ふと目が覚めると、自分が裸であることに気付いた。少し首を曲げると見慣れた風景、そこは間違いなく自分の部屋。だが、今この瞬間、通常ならば自室に居るはずのない誰かの吐息が聞こえる──規則正しい寝息を追うと、密着している肢体から伝わる体温、それは
同じベッドの中、同じく一糸纏わぬ姿のまま隣で眠るジャンヌ・オルタ。そんな彼女の寝顔を覗き込むと、人の腕を枕に、どこか幸せそうな表情。完全に眠っているので無意識なのだろうが、掛け布団の下では彼女の片腕が背中へと回され、細くしなやかな脚が巻き付いている、いわば抱き枕状態。
「……ん、ぅ……、……んーっ……すぅ……」
こちらの僅かな身動ぎに反応し、ジャンヌ・オルタは先ほどよりも背中へ回す腕に力を込め、座りが良い場所を求めて脚を絡めてくる。柔らかい太股が腰の辺りを圧迫し、胸板へ彼女の豊満な乳房が押し付けられると──すごく、落ち着かない。嫌ではないのだが、このままではイケナイ欲求が沸き上がってきそうだ。
「……ん、ぅ……っ……ふ、ぁ……、……んぅ?」
なんてこちらの葛藤を余所に、ジャンヌ・オルタは小さな欠伸と共に、僅かだが瞼を持ち上げた。まだ夢見心地な彼女の瞳は焦点が合っておらず、どこかボーッとした様子。だが、ふと嬉しそうに微笑むと顔を近付けてきて──彼女と唇が、触れ合う。軽く、触れるか触れないかという微妙な接触、ちゅっ、ちゅっ、と、小鳥がついばんでくるような優しい口付け。
「……ちゅっ、んっ……っ……んぅっ……んーっ、んふふぅ……」
夢見心地というよりは、完全に寝惚けている、らしい。口付けの後ジャンヌ・オルタは満面の笑みを浮かべ、まるで甘えてくる猫のように額や頬を首筋へ擦り付けてくる。どこか甘い匂いを振り撒きながら、肌触りの良い髪と、陶器のような彼女の頬の感触──本当は起きてて、悪戯されてるんじゃないかと邪推してしまうほどに彼女の行動はあざとい。なんだ、この可愛い生物。
──結局、そんな年頃の青年には苦しい生殺しは
──彼女が完全に覚醒するまで、続いてしまった
◆ ◆ ◆
「……あー、ホント最悪。バカッ、すけべっ、死ねばいいのに」
あの後、それほど待たずしてジャンヌ・オルタは目覚めてくれた。それは良いのだが、どうやら寝惚けていながらも彼女には薄ぼんやりと記憶があったようで──覚醒するなり「う"ぁ"ぁ"ぁ"」なんて奇声を上げてベッドから転がり落ちるわ、痛みと羞恥に焼かれ床上で悶え始めるわ、それはもう酷い取り乱しっぷりだった。
何とか落ち着けることに成功したのが、つい数分ほど前の話。とりあえず裸なのは如何なものかと服を着るように促したのだが「普段着は動きにくいから嫌」と駄々をこねられ、仕方なくクローゼットの中の服を貸してやることにした──の、だが、よりにもよって彼女が選んだのは……
「……っ……ッ!! ま、まじまじと見ないでよ、バカ……」
──こちらの視線に気付き、頬を紅潮させ視線を逸らすジャンヌ・オルタ
──そんな彼女が纏っているのは男物の、白いYシャツ
──もちろん、サイズなど合うわけがない
前を閉めボタンは止めているものの大きく開いた襟元からは彼女の鎖骨が見え、長い袖は彼女の掌を出すことさえ許さず、せいぜい指が顔を覗かせる程度。それだけでも絶大な破壊力、魅力を撒き散らしているというのに──極めつけは裾部分、辛うじて局部は見ることが叶わず、そこから伸びた彼女のしなやかで肉付きの良い脚が伸びている。
──まったくもって、目に毒でしかない
だから、というわけではないが、ジャンヌ・オルタも唸っているので、言われた通りに視線を外す。直視しないよう目線を逸らしたものの、棒立ちというのもバツが悪い──寝起きということもあってか、ちょうど喉も渇きを訴えてきているし、退避がてら飲み物でも用意するとしよう。
「は? 飲み物? え、と……その……っ……任せる、わ」
希望を聞いてからベッドへ座って待つよう促してから、冷蔵庫を開ける。するとミネラルウォーターが入ったペットボトルが数本、あとは果汁ジュースだったり炭酸飲料だったり。正直なところ、ジャンヌ・オルタが好みそうな飲み物は見付けられない。少し手間だが、珈琲でも入れるとしよう。
