南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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夜行バスの中で執筆しましたw


第四十話 巨艦の狭間で

1

 

正面に見えた敵巡洋艦を見て、第七戦隊司令の栗田健夫(くりた たけお)少将は軽く舌打ちをした。

 

見渡したところ、深海棲艦の巡洋艦は九隻いる。

栗田指揮下の巡洋艦は、栗田が座乗している「最上」を手始めに「三隈」「熊野」「妙高」「羽黒」「五ヶ瀬」「天塩」の七隻であり、二隻の戦力差がある。

空襲による損傷で「鈴谷」が戦列を離れた為、さらに開いた形だ。

 

巡洋艦は他にも「鬼怒」「那珂」がいたが、この二隻は駆逐艦嚮導艦として設計された軽巡なので、敵巡洋艦を一対一では相手取れない。

 

当初の偵察報告で敵巡洋艦は八隻とあり、二航戦の空襲では三隻を撃沈破し、残存は五隻という状況だった。

だが、深海棲艦は主力艦隊と機動部隊を統合し、巡洋艦戦力を増強した。よって、四隻の巡洋艦が加わり、九隻となっている。

 

栗田は、七隻の手駒でその九隻を封じ込めなければならなかった。

 

「やるか…」

 

栗田はぼそりと呟き、自らの胸に手をやる。

心臓の鼓動はいつもと変わらず、不思議と緊張していない。

胸中にある感情は闘志のみ。

身体が武者震いし、一死奉公と覚悟を決めていた。

 

「『大和』面舵。『長門』面舵!」

 

後部見張員から、味方戦艦群の動向が報告される。

「最上」の艦橋からは死角となって見えなかったが、栗田の心眼は転舵する「大和」や「長門」をしっかりと捉えていた。

 

「敵駆逐艦との距離二〇〇。敵巡洋艦との距離二二〇!」

 

射撃指揮所から、「最上」砲術長佐久間良也(さくま よしや)中佐の報告が届く。

敵艦隊は駆逐艦を前衛として配しているため、巡洋艦よりも二千メートルほど近いようだ。

 

「やはり我々としては敵巡洋艦を叩くべきですが…。敵駆逐艦もいささか厄介な相手ですね」

 

七戦隊首席参謀の鈴木正金(すずき まさかね)中佐が、緊張感を露わにした顔で発言した。

 

今回の海戦では、艦隊兵力で日本は負けている。

戦艦は一隻、大型巡洋艦では二隻向こうが多く、駆逐艦に至っては十隻以上の差が開いていた。

三水戦と四水戦では敵駆逐艦群を封じ込めない可能性が高く、下手をすると第一、第二戦隊に肉薄され、魚雷を発射されるかもしれない。

 

それを阻止するならば、指揮下の巡洋艦を二、三隻敵駆逐艦に差し向ければ良いが、それでは敵巡洋艦を取り逃がす可能性がある。

 

栗田が攻撃目標をどうするか考えていた時、艦橋見張が大声で報告を上げた。

 

「敵戦艦取舵。駆逐艦、巡洋艦増速!」

 

敵艦隊も戦うべく動き出したようだ。

迷っている時間はない。

 

そう思った栗田は、凛とした声で下令した。

 

「七、五、八戦隊、針路75度。最大戦速。目標、敵巡洋艦」

 

「面舵、針路75度。最大戦速!」

 

「最上」艦長の曽爾章(そじ あきら)大佐が、航海長山内正規(やまうち まさのり)中佐に命じた。

 

「面舵。針路75度!」

 

「了解。面舵、針路75度。宜候!」

 

山内が操舵室に命じ、操舵長の柘植幸久(つげ ゆきひさ)特務少尉が威勢の良い声で復唱する。

 

舵輪が回されている間に、艦が増速する。

足の裏を通じて機関出力が上がるのを感じ取り、「最上」が巡航速度の十八ノットから、最大の三十五ノットに加速した。

 

「『三隈』『熊野』増速。第五戦隊、第八戦隊も増速します!」

 

見張員が素早く報告する。

後方の巡洋艦六隻も、「最上」に続いて遅れじと三十五ノットに増速したようだ。

 

「電測より艦橋。敵巡洋艦変針、針路160度。もっとも近い敵艦との距離、一七〇」

 

「三水戦、四水戦。突撃開始しました!」

 

