南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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一〇〇式司令部偵察機

全長 11.0m
全幅 14.7m
発動機 ハ26型/空冷星型14気筒/875hp.×2
自重 3380kg
速力 540km/h
航続距離 2250浬(増槽あり)
武装 7.7mm機銃1丁(後部旋回)
乗員数 2名




第二十五話 極東の牙城

1

 

6月24日早朝、中国大陸に寄り添うように位置している島ーー海南島ーーの南部、三亜(サンア)にある飛行場では、航空機五機の発進準備が進められていた。

 

うち四機は戦線ではお馴染みの零式艦上戦闘機だが、残りの一機は海軍では見慣れない形の双発機だ。

その双発機は、空気抵抗が最小限になるように設計されていることがわかるほどの流線形であり、いかにも高速を発揮することを目的として作らせているのがわかった。

 

 

日本陸軍独立飛行第七十六中隊の一〇〇式司令部偵察機だ。

 

 

海南島に展開する東港(トウコウ)海軍航空隊は、偵察を任務とする部隊であり、その位置関係からもフィリピン・マニラに対する情報収集の主力を務めてきた。

だが、装備しているのは九七式大型飛行艇や零式観測機などの機体ばかりであり、低速ゆえ帰還率が高くない。

それに台湾の十一航艦が、敵レーダー基地を破壊した後もマニラの防空体制の強さは変わらず、飛行場姫に辿り着けてもマニラには近づくことができないどういう状態が多発した。

 

東港航空隊司令の宮崎重敏(みやざき しげとし)大佐は、「マニラへの偵察を成功させるには、より高速の偵察機とそれを守る護衛戦闘機が必要だ」と判断し、上位部隊の十一航艦に零戦一個中隊の増援を要請した。

だが、日本海軍は高速の戦略偵察機を保有していない。

 

そこで、陸軍の一〇〇式司偵が宮崎の目に止まった。

 

一〇〇式司偵は台湾の陸軍第五飛行集団に配備されており、新たな飛行場姫を発見するなどの成果を上げている。

さらに、最大速度が540km/hと、385km/hの九七式大艇より約150km/hも優速であり、甲型戦闘機をも振り切れる高速を発揮することが可能だ。

宮崎は十一航艦を通じて第五飛行集団司令部に要請し、その結果、独立飛行第七十六中隊の一〇〇式司偵八機が東港航空隊の指揮下に入ることとなったのだ。

 

 

 

温暖運転を終了した零戦が、一機ずつ滑走路に移って発進する。

最初はゆっくりだが、徐々に加速し、「誉」発動機の爆音を轟かせながらその機体を浮からせ、大空へ向かう。

 

よく訓練されているのだろう。

四機の零戦は危なっかしいところ一つ見せずに、素早く発進した。

 

次は一〇〇式司偵の番だ。

 

搭乗している空中勤務者がフルスロットルを開き、左右の3トンを超える機体を滑走路上で走らせる。

とんがった機首が空気を切り裂き、機体が徐々に増速されていく。

 

やがて、離陸速度に達した一〇〇式司偵は、機首を上向かせて暁の大空へ飛び立っていった。

 

 

午前10時22分

 

2

 

 

「見えてきました。ルソン島です!」

 

一〇〇式司偵 空中勤務者 布目和俊(ぬのめ かずとし)准尉の耳に、後部座席に座る同乗員 迫江龍介(さこえ りゅうすけ)飛行兵曹の声が伝声管を通じて聞こえてきた。

 

迫江は海軍の航空機搭乗員だ。

日本陸軍の航空兵は地文航法を習得しており、目印の無い洋上を飛行することはできない。

そこで天測航法を習得しており、洋上に進出しても自らの場所を特定することのできる海軍航法士を同乗させるように、海軍と陸軍の間で取り決めてある。

 

 

布目は迫江の言葉を聞いて、機体正面の水平線を凝視した。

 

分厚い雲の下に、薄っすらと島影が見えてきた。

時間が経つにつれて左右に広がり、濃緑の巨体を水平線上に横たえ始める。

 

「マニラとの距離二十五浬、針路110度願います」

 

「了解」

 

迫江の言葉に、布目は短く答えた。

 

一〇〇式司偵の前方を進んでいる零戦二機が右に旋回したのを見計らって、布目は操縦桿を心持ち右に傾けた。

一〇〇式司偵が右に傾き、機首を110度へ向ける。

 

