第一話 運命の日
序章
1
照りつける太陽光に反射し、蒼く輝くハワイ諸島南方の空域を、一機のPBYカタリナ飛行艇が飛んでいた。
同飛行艇は、胴体から離れた高翼式の双発飛行艇であり、1937年からアメリカ軍の各部隊に配備が開始されたものだ。
巨大な主翼の両端には格納式の小型フロートがぶら下がっており、バナナのような胴体も巨大なフロートの役割を有している。
全長20.1m、全幅31.7mというその巨大さ、空気抵抗を考えられた滑らかな流線形、機体の表裏に塗装された二種類の紺色。その姿は空飛ぶクジラにも例えられた。
最新式の機体とは言えないが、沿岸警戒や海難救助、消防機としてアメリカのみならず各国でも活躍している航空機である。
「そろそろ予定の海域だが、こんなところに味方駆逐艦なんかいるのか?」
カタリナ飛行艇の機長兼操縦士のジョン・ハモンド中尉は、操縦桿を握りながら、隣で双眼鏡を覗いている副操縦士のケニー・ウォーカー少尉にぼやいた。
「こんなだだっ広い海で遭難した船一隻見つけるのはかなり難しいでしょうね。」
全く同感だ、と言いたげにケニー少尉は返答した。
このカタリナ飛行艇に与えられた任務は、行方不明になった駆逐艦の捜索である。
今日の午前七時頃。オアフ島南方八十浬(カイリ)を航行中だったクレムソン級駆逐艦「パロット」が消息を断った。
クレムリン級駆逐艦は前大戦でアメリカが大量生産した平甲板型駆逐艦の一隻であり、現在は第一線から退いて様々な裏方部隊に配備されている。
そんな一隻である「パロット」の艦歴は二十一年にも及んでいるため、哨戒中、嵐に合って機関が故障したなどのトラブルが発生した可能性がある。
真珠湾の哨戒艦隊司令部はそう判断し、ジョンたちのカタリナ飛行艇を捜索に派遣する流れに至ったのだ。
だが、ヒッカム飛行場を発進してから早二時間。「パロット」が消息を絶った海域を重点的に捜索しているが、駆逐艦の姿は発見できていない。
「……少し、高度を落とすか。」
この高度だと航跡も見えないかな…と思ったジョンは、操縦桿を左に傾けながら奥に倒した。
カタリナ飛行艇が、緩やかな角度で降下していく。
高度が四千メートルから三千五百、三千、二千五百と下がっていき、海面の波濤がはっきりと見える高さまで降りていく。
高度二千メートルを切った時だった。
「機長、右前方の海面が!」
ケニーが狼狽した様子で叫んだ。
ジョンは咄嗟に首をひねり、右前方の海面に目を向ける。
「なんだ…あれは?」
ジョンは力の抜けた声で言った。
その海面はハワイの美しい海の青でなく、重油のように真っ黒だったのだ。
少しの面積なら「パロット」が事故によって垂らした重油だと思えるが、その黒い海はカタリナが飛行している海面から水平線にまで広がっているように見える。
海底火山?水質汚染?様々な憶測がジョンの頭を駆け巡るが、答えは見つからない。
そして、さらにカタリナのクルー達を驚かせることが起きる。
黒い海に巨大な水飛沫が起きた…と見えた瞬間、多数の艦艇が水面下から湧き出できたのだ。潜水艦ではない、駆逐艦のような艦もいれば巡洋艦、巨大なものでは戦艦のような奴もいる。どの艦艇も黒光りしており、一斉にカタリナの進行方向の反対、すなわちハワイ諸島の方向に向かっていく。
「こ、これは!」
「直ちに司令部へ打電!」
ケニーが言い、ジョンが叩きつけるように指示を出した。
この艦艇群の正体はわからない、だが一刻も早く現在の状況をオアフ島のアメリカ太平洋艦隊司令部に伝えなければ、という感情がジョンを突き動かしていた。
だが、奴らはそれを許さない。
「敵味方不明機、左正横。近い!」
カタリナ左側面の機銃座についているマーチン・スタットリー伍長の声が聞こえたのと同時に、ジョンは反射的に操縦桿を手荒く左に傾けた。
