9月2日
ルソン島サンタアナ半島・
1
「貴隊らには、ここを叩いてもらいたい」
USAFFE司令長官ジョナサン・ウェインライト中将は、ルソン島が網羅されている地図の中心よりやや上の場所を、指でトントンと叩いた。
「ここ…ですか」
日本帝国陸軍所属。戦車第七連隊連隊長の角谷友重(かどたに ともしげ)少佐は、英語でそう言うと、首をひねった。
ウェインライトの指が示している地点は、イースト・ライン東部管区よりも南に四十キロほど下がったところだ。
言うまでもなく、敵の占領地に浸入している。
「この地点に、何かがあるのですね?」
米合衆国陸軍。
戦車第七連隊は6月23日に実施された日米補給作戦でルソン島に揚陸された部隊の一つである。
第一〜第四中隊の戦車部隊と、機動砲兵第二連隊を指揮下に収めており、一〇〇式中戦車乙型四十輌と九九式八十ミリ速射砲二十五門を有している。
本来ならば機動砲兵第二連隊は戦車第七連隊の上位部隊である第二戦車団司令部の指揮下にあるはずだが、ルソン島に展開するにあたって角谷の指揮下に入っていた。
もう一方の22TBも戦車第七連隊と共にルソン島に揚陸された部隊だ。
七十五ミリ砲と三十七ミリ砲を搭載している最新型のM3リー中戦車を多数保有しており、今日に至るまで戦車第七連隊と共に敵の攻撃からイースト・ラインを支え続けてる。
この二つの部隊はイースト・ラインをめぐる戦いで消耗していたが、依然、戦車七十輌以上を有していた。
ウェインライトとしては、多数の戦車を持つ部隊に行ってもらいたい任務があるのだろう。
「そうです…」
USAFFE参謀長サム・ジェイソン大佐が口を開いた。
「8月29日、この場所をーー通称E地点としますがーーを偵察に向かった斥候が、敵の前線基地のようなものを発見しました」
「前線基地⁉︎」
会議に同席している連隊参謀の河嶋治作(かわしま じさく)大尉が頓狂な声を上げたが、ジェイソンは構わず続ける。
「基地、というよりはBDの集合場所と言った方がいいかもしれません…。E地点には常時五十〜六十規模のBDが展開しており、定期的にイースト・ラインを攻撃して来たBDはここから出撃していたのが確認されています」
束の間、角谷は絶句した。
今まで極東の人類部隊は防戦一方だったが、ついに反撃の機会が訪れたことに実感を持てなかったのだ。
「E地点を粉砕すれば、多数のBDを撃破できるだけでわない。イースト・ラインの防衛にも繋がる。君達は満を持して同地を攻撃、深海棲艦地上軍を撃滅してもらいたい」
ウェインライトは二人の戦車指揮官に確認するように言った。
事実上の反撃命令だった。
2
「『
「『般若』より『翁』、命令了解。所定の地点まで前進開始します。終わり」
角谷友重連隊長の命令がヘッドホンを通じて聞こえるや、第一中隊長の西住明仁(にしずみ あきひと)中尉は反射的に復唱を返していた。
遠方から微かに砲声が聞こえてくる。
作戦通り、22TBのM3リー中戦車三十六輌と、機動砲兵第二連隊の九九式八十ミリ速射砲二十五門が砲撃を開始したらしい。
「『般若一番』より『般若』全車。所定の地点まで前進する。戦車、前へ!」
西住は麾下の戦車に力強く命じた。
エンジン音が唸りを上げ、22TB、機動砲兵第二連隊の砲撃開始を待っていた第一中隊の一〇〇式中戦車十輌が前進を再開する。
西住がキューポラの視察口から後方を見やると、九輌の味方戦車が後続してるのが見え、さらにその後方には第三中隊の一〇〇式中戦車十輌が遅れじと前進しているのが見えた。
西住は今までの苦行を思い出しつつも、深海棲艦地上軍に反撃できる機会が巡ってきたことに喜びを噛み締めていた。
