南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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中間しけ〜ん、いや〜だなぁ


第三十五話 巨大なる前哨戦

1

 

「風に立て!」

 

号令が、第二航空戦隊の空母三隻に響いた。

「飛龍」「蒼龍」「龍驤」は艦上で待機している第一次攻撃隊を発艦させるべく、風上へと針路を取る。

護衛として第四駆逐隊の「嵐」「萩風」「野分」「舞風」の四隻が二隻ずつ二航戦の左右について、付き添うように変針した。

 

発艦作業を行う空母は潜水艦から格好の標的になる。

風上に艦首を向ける為、艦隊の隊列から離れてしまうし、航空機を発艦させる最中は直進しかできないからだ。

 

四駆の四隻には、敵潜水艦を発見しだい二航戦に知らせ、敵の雷撃を妨害する役目があった。

 

 

四隻の駆逐艦が警戒する中、空母の飛行甲板では発艦作業が行われようとしている。

第一次攻撃隊に参加するのは、零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機の混成部隊だ。

「飛龍」「蒼龍」から零戦各九機、九九艦爆各十八機、「龍驤」からは零戦、九九艦爆各九機が出撃する予定で、飛行甲板上で暖機運転に勤しんでいる。

 

合計七十二機の戦爆連合攻撃隊だ。

 

対艦攻撃を十八番としている、雷装の九七式艦上攻撃機の姿は見えない。

二航戦が搭載している四十五機の九七艦攻のうち、十二機は対潜哨戒機と索敵機として出撃しているが、残った三十三機は第二次攻撃隊に備えて、格納庫で待機しているのだ。

 

このような変則的な編成にしたのには、理由がある。

 

第一次攻撃隊の急降下爆撃で敵の対空砲を潰し、第二次攻撃隊の九七式艦上攻撃機でとどめを刺す、という戦法だ。

九七艦攻の損耗を抑えよう、という二航戦司令官山口多聞(やまぐち たもん)少将の考えだった。

 

零戦の「誉」発動機、九九艦爆の「金星」発動機の轟音がこだまし、第一次攻撃隊に参加する搭乗員は、手ぐすね引いて発艦を待ち構えている。

 

艦首付近の飛行甲板から、水蒸気の白い煙が吹き出し、後方になびく。

飛行甲板中央の白線に重なり、空母が風上へ針路を取ったことを伝える。

それを確認し、「飛龍」「蒼龍」「龍驤」の三隻は、機関を振り絞り、最大戦速へと移行した。

これによって発生した合成風力の力を借りて、航空機を大空へ放つのである。

 

「第一次攻撃隊、発艦始め」

 

「了解。第一次攻撃隊、発艦始め!」

 

山口が重々しい声で下令すると、「飛龍」飛行長の楠本幾登(くすもと いくと)中佐が復唱し、片手に握っている旗を振り上げた。

 

それをきっかけに、「飛龍」の艦上に並べられていた二十七機が発艦を開始する。

 

車輪止めが払われ、それを見計らった零戦一番機が、フルスロットルを開いた。

弓矢から放たれる矢の如く、その零戦は飛行甲板を疾駆する。

甲板の縁を蹴り、研ぎ澄まされた日本刀のような華奢な機体が、勢いよく飛び出した。

飛び出した瞬間、自重でやや高度が下がるが、素早く操縦桿を手前に引いたらしく、するすると上昇していく。

最初に発艦する機体は、駛走に必要な距離が最も少ないはずだが、危なっかしいところ一つ見せない。

 

戦闘機搭乗員の技量の高さを示していた。

 

二番機、三番機、四番機と、続々と零戦が続く。

 

手の空いた整備員、兵器員、二十五ミリ機銃の射手、十二.七センチ高角砲の装填手や、見張員、艦橋に詰めている要員など、手の空いたものは自らの帽子を力一杯に振り、出撃する味方に精一杯の声援を送っていた。

 

 

山口もその中の一人だ。

 

