南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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いよいよ人類と深海棲艦の「決戦」です。


第三十三話 負けられない戦い

9月30日

 

1

 

アメリカ合衆国海軍潜水艦「グランパス」艦長エドワード・S・ハッチソン少佐の目覚めは最悪だった。

 

目を開けた瞬間、夜光灯の赤色の光に照らされた天井が視界に入り、一気に頭痛が襲ってくる。

「グランパス」が海底に鎮座し始めて四日、艦内の酸素が薄くなっている証拠であろう。

軽い高山病にかかっているかのようだ。

同時に、ムッとした熱気と湿気を感覚として感じ、体全体が汗でべっとりとしている。

 

ハッチソンは、そんな不快感に耐えながら、枕元の時計を見やった。

 

午前2時32分。

 

当直交代まで一時間半ほどある。

ハッチソンは体内時計がしっかりしてる方であり、今まで予定の時間に起きれてきたが、今日はなぜか早く起きてしまったようだ。

 

ぼんやりとする意識の中で、自分の名を呼ぶ声がする。

 

「艦……起き………さ…」

 

ハッチソンは、ゆっくりと上半身を起こし、頭を掻いた。

潜水艦で唯一の一人部屋。艦長室を見渡し、目が徐々に覚めてくるのを実感する。

 

「エドワード艦長。起きてください…真珠湾に動きです!」

 

「グランパス」航海長サムウェル・トーマス大尉の大声が、伝声管を通じて聞こえてくる。

目が覚めたのは、トーマスの声が聞こえたからだろう。

 

だが、「真珠湾に動き」の言葉を聞いて、ハッチソンの目は電気が走ったように、完全に覚めた。

 

素早く簡易ベットから降り、壁に掛けてあった制帽をかぶる。

個人デスクの上にある家族の写真を一瞥し、ハッチソンはドアノブに手を掛け、勢い良く開けた。

 

バン!といった音と共に、完全に開ききる前にドアが止まる。

 

「…?」

 

ハッチソンが不審に思いながら、半分くらい開いたドアの隙間から外を見ると、一人の男性がおでこを抑えて悶絶していた。

下から顔を伺うと、「グランパス」水雷長のアーチボルト・アーサー大尉のようだ。

艦長が中々返事をしないから、部屋まで来てくれたらしい。

 

どうやら、ノックをしようとした時に、勢いよくドアが開いて、おでこを強打してしまったようだ。

 

「あ…艦長。至急、発令所へ」

 

アーサーは、赤い顔で、おでこをさすりながら言った。

潜水艦の通路は狭いため、こういうことはよくあることである。

 

「あ、ああ。わかった」

 

ハッチソンは冷静を装って返答したが、笑いを堪えているのはアーサーにバレてしまっていた。

 

 

二人の士官は、潜水艦の狭い通路を、発令所に向かって大股で歩いて行く。

「グランパス」に与えられた任務は、真珠湾に停泊する深海棲艦太平洋艦隊の監視だ。

現在は、真珠湾南西二十二浬、深度四十三メートルの海底に鎮座している。

海底に鎮座し始めて四日経つが、それ以前も浮上と鎮座を繰り返して深海棲艦の情報収集に努めてきた。

真珠湾周辺の警戒態勢は厳重で、何隻もの味方潜水艦が撃沈されていたが、「グランパス」は、何度も死線をくぐって生き残ってきた。

 

そして、酸素が少ない艦内で、劣悪な環境で、地道に耐えてきた努力が報われる時が来たのかもしれないのだ。

 

艦長室と同じように、赤い夜行灯に照らされた通路を、ひたすら歩く。

発令所と艦長室は、比較的近い位置に作られている。

二、三個の隔壁をまたがり、電池室の脇を通過すれば、直ぐに発令所だ。

 

発令所に入ると、トーマスが直立不動の態勢でハッチソンを迎える。

 

「アーサー、そのおでこはどうしたんだ?」

 

ハッチソンに続いて入室したアーサーを見るや、トーマスは破顔して言った。

 

「あぁ…それはだな…」

 

「航海長…艦長に報告を!」

 

ハッチソンは、アーサーの現状をトーマスに説明しようとしたのだが、アーサーは目にも留まらぬ速さでハッチソンの言葉を遮った。

 

ちらっとアーサーを見ると、ブン!ブン!と、音が出そうなほどに首を横に振っている。

 

