【完結】スパイになってしまったのだが   作:だら子

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其の五: 「幻影(下篇)」

偽りの恋人、八重とデートを楽しみ、夕方あたりで彼女と別れた。八重は陸軍大佐の一人娘であるがゆえに、門限がかなり厳しいからだ。

八重との別れを惜しむようなフリをして、その後、僕は夜の東京を颯爽と歩き始めた。闇を纏いながら、ひっそりと街へ溶け込んで行く。

 

(さて、次は馬鹿なご子息殿と会いに行かなくては)

 

夜の東京にある繁華街を通り抜ける。いかがわしい雰囲気の店や、闇にぼんやり浮かび上がる居酒屋を尻目に、ゴロツキ共や仕事に疲れたサラリーマンなどが騒ぎ立てる飲み屋の一つに入った。そして出入り口付近に座っている青年のテーブルに腰掛ける。

 

そのテーブルに座っているのは眼鏡を掛け、書生姿の、いかにも真面目そうな青年。しかし、テーブルの上にある沢山の酒の存在により、真面目な印象がぶち壊されていた。

 

「遅いですよぅ、アドルフさぁああん」

 

この、完全に出来上がっている青年は、先程僕が『馬鹿なご子息』と称した人間である。今日、僕はこいつに会うため、ここにやって来た。

出来れば会いたくなかったが。酒くせぇ。だが、これも仕事のうちだ。耐えろ、アドルフ・ミュラー。そう念じながら青年に苦笑いしてみせる。

 

この青年は陸軍少将の次男坊で、現在は帝国大学に通っている学生だ。本来なら、将来は父親や兄のように軍に入ることを望まれていたようだが……本人自身は超がつくほどの落ちこぼれ。兄と比べられたくないが故に、ギリギリの成績で大学に行ったようだ。

何かと優秀な兄と比べられ、凄まじい劣等感を感じた彼は、度々こうして酒を呷る。

 

(そして、父親と兄の愚痴を零すついでに、彼らへの憂さ晴らしで得意げに『機密』を言ってくれる)

 

本人はこんな凄い機密を知ってるんだぞ! といったように、酒を飲みながら自慢するのだ。しかし、変に彼が真面目ゆえに、それがいけないことだとも理解しているようで、毎回、「父や兄に言わないでくださいね、アドルフさん!」と念を押してくる。

 

スパイとしては扱いやす過ぎる馬鹿だ。だから、僕はこいつを内心で『馬鹿息子』と呼んでいる。中々のネーミングセンスではないだろうか。

 

僕は心配そうな顔を作りながらも、テーブルの上の酒を自分のグラスに注ぐ。グイッとそれを飲むと、馬鹿息子がヘラヘラ笑いつつ、「いい飲みっぷりですねえ」と言って来た。馬鹿だなあ、こいつ。一周回って、色々と温かい目で見てしまう。

 

(今日は嫌に機嫌がいいな?)

 

いつもならワンワン泣きながら叫んだり、怒ったりと忙しいのに。泣きすぎて鼻水を僕のスーツの袖につけてきた時もあったぐらいだ。あの際は流石にこいつの後頭部をぶん殴った。

 

僕が不思議そうな顔をして見せると、馬鹿息子はベロンベロンに酔いながらこんなことを言い出す。

 

「昨日、親父がD機関とかいう奴らに出し抜かれたみたいで、すっごい怒ってるんですよ〜! あの親父が虚仮にされたとか本当に面白くって!」

「へえ、それはいいな。……ちなみに、D機関って? 聞いたことないなあ…」

「ん〜なんだったかな? 軍にできた諜報機関らしいっすよ。『スパイなどという卑劣な輩に先を越された』とか言ってましたし」

「スパイ…? 日本にもあるんだね」

「俺も聞いた時はびっくりしました。

しかも聞いてくださいよ! 親父が騙された相手ってのは、D機関の女装が得意な奴らしくって!」

「じょ、女装かい?」

「親父がその女装スパイにメロメロになっちゃって、痛い目にあったみたいっす。爆笑もんですよね〜! は〜いい気味!」

 

大爆笑しながら、ガブガブと酒を呷る馬鹿息子。僕も同じように笑いつつも、内心では『D機関』について考えていた。

 

先程も言ったと思うが、D機関を設立したのは結城という男らしい。僕はその男をあの魔術師だと確信している。どれだけ優秀なスパイがD機関について調べようとも、D機関の『D』とは何なのかすら分からない。あの魔術師以外に、そんな芸当ができる奴はそうそう日本にはいないだろう。

 

そんな中、『女装が得意なスパイがいる』という情報を手に入れることができたのは幸運だ。

 

女装が得意、というだけである程度そのスパイ像が作れる。女装が出来る男は大体限られてくるからだ。小柄で、身長が低く、女顔または童顔の男性。間違っても筋肉がつき過ぎているものや、身長が高いものが女装はないだろう。

というかそんな女装スパイがいたら、まず僕が吹き出す自信がある。

 

(だが、あの魔術師が少しの情報ですら流すか…?)