二航戦司令部の幕僚たちと共に、「飛龍」艦橋後部の露天発着艦指揮所で、飛行甲板を見下ろしている。

 

「そういえば、『五ヶ瀬』二号機からの続報はないのか?」

 

山口は、傍に立ち、同じく帽子を振っている二航戦首席参謀の蔵垣早苗(くらがき さなえ)大佐に聞いた。

 

「続報は受信していません。『主力隊』にも問い合わせてみましたが、結果は同様のようです」

 

蔵垣は耳打ちするように言う。

 

「主力隊」に所属する戦艦群は「飛龍」より艦橋が高い分、より遠方から発せられた電波を受信することができる。

さらに、「大和」は最新の通信設備を備えているため、その面においては「飛龍」よりも信頼できる。

そのことを踏まえて、「五ヶ瀬」二号機からの続報を「主力隊」に問い合わせたらしいが、受信していなかったようだ。

 

「無線封鎖中なので確認は取れませんが、敵の対空砲に撃墜されてしまった可能性もありますね」

 

「対空砲にか…敵の射程距離に入ってしまうほど、水偵搭乗員の腕が悪いとも思えんが」

 

蔵垣の仮定に、山口はそう返した。

 

どちらにしても、無線封鎖中では、「飛龍」から通信して「五ヶ瀬」二号機の安否を確認することはできない。

今はただ、三名の搭乗員の無事を祈ることしかできなかった。

 

だが偵察機からの続報がない事に、山口は、自分でもおかしいと思えるほど、引っかかっていた。

「五ヶ瀬」二号機から続報がないことは、なんら不審なことではないはずだが、なぜか嫌な予感がしてならない。

 

ボタンを付け間違えながら服を着ようとしているような、何か間違えながらことが進んでいるような、そんな感じだ。

 

少し考えたところで、山口はかぶりを振った。

 

(ただの思い込みかもしれぬ。変なことは考えないことだ…)

 

そう思い、視線を再び飛行甲板へと落とした。

 

零戦の発艦はとっくに終了しており、九九艦爆の発艦作業に移っている。

零戦より一回り大きい固定脚の爆撃機が、一機、また一機と飛行甲板を滑り、零戦隊を追って蒼空へ舞う。

一機あたり一分もかからない。

艦爆隊の技量も高く、駛走を開始してから四十秒ほどで発艦することができるのだ。

 

 

 

やがて、「飛龍」の飛行甲板に待機していた二十七機は、全てが無事に発艦を終える。

「蒼龍」「龍驤」も同じだ。

事故を起こしたという報告はない。

 

戦爆連合大編隊、合計七十二機の第一次攻撃隊は、艦隊上空で編隊を組むのに二十分ほどかけた後、敵艦隊がいるであろう方角へと進路を取る。

 

十数分間、航空機の爆音が頭上から響いていたが、それも消え、第一次攻撃隊は水平線に消えた。

 

 

山口は見えなくなるまで第一次攻撃隊を見送ったが、胸中から湧き出してくる「嫌な予感」が消えることはなかった。

 

 

 

 

2

 

 

第一次攻撃隊総指揮官兼「蒼龍」艦爆隊長の江草隆繁(えぐさ たかしげ)少佐は、それが見えてくるなり、思わず両目をこすった。

 

編隊の右前方上方の雲と雲の間に、三十〜四十ほどの小さい黒点が見え始めたからだ。

反射的に双眼鏡を向けると、形状が甲型戦闘機に似ているのがわかる。

いや、この空域に味方航空部隊がいるはずがないから、十中八九深海棲艦の甲型戦闘機であろう。

 

「江草一番より全機。右上方、敵機。艦爆隊、密集隊形作れ」

 

江草は米国製無線機のスイッチを入れ、矢継ぎ早にそう言った。

 