カタリナ飛行艇の巨体が左の翼を海面、右の翼を天空へ向け、左に大きく旋回する。
敵味方不明機が猛スピードで頭上を通過する。あまり良く見えなかったが、黒色で砲弾のような形をしているのだけ、辛うじてわかった。
敵味方不明機はすれ違いざまに発砲したらしい、首を振って左右の翼を見上げると三、四箇所に弾痕が見える。
ジョンの背中に、冷たいものがよぎった。
(撃ってきた…⁉︎)
「後方からも、新たな敵機!」
間髪入れずに新手の報告が入る。
砲弾のような形をした航空機は、カタリナ飛行艇に問答無用で発砲してきた。
機体に国籍を示すマークは見えない。が、「敵味方不明機」ではなく、完全な攻撃の意思を持った「敵機」だった。
後方から銃撃音が聞こえ始める、スタットリーが応戦しているのだろう。
ジョンは罵声を吐きながら操縦桿を右に、左にと動かし、機体を振る。
戦闘機に比べると、カタリナの機動は悲しくなるほど遅かった。
敵機も発砲したのだろう、重々しい発砲音が背後から轟き、敵弾が胴体や翼をかすめる。
時折鋭い打撃音が響き、機体が鳴動する。
そのたびにジョンは背筋が凍るような思いをするが、計器に異常はない。カタリナ飛行艇が火を噴くこともない。
敵機がカタリナを追い越す。すごい速力差だ、100キロは違うかもしれない。
敵機は先に攻撃してきたもう一機と共にターンし、カタリナ飛行艇の正面に向き合った。
この時、ジョンは初めて敵機をはっきりと見た。
とんがっている黒色の胴体の下には、人間の歯のようなものが付いており、さらにその下には機銃と思われる細長い棒が飛び出している。
翼のようなものは見当たらず、国籍を示すマークもついていない。
「化け物…!」
ジョンは小さく叫ぶと共に、自らの死を悟った。
二機の敵機との距離はほとんどない。
アメリカ陸軍の主力戦闘機P40“ウォーホーク”ならば回避できると思うが、あいにく今の乗機は空中戦を考慮していないカタリナである。
敵機の胴体下で、一斉に発砲炎が躍る。
だがジョンは諦めなかった。
操縦桿がねじれると思えるほどのパワーで奥に倒し、同時にスロットルを絞る。
カタリナの巨体がお辞儀をするように前のめり、同時に速度が大幅に遅くなる。
ジョンは機体を下にそらし、雨あられと降ってくる敵弾多数を避けようと考えたのだ。
だが、十分に減速する前に、無数の敵弾がカタリナに殺到した。
真上から降ってくる形となった敵弾群は、広いの面積の主翼、バナナのような胴体、尾翼を文字通り蜂の巣にし、エンジンを切り裂き、プロペラを吹き飛ばした。
けたたましい音と共にコクピットの窓ガラスが叩き割られ、眉間に衝撃を受けると同時に、ジョンの意識は暗転した。
パイロットを失ったカタリナ飛行艇は、悲鳴じみた音を立て、白煙を吐きながら、ハワイ諸島南方の大洋に落下していく。
海面では空中での出来事などなかったなのように謎の艦隊が、一路真珠湾に向け進撃していた。
2
数時間後。
真珠湾が位置しているオアフ島は、火焔の煉獄と化していた。
一箇所だけではない、ざっと見ただけでも八箇所から煙が発生しており、時折、爆発が起きて真っ赤な爆炎が沸き起こる。
約七十万キロリットルの重油が備蓄されていた燃料庫が攻撃されたのか、一帯は火の海と化していた。
ハズバンド・キンメル大将を始めとする太平洋艦隊司令部スタッフの消息も不明である。
真珠湾の艦艇や飛行場はあらかた破壊されており、健在なものは一つもない。
真珠湾軍港が基地能力を完全に失ったのは、もはや誰の目にも明らかだった。
同じような光景は、日本領トラック環礁、同じくマーシャル諸島、英国領シンガポール軍港、米国領フィリピンのマニラ軍港でも起こっている。
今日、1941年3月1日。
後に深海棲艦と呼ばれる敵との戦いが始まったのだ。
次回予告 反撃への道
連合艦隊の選択はいかに!