敵巡洋艦も変針した旨の報告が電測室から届き、次いで見張員が三水戦、四水戦の突撃を報告する。

 

「そう来たか…」

 

栗田は、先頭の艦から順に針路160度に変針する敵艦を見ながら、敵の思惑を悟った。

七、五、八戦隊は針路75度。敵巡洋艦群は針路160度。

彼我の針路は「ハ」を右に倒したような形であり、急速に接近しつつある。

深海棲艦の巡洋艦群は、電撃的に日本の三個巡洋艦戦隊を突破し、戦艦同士の砲戦に参戦する腹づもりかもしれない。

 

「射撃目標、自らと同じ艦番号の敵巡洋艦。各艦、任意で射撃!」

 

栗田は、力のこもった口調で命令を発する。

その内容は、素早く「最上」の通信アンテナから各艦に飛び、受信した艦は、自らの艦番号と同じ敵巡洋艦を狙う。

 

「敵巡洋艦一番艦との距離、一五〇!」

 

射撃指揮所に陣取る佐久間が、射撃目標との距離を報告する。

距離一万五千メートルは、「最上」の十五.五センチ砲の射程圏内だ。

十分必中を決められる距離である。

 

前部甲板に並べられている三基の十五.五センチ三連装砲が、機械的な音響と共に左に旋回する。

各三本の砲身が、一番砲身から順に仰角を上げ、敵一番艦に狙いを定める。

 

それらを横目で見つつ、栗田は双眼鏡で左前方から接近しつつあ敵巡洋艦群を見やった。

 

「最上」「三隈」「熊野」が相手取る敵一、二、三番艦は、前部甲板に三基、後部甲板に二基、高雄型や妙高型と同じような砲配置で、五基の三連装砲を装備しており、艦橋には高々とした三脚マストが据えられてあるーーー恐らく、ホ級軽巡洋艦だ。

 

第一次ルソン島沖海戦で初めて人類と手合わせした艦であり、同海戦では射撃速度と投射量で、「古鷹」「加古」を瞬く間に戦闘不能にさせたと聞く。

 

そう考えればかなり手強い相手だが…それでも、栗田は第七戦隊の勝利を信じていた。

 

やがて、「最上」は射撃を開始する。

各砲塔の一番砲身から紅蓮の火焔が湧き出し、直径十五.五センチの徹甲弾五発を叩き出す。

凄まじい轟音が「最上」乗組員の鼓膜を振動させ、艦首から艦尾までを発砲の衝撃が襲った。

 

「『三隈』『熊野』射撃開始。後続艦も順次射撃開始」

 

後方からも、遠雷のような砲声が届く。

 

第七戦隊の僚艦ーー「三隈」「熊野」や第五戦隊の妙高型重巡二隻、第八戦隊の利根型軽巡二隻が、自らに割り振られた目標に対して砲撃を開始したのだ。

 

敵巡洋艦の艦上にも閃光が走る。

 

若干の差を開けて砲声が届き、変わって砲弾の飛翔音が響いてくる

 

先に着弾したのは、「最上」の射弾だった。

敵一番艦の正面に五本の水柱が奔騰し、水飛沫がホ級軽巡に降りかかる。

初弾命中とはならなかったようだ。

 

「最上」の射弾が着弾した刹那、敵弾の飛翔音が頭上の左から右に過ぎた…と感じた瞬間、右舷側の海面が爆発し、高々と五本の水柱を突き上げた。

 

艦がわずかに振動し、ピリピリと空気が波動する。

 

(先に命中弾を得た方が…勝つ)

 

栗田は奔騰した水柱を見ながら、胸中で独り言ちた。

 

最上型軽巡が装備する十五.五センチ三連装砲は、十二秒に一回、射撃できる性能を有している。

その砲塔を五基据えているため、十五発の砲弾を十二秒毎に放てるのだ。

一度命中弾を得れば、畳み掛けるように砲弾を撃ち込み、数分と経たず敵艦を戦闘不能に陥らせることができる。

 

だが、それはホ級軽巡も同じだ。

 

先に「最上」が敵弾を喰らえば、第一次ルソン島沖海戦で「古鷹」「加古」を大破させた敵の速射力が、瞬く間に「最上」の戦闘力を削ぐだろう。

 

先に命中弾を得た方が、この砲戦を制するのだ。

 

 