江草の命令を受信した四十五機の九九艦爆が、お互いの距離を詰め、密集隊形を形成する。

九九艦爆が装備するのは、機首の七.七ミリ固定機銃二丁と後部の七.七ミリ旋回機銃一丁の計三丁のみだ。

この自衛火力を有効に活用するには、機体を密集させ、敵戦闘機に対して弾幕を張るしかなかった。

 

 

ーー振り向いて、味方機の動向を確認していた江草の脳裏に、一つの疑問が浮かぶ。

 

接近してくる黒点の群が甲戦なのは間違いないが、それがどこから飛んで来たか、というものだ。

 

中部太平洋の制海空権は深海棲艦が握っているが、ここ周辺の海域に飛行場姫が建設されている島はない。

一番近いルソン島でさえ、八百浬以上離れているのだ。

往復することを考えると、零戦に匹敵する長距離渡洋能力を備えていても難しい距離である。

 

そのため、島から飛び立って来たという線は消えた。

 

続いて思い当たることは、タ級戦艦やル級戦艦が航空機の搭載能力を持っている可能性だ。

 

謎が多い深海棲艦であるだけに、航空戦艦と言えるような艦種が存在してもおかしくないかもしれないが、さすがにそれは考えすぎか、と、江草は内心で苦笑した。

 

「だったら…深海棲艦はーー」

 

ーー空母を保有しているのかもしれん。

 

という疑惑が、江草の胸中から湧き出す。

 

今まで深海棲艦が空母を保有している、という情報はないが、人類の軍艦に類似した戦闘艦艇を保有している以上、空母を持っていても不思議ではないからだ。

 

だが、江草はかぶりを振った。

 

今、ここでそのようなことを考えても、全て憶測の域を出ない。

 

そんなことをするならば、敵機の妨害を振り切り、敵艦隊に投弾することのみに集中すべきだ、と考えたのだ。

 

 

江草は再び右上方を見上げ、次いで攻撃隊の正面に広がる広大な太平洋を見やった。

最初、ゴマ粒のように見えていた敵編隊は、かなり大きくなっているのがわかる。

明らかに、第一次攻撃隊を目指して近づいて来ているのだ。

 

正面の海域に敵艦隊の姿は見えない。

第一次攻撃隊は、戦艦八隻を中心とする深海棲艦艦隊を目視できる距離にいたる前に、敵機に補足されてしまったようだ。

 

江草は、両手の骨を鳴らし、再び操縦桿を握る。

そして、「正念場だ」と自らに言い聞かせた。

 

その時。

 

「熊野一番より江草一番。制空隊、かかります!」

 

「飛龍」戦闘機隊長の熊野澄夫(くまの すみお)大尉の声が、レシーバーに響いた。

 

江草が返信する間も無く、艦爆隊の周囲を固めていた二十七機の零戦のうち、制空隊の十八機が熊野機を先頭にして機体を翻す。

 

ほとんど空になっていた増槽を投下し、残っていた燃料が虹を描いた。

 

制空隊は、フルスロットルを開きっぱなしにしながら、深海棲艦機編隊に突進する。

敵編隊と重なったと見えた瞬間、十八機の零戦は空中戦に突入した。

 

零戦の華奢な機体と、甲型戦闘機の砲弾のような機体が、上へ下へと縦横無尽に駆け巡り、彼我の真っ赤な機銃弾が交錯する。

蒼空のキャンパスに続々と飛行機雲の異質な紋様が描かれては、航空機が発する風圧でかき消されていく。

やがて、被弾機が出たようだ。

黒煙を引きずりながら海面に落下していく甲戦、零戦の姿が見えはじめる。

 

戦いは混戦の兆しを見せており、どちらが優勢かわからない。

願わくば、制空隊の優勢を期待したかった。

 

その時、十機ほどの敵機が隙を見つけて混戦を抜け出すのが、江草の目に映った。

とんがった機首をこちらに向け、真一文字に向かって来る。

 

敵機の数は三十〜四十ほどであり、制空隊よりも多い。

精鋭揃いの制空隊でも、全ての敵機を防ぐには至らなかったようだ。

 

