Q. わたくし、藤原は今何処にいるでしょうか?
A. イギリスのロンドンです。
カーーーーッ!! 行きたくないトップ10の国の一つに来ちゃったーーー!!
この時代のヨーロッパって、人種差別なんのそのな世界だよ? もっと悪くいうならば人種差別をしてる自覚もなく、人種による区別を素でしてるような奴らだぞ? 白人至上主義が露骨に出ている時代だぞ? マジで来たくなかった。余談だが、行きたくない国ナンバー1は米国である。
いや、普通にヨーロッパとか米国は好きだよ? ヨーロッパの歴史ある街並みとか、素晴らしい技術とかは素直に尊敬できるよね。
それと、イタリアやフランスの料理は神だと思う。この時代でヨーロッパに行けるなんて、相当な金持ちだけだからな〜イタリアやフランス料理を食べることができて感激である。
でもな、今の時代はアジア人にとってはアウトー! である。露骨に見下して来やがるんだけど…。やめて…。
私、めちゃくちゃいい日本人だかr…いや、全然いい日本人じゃなかった。私、スパイだったな。駄目だわ。全然駄目だわ。普通にその国を陥れる為に奮闘するスパイだったわ。ごめん嘘ついた。君達にとって私は害虫そのものだよね。これだからスパイは嫌なんだよ! 罪悪感ががががががが。
それとな〜差別な〜〜…まあ、21世紀でも表面上では差別してこなくても、内心では差別しまくってくるやつもいたけどさァ…。今の時代、有色人種は人権がないのが辛いよね。この時の白人にとっては黄色人種も黒人と一緒一緒! 確かに人種差別をしない、いい人もいるのも確かだけどね。人数が少ないだけで。
(って、今は差別について考えてる暇じゃねーな)
実は今、私は結城中佐の指示によりロンドン市内の路上に車を停め、待機中である。運転席に座りながら、ハァーーッと溜息を吐いた。
今回の任務はズバリ、パシリである。
今回、というか最近パシリが多い気がする。この前なんか大陸…中国の方にパシらされたからね。
田崎が主役の回の『アジア・エクスプレス』あったじゃん?その回で田崎はロシア人、二人を拘束。彼らをD機関員達に引き渡すため、汽車よりも早く手紙を届けることが出来る鳩を用意。そしてD機関員達が待つ大連に、伝書鳩をバサァッってカッコよく放つ、田崎が『鳩のおじさん』と印象付けられた、あの回だ。
あの伝書鳩を受け取ったの私だからな。田崎が捕まえた2人のロシア人の身柄確保したのも私だからな。
色々と手配したり、雑用したりで辛かった…。パシリつらい。普通の軽いパシリとは違い、ある意味命懸けのパシリだから。まあ、他の諜報活動よりもマシだけど…。
あ、スパイ活動しなくていいんだから、雑用ばっかりで私が喜んでると思ってる?
(雑用だけなら喜んださ!)
雑用+スパイの仕事だからね? スパイの仕事に雑用が加算されるだけだからね? 仕事の合間に雑用も処理しなきゃいけない辛さな。スパイ活動だけで神経すり減らすのに、休む間も無く雑用とか泣きそう。労働基準法が来い!!
(しかも奴らときたら感謝の一言もないからな! 『できて当然だろ、このくらい?』みたいな顔をするなこの野郎!! 私は超必死の努力+前世の記憶で、仕事がなんとか出来ているのに!!)
本当にどうにかならないのか。あの無駄なD機関限定の謎の信頼。
前にも言ったと思うが、D機関員達は他の一般人のことを信頼していない。他人が自分よりも劣っていると知っているので、期待すらしないのだ。
だが、D機関員の仲間同士ではこれが適応されない。自分と同じ『化け物』だからこそ、絶対にD機関員なら完璧に任務をこなしてくれると確信しているからだ。信頼ではなく、確信である。タチが悪すぎ。
(そんな確信いらねえ。スパイやめてえ。つーか今、私はイタリアの諜報活動が終わって晴れ晴れしていたのに、何でイギリスに行かされるんだよ!)