部下の心情を理解できない艦長ではない。

 

 

とすれば、取るべき行動は一つ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がドアを勢い良く開けて、アーサーのおでこに強打してしまったのだよ。まったく…すまないことをした」

 

ハッチソンは肩をすくめて、まるで失敗した友人に同情する少年のように、そう言い放った。

 

それを聞いて、発令所に詰めていた水兵たちの間で笑いが起こる。

だが、悪意ある笑い声ではない。

どこか、温かみのある笑い方だった。

 

アーサーも、おでこをさすりながらニコリと笑う。

 

 

ーー緊張状態のままずっと潜っていたら、体が持たない。

その点、ハッチソンの「グランパス」は和気あいあいとしており、高い士気を保っている。

そもそも、潜水艦は狭い艦内で長時間の共同生活をするため、乗組員の間で強い一体感が生まれるものなのだ。

 

「さて、現状報告を」

 

ハッチソンは笑いを消し、トーマスに質問する。

 

「四分前、ソナーに反応がありました。方位23度、距離は約二十浬。水測員が言うには、大型艦五隻以上を含むようです」

 

トーマスは淀みなく言う。

 

「深海棲艦め…いよいよ動き始めたか」

 

ハッチソンはアーサーと顔を見合わせ、ぼそりと呟いた。

 

方位23度は、深海棲艦の拠点がある真珠湾がある方向である。

それに、今までソナーに反応がある事はあったが、駆逐艦数隻程度が関の山だった。

だが、水測員が聞いた海中のスクリュー音は、多数の大型艦ーー恐らく複数のル級戦艦ーーが発するほどの大音響らしい。

 

「ソナーより発令所。推進音接近。約三十〜四十隻と推定」

 

ソナー室で、海中の音に耳を澄ましているバーナード・ハインケル軍曹が、伝声管を通じて報告を上げる。

 

ドイツ系移民二世の若い水兵だ。

祖父が、Uボートの元艦長で世界大戦を戦ったらしいが、真相は定かではない。

いずれにしろ、ハインケルの研ぎ澄まされた聴覚が、深海棲艦の動向を完全に掴んでいることは確かだった。

 

やがて、ソナーを通さずにも、ハッチモンの耳に推進音が聞こえてくる。

やや涼しみを感じるような、上から覆いかぶさってくるような、そうゆう音ーー多数の艦艇のスクリューが、海面を攪拌する音だ。

敵艦隊から発せられた音の波動が、海底に鎮座している「グランパス」の外郭を叩き、全長九十四メートル、水中基準排水量二千三百七十トンの艦体を、微かに揺らす。

 

ハッチモンは、ゆっくりと頭上を見上げた。

視線の先には「グランパス」の天井しか見えないが、ハッチモンの心眼は、はっきりと海上の敵艦隊を捉えている。

 

ゆっくりと、だが確実に、真珠湾を出港した敵艦隊は、「グランパス」に接近して来ていた。

 

(やはり、奴らの目的は極東か…?)

 

ハッチモンは、そう心の中で呟いた。

 

敵艦隊の針路は、西である。

西には、戦局の焦点になっているフィリピンや、タイワン、マレーなどが位置している。

敵艦隊がそこに向かおうとしているのは、自明の理だ。

 

敵艦隊の推進音は、「グランパス」の右前方から、頭上を通過し、左後方へと抜ける。

 

ピーク時は、かなりの音量だったが、ゆっくりと小さくなっていき、やがて消える。

 

ハインケルの耳には聞こえていると思われるが、ソナーを介さないハッチモン達の耳には、静粛が広がっていく。

 

 

 

「ソナーより発令所。推進音失探。最終方位210度」

 

十五分後、ハインケルが発令所に報告を上げた。

 

アーサーとトーマスが、ハッチモンを見る。

ハッチモンは、重々しい声で言った。

 

 

「二時間後に浮上。敵太平洋艦隊の出撃を、日本海軍に通報する」

 

 

 

 

2

 

「一番来て欲しくない奴が、一番来て欲しくない時に来た。って感じですね」

 

右目に眼帯をしている男ーーー戦艦「日向」砲術長寺崎文雄中佐は、「日向」艦長橋本信太郎大佐に、そう話しかけた。

 

「そうだな…願わくば、第一艦隊が出撃せずに済んで欲しかったがね」

 

橋本は、バツの悪そうな顔をしながら、そう返す。

 