直掩隊の零戦九機が、素早く動く。

右に旋回し、向かってくる敵機と相対する。

 

ここからは、まさに一瞬の出来事だった。

 

気づいた時には、直掩隊と敵機の位置関係が逆転しており、零戦二機、甲戦四機が立て続けに火を噴いている。

 

「なに?」

 

江草は思わず身を乗り出した。

 

江草は敵機は直掩隊と空中戦に突入するだろうと思っていたが、残った五機の甲型戦闘機は、先と変わらずに艦爆隊目指して向かって来たのだ。

やや慌てたように直掩隊の零戦が反転するが、間に合わない。

それどころか、制空隊との混戦を抜け出して来た新たな敵機との戦闘で、ほとんどの零戦が巴戦に引きずり込まれる。

 

五機の甲戦は、艦爆隊単独で対処しなければならないようだ。

 

甲型戦闘機は三機と二機に別れ、艦爆隊の前方と右側から接近してくる。

 

「江草一番より全機。射撃開始!」

 

江草は無線機に怒鳴り込み、正面から接近中の三機に照準を定めた。

狙いもそこそこに、発射レバーを握る。

目前に二つの発射炎が閃らめき、二条の火箭が敵機に伸びる。

 

機首の七.七ミリ機銃を放ったのだ。

 

機銃を放ったのは江草機だけではない。

後方の二、三、四、五番機も発砲し、江草機の左右の九九艦爆も七.七ミリ機銃を放つ。

青白い曳光弾が入った無数の七.七ミリ弾が、投網のようにして敵機に向かう。

 

だが、三機の敵機は大きく機体を横転させ、七.七ミリ弾に空を切らせた。

くるりと華麗に一回転し、艦爆隊の攻撃をあしらったのだ。

 

「…!」

 

江草が声にならない叫びを上げた刹那、三機の甲型戦闘機は下部に発射炎を光らせる。

艦爆隊が放った七.七ミリ弾と交錯し、二機の九九艦爆を捉えた。

 

一機は風防を真正面から撃ち抜かれ、コクピット内を血で染める。

その九九艦爆は、きらきらしたものを撒き散らしながら、力尽きたように高度を落としていく。

 

もう一機は右主翼の燃料タンクに直撃した。

霧状の航空燃料がスプリンクラーのように漏れ始め、やがて着火する。

一瞬で機体が火だるまになり、耐えかねたように右主翼が風圧でちぎり飛ばされた。

線を切られた凧のように錐揉み状態になりながら、先の九九艦爆を追うようにして墜落していく。

 

「熱い。熱いぃぃぃ!嫌だぁぁぁぁぁ!」

 

混線しているのか、墜ちていく艦爆搭乗員の断末魔が無線機から漏れる。

 

「二中隊長機被弾。草元機被弾!」

 

江草機の後部座席に座る石井樹(いしい みき)飛行兵曹長の声が、伝声管から飛び出した。

それとほぼ同時に、リズミカルな連射音が後方から届く。

石井が後方にすれ違った甲戦に向けて、後部機銃を一連射したのだろう。

報告がないところを見ると、敵機を傷つけるには至らなかったようだ。

 

江草はちらりと右を見やった。

二、三機の九九艦爆が火を噴いているのが遠目に見える。

位置的に「飛龍」の艦爆隊であろう。

右側面から仕掛けて来た甲戦にやられたのかもしれない。

 

「敵機反転。突っ込んで来る!」

 

再び、無線機に味方の悲鳴じみた声が響いた。

 

バックミラーに視線を移すと、先の三機が反転するのが見える。

二度目の攻撃を行うつもりのようだ。

 

「蒼龍」艦爆隊は近寄らせじと、後部七.七ミリ機銃を撃ちまくる。

右に左にと銃身が振られ、まるで鞭を振り回すように、満遍なく機銃弾をばらまく。

命中は二の次だ。敵機を怯ませればいい。

 

