南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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「約束」か…某アニメでそんな曲があったな…。

泣けるヤツ


第二十八話 約束

 

 

1

 

風巻康夫連合艦隊首席参謀は、連合艦隊司令部がある呉鎮守府から大本営へと向かうため、汽車の中にいた。

 

日はとうに暮れており、周囲は薄暗い。

町に灯火管制は敷かれておらず、流星のように夜景が汽車の後ろに過ぎ去っていく。

 

時間的にも利用者が少ないのか、車内はガラガラだ。

居眠りしそうな老人と、リュックを背負った国民服の男性、子連れの若い女性の計四人しか座っていない。

石油事情の切迫によって、ガソリンを使うバスなどの交通機関は全て停止されている。

汽車は唯一生き残っている市民の足であり、混んでいるかと思っていたが、そうでもなかったようだ。

 

ぎゅうぎゅう詰めの汽車を覚悟してきた身であったが、すいていることに拍子抜けしつつ、風巻は目のやり場を車内からから車外に移した。

 

 

広島の町は、戦時色に染まりつつある。

 

「打倒、深海棲艦!」と書かれた横断幕や、志願兵を募るポスター、戦時国債購入促進のビラなどが街中からちらほらと見える。

国民の中には軍の勝利に沸き立つ青年や、軍人として戦場に旅立って行った夫や息子を心配する家族がいる。

 

3月1日以前は考えられなかった光景だ。

 

日本海軍の仮想敵だった米国や英国は、防共協定締結により重要な盟邦になったし、ソビエトは1939年に起こった武力衝突の政治的決着以来、少しずつだが緊張状態がほぐれていっている。

 

日本国民…いや世界の誰もが平和な世界が訪れるのを疑っていなかった。

 

だが、深海棲艦の出現で、世界は終わりの見えない戦争に巻き込まれてしまい、当事国の国民は様々な苦難と戦っているのだ。

 

(あいつらは、どうしているのだろう…)

 

風巻は、ふと家族のことを思った。

妻の紗江子(さえこ)と、娘の(りょう)の笑顔が脳裏に浮かび上がる。

さえこの実家は広島港の近くで「榎本屋」という穴子飯の料亭を開いており、紗江子はそこの若女将を勤めている。

涼も同様で、地元の高等女学校に通いながら見習いとして働いていた。

 

明治から続く老舗であり、遠くからわざわざ食べにくる客もいるが、ここ最近は客足が伸び悩んでいるらしい。

 

呉鎮守府に身を置いている自分からすれば、一度ぐらい会いに行きたかったが、連合艦隊首席参謀という役職がそれを許してはくれなかった。

 

 

 

風巻は窓から目をそらし、正面を向いた。

 

 

国民服の男性が、懐から新聞を取り出して読み始める。

新聞の見出しには、「豪州、深海棲艦上陸さる」と大きく書かれていた。

 

ーー今日は8月24日、深海棲艦が豪州に上陸してから二週間が経過している。

軍令部によると、ロックハンプトン、ブリスベンの二箇所に上陸した深海棲艦のBD個体数は合計で約二千。

局地戦闘でいくつか勝利を収めていても、オーストラリア陸軍は戦略的敗北を続けており、敵の占領地は増加し続けている。

ロックハンプトンの敵集団は沿岸にそって北上し、ブリスベンに上陸した敵集団は南進しながらシドニーを目指しているという。

 

そう、オーストラリアは奴らの「侵略」対象に定められたのだ。

 

国土を深海棲艦の化け物に蹂躙されており、民間人も多数が犠牲になってしまっただろう。

風巻としてはすぐにでも救援に向かいたいが、今は日本も危機だ。

極東の深海棲艦を10月までに片付けなければ、日本は亡国の道を歩むことになる。

 

 

 

汽車は広島駅へと急ぐ。

 

 

 

三十分程経っただろうか、いくつかの駅に停車したのち、汽車は終点である広島駅に到着した。

 

慣性の法則が働いて身体が左に引っ張られ、六両編成の汽車が機械的な音を響かせながら停車する。

 

風巻は足元に置いてあった鞄を持ち、立ち上がった。

 

終点に着いたのにも関わらず寝てしまっている老人を起こしてから、風巻は車外に足を踏み出す。

 

 

「降ってきやがった……」

 

 

ホームに立つと同時に、風巻は呟いた。

 

地面に水玉模様が増えつつある。

雲行きが怪しいと思ってはいたが、汽車から降りた途端に降ってくるとは……運が悪い。

 