ーー今日の日付は9月5日。
E地点に向かうまでに3日を要している。
ルソン島の制空権は深海棲艦が握っており、白昼堂々進撃していたら甲型戦闘機の餌食になってしまう可能性がある。
そのため移動は夜間のみ行い、昼間は戦車を巧みに偽装しつつ敵機をやり過ごす、という方法が採られた。
日米戦車合計七十四輌、対戦車砲二十五門の大部隊をいちいち偽装しながら進んだため、這うような進撃速度に低下した。
それでも入念な偽装が奏功し、破壊されたり落伍する戦車や火砲は一つもない。
戦車第七連隊、機動砲兵第二連隊、第二十二戦車大隊の三つの部隊は、E地点を攻撃できる位置までやってきたのだ。
緑色、茶色、黄色を基準とした迷彩を施され、砲塔側面に日の丸が描かれた日本製III号戦車二十輌は、左右を鬱蒼とした森林に挟まれた狭い山道を、ひたすら南下する。
日は四時間ほど前に暮れており、月明かりのぼんやりとした光が正面の道を照らしていた。
作戦は簡単だ。
22TBと機動砲兵第二連隊がE地点の正面から牽制射撃を行い、敵の目を引きつける。
その隙に戦車第七連隊の『般若』『小尉』こと第一、第三中隊が左翼。『小面』『龍神』こと第二、第四中隊が右翼に迂回し、BDの脆弱な側面を狙い撃ちにするのだ。
迂回戦術は対BD戦闘では定着した戦法と言える。
BDの正面装甲は丸みを帯びており、貫通できるのは、正面に対して垂直に切り立っている中央のほんの一部分しかない。
だが、側面や背面は三十七ミリ砲でさえ貫通できるほど脆い。
被弾面積も広く、BDは回転砲塔を持たないから迂回部隊に反撃することも難しい。
USAFFEの主力戦車がM3スチュアートだった頃からこの戦法は使われており、何度がイースト・ラインに襲来したBD群を対戦車砲と共に撃退している。
だいたい、BDは一箇所に集まって攻撃してくる習性があり、横隊を組んだという情報はない。
迂回戦術にはもってこいの状態が多いのだ。
「うまくいきますかね?」
砲手の五十鈴勝之助(いすゞ かつのすけ)軍曹が口を開いた。
西住と共に、1939年の南満州紛争を経験したベテランだ。
天性と言っても過言ではないほどの射撃の名手であり、同紛争中は非力な八九式中戦車で四輌のBT7を撃破している。
その古強者が、やや不安げな表情を見せていた。
「どうした?おまえらしくない」
西住が心配そうに聞くと、五十鈴が振り向いて答えた。
「いえ…深海棲艦も馬鹿じゃありません。そろそろ迂回戦術の対策を考えてるんじゃないか、と思いましてね」
それを聞き、装填手の秋山直也(あきやま なおや)伍長も同意する。
「あ、それ自分も思いました。今まで何回も迂回戦法を使ってるでしょ?さすがに、って感じしますよね」
それを聞くと、西住は思案顔になる。
そして、やや間を空けてこう言った。
「……一理あるが、今回の作戦は迂回攻撃が基本だ。今から方針の変更はできん……だが、一応連隊本部に具申しておこう」
西住は「武部!」とエンジン音に負けない音量の声で通信手を呼んだ。
通信手の武部直七(たけべ なおしち)上等兵が、しゃちほこばって反応する。
「『翁』に連絡だ。『敵ノ陣形ガ、横陣デアル可能性モ考慮サレタシ』とな」
「了解」
武部が威勢の良い声で言い、符丁「翁」こと戦車第七連隊本部に回線をつなぐ。
武部が連絡しているを確認すると、西住はキューポラの視察口から正面に目を向けた。
月明かりに照らされて、正面に二つの丘が見え始める。
向かって右に見える丘のふもとが、E地点の真東にあたる場所であり、第一、第三中隊の迂回攻撃ポイントでもあるのだ。
遠方から聞こえる砲声も勢いを増してきている。