だが、そんな射手の思惑などいざ知らず、敵機は七.七ミリ弾を弾き返す勢いで急速に距離を詰め、次々と射弾を九九艦爆に叩き込む。

 

「澤部機被弾。内藤機被弾!『龍驤』隊にも被害!」

 

石井が報告を上げる。

エンジンに被弾した九九艦爆は真っ黒な煙を吐きながら空中をのたうち、翼に喰らった九九艦爆は急降下爆撃機特有の頑丈な主翼を叩き割られ、くるくると回転しながら海面を目指す。

まとまって敵弾を喰らった九九艦爆は、ジュラルミンの破片を飛び散らせながら空中分解を起こし、搭乗員を射殺された九九艦爆は原型をとどめたまま編隊から落伍する。

 

「敵機。左後方!」

 

石井が大声で叫んだ。

それを聞いた江草は反射的に首をねじり、機体の後ろを見やる。

 

明らかに江草機を攻撃しようとしている甲戦が、後ろ上方から迫って来ているのが見えた。

深海棲艦に思考という概念があるかわからないが、江草機の胴体側面と尾翼に描かれているオレンジ色の帯を見て、隊長機だと判断したのかもしれない。

 

石井が旋回機銃を乱射するが、命中しているようには見えない。

敵機の射撃から逃れるには、機体を捻らせて敵弾を躱すしかないようだ。

 

「来ます!」

 

石井がそう叫ぶと同時に、江草は荒々しく操縦桿を左に倒した。

腹に二十五番(250キロ爆弾)を抱いている身であり、機体の動きはお世辞にも軽快とは言い難いが、敵弾の火箭は江草機の右主翼をかすめ、右前方方向に消える。

直後、自らの射弾を追うようにして、江草機の頭上を甲戦が通過した。

 

「後方。まだ来ます!」

 

石井の声が聞こえた直後、頭上を通過した甲戦が急角度の水平旋回をかける。

凶々しい容姿をしている航空機だが、運動性能は高い。

素早く反転し、正面から江草機目指して突き進んで来る。

 

石井の報告からすると、後ろからも敵機が向かって来ている。

江草機は、前と後ろから挟み撃ちされているのだ。

 

江草機とその周辺を固める九九艦爆は、自らの身と自らの隊長を守るべく、一斉に機首の固定機銃と後部旋回機銃を発射した。

 

何十条もの火箭が、正面と後方の敵機に殺到する。

 

今回は効果があった。

非力な七.七ミリ機銃弾とはいえ、まとまって命中すれば相当な打撃力になる。

正面の甲戦は、無数の射弾に斬りつけられ、白煙を引きずりながら江草機の眼下に消えた。

 

後方の敵機も同様だった。

 

こちらは被害を受けなかったが、弾幕射撃に恐れをなしたのか、江草機への射撃を断念して艦爆隊との距離を開ける。

 

「蒼龍」艦爆隊は敵機の攻撃を撃退したのだ。

 

しかし、「蒼龍」艦爆隊のように撃退に成功した例は希だった。

大半の敵機は、旋回機銃や固定機銃の射弾に捉えられることなく、ゆうゆうと九九艦爆に二十ミリと思われる機銃弾を叩き込む。

 

羊の群れを狩る狼のように、編隊の外郭に位置している九九艦爆を一機、また一機と喰っていく。

各九九艦爆の操縦手は、必死の面相で機体を操って回避を試み、後部座席に座る偵察員は、敵機を近づけまいと七.七ミリ機銃を撃ちまくる。

四十五機いた九九式艦上爆撃機は、たった五機の甲型戦闘機の波状攻撃を受け、十五機以上が失われている。

 

「金山機被弾!第三小隊長機被弾!」

 

「くそ。直掩隊の連中は何やってんだ!」

 

なおも続く被弾機報告に、江草は思わず味方への悪態をついた。

 

