魔力を放出する世界樹はその力を弱める。比例するように、彼女の身体を縛る封印の鎖も緩んでいた。

 その上煩わしい太陽は黒い衣に覆われている。エヴァは全盛期とまではいかずとも、弱肉強食のピラミッドにて人間の上に胡坐をかく吸血鬼としての力を取り戻していた。

 

 しかしそれでも――そうだとしても――

 

「それよりイタチは無事なんだろうな? なぁっ?」

 

 カウンター越しに手を伸ばし、エヴァは学園長の襟元を掴んで引き寄せた。ぎぬろ、危うく淀む眼で海千山千の老人を射抜いた。

 

「うむ、安心せぃ。イタチちゃんもこの中におるが、意識を取り戻した星野先生が傍らに居る。彼女が居れば怪我をすることは――」

「誰がイタチちゃんだ! この変態ジジィがッ!」

 

 がぁーと吠えるに併せて長い眉を垂らした翁の顔面に平手を叩きこむ。きりもみしながら吹き飛んだ学園長は思考から弾き出し、エヴァは目の前の魔法球を食い入るように覗き込んだ。

 

 天使と鬼の拳が真正面から、真っ向からぶつかり合う。

 闇夜の主は繰り広げられる光景によって、氷のように冷たく残しておいた脳裏の一領域が広がり、熱くなっていた思考を固まらせていく。

 頭を切り替え、目を皿のように、ダイオラマ球の中からエヴァは友人の姿を探し当てた。確かに学園長の言葉通り、彼女の手を引くようにして走る魔法教師が確認できた。麻帆良学園でも五指の入る実力者、儚く甘い幻想に足を取られないリアリスト、情に熱く己の犠牲を厭わぬ性格。はっきりと自分好みだと宣言でき、英雄でもあるタカミチより安心して物事を任せることが出来ると断言できる魔法使い――星野うさぎの存在に、彼女は胸をなで下ろした。アレが居れば死ぬことはないはずだ。

 

 だが、もしもの時は、仮にこの身が砕かれようとも――

 

「エヴァよ、お主は何故魔力や気などという超常的な力があると思う?」

 

 歯痒さから唇を噛みしめたエヴァに、学園長はまた彼女の正面へと座り尋ねかけた。

 不意に投げかけられた、何とも唐突な質問に、エヴァは真意を測りかねた。が故に、もっとも単純な答えを返した。

 

「そんなもの、在るから在るにきまっているだろうが」

 

 魔法球から顔を起こさないぶっきらぼうな口調。気にした様子を見せるでもなく、独白するかのように近右衛門は続けた。

 

「そうじゃ。極論かもしれぬが在るから在る、それに尽きる。魔力、気、そして霊力、巫力、晶力に神力、霊圧などというものも在るらしいが――そんな力は在るから在るのじゃ」

「ジジィ……お前は何を……?」

 

 ひくり、エヴァの耳が動く。怪訝な感情が筋肉を脈動させ表情を作り、声にも纏わせて外へと出てきた。魔力は知っている。気も然りだ。だがその他の――大凡幻想を体現するであろう――力など耳にしたこともなかった。

 

「ふぉっふぉっふぉ――ワシもじゃ」

「貴様、私をからかっているのかっ!」

「いや、からかってなどはおりはせんよ。ただそのような力もある、ということを聞いただけじゃ」

 

 不敵な笑みが近右衛門の表情を滾らせる。知らない、六百年の時を過ごした自分ですら知らない力。この世界の幻想を支えるのは気と魔力のはず。

 仮定の話をしよう。もしかしたらの話だ。仮定して、もしかしたら、そんな幻想に生きる者たちの常識を覆すモノが在るとすれば、おのずとその結論は見えてきた。

 

「まさか――他次元世界?」

「流石は闇の福音とまで呼ばれた大魔法使い。理解が早いのぉ」

 

 ――世界はひとつではない。これは旧くから魔法使いたちによって伝えられている。誰かがこのエヴァが存在することを許された次元と異なる――つまり異次元の存在を学術的に証明した訳ではない。

 ただ魔法使いたちは知っているのだ。他でもなくその壁を越えて現れた、この世界とは異なる要素を用いて生きる次元漂流者を。彼らは何の前触れもなく現れる。空間に空いた裂け目から、時には満身創痍で、時には家の扉を開けるように気軽に。数百年に一度という長いスパンの中で彼らは現れるのだ。そして時に英雄として、時に魔王として、時に名も無き者として、歴史の中に消えていく。

 

 確かにこの次元の法則と異なる法則を元にして存在する異次元のモノを前提に置くならば、先程近右衛門が言ったことも理解できる。元々の身体を構成する要素が違うのだ。気や魔力に代わる超常的力が使えたとしても何らおかしくないだろう。