二人がいるのは「日向」艦橋だ。

艦橋から見渡すと、第一艦隊が停泊している佐世保湾港を一望することができ、同時に、出航作業に勤しんでいる各艦の姿を捉えることができた。

 

今日の日付は10月1日。

真珠湾を監視していた潜水艦からの電文が届いてから、一日が経過している。

佐世保の第一艦隊は、常時臨戦態勢で待機していたこともあり、あと三十分以内には出撃できる手はずだった。

 

「しかし…“KD”作戦の実施五日前に来るなんて…タイミングが悪いにも程がありますよ」

 

「日向」航海長の野沢雄大(のざわ ゆうだい)中佐が、口を開く。

出航準備を全て終わらせ、艦橋に上がってきたようだ。

 

「これで、フィリピンと太平洋の二方面の敵を相手取ることになってしまったからな…確かに、最悪だ」

 

寺崎は言った。

 

“KD”作戦の実施日は、10月6日。

すでに第一航空艦隊と第十六任務部隊はパラオに、米アジア艦隊と第十七任務部隊は沖縄県の中城湾に、それぞれ待機しており、台湾でも第八航空軍、第十一航空艦隊、第五飛行集団が出撃準備を続けている。

他にも、英東洋艦隊がマラッカ海峡で待機中だ。

 

真珠湾から出撃した敵太平洋艦隊を邀撃するのは、第一艦隊のみとなる。

連合艦隊司令部は、できる限りの艦艇を第一艦隊に加えてくれたが、敵艦隊が十隻前後の戦艦を有する以上、勝負は五分五分だろう。

いや、その戦艦群の内容にもよる。

全艦がル級戦艦ならまだしも、全てがタ級戦艦なら、「大和」がいるとはいえ、勝率は七分三分ぐらいになってしまうだろう。

 

それに、第一艦隊が敗北し、敵太平洋艦隊の阻止に失敗した場合。敵太平洋艦隊がフィリピン救援に駆けつけ、“KD”作戦が頓挫する可能性がある。

そうはならなくとも、日本本土に急接近し、沿岸部に艦砲射撃を実施するかもしれないのだ。

 

日本の命運を左右するのは、あくまで“KD”作戦の成否だが、第一艦隊の勝敗も十分に重要だ。

気を引き締めてかからなければ、日本は亡国の道を辿ることとなる。

 

「まぁ、軍人冥利に尽きることこの上ないがな」

 

橋本は、口端を吊り上げながら言った。

その言葉に、寺崎と野沢は力強く頷く。

 

大日本帝国には、後がない。

石油を初めとする戦略資源は底をつきかけており、“KD”作戦に失敗してしまったら、日本が誇る軍艦や航空機、戦車は一切動かなくなってしまうのだ。

状況は、日露戦争時の日本よりも厳しい。

その戦争の際、負けたら帝政ロシアの属国となるのが関の山だったが、今回の敵艦隊迎撃に失敗すれば、最終的に「日本」という国そのものが滅びるかもしれないのだ。

 

そのような危機的状況にあるだけに、軍人として一世一代の大仕事になる。

そのような一大決戦に参加できる喜びは、他のどんなものにも代え難いものがあった。

 

それに対して、野沢が何か言おうとした時、見張員の声が艦橋内に響いた。

 

「三水戦、四水戦。出航開始します」

 

それを聞いて、寺崎は左手につけた腕時計を見やる。

11時56分。

予定より四分早いが、第一艦隊司令部は出撃を命じたらしい。

 

「さて…会話は終わりだ。出撃といこう」

 

 

ーー第三水雷戦隊の軽巡洋艦「鬼怒」と駆逐艦十四隻、第四水雷戦隊の軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦十二隻の出撃は、十五分程で終了する。

 

小型艦は佐世保湾口周辺に停泊するように決められているため、艦艇数の多さの割に、早く出航することができるのだ。

 

第三水雷戦隊は、半年前の第一次ルソン島沖海戦に参加しており、旗艦「川内」を始めとする艦艇三隻を失っていたが、旗艦を「鬼怒」に変えて二度目の戦いに挑もうとしていた。

 

 

軽巡二隻、駆逐艦二十六隻に続いて出撃するのは、第五、第七、第八戦隊の巡洋艦部隊である。

 