イタリアで必死の諜報活動が終了し、「ようやく帰国できる!」と内心で咽び泣いていた時に、まさかの「神永を回収してこい」と言われたのだ。解せぬ。
イタリアからイギリスまで遠いんだけど?! 一般用の飛行機とかが流通していない時代だから、行くだけで無駄に時間がかかるんだよね! ぶっちゃけやめて欲しい!!
後さァ…神永が主人公の回の『ロンビンソン』あったじゃん? 多分、神永が逃亡した際に使った車の運転手モブ役————今の私である。それに気がついた瞬間、思わず壁ドンならぬハンドルドンをした。なんでだよ!
本当に待って?? 何で地味に私は他のD機関員の話に出てきたモブ役をしているの? しかも微妙に危険な位置にいるからね。神永がミスって私のことを教えたら、今度は私が危ないからね。
まあ、あいつのことだから失敗はしないだろう。ドライビングテクニックはそれなりに自信があるんで、追っ手から逃げ切れると思うけd………………待って、待って。なんか私も無駄な自負心を抱いている。「運転なら誰にも負けないぜー!」みたいなこと考えていたんだけど。え? えっ……?? 待って、待って?!
(やっっっっべえ。毒されてる。D機関に毒されてる! 私なんかが自負心を持ったら、慢心で隙をつかれて死にそう! やめろやめろやめろ、私は凡人。いいね?)
ふっふぅーーッ!! と息を吐きながら、車のハンドルに頭をぐりぐりと押し付ける。自分の癖毛の黒髪が余計ぐしゃぐしゃになるけど、気にすることはねえ。
他人のフリをしたくなるような奇行だと分かってます! でもな、偶に奇行しなくちゃあスパイなんかやってらんねえ! スパイって、めちゃくちゃストレスが溜まるからな?! 一歩間違えば自国を破滅へと導くかも知れねえからな?! 表に出ないだけで、国の命運を握ってるからな?! 責任が重過ぎてやってらんねえ。
(私は小心者なんだよ! だから地味に未来の知識があっても中佐に言ったり、未来を変えてやるとか意気込んだりしないの! くっそ…21世紀カムバック!!)
そう思いながら遠い目をしていると、車の窓ガラスをトントンと叩かれた。
ようやく来たか…。今度こそ神永だよね? さっき、スコットランドヤードにコンコンされてちょっとビビったから。ただ単に「この場所に停車されると邪魔だから、向こうに行け」だったけど。マジで焦った。
「火を貸してくれませんか」
「私の靴は黒い」
私達はアニメ通りにカッコいい合言葉を窓越しに交わす。
こう言う合言葉いいよね。前世の厨二時代に友人たちとのスパイごっこで、合言葉を作ったりしてよく遊んだなあ。大学ぐらいになると複雑化し過ぎて、「わけがわからないよ」状態になってたけど。
私がそう考えている間に、最後に見た時よりも疲れた感じの神永が助手席にサッと座ったうっわ…隈できてんじゃん…。あの神永が…。
ちょっとあり得ない気持ちで神永を見る。
D機関員の中でも神永は自白剤訓練が得意だったから、こういった神永の姿はあまり見たことがなかった。というか、私の方が自白剤でウェッウェッ状態だったから、神永を気にしていなかった、いや、暇がなかったのもあるが。
(めちゃくちゃしんどかったな…。自白剤訓練…)
神永のことで印象に残っているのは、自白剤訓練の時に私が1人女言葉で、「ケーキ食べたいケーキ食べたいケーキ食べたい」と発狂していた時である。余談だが、私の好物はケーキだ。女々しい? 前世が女だから仕方がないだろ?!