 

ただ単に馬鹿息子の親が機密を漏らす馬鹿で、僕に回ってくる『偶然』が起きたのか。それとも、魔術師の罠なのか。

 

…ああ、駄目だ。あの男のことになると変に疑い深くなる。もしもこの情報をあえて魔術師が流しているのだとしたら、ここにいる僕はただの道化だ。

 

(女装。女装、スパイか…)

 

魔術師があえて女装スパイの情報を流しているとすれば、女装スパイが僕の周りにいるのかもしれない。

僕ら白人からすれば低いが、日本人男性の平均身長である160cmくらい、またはそれよりも低い者。それでいて、男らしさを示す喉仏や、手の大きさを隠せる服装をしている女性———…あ。

 

(いるじゃないか。全てに当てはまる女性が!)

 

やはり魔術師は僕に気がついていた。流石は僕の敬愛すべき化け物。そうでなくては困る!

もちろん、気がつかれないのが一番だが、気がつかれたなら気がつかれたで、やりようはあるのだ。先手を打つ———それが今、僕がすべきこと。

 

僕は馬鹿息子に、「明日用事あるのを忘れていたよ。遅刻しない為にも早めに帰るね」と言って店を後にした。にやりと笑みを浮かべながら。

 

♂♀

 

次の日にすぐ、僕は行動を起こした。いつもの如くアドルフ・ミュラーとして会社に出社し、働く。そして僕とあの女だけが残業で会社に残れるよう、手回しした。会社の外にはいつでもあの女が捕らえられるように人員を配置している。

 

僕はいたって普通に、あの女——————桜木八重に話しかけた。

 

八重も『いつも』みたいに笑いながら、「アドルフと2人っきりで残業なんて初めてね」と疲れ半分、嬉しさ半分の声色で話し出す。こうして見ると、普通の女にしか見えない。動作も、話し方も、声も、纏う雰囲気さえも、全てが一般の女性だった。

 

流石はあの魔術師が手がけたスパイ。演技も一流だ。更にはこんなに近くにいるのにも関わらず、今でさえ全然男とは思えない。全く…してやられたよ!

 

僕はいつもの笑みは浮かべず、形だけの冷たい笑みを浮かべる。八重はそれを見て、「アドルフ…?」と少し戸惑ったような顔をした。そんな彼女の様子に少々優越感を抱きながら口を開く。

 

「もう演技をしなくていい。君はスパイなんだろう? そうやって首にいつもスカーフを巻き、手袋をしているのが証拠さ。それに君は日本人男性の平均身長だしね」

「な、何を言っているの…? わ、私がスカーフや手袋をしているのは…その…火傷が酷いから…」

「往生際が悪いなあ」

「本当にアドルフ、今日はどうしたの? 怖い…」

 

怯える演技をする八重に、カツカツと靴を鳴らしながら近く。彼女の一挙一動に目を逸らさず、どんな攻撃が来ても対応できるように細心の注意を払った。八重のギリギリ前に来た瞬間、僕は笑う。ようやくこの時が来たのだ!

 

中々ボロを出さない八重に、決定的な証拠を掴むため、僕は八重の首元まであるブラウスを思いっきり引っ張ってみせる。袋を開けるかのように左右に引っ張ると、パンッとボタンが弾け飛んだ。

 

そこには偽乳か何かが———

 

「ない…? 普通に胸がある…」

 

首にまで広がる大火傷と、普通に女性の胸と下着があった。唖然と僕はそれを見つめる。

八重は顔を真っ青にさせ、ぶるぶると震えながら床に座り込んだ。「どうして…」と呟きながらポロポロと涙を流す八重に対して、何もフォローが出来ないくらいに僕は頭が真っ白になっていた。

 

どうして、何故。彼女がスパイではないのか? では、彼女がスパイではないのならば、一体誰が? それとも僕はまだ気がつかれておらず、僕の早とちりだったのか?

 

一瞬の間にあらゆる疑問が脳裏によぎった瞬間、一斉に扉からドタドタと憲兵が入って来た。僕が息をつく暇もなく、バッと数人の憲兵が僕を捕らえる。なっ…?!