「『小面一番』より『般若一番』。『小面』『龍神』は所定の位置に着いた。そっちはどうか…?送れ」
第二中隊長の後藤哲平(ごとう てっぺい)中尉の肉声がヘッドホンに響く。
右翼に迂回した第二、第四中隊は、一足先に攻撃ポイントに到達したようだ。
「『般若一番』より『小面一番』。到達まであと二分。攻撃待たれたし。送れ」
「…ガ…」
西住はそう送信したが、なにやら様子がおかしい。
返信がないのだ。
「『般若一番』より『小面一番』…何があった。送れ」
「……ガ…ガガ……ザ…」
レシーバーのスイッチが発信から受信に切り替わっていることを確認しながら、西住は問う。
「……ザ…ガガ…」
返信は無い。
「クソ、こんな時に故障か?…アメちゃんの無線機も国産と変わらんな」
西住はそう呆れ気味に言うと、周波数を隊内全体に変えた。
左手で、耳に密着しているヘッドボンを押さえつけ、微かな音さえも聞き逃さないようにする。
「ザ……なん…ザザ…だ…あ…ガ……れ…わ…!」
雑音が多いが、かすかに肉声が聞こえる。
「…敵…ガ…き……ザ…」
「おい。どうした…⁉︎」
西住はレシーバーに怒鳴り込んだ。
あまり聞こえないが、「敵」という単語は聞き取れる。
さすがに異常だ。
無線機の故障だけならまだよかった、という状態になってしまっているのかもしれない。
「敵…の…ザ…きょ…ガガ…」
(まさか…敵は横隊を?)
無線を聞き、西住は脳裏で呟いた。
深海棲艦はこちらが迂回すると予想していたのかもしれない。
迂回戦術は兵力を分散してしまうという弱点がある。
E地点の敵全てが第二、四中隊を集中して攻撃してきたら、二十輌の一〇〇式中戦車など、一瞬で壊滅してしまう。
五十鈴の言葉が現実なものになってしまったのだろうか?
「ザ…ザザ…て…」
「おい、聞こえるか!…後藤!」
西住はなおも呼びかけるが、通信は途切れ途切れであり、右翼に回り込んだ部隊の状況は不明だ。
「隊長。間も無く、攻撃ポイントです」
操縦手の冷泉左京(れいぜい さきょう)伍長が冷静な声で報告する。
西住が正面を見ようと両目を視察口に近づけた時、地響きと共に強烈な振動が車体を揺らした。
「な、なんだ⁉︎」
頭部をキューポラ側面にぶつけた西住は、罵声を吐きつつ、周囲を見渡す。
敵弾の弾着による衝撃ではない。
その時、山道の右側の樹木が切り倒され、倒された数本の木が西住車の正面の道に勢いよく横たわった。
「『般若』停止!」
西住は咄嗟に命じる。
一〇〇式中戦車が、前のめりになって停車した。
一列で西住車に後続していた十九輌の一〇〇式中戦車も順次停車し、狭い山道は鋼鉄の鉄牛で瞬く間に埋め尽くされた。
「なんだ?」
西住は五十鈴、秋山と顔を見合わせた。
「ザ…ザザ…きょ…ザ…」
西住はハッチを恐る恐る開け、上半身を砲塔上に乗り出す。
着弾の閃光は見えなかったし、炸裂音も聞こえなかった。
砲弾の着弾による振動では、断じてない。
「ザ…ガ……じ…」
上空の夜空には多数の星が点在しているが、その光は弱く、周囲を完全に照らしてはいない。
西住車の左右には、先と変わらず鬱蒼とした密林が広がっており、敵らしき姿は見えなかった。
「ガガ…ザ……ん…ガ!」
西住は右前方の倒れた木の根元を見、視線をゆっくりと上に上げる。
照明弾が弾けた。
後方に展開していた機動砲兵第二連隊の迫撃砲小隊が放ったものだろう。
マグネシウムを焚いたような光が、西住の頭上で発生し、西住車の周りを照らし出した。
「なんだ…?」
「ガ…ザザ……敵の…巨人だ!…ザ」
照明弾の光に照らされ、西住の視界に「それ」が姿をさらけ出したとき。
後藤の悲鳴じみた声が、レシーバーから響き渡った。
西住が見た「それ」の正体は次回…ですかね