 エヴァ自身は次元漂流者に会ったことがなく、紙上でしか彼らの存在を知らないが、成程その力を理解できない歴史家たちが特別な気や魔力として書き記したであろうことが推察できた。いつの世も、頭の良い者たちは自分たちの価値観が絶対だと信じている。彼女はその身に痛いほど経験してきたのだ。

 

「お主はイタチちゃんと呼んでエエかの? 彼女が転生者ということは知っておるんじゃろ」

「ああ……ということはこの中にいる奴らは――」

「左様、お主の思った通りじゃ」

 

 ――自分は転生者だ。

 泣きそうな顔でそう告げたのは、エヴァの大好きな万華鏡が光を映し始めて少し経ってからのことだった。

 

 ――優しいエヴァに甘えて、私は逃げてばかりだった。

 最初から知っていたと――登校地獄により何度も何度も中学生を繰り返していることも、吸血鬼であることも、それでも自分に合わせてくれていたことも。耐えきれず、涙ながらに語るイタチを抱きしめることしかできなかった悔しさは、今もエヴァの胸を疼かせている。

 

 事の詳細はまだ、彼女から聞いていない。ただイタチというエヴァの友人が今押し込まれた箱庭を確立させる気も魔法も無い世界からやってきたことは聞いた。

 その世界では、自分自身が架空の存在として描かれた漫画が在るということも。

 

「……クソジジィ、やはり貴様は殺す」

 

 気付き、溢れだし、止めることをしない魔力は形となり木製の屋台を凍りつかせていく。学園長の顔が固くなった。

 

「何が安全だ! 何が安心だ! このダイオラマ球にかかっている魔法はっ!」

 

 極寒の敵意を敏感に感じ取り、天を裂き地を割るバケモノの競演を見つめていた人形は、何処からか身の丈ほどある刃を携えていた。ぐるぐる、ぐるぐる、頭が廻る。ぴたり止めたとき首は百八十度後方を向いていた。感情の無い、まがい物の瞳は楽しげで、人と変わらぬようだった。

 

「世界樹の発光を利用したのかっ! 解け! 今すぐイタチをこの狂った箱庭から出せッ!」

 

 夜の力を身体に押し込め戦闘態勢になったからこそエヴァは解る。目の前の魔法球には彼女の第六感へと警鐘を鳴らさせる原因が有ると。

 稀代の人形遣いであるからこそエヴァは解る。力を注ぎ込むように世界樹からダイオラマ球に伸びる魔力の糸が在ると。

 闇の福音と称される大魔法使いであるからこそエヴァは解る。隠遁されるようにこの箱庭を覆う魔法陣はとある次元漂流者の記した魔道書に書かれた壁を越える術であると。

 そして何よりも――イタチを想う一番の友人だったからこそエヴァは解った。彼女を心配し、どうにかここから助けてやれないかと必死に考えていたからこそ、目の前の男が恐らく数年がかりで準備した策を、全身全霊を以て看破できたのだ。

 

「無理じゃよ、そういう仕様にしておる。この中におる零児くんの気を失わせんとこの魔法球は解除できん。ワシが死ねばお主が思っている通りじゃ。そうでもせんと零児くんを封じることが出来んかったじゃろうしのぉ」

 

 顔色を変えずに近右衛門は言葉を紡いだ。

 

 その瞬間、エヴァは理解した。先程まで自分をこの地に封じ込めた英雄の息子と、世界の法則を変えようと時を越えて現れた少女が行っていた戦いはまったくの茶番であったのだと。二十二年周期の大発光が一年早まったのは偶然などではなく、この男が世界樹に魔力を混ぜ合わせながら注ぎこんでいたためだ。だから一年早く世界中は飽和量を迎え、大発光現象を起こしたのだ。

 

 世界に魔法を認識させる――時を越えた少女の野望は所詮この狸ジジィの手のひらの上。だからこそ大がかりな準備が僅か二年という月日で誰に知られることも無く行えた訳で、いつでも握り潰せたからこそ少女の行為を英雄の息子の英雄への階梯へと変換出来たのだ。

 冷静に考えればいくら常々麻帆良を覆う認識阻害魔法が有るとはいえ光弾を放つ杖や銃を、隠すことなく空をかけ拳の一撃で建物を瓦礫に変換する魔法使いたちの所業を、可笑しくないと思うはずがないのだ。探ってみればいつもの二重、三重――未来の英雄の一手も読まれていた。

 

 総てはこのダイオラマ球の中にいるモノたちのため。

 世界をひっくり返すとまで囁かれた、戦争が生み出したバケモノを消し去るため。

 それに準ずるかも知れない可能性を摘み取るため。

 

 世界樹大発光の魔力を流用してダイオラマ球を異次元に捨て去るためにこの日は用意されたのだ。

 

「落チ着ケ御主人、会エナクナッチマウゼ」

「糞外道がっ」

「言い訳はせぬ……じゃが、きっと大丈夫じゃよ」

 