最初は弱かったが、徐々に勢いを増し、最終的には豪雨になる。

 

 

風巻は小走りで屋根の下に入り、腕時計を見やった。

 

 

大本営の庁舎がある広島城は、広島駅から徒歩二十分ほどの距離にある。

 

「参ったな…」

 

時間には余裕を持って来たが、雨が続けばどう転がるか分からない。

できればすぐにも向かいたかったが、傘も無しに屋根の外に出るのはまずい気がする。

びしょ濡れで大本営に入るわけにはいかないからだ。

 

 

 

「康夫さーん」

 

その時だった。

雨の音に混じって、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

風巻は不思議そうに周りを見渡すと、手を振りながら近づいてくる着物の女性の姿が見える。

 

「紗江子か……⁉︎」

 

風巻は思わず頓狂な声を上げた。

 

近づいてくる人影は、有名料亭「榎本屋」の若女将にして、自分の妻ーーー風巻紗江子だった。

 

「まぁ、やっぱり康夫さんだわ」

 

紗江子は風巻の正面に来ると、立ち止まって言った。

 

「お前…どうしてここに?」

 

風巻の問いに、紗江子は乱れた髪を直しながら答える。

 

「砂糖とみりんが切れたから、買い出しに行ってたんですよ」

 

よく見ると、右手に二つの包み紙を持っている。

以前、紗江子から穴子飯のタレに砂糖とみりんが必要だと聞いた記憶があった。

タレの原料が無くなったため、大急ぎで買いに行ったのだろう。

 

「よく俺のことがわかったな」

 

「真っ白な軍服着てたら、いやでも気付きます」

 

紗江子は微笑みながら言った。

風巻もつられるように笑顔になる。

 

深海棲艦出現以来会っていないから、半年ぶりの再会だ。

会いたいとは思っていたが、まさか今日、偶然に会えるとは。

 

「何かお困りではないんですか?」

 

紗江子はニコニコしながら顔を近づけてくる。

風巻は自分の状態を思い出した。

 

紗江子にはお見通しだったのかもしれない。

 

「あ、ああ。悪いが、傘を貸してくれないか?」

 

風巻は制帽を外し、頭を掻く。

 

「もう、大日本帝国の軍人さんがそんなんじゃ困りますよ」

 

紗江子はそう言いながらも、自分が差していた黒色の傘を差し出してくれた。

 

だが傘は一つだけ。

 

これでは紗江子が濡れてしまう。

 

「『榎本屋』まで行くんだろ?途中まで道同じだから、一緒に行くか」

 

「…私は大丈夫ですよ?」

 

紗江子は遠慮したが、風巻は首を横に振った。

 

「夏風邪をひいたら大変だ。行こう。話したいこともあるしな」

 

そう言って、右手に握った傘を自分と紗江子の間に持っていく。

 

「もう、貴方って人は…昔からそうなんですから」

 

紗江子は顔を俯かせると、風巻に身体を寄せる。

風巻は紗江子が傘の下に入ったことを確認すると、「行くよ」と言い、屋根の外に歩き始めた。

 

雨が傘に当たる音が響き始め、雨水が傘の端から地面にしたたる。

 

 

「最近は物価が高くなって大変ですよ。康夫さんの給料と、いつも来てくれる常連さんでなんとかやりくりしてますけど…」

 

いつもは寡黙な妻だが、さすがに現在の状況に不満があるのだろう。

右の頬に手をやりながら言った。

 

「そんなに悪いのか?」

 

風巻は「榎本屋」のことが気になった。

伝統ある老舗であるだけに無事に続けて欲しい。それが家族の家計に響くのならばなおさらだ。

 

「ええ、先月から赤字ですよ。お父さんは『一人でも客が来るなら店は閉めん!』の一点張りですけどね…」

 

「はは、お義父さんらしいな」

 

風巻の脳裏に、格闘家のような顔をしている紗江子の父の顔が浮かんだ。

紗江子の父親ーー榎本了佐(のりすけ)は五代目店主にして、「榎本屋」の料理長を務めている。

風巻が紗江子と恋に落ち、家族に自分のことを紹介してもらった時などは、「娘を傷物にしたのは貴様か⁉︎」と怒鳴られた挙句、凄まじい勢いで顔をぶん殴られた。

その時の自分は海軍兵学校を卒業した直後であり、在学中は散々一号生徒に鉄拳制裁を受けた身であったが、どの一号生徒の鉄拳より骨に響き、痛かった。

腫れは一週間治らず、三和に「名誉の負傷」とからかわれ続けたのを覚えている。

 