現在、マニラ周辺の敵電探に探知されないよう、計五機の編隊は高度二十メートルの低空を飛行している。

この高度での飛行は危険極まりなかったが、布目は満州や中国の起伏の激しい荒地を飛行するよりも、ただ平面のみの洋上を飛行する方が楽だと思っていた。

 

眼下をちらりと見ると、先まで蒼かった海面が黒色に澱み始めている。

情報にあったように、マニラ周辺の海面は深海棲艦によって汚染されているようだ。

 

布目は後方に付き添っている零戦二機が後続してくるのを確認すると、再び正面を向く。

 

 

「…マニラへの針路は合ってるな?」

 

布目が聞くと、迫江が自信ありげな声で返答した。

 

「自分の航法が間違っていなかったら、この針路で合っています」

 

「正面を見て見ろ…」

 

布目は大きく息を吐いてから、迫江に言った。

 

一〇〇式司偵は操縦席と後部座席が離れており、意思の疎通に難がある。

それでも、迫江の息を呑む音が聞こえたような気がした。

 

 

 

マニラ上空が荒れている。

巨大な入道雲のようなものが点在し、時折稲光を発する。

地上付近は豪雨のようだ。

水のカーテンのようなものが見え、景色がぼやけている。

 

フィリピンは6月から雨季入りだ。

東港航空隊の偵察は、悪天候の日と重なってしまったらしい。

 

 

航空偵察でも航空攻撃でも、天気が荒れていたら即刻中止が普通だ。

目標を視認できないどころか、事故の可能性もあるためである。

 

あの天候では偵察は無理だな、と布目は思っていたが…。

 

「好機、かもしれません」

 

「好機?」

 

迫江の言葉に、布目は思わず聞き返した。

 

「今まで、マニラ偵察はほとんどが失敗してきました。陸軍さん自慢の一〇〇式司偵でも、無事に情報を持って帰れるか分かりません…。でも、あのような悪天候だと敵も迎撃し難いと思いますし、少しでも貴重な情報を持ち帰れるのでは…?」

 

「…だが」

 

布目は口ごもった。

対空砲火の中を突いて進むのに躊躇はしないが、あの悪天候の中を進むのには気が引ける。

 

布目がどうするか迷っている時、零戦二番機を操る浜松十郎(はままつ じゅうろう)飛行兵曹の緊迫した声が、レシーバーに響いた。

 

「二番機より全機。上方敵機!」

 

浜松の声を聞いた直後、布目は反射的に正面上方を振り仰いだ。

十機以上の甲型戦闘機が、五機を包み込むように降下してくるのが見える。

 

(さすがは警戒厳重なところだ…!)

 

布目はそう思った刹那、叩きつけるように迫江に言った。

 

「行くぞ。迫江!」

 

次の瞬間、布目は発動機のフルスロットルを開く。

両翼に装備したハ26空冷複列十四気筒エンジンが猛々しく咆哮し、巡航速度から最大速度の540km/hに加速する。

 

四機の零戦も加速するが、一〇〇式司偵には及ばない。

一〇〇式司偵は接近中の甲戦を振り切るべく、海面すれすれを高速でマニラへと向かう。

 

逆方向に逃げても、旋回中に甲戦から機銃弾を撃ち込まれて終わりだ。

ここは高速を生かして敵編隊を突破し、雷雲の中に逃げ込もうと考えたのだ。

 

「敵機、急降下!」

 

迫江が悲鳴じみた声で報告する。

 

 

布目がちらりと見上げると、半数以上の甲戦が機体を翻し、一〇〇式司偵に向かって来る姿が目に映った。

敵はなんとしてでも一〇〇式司偵をマニラには行かせたくないようだ。

 

 

降下中の甲戦に、護衛の零戦が仕掛ける。

 

急降下している甲戦に射弾を命中させるのは至難らしく、零戦一、二番機の射弾は外れるが、三番機の放った二十ミリ弾が先陣を切って降下していた甲戦を襲った。

 

先頭の甲型戦闘機は真横から多数の二十ミリ弾に撃ち抜かれ、閃光と共にバラバラに空中分解を起こす。

 

だが、撃墜できたのは一機だけだった。

残った甲戦は機首の下に発射炎を閃らめかせ、一〇〇式司偵に射弾を浴びせる。

 

文字通り雨のように多数の火箭が降って来るが、ギリギリのところで後方に逸れていく。

甲戦が放った射弾は、一〇〇式司偵が通過した後の空間を貫くだけであり、一発も命中しない。

敵は一〇〇式司偵の最大速度を低めに見積もっていたようだ。

 