 殺したくて殺せないから殺すのだが殺す訳にもいかず殺すのを止めねばならない。

 矛盾を孕み感情だけが先行し、絶対零度となった視線に何を思ってか、近右衛門は表情を崩した。そして屋台を浮かせる魔法だけ残し、自身を守る魔力の鎧を脱ぎ去った。

 

「彼ら転生者はワシらの希望じゃからのぉ」

 

 威嚇するエヴァの魔力が近右衛門の肌を凍りつかせる。皮膚が避け、血が滴り、すぐに固体へと凝固する。それでもやさしげな表情を保ったまま、自慢の白ひげを固まらせた翁は口を開いた。

 

「お主は彼女以外の転生者にあったことがあるかの?」

「ないっ!」

「まぁそうは言わず思い返してみてくれぬか。きっとお主なら会っておるはずじゃよ」

 

 紅かった唇は紫色に染まり、それは徐々に別の場所にも範囲を広げていた。ガチガチと歯と歯がぶつかり音を立てている。

 

「御主人」

 

 傍らの従者の言葉。泣き叫ぶように荒れ狂った冷気が牙を潜めていく。

 

「転生者である彼らは実に不思議な存在じゃ。この世界にあるはずの無い技と術を用いる……使えるか使えないかは別問題としても、彼らの使う技術は恐らく他次元世界のモノ」

「イタチッ! イタチッ!」

「……変わったのぅ、お主は。昔とは比べ物にならぬほどに」

 

 魔法陣の発動キーとなる位置には近右衛門から伸びた魔力の糸――眼の前の男を殺すことも出来ない。尋常ならざる魔力を使うが割に合わない効果の為に前例がなく――故に不安定な魔法陣を壊すこと出来ない。ただ叫ぶことしか出来ないエヴァを焦燥した顔で、だが嬉しそうな笑顔で、翁は孫を見るような視線とともに微笑んだ。

 

「彼らはいかようにしてその力を身に付けたのじゃろうか? もし己が力で手に入れたならば彼らは身に余る技に振り回されることなどないはずであろ? それに彼ら転生者とはいったいなんなのであろうかのぅ」

 

 その言葉にエヴァの記憶の片隅で蠢いていた事柄が飛び出してきた。

 

 エヴァは会っていた。

 浅黒い肌の紅い弓兵に。奇抜な口調で服装の白髪の少年に。黒装束に刀を携えた死神に。

 全身から刀剣を噴き出しバラバラになった弓兵に。飛び交う弓矢に抵抗なく貫かれた少年に。誰にも気づかれることなく精神を病ませた死神に。

 

「魔法もない、魔術もない、科学が時代の流れから突出することもなく発展していたはずの世界から一度死に、彼らは来た――ワシらが紙上の者として描かれておる世界から、の。もし彼らの、彼の言っておったことが本当じゃとしたら――」

 

 そこで言葉を止めて、近右衛門は眼を閉じた。

 十秒か、一分か、その間くらいの時間が経って、言葉を続けた。

 

「始まりはどこなのじゃろう? 終わりはどこなのじゃろう? 那由他と並行する世界の壁を越えて、異次元の力を具えてこの世界に来た彼らは……一体何モノなのじゃろう? 如何にして彼らは超常のない世界から壁を越えてやってきたのじゃろう?」

 

 ふわりと翁は椅子の上から腰を上げる。

 身体に魔力を纏わせて、屋台から少しだけ離れた宙に立つ。

 上空の銀幕では背より三対六翼に広がる純白の翅を生やした男と、背に悲しくも優しい鬼の哭き貌を刻んだ男が対峙していた。

 

「人は望む――否、ヒトならざるものであろうとも意志ある存在は希望を願う」

 

 近右衛門の視線は下方へと注がれる。

 

 傷だらけながらも満ち足りた表情を見せる未来から来た少女へと。

 知らない世界に興奮を隠しきれない思慮深い少女へと。

 示される力の頂に感嘆する少女たちへと。

 絡め取られ利用されてしまうかもしれない力を秘めた少女へと。

 またひとつ英雄への道を歩んだ少年へと。

 

「もし共に歩むモノが在れば、もし導くモノが在れば、もし受け入れてくれるモノが在れば、もし賢きモノが在れば、もし強きモノが在れば、もし何物にも縛られぬモノが在れば、もし遍く受け止めてくれるモノが在ればといった具合での」

 

 そして近右衛門は胸に手を置くと、吸血鬼の方へと視線を移してきた。

 

「それがイタチだと……転生者だと言うのかっ!」

「さぁのぅ……ワシのこれは考察に過ぎぬ」

 

 エヴァの声に翁は微笑む。

 きっとそれが答えなのだと言わんばかりに。

 

「であるが先も言ったであろう――彼らはワシらの希望なのじゃ」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。