(お義父さんがいれば安心だな)

 

そう思った風巻は、話題を移した。

 

 

 

「…涼の様子はどうだ?」

 

風巻は半年の間で気になっていたことを聞く。

 

「元気よ……」

 

でもーーと、紗江子は続ける。

心なしか声のトーンが低くなっていることに風巻は気付いていた。

 

「急に始まった戦争に戸惑ってるみたい」

 

「そうか…」

 

風巻は呟くように言った。

 

3月1日以来、数十万以上の尊い生命が失われた。

軍人だけでなく、女子供、老人といった民間人も多数が犠牲になっている。

涼はまだ17才。

その少女に「戦争」という事実は重すぎたようだ。

 

 

「…トラックに行ってた親友が亡くなったらしいわ」

 

 

紗江子は暗い表情になって言い放った。

さっきまでの笑顔が消え失せてしまっている。

 

「……」

 

初めて聞くことに、風巻は何も言えなかった。

トラック諸島の基地は、開戦初日に内南洋艦隊と共に壊滅している。

入植していた民間人も約二千名が死傷する、という目を背けたくなるような被害もあった。

 

日本海軍はルソン島と並行して救出作戦を実施したが、涼の友人は生きて日本の土を踏むことができなかったのだろう。

 

「呉に帰って来た船団に、その人の姿はなかったの。涼、学校もしっかり行ってるし、店の手伝いもちゃんとしてくれてるわ。でも、何か無理してるみたい」

 

紗江子は立ち止まった。

 

「康夫さん。会って何か話してやってもらえませんか…そうすれば涼も…」

 

 

「俺は日本海軍の軍人だ…国に対する責務がある。涼は、君が支えてやってくれ…」

 

風巻も紗江子の隣で立ち止まり、無表情で言った。

 

「ううん、違うわ。全然違う…」

 

紗江子は、足元の水たまりを見ながら首を振った。

 

「涼が気にしてるのは、貴方のことよ、康夫さん」

 

紗江子が顔を上げると、沈痛な表情に変わっている。

 

ここで風巻は悟った。

紗江子は自分に心配をかけないよう、笑顔を貫いていたことを…。

 

「涼は自分の父親が還らぬ人になるのを怖がっているのよ。一番の親友が死んでしまって、人との別れの苦しみを知ってしまったから……」

 

「……」

 

「この前も、軍艦に乗って戦場に行ったんでしょう?」

 

「……」

 

「涼だけじゃない、私もよ。海軍軍人を夫に持つ以上、いつかはこういうこともあると覚悟してきた…。でも、それでも辛い。貴方が手の届かないところへ行ってしまいそうで……怖いの!」

 

紗江子は両手で、自分の胸を押さえている。

自らの感情を押さえつけるように…

 

風巻は、考える間も無く紗江子の背中に手を回していた。

離してしまった傘が宙を舞ったが、構わない。

華奢な身体を自分の胸に寄せ、両手で包み込む。

 

「生きて帰ってきて…!」

 

紗江子は風巻の胸に顔を埋めた。

泣いているのか、嗚咽が混じっている。

 

(俺は…家族のことを何も考えていなかった…)

 

風巻は自問する。

 

戦争が始まってから、風巻の頭には軍務や作戦のことしか眼中になかった。

半年もの間、家族にろくに会いに行かず、いかに深海棲艦と戦って勝利するかということしか考えていなかったのだ。

 

自分は大日本帝国海軍の軍人だ。

連合艦隊首席参謀を拝命しており、海兵卒業の時は考えられなかったほど重大な役職に就いている。

 

それでも風巻は一人の父親であり、夫でもあるのだ。

 

それを失念してたとは、我ながら恥ずかしい思いだった。

 

 

「約束…してください」

 

紗江子の震えた声が、風巻の耳に届く。

 

「この戦争で…死なないって…」

 

風巻は、紗江子を包み込む手に力を入れた。

 

「ああ…約束する」

 

そして紗江子の目を見て、はっきりと言う。

 

「俺は死なない…平和な海を取り戻したら、必ず帰ってくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束…ですよ?」

 

 

 

 

 

紗江子の声は雨の音に遮られず、はっきりと聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

額に当たる雨が冷たい。

 

風巻が頭上を仰ぐと、どこまでも暗い雨雲が広がっていた。

 

 

 





我ながら、キザなものを書いてしまった……。


日本軍の将兵も、守るものの為に戦った。

そのことだけを理解してくれたら十分です。


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