制空隊と違い、直掩隊の役割は艦爆隊の直接護衛だ。

常に九九艦爆の周辺に留まり、襲ってくる敵機を艦爆隊の弾幕射撃と共同で蹴散らすのを第一目標にしている。

だが、周辺に直掩隊の姿は見えない。

おそらく、敵機との空中戦に引きずり込まれてしまったのだろう。

 

それによって少なからずの敵機を牽制してくれているとはいえ、直掩隊には、艦爆隊の近くにいてほしかった。

 

 

その時、正面の海域に多数の白い航跡が見え始めた。

 

「いたか!」

 

江草は思わず叫ぶ。

敵機の迎撃を受けて多数の九九艦爆を失いつつも、第一次攻撃隊は敵艦隊を目視できる距離まで至ったのだ。

 

「江草一番より全機。敵艦隊見ゆ。突撃隊形作れ!」

 

江草は無線機に怒鳴り込んだ。

 

残存の九九艦爆は密集隊形から、各中隊長を先頭に突撃隊形へと移行する。

雁の群れのように中隊ごとの斜め単横陣を形成するのだ。

中隊の定数は九機のはずだが、その定数を満たしている中隊は一つも無い。

どの中隊も二、三機の九九艦爆を戦列外に失っており、攻撃力の低下は否めないだろう。

 

だが、戦意は旺盛だった。どの艦爆乗りも無念の思いを抱きながら撃墜されていった戦友の分まで戦果を上げようと、覚悟を滲ませている。

 

敵艦隊との距離はみるみると詰まっていく。

 

敵艦隊の針路は270度。

第一次攻撃隊の正面から左後方へと向かう進路だ。

互いの針路を重ね合わせると「イ」のようになる。

 

その敵艦隊を睨みつつ、江草は攻撃隊を誘導した。

新たに撃墜される九九艦爆も出るが、江草は意に返さない。

 

攻撃隊と敵艦隊の針路が「イ」から「T」になった時、江草は意を決して下令した。

 

「江草一番より全機。全軍突撃せよ!」

 

それを受信した各中隊は、巡航速度から最大速度に加速し、敵艦隊目指して突撃を開始した。

そうするのと同時に、今まで攻撃を続けていた五機の甲戦が、艦爆隊から離れる。

江草がその意味を悟る前に、敵艦隊が対空砲火を撃ち上げ始めた。

 

「……!」

 

敵艦隊の対空弾幕は、凄まじいものがあった。

大は戦艦、小は駆逐艦まで、ありとあらゆる高角砲を放っている。

瞬く間に敵弾が炸裂し始め、艦爆隊のいる高度の空は黒色にくすみ始めた。

眼下の敵艦隊を隠すほどの射撃量だ。

衝撃波と弾片が江草機を揉みくちゃに揺らし、敵弾の炸裂音以外のものが聞こえなくなる。

 

「これが戦艦八隻の対空砲火なのか…!」

 

江草は畏怖の声を上げた。

 

敵艦隊は輪形陣ではなく、艦種ごとの単縦陣を形成している。

その分、対空弾幕は薄いと思っていたが、そうではなかった。

敵艦隊は万全の状態で第一次攻撃隊を待ち構えていたのだ。

 

一機の九九艦爆が、至近距離で敵弾の炸裂を受ける。

無数の弾片がその機体の主翼、胴体、コクピットを切り裂き、機体は一際大きな爆発と共に空中分解を起こす。

 

もう一機は、敵弾炸裂の衝撃で両翼をもぎとらる。

数秒間惰性で飛行したが、やがて自重で落下し、海面に水飛沫を上げた。

 

敵艦の対空機銃に絡め取られる九九艦爆もいる。

機首に機銃弾を喰らった九九艦爆は、丸っこい機首を粉砕され、三枝のプロペラを吹き飛ばされ、「金星」発動機を引き裂かれ、悲鳴じみた音を立てながら力尽きた様に機首を下げる。

 

 