逆に、引き起こしのタイミングを見誤ったのか、先頭の甲戦と二番目の甲戦が海面に突っ込む。

 

一〇〇式司偵の後ろに二つの水飛沫が発生し、衝撃で二機の甲戦がバラバラになる。

後続の甲戦は射撃を断念し、泡を喰ったかのように機首を上向けさせた。

 

それを見計らって、布目は力強く操縦桿を手前に引く。

 

ルソン島に近づくにつれて、波が高くなっている。

このままの高度だと甲戦よりも、波にぶつかって墜落してしまうと思ったのだ。

 

「後方、敵機。まだ来ます!」

 

迫江の報告と共に、後方から七.七ミリ機銃の発射音が響く。

 

布目がバックミラーを見ると、迫江が発射した七.七ミリ弾をかわしながら追って来る甲戦の姿が写った。

 

その甲戦が機銃を発射した瞬間、布目は反射的に操縦桿を奥に倒す。

先に上がった高度が下がり、機首が海面を向く。

 

甲戦が放った火箭が一〇〇式司偵の頭上をかすめ、正面の海面に水飛沫が上がる。

高度を下げていなかったら、後ろからまともに喰らっていたと思わせるほどの近距離だった。

 

 

甲型戦闘機の攻撃はこれが最後だった。

果敢に追って来た甲戦は、一〇〇式司偵の高速に追いつけず、みるみる距離が開いていく。

 

後方で空中戦を展開している零戦が気になったが、布目は正面を向いた。

 

豪雨でけむっているマニラ湾が見え、見上げんばかりの雷雲が正面に立ちはだかる。

眼下の海は大きくうねっており、激しく泡立っている。

 

 

次の瞬間、一〇〇式司偵は豪雨の中に進入した。

 

 

それは、一瞬で世界が変わってしまったかのようだった。

分厚い雲に遮られて満足な日光が届かず、周囲は薄暗い。

雨が機体を叩き、小太鼓を連打したかのような音が布目の耳に届く。

強風が吹き荒れ、機体が小刻みに震え始めた。

 

幸い、視界は思ったより良好だ。マニラ湾やコレヒドール島を正面に見る事ができる。

 

布目は、スロットルを絞りながら機体を上昇させた。

現在の高度二百メートルから五百、八百、一千メートルと高度と上げ、湾の全容がぼんやりと見え始める。

見たところ海が黒いだけの湾であり、深海棲艦が厳重に警備する意味がわからなかった。

 

一〇〇式司偵がコレヒドール島上空を通過し、湾上空に入る。

 

コレヒドール島は米極東陸軍により島全体が要塞化されており、三十センチカノン砲八門を初めとする多数の火器がマニラ湾口に睨みを利かせていたという。

だが現在、その面影は残っていない。

 

米極東軍自慢の要塞島は、沈黙を守り、一〇〇式司偵の通過を見送っていた。

 

 

一〇〇式司偵はマニラ中心街を目指す。

 

 

「右下方に停泊中の敵艦。撮影します。近づけますか?」

 

「了解。せっかく来たんだ、撮れるもんは撮っとけ」

 

布目はそう言って機体を右に傾けた。

次の瞬間、視界に入って来た光景を見て布目は息を呑んだ。

 

マニラ湾には深海棲艦侵攻以前は米アジア艦隊の本拠地であり、キャビテ軍港と呼ばれていた港がある。

 

その港に四隻の大型艦が停泊していた。

ぼんやりとしか見えないが、明らかに人類の船ではない。

 

 

ーー深海棲艦の戦艦だ

 

 

「撮影完了!」

 

迫江が報告した瞬間、その艦上に小さい発射炎が立て続けに閃らめいた。

刹那、一〇〇式司偵の周囲で敵弾が炸裂し始める。

敵は雨で照準がつけにくいのだろう。狙いは甘い。

それでも一度ならず至近で炸裂し、弾片が機体を叩く。

 

布目は機体を捻り、対空砲の射程圏外へと急いだ。

敵戦艦から離れれば離れるほど対空砲火の密度が低くなり、やがて止む。

 

布目は計器盤を確認した。

幸い、どの計器も異常を示していない。対空砲火による機体損傷はなかったようだ。

 

 

布目が安堵した刹那、一際大きな雷が敵戦艦に落ちた。

 