そんな中、自白剤訓練が得意な神永がそれを聞き、クッソ爆笑していたな…。神永からのあだ名が一時期、『ケーキちゃん』になったけ…そういえば…。なんか腹立ってきた…。
当時のことを思い出して、若干しょっぱい気持ちになりつつ、神永に同情した。相当キツかったんだろうな…自分がやる羽目にならなくてよかった…。
(私が捕まっていたら、途中で絶対パニックになってる…)
内心でそんなことを思いながら、彼が助手席に座ったことを確認すると、私は直ぐさま車を発進させる。神永は両腕を頭の後ろで組みつつ、ふう〜吐息を吐いていた。
あー…確かこのシーン、結城中佐の思惑で捕まり、酷い目にあったはずなのに、「次はどこに行くのかな〜」とかいうマジキチなこと考えているシーンだわ。あり得ない。
一回イギリスのスパイマスターに捕まって、尋問を受けたんだよ? ハラハラドッキドキなことをしたんだよ? 一歩間違えれば死んでたんだよ?
ねーわ。その落ち着き様はねーわ。リスクがある〜から〜高鳴る鼓動を感じる〜なの? そうなの? もう本当にスパイ辞めたい…。色々な意味で人外なこいつらといると、自信をなくす上に自分がスパイとしてやっていけるか不安になる…。
心の中で私がゲンナリしていると、神永が不意に口を開く。
「なんだ。貴様か」
「『なんだ』とはなんだ。失礼な奴だな。私が迎えに来てやったんだ。素直に感謝しろ」
「えー…かわいい女の子に迎えに来て欲しかった」
「車から突き落とすぞ。……フッ、それなら私が女装して迎えに来てやった方が良かったかもな? 神永さァん♡」
「野郎の女装なんて真っ平ごめんだね。猫撫で声やめてくれるか? 俺は普通の女の子がいいの!」
ぽんぽんと嫌味の応酬が続く。神永が肩を竦めるのを見ながら、私も同じく肩を竦めた。
本当なら「貴様〜」とか言ったり、こんな嫌味の応酬をしたりなんて、やりたくもないんだけどさァ…。D機関ではこういう風に振る舞わないと、「お前バカなの? 死ぬの?」みたいな感じで徹底的に叩き潰されるんだよね。
前にこういった嫌味を何回か言われて無視を決め込んでいたら、イカサマの授業で私以外の全員が敵に回ったり、体術の授業でボコボコにされたりしたからな…。
多分、私のメンタルが弱いから重点的に結城中佐によって鍛えられたんだと思う。周りのD機関員達に協力させて。
それくらいの嫌味を言われたら言い返せ! 黙りは流せているようで流せてねえぜ! みたいな感じなんだろうね…。
(メンタルが一番鍛えなきゃいけない部分だとは分かるけど! 集中砲火はやめて欲しかったな!)
メンタルが弱くてすみませんでした!
もっと優しく鍛えて欲しかったな! ………いや、結城中佐に優しくされるとか鳥肌以外何ものでもねーな…。
寧ろビビり過ぎて、「もっと鍛えてくれません?!」 とか結城中佐に言いそうだわ…。結城中佐に洗脳され過ぎてやばい…自分キモすぎ…。
そんな動揺を隠すように、私は神永を見ながらハッと鼻で笑ってみせる。正直誰かを馬鹿にする仕草なんてしたくないけど! 仕方がないから!
「それにしてもまぁ、随分と男前になったものだな? 草臥れ加減が実に笑いを…おっと、男前にしているぞ」
「嫌味かコラ。貴様こそ豚のように丸くなりやがって」
「仕方がないだろう。文句ならあの人に言え」
「こっちの台詞だ」
そーなんだよねー…イタリアでの諜報活動で、演じるのが優しげな商人だったから、敢えて少し太ったんだよね。というか、結城中佐によって太らされた、が正しいかな。日本にいる間、ずっとカロリー管理され、ひたすら甘いものや倍の量を食わせられた…。
一見、沢山食べることが出来て幸せそうに見えるけど…ただの拷問だったな…。
お腹がいっぱいでウェッウェッ状態の際、中佐が無慈悲に私の口の中へカステラを詰めた時は死ぬかと思ったわ。「食え。太ることが貴様の仕事だ」とラスボスが如く恐ろしい表情でフォークを私に向けて来やがったからなあの人。結城中佐マジ魔王。
それを見ていた実井が横から更にカステラを積み上げていくしさ…。「頑張ってくださいね」じゃねーよ。もうなんなの…。つーかカステラ以外をくれよ! クッキーとかもあるだろ?! 何でカステラオンリー?! このせいでカステラが苦手になったんだけど?!