江草は、自らが直率する「蒼龍」艦爆隊第一中隊を敵艦に向けて慎重に誘導した。

バックミラーを見ると、敵弾炸裂に煽られながら、六機の九九艦爆が後続しているのが写っている。

 

ちらりと眼下を見下ろすと、舷側を発射炎で真っ赤に染めた戦艦の姿が硝煙の隙間から見えた。

 

目標を選んでいる暇はない。

 

江草は、教科書どうりにして、左主翼の縁に敵戦艦が重なるように機体を操る。

 

「行くぞ!」

 

敵戦艦と左主翼の縁が重なるのを確認すると、江草は叩きつけるように言った。

ほぼ同時に、操縦桿を左に倒し、エンジンスロットルを絞る。

 

江草の乗る九九艦爆は、大きく横転し、機首を敵戦艦へと向けた。

後方の六機も次々と機体を翻し、江草機同様急降下に移る。

 

空と雲、そして対空砲の爆煙が上方に吹っ飛び、敵戦艦と海面が正面に来る。

 

敵戦艦は回避の動きを見せない。

九九艦爆の数が少ないため、回避しなくても良いと判断したのだろうか?

そう思った江草は、口角を吊り上げて薄く笑った。

 

多数の機体を失ったとはいえ、現在深海棲艦が相手取っているのは、日本海軍、いや、世界最強の急降下爆撃隊として知られている、二航戦の艦爆隊だ。

数が減っても、大損害を与える自信はある。

油断は命取りだぜ、と江草は内心で呼びかけた。

 

照準器の十字の中心に敵戦艦を留めるように、機体の向きを微調整する。

 

「二八(二千八百メートル)……二六……二四…」

 

後席の石井が、高度計を読み上げた。

 

江草機の右や左、真上や真下で間断なく敵弾が炸裂し、全長十メートル、全幅十四メートルの機体を大きく煽る。

 

高度二千を切った時、敵戦艦は高角砲から機銃に切り替えた。

今までの爆煙が無くなり、変わって無数の機銃弾が迫って来る。

 

大半の火箭が、江草機の主翼や固定脚、胴体やコクピットの近くを通過して後方に過ぎ去るが、時折、鋭い衝撃音が響き、機体がわずかに振動する。

敵弾が九九艦爆をかすったのだ。

 

いつ撃墜されてもおかしくないが、敵弾は直撃せず、江草機はひたすら急降下を続ける。

 

「一四……一二……一〇…」

 

石井が、機械的な読み方で報告を続ける。

単に数字を読むということに自らを集中させ、恐怖という感情を押し殺しているのかもしれない。

 

その時、後方から閃光が届き、ほとんど同時に爆砕音が聞こえた。

 

視線を一瞬だけバックミラーに移すと、炎上しながら投弾コースを外れる九九艦爆の姿が見える。

敵戦艦が放った機銃弾に撃ち抜かれたのだろう。

 

江草は怯むことなく急降下を続ける。

下手をすれば機体を引き起こして離脱したい衝動に駆られるが、江草は自分が機体の一部になったかのように、ひたすら戦艦を目指す。

 

「〇八……〇六…」

 

通常、艦爆は六百メートルが引き起こす高度だが、江草は急降下を続ける。

 

「〇四……〇二……!」

 

 

(当たるな…確実だ)

 

「てっ!」

 

江草は二百メートルを切った時、投弾レバーを倒した。

足元から機械的な音が響き、はるばる運んで来た二十五番を切り離す。

刹那、渾身の力で操縦桿を手前に引いた。

急降下を続けて来た九九艦爆が、機首を引き起こす。

 

通常の何倍もの重力が江草の体を押さえつけ、自分の身体が石のように重くなる。

頭の血が胴体に流れ、視界が暗くなった。

 

だが、それらは一瞬で終わる。

重力も視界も元に戻り、江草機は海面すれすれを敵戦艦から離脱していく。

 

「命中!」

 

石井が、歓喜した声を上げる。

 