臆することなく、「最上」は第二射を放つ。

再び轟音と閃光、衝撃が周囲を満たし、重量55kgの砲弾五発を920m/sの初速で発射する。

 

五発が飛翔する中、敵一番艦のホ級軽巡も装填を終えたのだろう、二回目の射撃を行う。

彼我五発づつの砲弾が高空ですれ違い、双方の目標へと飛翔する。

 

先に着弾したのは「最上」の砲弾だった。

 

ホ級軽巡の後方に着弾し、先と変わらず五本の水柱が上がる。

砲を微調整したら、行き過ぎて後方にずれてしまったようだ。

 

間髪入れずに、敵弾が飛来する。

砲弾が空気を切り裂く甲高い音が途切れた…と感じた直後、「最上」の正面に三本、右前方に二本の水柱が上がった。

 

衝撃で若干艦が仰け反り、次いで振り戻すかのように艦首が沈む。

 

先に比べて、着弾の位置が近い。

敵は、精度を上げてきているのだ。

 

「最上」は第三射を放つ。

三たび衝撃が艦体を貫き、五発の砲弾をホ級目掛けて叩き出す。

 

その時、「最上」の右後方から凄まじい砲声が轟き、衝撃で自らの内臓が押し上げられた感覚を栗田は味わった。

 

 

「『大和』発砲!」

 

艦橋見張員が「大和」の砲声にかき消されないように、大きな声で報告をあげた。

 

栗田がチラリと右後方を見やると、硝煙に包まれた「大和」の勇姿が目に映る。

後部マストに掲げられているZ旗が、発砲の余韻ではためいていた。

 

「『大和』が撃ち始めたぞ!」

 

艦長の曽爾が、皆を鼓舞するかのように声をあげる。

 

二番艦「長門」や三番艦「陸奥」第二戦隊の「伊勢」「日向」や「扶桑」「山城」も「大和」に遅れじと撃ち始めた。

 

この時、栗田は自分たちは場違いなところに迷い込んだと思い、薄っすらと笑った。

第七、五、八戦隊の右側に第一、第二戦隊がおり、敵巡洋艦群の向こう側に敵戦艦八隻が位置している。

「大和」や「長門」が放った巨弾は頭上を右から左に飛翔し、敵戦艦から放たれた砲弾も頭上を左から右へと通過する。

 

ここは戦艦同士が雌雄を決する場なのに、そのど真ん中で巡洋艦とい中型艦が戦っているのだ。

弱者は存在を許されない、激戦の海面。

例えるなら、刀を使った真剣勝負中の最中に、子供が一人入るようなものだ。

 

「だんちゃーく!」

 

の報告が上がり、栗田は思考を打ち切った。

双眼鏡を敵巡洋艦一番艦ーーーホ級軽巡に向け、戦果を見る。

 

五本の水柱が発生し、ホ級軽巡の姿を隠した。

突然水の壁が出現し、「最上」とさほど変わらない巨体を神隠しのように隠してしまったのだ。

 

「やったか?」

 

栗田は身を乗り出した。

水柱がホ級を隠したということは、それ程の近距離でまとまって着弾したということだ。

一、二発命中している可能性がある。

ここで命中弾を得ると、かなり勝利に近づいたことになるが…

 

だが、結果は栗田を裏切る物だった。

 

水柱は引いたが、ホ級軽巡から黒煙は上がっていない。

どこか損傷した様子もない。

 

「最上」の第三射も、ホ級軽巡に命中するには至らなかったのだ。

 

仕返しのように、ホ級軽巡の射弾が飛来する。

先の二回と変わらず、甲高い飛翔音が響き始め、それが途切れた…と感じた瞬間、「最上」の正面にまとまって落下した。

 

五本の水柱が目の前で突き上がり、見上げんばかりの高さになる。

「最上」の一万二千四百トンの巨体を振動させ、南洋のスコールを思わせる雨が降り注ぐ。

甲板上は朦気に包まれ、視界が悪くなる。

 

だが、そのようなものは数秒で収まる。

海水の雨が止むや否や、「最上」は轟然と第四射を放った。

 

「敵一番艦との距離は?」

 

四射の余韻が収まった頃、栗田は艦長の曽爾に聞いた。

 

「一〇〇ですね」

 

曽爾は即答する。

栗田の質問を予想していたのかもしれない。

 