前世が女性だった名残りなのか、今世が小柄な男性なのが理由なのかは分からないけど、少食の私にとっては地獄だった…。
(今の時代は高価なカステラを味わえず、詰められるとかないわ〜…)
まさかのダイエットではなく、デブ活をしていた人なんてあまりいないと思う。ダイエットよりもある意味で辛かった。正直、当分は甘いものを食べたくないし、ハイカロリーのもの摂取したくないし、そもそも太りたくない。太ったら、脂肪が邪魔で逃げにくくなるんだよね! はー…もう嫌だ…。
あの時のことを思い出して、少し眉をひそめる。すると、神永が不意にこちらに言葉を投げかけて来た。まるで世間話をするような軽さで。
「右だ」
「は?」
何言ってんのコイツ。
そう思う前に反射で右にハンドルを切った。急に方向転換した為、キキキーと音を鳴らしながらカーブを曲がる。
自分でも惚れ惚れするような運転捌きである。前世で運転をかなり練習した甲斐があった。めちゃくちゃクラクション鳴らされたけど。すみませんロンドン市民達よ。
てかさァ…中佐やD機関の奴らに命令されると咄嗟に身体が動く癖やめたい。いや、でも反射で動かないと死ぬ時もあるし?!
(じゃねーよ! 何で神永は私に指示したの?! 今から船に向かう為に運転してたのに!)
神永を連れて船に乗り、2人で日本へと帰還する予定である。その為に最短距離で船乗り場まで運転していたのだが……えっ?? 何で今指示された?? 最短距離から外れましたよ神永さん?? こっちだと遠回りですよ…?
余談だが、道は完璧に覚えている。というか死ぬ気で覚えた。何かあった時に全力で逃げないといけないからね! 逃亡に関しては一流の自負があるよ! ヘタレですみませんでしたァ!
(でも聞けねえ!!)
「えっ貴様これくらい分からないの?」になるから聞けねえ! 聞かぬは一生の恥と言うけど、私の場合は聞けば即死である。「その程度の人間にスパイ活動を任せられるか! ウラッ前線行ってこーい!」になるからね! 何やねんこの辛すぎる世の中は! 平和な世の中カムバック! 憲法第9条が恋しい!
泣きそうになりながらバックミラーをチラッと見ると、不意に気がついた。
(あれ? さっきからずっと同じ車が後ろにいるな…)
バックミラーには私が車を発進させてから後ろに居続ける車が映る。どんな奴が運転しているかまでは分からないが、体型やスーツからして同一人物だろう。一瞬でバックミラーに映る人物を記憶してしまう自分の人外っぷりにちょっと塩っぱい気持ちになる。出来なきゃ死ぬからな…。
あんな激しくカーブを曲がったり、方向転換したりしているのに後ろにずっといるとか可笑しすぎるだろ。完全につけられてるじゃねーか! 神永が無駄に指示してきたのはこのせいか! 私がこの辺りの地理を覚えているとはいえ、神永の方が長い間ここにいるから最適な道を指示してくれているのだろう。
(えっ、つーかあの車の奴らもしかしてイギリス軍? 神永が連れてきやがったの?!)
追いつくの早くね?! イギリス軍パネエな?! 流石は世界有数の諜報機関を持つだけあるわ……ん? 待って??ってことは私、今からイギリス諜報機関員とカーチェイスを繰り広げないといけない羽目に…? あのイギリス諜報機関員だぞ? 化け物でくそ優秀な神永が一度でも「ここまでか…」と考えたくらいの相手だぞ? それを私が対処する…?
…。
……。
…………。
(うわあああああああァアアアアアァアアアアアァアアアアア?! あいやァアアアアアァアアアアアアバババババハばぼばばばば)
内心で発狂した。
いや、死ぬよ?! 普通に死ぬよ?! イギリス諜報機関なめんなよ?! 私より遥かに優秀な奴らがいるからな?! 偶にスパイの癖にめちゃくちゃ有名になる奴もいるけど! 基本的にくそ優秀だぞ?! あれとカーチェイス繰り広げんの?! は?! 土地勘とか確実にあっちに軍配があがるじゃねーか!