「よし!」

 

江草も、思わずガッツポーズをとった。

 

命中弾は連続する。

艦上にいくつもの爆炎が躍り、真っ赤な炎が湧き立った。

 

 

 

 

ーーーこの時、艦爆隊の攻撃を受けたのは、タ級戦艦一隻、リ級重巡一隻、ホ級軽巡二隻、イ級駆逐艦一隻の計五隻だった。

 

「蒼龍」第一中隊の攻撃を受けたタ級は、四発の二十五番を叩きつけられた。

高度二百メートルまで肉薄した指揮官機に投下された二十五番は、第一砲塔の天蓋に直撃して破片を周囲に飛び散らせるだけだったが、後続機が投下した二十五番三発は、艦橋側面の高角砲と艦尾をそれぞれ粉砕する。

甲板の鋼板と破壊された高角砲の破片が、火焔と共に四方に飛び散り、命中箇所からは黒煙が上がりはじめていた。

 

 

被弾したリ級重巡は、タ級とさほど離れていない隊列を航行していた。

搭載している対空火器はタ級を援護することに使用されたため、自らの位置の弾幕が薄くなり、艦爆隊の投弾を許したのだ。

 

そのため、各艦最大の六発の二十五番を喰らった。

 

一発は第二砲塔を直撃し、これを跡形もなく粉砕する。

衝撃が収まらないうちに、二発目の二十五番が艦首に命中し、鋭利な刃物のようだった艦首をV字に叩き割った。

三発目は三脚マストの根元を爆砕し、四発目も同様に艦橋に直撃する。

五発目、六発目は第二砲塔脇と第三砲塔脇の甲板を抉り、大穴を穿つ。

リ級重巡は、二十五番が命中するごとに衝撃に打ちのめされ、艦体が大きく振動する。

やがて耐えられなくなったのか、巨大など三脚マストが右に倒壊し、海面に水飛沫を上げた。

 

やがてそのリ級は、前のめりになって停止する。

艦首から大量の海水が浸入し、速力を維持できなくなったためだ。

沈む事はないにせよ、戦闘力を完全に喪失している。

決戦前に重巡一隻を失うのは、大きな痛手であろう。

 

 

リ級重巡の後方を航行していた二隻のホ級軽巡には、それぞれ三発ずつが命中した。

重力によって加速された二百五十キロの徹甲爆弾が、上部構造物を爆砕し、甲板に大穴を穿ち、主砲や機銃を吹き飛ばす。

命中した箇所では真っ赤な炎が席巻し、二隻の巡洋艦からは真っ黒な煙が天に向かって伸び始める。

 

 

イ級には、一番少ない一発が命中した。

その一発は、三発の二十五番が外れ、三本の水柱を周辺に形成した直後に襲って来た。

イ級駆逐艦の中央部に命中し、炸裂する。

 

刹那、このイ級は凄まじい大爆発を起こした。

艦体が跳ね上がり、被弾箇所を境にして二つに分断される。

 

魚雷か砲弾かはわからないが、大量の爆発物に誘爆したのだろう。

二つに分かれた艦体は、一つが漂い、もう一つが瞬く間に沈んでいった。

 

 

 

 

江草機が爆撃を終了し、高度三千メートルにまで上がって来た時、海面からは、五つの黒煙が上がっているのが見える。

 

「司令部に打電。“我、攻撃終了。戦艦一、巡洋艦三撃破。駆逐艦一撃沈。今ヨリ帰投ス。〇九三二”だ」

 

江草はそう言い、味方機との集合地点へと針路を取る。

 

帰還中の艦爆隊を狙って来る敵機がいるかもしれない。投弾に成功したが、最後まで気を緩めるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

「あ、そうだ」

 

と、江草は思い出したように言った。

 

 

「“敵機ノ迎撃ヲ受ク”も付け足してくれ。これで、近くに敵空母がいるのが分かるだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




疲れた!一万文字以上書いてしまった!

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