(一万か…まだ遠いな)

 

栗田は敵巡洋艦を見ながら思った。

 

 

日本海軍の巡洋艦には、米巡洋艦と違って強力な雷装を備えている。

 

最上型と利根型は六十一センチ三連装魚雷発射管を左右に二基ずつ、計四基備えており、片舷に六本の魚雷を発射できる。

妙高型は最上型、利根型より二本多い八本を発射することができ、一斉に発射した場合、七隻で計四十六本の酸素魚雷が敵艦隊に向かうことになるのだ。

だが、次発装填できる発射管とはいえ、海戦中の装填作業は遅々として進まないのが当たり前であり、実質の発射機会は一度のみとなる可能性が高い。

栗田はその少ない機会を見逃さず、日本巡洋艦の切り札と言える酸素魚雷を有効に使用しなければならなかった。

 

「望むところだ…」

 

栗田は薄く笑った。

 

自分の専門は航空でも砲術でもなく、水雷だ。

この少将という階級に上り詰めるまでの間に、多数の駆逐艦の水雷長や艦長、水雷学校の教官、水雷戦隊司令、終いには工廠の魚雷実験員を歴任してきている。

魚雷戦の仕方は海軍生活を通じて骨身にしみており、かなりの自信が栗田にはあった。

 

 

「最上」の第四射が着弾した直後、入れ替わりにホ級軽巡の第四射が飛来する。

 

四回目となる飛翔音が響き渡り、それが途切れたと感じた瞬間、「最上」の真後ろに五発の敵弾が落下する。

「最上」が後ろから蹴飛ばされたかのように前のめり、艦体が若干軋む。

だが、決定的な衝撃はない。

今回も「最上」は被弾を免れたようだ。

 

装填を完了したのだろう。「最上」は続けて第五射を放つ。

凄まじい砲声が栗田の耳朶を打ち、各砲塔一門ずつから五発の砲弾が発射された。

 

「そろそろ当たるか?」

 

鈴木参謀の声が、栗田の耳に届いた。

 

鈴木の願いはもっともだ。

「最上」は四度の射撃修正を行なっており、初弾に比べてかなり射撃精度は良くなっている。

さらに彼我の距離は急速に詰まっており、その分命中率も高くなっているだろう。

 

栗田も、「そろそろ当たれ」と強く願っていた。

 

ホ級軽巡が「最上」に遅れじと第五射を放った数秒後、「最上」の射弾が着弾する。

五本の水柱がホ級軽巡を包み込み、艦上に爆炎が躍った。

 

「やったか!」

 

栗田は大きく身を乗り出し、鈴木と頷き合った。

 

双眼鏡を向けてみると、ホ級軽巡の艦首から薄っすらと黒煙が上がっているのがわかる。

おそらく放った五発のうちの一発が、ホ級軽巡の艦首に命中したのだろう。

 

与えた被害は小さなものだろうが、これで「最上」は斉射に移行できる。

次からは十二秒毎に十五発ずつの十五.五センチ砲弾が、ホ級軽巡を襲うこととなるのだ。

 

「次より斉射!」

 

佐久間が弾んだ声で報告する。

 

「最上」は斉射の装填のため、やや沈黙する。

敵の第五射が飛来したのは、丁度その時だった。

 

(当たるなよ…当たるなよ)

 

栗田がそう念じた時、「最上」の頭上を飛び越え、右舷側の海面に水柱が突き上がった。

右側からの波で艦体がやや左に傾くが、それ以上のことは起きない。

 

「最上」は一切の被害をホ級軽巡に許さぬまま、第一斉射を放とうとしているのだ。

 

ホ級軽巡が第六射を発射するのと、「最上」が第一斉射を撃つのは、ほとんど同時だった。

 

今までの倍以上の大きさの砲声が「最上」艦上に鳴り響き、計十五門の砲門から真っ赤な火焔が躍り出た。

その火焔と同時に十五発の徹甲弾が発射され、ホ級軽巡へ向けて飛翔を始める。

交互撃ち方では確認できなかったさざ波が艦左舷側の海面に発生し、閃光や轟音が数秒間栗田の感覚を麻痺させる。

 

戦艦には及ばないが、かなり強烈な衝撃だった。

 

 

同時に、ホ級軽巡の艦上にも被弾とは異なる閃光が走る。

 