そんな私の内心などいざ知らず、神永が超余裕そうな体勢で私に命令を下す。
「左」
「ウッス」
もういいや。言われるがままにやろ…。
分からないことは天才に任しておけ…そう思いながら私は颯爽と車を動かす。器用に車と車の間を縫って進み、スピードを落とさないまま左に曲がる。
自分の運転技術に内心ドヤ顔だ。表情には出さないけど。
唯一の得意なのが運転と女装だからね! 仕方がないね! これくらいしかD機関の中で一番になれなかったんだ…。それ故にD機関ではよく足にされる。あれ? パシリかな? …やめよ、足にされる件について考えるのは…なんか虚しくなる…。
「お前に女装以外で得意なことあるの…?」みたいなこと思うだろうけど、これもそれも前世のお陰だ。前世でスパイごっこしてた仲間に、運転技術の向上と称して車で追いかけ回されたことがある。友人が「お前に追いついたら、お前の車にぶつかるから」と脅しをかけられて、毎日毎日追いかけられたのだ。
当時大学生の私と友人(家が隣)は電車ではなく、車で大学に通っていた。それに飽きた友人はつまらない通学時間を有効活用したかったのだろう。ノリノリで追いかけ回してきやがったあの女。
あの時は死ぬ方と思ったわ…車が廃車になるかもしれない的な意味で…。連日、「交通規制はどうなってんだー!! 警察の方はいらっしゃいませんかー!」と叫びながら通学していた日々よ…。電車通学にしようとも自分の家が駅から遠い場所にあるから電車通学がしにくいという悲しみ。バスで駅にいく案もあったが、本数が少なくて断念した。
故に車を壊される恐怖に怯えながら逃げ続ける羽目に。最終的に私はアクション映画も真っ青なドライビングテクニックを手に入れることができたのだ。本気でいらねえと思った。
一般人として生きるのにはいらなすぎる技術である。どこの一般人がカーレーサーみたいな運転できるわけ? できねーよ。
(このドライビングテクニックを活かせる時がくるとはな…。できれば活かしたくなかったけど)
D機関の運転訓練で調子に乗って、馬鹿みたいなドライビングテクニックを披露した私。この時初めて前世の友人に感謝した。
最初は皆に驚かれて気分が良かったな〜。他の講義で私はほぼ最下位だったから…。でも、そんな調子に乗っている私を中佐が許すはずもない。途中から当然のようにその自負心を中佐によってボコボコにサレタナー。
中佐にアドバイスをもらった神永が全力で私の車に衝突しやがった時は心臓が止まるかと思ったわ。ドヤ顔の神永が今でも頭に残ってるくらいだ。
その後、ビビりすぎて思いっきりハンドルを切り、横にいた三好の車に激突。三好からは「貴様…ッ」と額に怒りマークを携えて睨まれ、泣くかと思った。あの人怒ると怖いからな。すみませんでした! 全て神永のせいです!
お陰様でD機関員の誰かが別の車に乗り、私の後ろに並んで走行されると未だにビクビクする。完全にトラウマになってるじゃねーか! 幾つトラウマを作らせたら気がすむんだ! 自白剤訓練や運転訓練以外にトラウマはまだまだあるぞ! 寒中水泳とかな!
(つーかイギリスの奴らまだついてきやがる!)
しつこいぞあいつら! 当たり前だけど!
これでも得意なカーチェイス(不本意)で追いつかれたら意味ねえわ! 何の取り柄もなくなるじゃねえか! いや…本当に何の取り柄もなくなる…凹むわ…。
仕方がなく私は使いたくない『アレ』をすることにする。失敗したら最悪死ぬからな…。使いたくないんだよ…。
溜息を吐きながら神永に指示する。
「神永、私の後ろの窓に座ってくれ」
「アレやるのか?」
「そうだ」
「このロンドンの道は日本とは違う。しかも雨のせいでぬかるんでいる。貴様にできるのか?」
馬鹿にしたように神永は笑うが、目が『やってみせろよ。貴様もD機関員だろ?』と言っていた。ギラギラと光る瞳がこの生と死の瀬戸際のゲームを心底楽しんでいるのだと物語っている。辛い。一歩間違えれば死ぬけど、神永にとってはそれさえもどうでもいいのだろう。こいつのことだから、私がもし失敗したとしても自分は助かる算段はしてるだろうけど。
死ぬな、殺すな、全てを欺き生き残れ。
それが私達、D機関なのだから。
(この化け物が!)