 

憲兵?! どうして憲兵が?! 八重は悲鳴をあげていないから、ただ単に婦女子への暴行の阻止の為に来たわけじゃない。ならば——…

 

 

「アドルフ・ミュラー! 貴様にスパイ容疑及び婦女子への暴行の疑い、いや、現行犯として逮捕する。来てもらおうか」

 

——僕を、スパイとして捕まえる為だ。

 

♂♀

 

 

(何故だ。どこで失敗した? 一体誰がスパイだった?)

 

椅子に座らされ、両手を拘束された。身体を痛めつけられながら尋問される中、僕が考えるのは『一体誰スパイだったのか』、この一点のみである。痛みで思考が上手く働かないが、それだけがぐるぐると脳内で回っていた。

 

憲兵がこうしてやって来たということは、とうの昔からあの魔術師にやはりバレていたのだ。完璧に闇に紛れていた自信があったのに。それなのにも関わらず、あの魔術師は僕に勘付いた。

 

恐らく、あの馬鹿息子からの情報も魔術師によるものなのだろう。スパイ容疑だけで僕を捕まえる為にはまだ理由が少なすぎたのだ。スパイ容疑及びに婦女子暴行で僕を確実に捕まえる為に。だからこそ八重を僕が襲う瞬間を待っていた。

 

——魔術師という幻想に囚われるあまりに、僕が冷静な判断が下せなくなる、その瞬間を!

 

そして見事、あの魔術師は騙してみせた。多分、女装スパイというのも嘘の情報なのだろう。もしかしたらスパイすらもいなかったのかもしれない。全ては魔術師という、僕がスパイになったきっかけでもある化け物に僕が『囚われた』から。

あまりの失態に暴れ出したい気分になる。

 

(くやしい、くやしい、悔しい!! してやられた! やはり、僕はあの魔術師には敵わなかったんだ!)

 

そう思い、ギリギリと歯を鳴らしながら顔を伏せていると、不意に1人の憲兵が僕の横へ、立った。スッと気配さえ感じさせないまま、憲兵が顔を僕の耳元に近づけ、口を開く。

 

「A secret makes a woman woman.」

 

女は秘密を着飾って美しくなるのよ————。

 

その声を聞いた瞬間、僕はカッと目を見開いた。あまりに目を見開きすぎて、瞳孔が開く。動揺でワナワナと唇が不規則に震え、スゥ…と心が冷えて行くのが分かる。

驚愕、仰天、喫驚、ありとあらゆる驚きを詰め込んでも足りないくらいに驚いた。

 

違う、女装スパイはいたのだ。

この声は——…!

 

(僕の顔にそっくりな男の、恋人——!)

 

僕がドッペルゲンガーと称する男の恋人の声だった。確かにあの女は身長は160cmを少し越えるくらいあったはずだ。だが、完全にノーマークだった。疑うことすらしていなかった。この、僕が、疑ってさえいなかった! 取るに足りない人物だと切り捨てた相手が…スパイだった…!

 

(してやられた…!!!)

 

思わずバッとその憲兵の顔を、目を鋭くさせながら見る。そして僕は再び目を真ん丸くさせた。はっと息を飲む。

何故、何故、こいつがここにいる。どうしてこいつが、ドッペルゲンガーの恋人の声を出したんだ…!

唖然とした様子で横にいた憲兵、いや…

 

——僕が馬鹿息子と称した、陸軍少将のご子息を見た。

 

僕は最初から『道化』だったのだ…。

この憲兵は『ドッペルゲンガーの恋人』と『馬鹿息子』の2人に成り代わっていた。馬鹿息子として僕に情報を流し続け、ドッペルゲンガーの恋人として僕の動向を影から見守っていたのだ。

僕に疑われないように気をつけながら、ずっと監視していたのだろう。馬鹿息子とドッペルゲンガーの恋人からはスパイの雰囲気なんぞ全く感じなかった…。その事実に愕然とする。

 

(この僕が! この優秀な僕が気がつかなかったのだ!)