水場へ移動しポットの水を入れ替え湯を沸かしている間に、カップを二つほど用意。一つは自分のお気に入り、もう一つは客用の真っ白で何の柄も入っていない陶器のカップ。あとは、珈琲の粉やシュガースティックなどを準備して──と手際よく作業していたのだが、ふと気付いた。背中へジャンヌ・オルタの視線が刺さってくることに。
首を曲げ様子を伺うと、ジャンヌ・オルタは言われた通りにベッドへ腰掛けていた。ただ、どこか不機嫌そうな、それでいて困惑したような表情を浮かべている。まだ朝の失態が尾を引いているのかと思ったが、どうやら違うらしい──よくよく観察してみれば、そう、落ち着きがない、と言えば良いのだろうか。彼女は着ているYシャツへ視線を落としてみたり、こちらを睨んでみたり、不意に顔を綻ばせたり、と表情に一貫性がない。
それを指摘して怒られるのも嫌だし、ちょうど湯も沸いたので気付かないフリ。さっさと珈琲を完成させると二つのカップへ珈琲を注ぎ、片方をブラック、もう片方には砂糖とミルクを加え微糖にして完成──二つのカップの縁を持ち、ベッドへ座って不機嫌そうな
「え、あぁ……じゃあ、砂糖とミルク入ってる方、もらう……わ」
どちらの珈琲が良いか聞いてみると、予想外にも彼女が選んだのは微糖の方。いや、"黒"というイメージがあったからブラックを選ぶかな、なんて考えてはいたが、それは偏見でしかなかったらしい──ともあれ熱いから、と注意しつつ差し出すと、彼女は少し怯えながらもカップを受け取ってくれた。
「んっ……や、安物ね……まっず……」
ジャンヌ・オルタはカップを傾け、中身を一口。次いで口から出てきたのは酷評、しかし口ではマズいなんて言いながらも彼女が傾けるカップは一向に口から離れない。火傷しないよう、ゆっくり、味わうように何度も喉を揺らしている様は彼女の
漏れてくる苦笑を堪えながら彼女の隣へ座ると、ブラック珈琲を一口。苦味が口の中へ広がり、熱い珈琲が喉を通っていくと体の内側から暖かくなっていく──
──緩やかで、穏やかな時間
──しばらく部屋の中では、珈琲を啜る音だけが、鳴っていた
~おまけ~
「はい、借りたシャツとカップ……じゃあ、ちゃんと返したから……ッ!!」
夕方、わざわざジャンヌ・オルタが部屋を訪れてきたから何事かと思ったが、朝に貸したYシャツとカップを返しに来てくれたらしい──差し出された物をこちらが受け取るや否や、彼女はそそくさと逃げるように部屋から出ていった。なんでそんなに急いでいるのだろう?
それにしても──
洗って返すから、なんて朝方にYシャツとカップを持っていった時は信じられなかったが、ホントに二つとも洗ってある。ただ、まぁ、その、なんだ、Yシャツの方は畳もうとしてくれたんだろう、変なところにシワが付いてて、折れ方も不自然で、仕上がりは不恰好だけど──うん、根は真面目というか、素直なんだよね。ただ、ものすごく不器用なんだよね、分かってる、知ってた。
明らかに妙なクセのついたYシャツをクローゼットへ仕舞い、カップを元の位置へ置こうとした時、ふと気付く。カップの裏面へ、何やら文字が書かれている──裏返してみると決して綺麗とは言い難いが、一画、一画を丁寧に書いたであろう慎重さが伺える文字。解読してみると、何のことはない。これは、彼女の声のない言葉。
──"ジャンヌ・オルタ専用"と書かれたカップの意味するところは?
──決まっている、"次の機会"のためだろう
このカップは、もう客用ではなくなった。どこぞのワガママで、壊滅的なまでに素直じゃない聖女様の専用カップになってしまったらしい。戸棚を開け、自分用のお気に入りカップの隣へ、そのカップを置く──また、すぐにでも"これ"を使う機会があるだろう。そう考えると、顔が綻んでいくのを止められない。
──戸棚を閉める瞬間、仲良く並ぶ二つのカップが
──部屋の照明に照らされ、嬉しそうに光った気がした
寝惚けたジャンヌ・オルタに甘えられた後、裸Yシャツ強要して罵られながらも一緒に珈琲が飲みたい人生だった(死亡)