これぐらいできなきゃD機関員はやってられない。マジで退職したい…したいが、今はそんな状況じゃない。
私は覚悟を決めて、笑ってみせた。まるでブレイクタイムのコーヒーを飲みに行くような軽さで笑う。そう、これはただの休憩の合間に行う、なんてないことの動作。ただの日常。
「私を誰だと思っている?
————D機関の藤原だ」
大胆不敵。
誰にも悟られないスパイであり、誰にも殺せず、誰にも捕まえる事が出来ない。
魔王、結城中佐が手掛けた化け物の一人。
それが私、『藤原』なのだ。
それを聞いた神永がニヤリと笑う。口角を吊り上げ、目を輝かせながら笑っていた。まるでおもちゃを前にしたガキのような笑みである。
その後、神永は「はいはい任せましたよ」と言いつつ後部座席に移動し、運転座席側の窓の縁を椅子代わりに、身を乗り出して座った。上半身全てが外で、下半身だけが車内という危険すぎる体勢だ。絶対にやりたくない体勢である。
「行くぞ」
私達を追いかけている奴らが驚いたような仕草をしているのをバックミラーで確認しつつ、私はギアを変えてアクセルをぐんっと踏む。すると運転席とは反対側———先程神永が座っていた助手席側の車体が持ち上がった。
つまり今、私は車体を斜めに傾けながら、四輪ではなく二輪のみで車を走らせている。
ァアアアアアァアアアアアもう車体を早く元に戻したい! くそ怖い! 間違えればひっくり返り、神永が頭から地面に落ちる! 更に私も横のガラスに顔を叩きつける羽目になる! 死にたくない! さっきカッコ付けたけど、前言撤回したいよう…。
ヘタレそうになりながらも、車体が半分浮いている車を動かして本道を外れて進む。ぬかるんだ道路にハンドルが持っていかれそうになるが、必死でそれを押さえつける。そして歩行者くらいしか通れないような、家と家の隙間の小道に車を突っ込んだ。
ギギギギギーーーッ!
車が両端の壁に擦れて凄まじい音を鳴らす。普通ならばそれで止まるところを絶妙なタイミングでハンドルを切り、ひたすら猛スピードで突っ切った。
(負けるな私! 死ぬな私! いっけええええええええ!!)
数秒もすると小道から脱出して、ガタンッという音と共に車体が元に戻る。バックミラーをサッと見ると、唖然とした表情でこちらを見るイギリスの諜報機関員たちが目に入った。…ん? なんか見た事がある気が…? まあいいや! すみません逃げます!
そうこう考えているうちに大幅に遠回りしたものの船乗り場に到着。ちらっと後ろに座る神永を見ると「あーやれやれ」とボヤいていたので、多分今の運転で大丈夫だったのだと悟る。失敗でもすれば文句たらたら言ってくるだろうしな。
神永が私の方を見て、ニヤリと笑ってみせた。腕を頭の後ろで組みながら笑うのは様になっていて腹がたつが、えっなんなの怖いな?! という気持ちにもなる。
「貸し一つな。なんか奢れよ」
「…おっ、おう。そうだな」
ごめん。何が?
私はそのまま適当に頷く。そんな私を見て満足したのか分からないが、神永は車から降りて勝手に後ろにある車の荷台を漁る。それ見ながら私は全力で怯えていた。
D機関のやつらって本当に意味が分からないよ…。怖すぎ…。貸しってなんですか…。普通はこの場、神永に貸し一つじゃないの…? わけわかめ…。
そう思いながら天を仰いだ。
お久しぶりです。
神永視点は次回になります。