 

信じられない気持ちで憲兵を見ると、彼は笑った。『笑って』みせたのだ。その笑みが数十年前の魔術師の笑みと被る。真っ暗な闇に生きる、妖艶なスパイの笑みだ。数十年前の魔術師の幻想が、形を持って、今この場に実体として現れた。ああ、やはり————…。

 

この憲兵は魔術師の分身なのだろう。あの魔術師が手がけた、新しい化け物。

 

(やはり、人間は化け物には敵わないのか…)

 

僕はそれを目に焼き付けるように見た後、ゆっくり瞼を閉じた。

 

♂♀

 

 

「——報告しろ」

「アドルフ・ミュラーはスパイ容疑が晴れた後、解放されました。現在は桜木八重とよりを戻し、結婚への段取りを進めているようです」

「フィルムは?」

「憲兵として彼を捕らえた時、回収いたしました。こちらです」

「ご苦労」

 

私、藤原は『馬鹿息子』としての格好で公園のベンチに座りながら新聞を広げている。特殊な方法で後ろに座る結城中佐に情報の入ったマイクロフィルムを渡した後、一息ついた。内心、ガクガクと震えながら。

 

(やっぱり失敗を叱られるかな?!)

 

本来ならばアドルフ・ミュラーに情報を提供する『馬鹿息子』役と、アドルフ・ミュラーの『恋人』役としてスパイ活動をするつもりだったのだ。

だが、潜入先にまさかのアドルフ・ミュラーと同じ顔で苗字まで一緒のやつがいた。それにより私は間違えてアドルフ・ミュラーではなく、同じ顔の一般人の恋人になってしまったのだ!

 

それに気がついた瞬間、思わず転げ回った。のたうち回るレベルで転げ回った。

うわああああ間違えたああああ!! めちゃくちゃ的を間違えたたあああああ!! どーすんのこれ?! どーすんのこれ?! アドルフ・ミュラーと同じ顔の一般人の恋人になる意味ねぇよ! だってあの2人、中々一緒にいないもん! どーすんのこれ?!

 

めちゃくちゃ焦った。凄まじく焦った。毛穴という毛穴から汗が吹き出るレベルで焦った。「女装スパイとかマジでいや〜」とか言っている場合じゃねえ。結城中佐に殺される。物理的な意味ではなく、社会的な意味で殺される。マジでやばい。本気でやばい。

 

仕方がなく、私はアドルフ・ミュラーと同じ顔の——言いにくいから、『ドッペルゲンガー』にする——ドッペルゲンガーとアドルフ・ミュラーの交流が増えるように努力した。更にはアドルフ・ミュラーの恋人の八重ちゃんと仲良くなり、デート場所を把握したり、行動パターンを分析したりした。

 

めちゃくちゃ頑張った。人生で一番頑張った。ちょっと本気でやばかった。

なんとか最終的には最初のシナリオ通りにアドルフ・ミュラーの身柄確保及びマイクロフィルムの回収に成功したのだ。

 

(はー…疲れた…。ん…? そう言えば何で中佐はアドルフ・ミュラーを解放したんだろ。あの人、バリバリのスパイらしいから本国に帰られたらヤバくね?)

 

でも、クッッソ聞きづれえ。もしかしたら他のD機関員にとっては直ぐに分かることかもしれないし。もしも直ぐに分かることならば、『私、終了のお知らせ』である。何でお前、このくらい分からないの? みたいな。藤原知ってる知ってる。また地獄の訓練の再開になるやもしれん。絶対にヤダ。

 

私がモヤモヤしていると、後ろにいた結城中佐が急にフッと笑い出した。

何事?! 結城中佐が笑うとか本当に何事?! 怖すぎ! 私がマジでビビっていると、結城中佐が話し出した。

 

「何故、アドルフ・ミュラーを逃したか、そう思っているな?」

「アッハイ」

「あの男はなんだかんだでプライドが高い。一度任務に失敗すれば、祖国に帰らないだろう」

(えっ、何でアドルフ・ミュラーのこと、こんな詳しく知ってんの?)

「それと————あの時の借りを返すためだ。菓子のな」

 

え? ……借り? 何のことだよ!!

 

訳が分からなすぎで全力で混乱した。わけわかめすぎ。結城中佐、だから分かりませんって。私は優秀じゃないんです。他のD機関員の奴らと一緒にしないでくれるかな?! つーか、菓子って何の隠語?! 全く分からん!

 

あまりの意味不明さに困惑しきっていると、結城中佐が再び口を開いた。あ、やべえ、怒られるかな?! 私が間違えたこと!

 

「数日以内に全てのことを終わらせろ。次は海外だ」

「了解」

 

結城中佐はゆっくりと立ち上がって……って、待って?! 待って?! 海外って?! まさかの次の任務? 怒られなかったのは良かったけど、次の任務とか遠慮したい…。もしやそれが罰とか? やっっっべえ。やめて欲しい。

 

そう思いながら私は新聞を読み続けた。




ストックが切れたので、次がいつになるか分かりません…
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