戦艦の斉射を思わせる轟音が布目の耳をつんざき、巨大な稲妻が一〇〇式司偵をかすめて海面に向かう。

一瞬、薄暗かったマニラ湾が雷の閃光で昼間のように変わり、全てのものを照らし出す。

 

「なんだ…?」

 

一瞬の間、稲妻の閃光に照らし出されて浮かび上がった物を見て、布目は呟いた。

 

「迫江、今の見たか?」

 

「見ました…」

 

布目が恐る恐る聞くと、迫江は「信じられない」といった風に返答する。

 

 

布目の見間違いでなければ、マニラ市中心部に巨大な構造物が屹立している。

一瞬だけしか見えなかったが、戦車の車輪を横に倒したような円柱形だった。

一〇〇式司偵の高度からでも大きく見えたということは、かなり巨大な物だということがわかる。

 

(奴らがマニラに近付けさせたくなかった理由はあれか…!)

 

布目は直感的にそう思い、再びマニラへ機首を向ける。

距離が近くなるにつれて、巨大構造物の輪郭があらわになりはじめた。

 

一〇〇式司偵が雲の見れ目に入る。

入った瞬間、雨と風がやみ、日光が差し込んで来た。

その構造物は豪雨というヴェールを剥ぎ取り、二人の目の前に現れる。

日光に照らされ、はっきりと布目の目に映った。

 

 

一言で言うと、それは巨大で真っ黒な切り株だった。

何十本もの根のようなものが四方に伸び、地中に埋めている。

ところどころにある隙間から間欠泉のように水蒸気が漏れ出しており、同時に鈍い赤色の光が這い出ている。

高さは百メートルはあるだろうか?直径の長さは計り知れない。

 

その巨大構造物が、旧マニラ市街があったところに建造されている。

 

 

「なんだ…これ」

 

布目はかすれるような声で言った。

 

(人類は深海棲艦について、何もわかっちゃいないのか…これがなんなのかすら、わからないのか)

 

布目は心の中で呟き、深海棲艦がいかに謎が多い存在なのかを改めて実感した。

 

「撮影終了!」

 

迫江の声が耳に届き、布目は機首を真北へ向ける。

一〇〇式司偵は航続距離が長い偵察機だが、海南島〜マニラ湾を往復するだけの力はない。

帰還時は台湾へ向かうこととなっていた。

 

 

巨大構造物の周りで、多数の発射炎が光る。

 

 

一拍空け、一〇〇式司偵の高度まで駆け上がって来た敵弾が炸裂し始めた。

炸裂の硝煙で視界が悪くなるほどの量であり、先に敵戦艦から受けた対空砲火よりも数段上の火力だった。

 

ピリピリと空気が振動し、機体が大きく揺れる。

 

布目は再びフルスロットルを開き、機体を上昇させた。

雲の切れ目から離脱し、雲の中に逃げ込むためだ。

 

 

至近距離で敵弾が炸裂する。

複数の弾片が機体をえぐり、翼や胴体にささくれができる。

空中分解してしまうのではないか、と思うほど機体が揺れるが、布目はしっかりと機体を操る。

 

(もう少し…もう少し…!)

 

布目は祈るように呟き続けた。

今回の偵察で得た成果は計り知れないものがある。撮影した写真を、なんとしてでも日本に持ち替えなければならない。

 

ひたすら正面の雲を目指す。

 

 

「いっけぇぇぇぇぇ!」

 

視界いっぱいに雲が広がり、一〇〇式司偵が雲の中に逃げ切れると確信した瞬間、布目は叫んだ。

 

 

これで助かるーーー布目と迫江が直感したが、刹那、敵高射砲が放った一発が一〇〇式司偵の真上で炸裂した。

 

 

 

 

無数の弾片が、一〇〇式司偵を切り裂く。

 

後部座席から迫江の短い悲鳴が聞こえた直後、機体をこれまでにない衝撃が襲いかかり、布目の背中に焼けるような激痛が走った。

痛みに耐えきれず絶叫を上げそうになったが、口から出て来たのは熱く、真っ赤な液体だった。

 

「なんと…しても……」

 

意識が朦朧とし、視界がぼやける。

 

「この…情…」

 

 

 

 

 

 

 

 

一〇〇式司令部偵察機はコクピットから黒煙を吐きながら、雷雲の中に姿を消す。

 

 

 

地上では、巨大構造物が無言のままその巨体を横たえていた。

 

 

 






うーむ。
週一は無理そうです!

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