第七戦隊の大型軽巡「最上」「三隈」「熊野」「鈴谷」の四隻が一足早く湾外に踊り出し、第五戦隊の重巡「妙高」「羽黒」、第八戦隊第二小隊の大型軽巡「五ヶ瀬」「天塩」が続く。

海戦時は、深海棲艦巡洋艦部隊を牽制し、戦艦同士の砲戦に介入させない役割を担う部隊であり、戦艦部隊の露払いと言える。

 

なお、合計八隻の巡洋艦は、第七戦隊司令長官の栗田健夫(くりた たけお)少将が統一指揮を取ることになっていた。

 

次の出撃は、第二航空戦隊と「千代田」の番だ。

空母「飛龍」「蒼龍」「龍驤」、水上機母艦「千代田」の順で、湾外を目指す。

 

第二航空戦隊の当初の配備先は、第一航空艦隊だった。

だが、敵艦隊への航空攻撃、対潜哨戒、索敵のために臨時に第一艦隊の指揮下に編入されている。

多数の艦上機や水上機を有しており、水上砲戦部隊を着弾観測などでサポートする予定だった。

 

 

続いては、いよいよ艦隊主力の出撃だ。

 

「第一戦隊。出航します!」

 

艦橋見張員が、やや興奮気味の声で報告する。

それを聞いて、寺崎はちらっと「日向」の左前方を見やった。

 

世界に一隻しかいない四十六センチ砲搭載戦艦と、日本海軍が二隻しか保有していない四十センチ砲搭載戦艦ーー「大和」「長門」「陸奥」の三隻が、にわかに動き出す。

煙突から黒煙を上げながら、三隻は錨を巻き上げ、ゆっくりと湾口へと向かう。

 

「大和」には、旭日旗の他に中将旗もたなびいており、第一艦隊司令官高須四郎(たかす しろう)中将が座乗しているのが分かった。

 

 

「『伊勢』より発光信号。『第二戦隊、順次出航セヨ。我二続ケ』」

 

第二戦隊旗艦、戦艦「伊勢」から発光信号が送られて来る。

 

「錨上げ」

 

とのみ、橋本は命じた。

 

「日向」の位置関係は、前方に「伊勢」がおり、後方に「扶桑」「山城」が位置している。

「伊勢」がある程度進まなければ、衝突してしまうかもしれないのだ。

 

正面に見える「伊勢」の艦尾が激しく泡立ち、海上の城とも言える巨大な艦影が、徐々に「日向」から離れる。

 

「微速前進」

 

「了解。機関、微速前進!」

 

橋本の命令を、野沢が素早く復唱し、実行した。

足の裏を通じて艦の鼓動を感じ、唸りを上げた機関音が耳に届き始める。

若干の差を開けて「日向」は前進を開始した。

 

正面には「大和」「長門」「陸奥」「伊勢」の力強い後ろ姿が見え、「日向」もその単縦陣に加わる。

 

「『扶桑』『山城』本艦に後続します!」

 

 

ーー第一艦隊の出撃艦艇は、以上で全てだ。

 

戦艦七隻、重巡二隻、軽巡八隻、空母三隻、駆逐艦二十六隻、水上機母艦一隻。

 

合計で四十七隻。

 

第一航空艦隊や米アジア艦隊に配備されている日本艦艇を除くと、ほぼ全ての手駒だ。

同時に、残存する重油で出撃できる全ての艦艇である。

 

これで、日本全国の石油備蓄は、底をついた。

 

敵太平洋艦隊の邀撃、その先にある“KD”作戦、どちらか一方でも失敗したら日本は破滅だ。

第一艦隊を待つのは「修羅の道」、だがその道を歩まなければ、日本に、強いては人類に未来は無い。

 

 

寺崎は、自分の右目に触れた。

黒い眼帯に覆われており、触れた感覚がない。

第一次ルソン島沖海戦で、破片を喰らい、眼球を潰されたのだ。

 

深海棲艦につけられた、一生残る傷だ。

 

 

傷跡に触れ、この一身に変えても敵艦隊を壊滅させると誓う。

 

第一次ルソン島沖海戦で戦死した高橋伊望元帥の仇を打ち、同海戦で沈んだ、自らの前の乗艦ーー「足柄」の無念を晴らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「足柄」艦橋で見た、あの少女のためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





いよいよ第一艦隊が戦います!



一応、捕捉させてもらいますと、最上型も、利根型と同じ理由15.5センチ砲を搭載していて、「軽巡」の部類に入っています!

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