ホ級軽巡は先に命中弾を喰らったからといって、勝負を捨るようなことはしない。

十分、逆転できると考えているのだろう。

 

だが、その考えはいともあっさりと打ち砕かれてしまった。

 

砲弾がまだ空中にあるうちに、「最上」は第二斉射を放つ。

十二秒ごとに射弾を発射し、十五発ずつの砲弾を撃ち込み続ける。

 

ホ級軽巡の周辺に十本以上の水柱が奔騰すると同時に艦上に命中弾の閃光が三、四閃らめき、艦の複数箇所に火災が発生してゆく。

 

その十二秒後には第二斉射が着弾し、そのさらに十二秒後には第三斉射が、第四、第五、と砲弾の豪雨が立て続けに襲いかかる。

 

一回の斉射で得られる命中弾は、三、四発ほどだが、斉射毎に確実にホ級軽巡に直撃し、じわじわと被害を与えていた。

 

 

とある砲弾が砲塔を真正面から襲った…と見えた瞬間、その砲塔は真っ赤な火焔と共に爆砕される。

砲塔損傷の打撃に苦悶するホ級軽巡に対して新たな砲弾が飛来し、煙突の上半分を吹き飛ばし、舷側に大穴を穿ち、あらたかの対空兵装を薙ぎ払う。

甲板をえぐった砲弾は舞い上がった鋼板を左側海面にまで吹っ飛ばし、三脚マストのてっぺんに直撃した砲弾は艦橋の上部を消失させる。

続けざまに破壊された主砲は無数の破片を四方に撒き散らせ、各三本の砲身が根元からちぎれ飛ぶ。

 

上部構造物のほとんどが「最上」の中口径砲弾を喰らい、爆砕され、粉砕され、吹き飛ばされ、薙ぎ払われ、凄まじい炎が龍のように艦上をのたうちまわる。

 

三分ほどの間に十五回以上の斉射弾を受けたホ級軽巡は、艦首から艦尾までを黒々とした煙が覆っており、艦上の状態を確認することはできない。

ちらほら火災の光が見えるのが関の山であり、「最上」艦上からは黒煙の下の惨状を伺うことはできなかった。

果敢に発砲していた砲も、あらかた破壊されたのか沈黙している。

 

そのホ級軽巡が戦闘力を失っていることは、誰の目にも明らかだった。

 

「目標、敵二番艦!」

 

栗田はホ級軽巡の惨状を今一度確認した上で、目標変更の指示を出した。

十二秒毎に咆哮していた主砲五基が沈黙し、束の間の静粛が「最上」艦上に広がる。

いや、他艦の砲戦の音は聞こえるが、至近距離で連発した「最上」の砲声には遠く及ばないため、耳が静粛だと判断してしまっているようだ。

 

「敵二番艦、了解!」

 

佐久間の復唱する声が伝声管から響く。

その声からは「二番艦も叩き潰してやりますよ」という威勢を感じられた。

 

 

現在、敵二番艦は「三隈」が相手取っており、膠着状態が続いている。

敵一番艦を無力化した「最上」は、「三隈」と敵二番艦の砲戦に加勢し、膠着状態を打破しようと考えたのだ。

 

「二番艦との距離は?」

 

栗田は曽爾に聞いた。

 

敵巡洋艦の姿は、砲戦開始時よりも大きく見える。

敵艦との距離が、魚雷の必中距離にまで詰まったか気になったのだ。

 

「二番艦との距離は七〇。最後尾の九番艦との距離は一三〇!」

 

「よし。七、五、八戦隊全艦、目標…敵巡洋艦群。魚雷、攻撃始め!」

 

数秒間思考したのち、栗田は力強い声で命じた。

 

「艦橋より水雷指揮所。魚雷発射!」

 

曽爾が水雷指揮所へと通じる伝声管に怒鳴り込む。

 

連管長の「発射始め!」の号令一下、「最上」左舷の第一、第三発射管からは、二秒感覚で計六本の九三式酸素魚雷が発射される。

海面に水飛沫を上げ、魚雷は五十二ノットで駛走を開始する。

 

「『三隈』『熊野』より発光信号。“我、魚雷発射完了”」

 

「五戦隊、八戦隊より入電。“我、魚雷発射ス”」

 

見張員と通信士が報告を上げる。

後続の「三隈」「熊野」「妙高」「羽黒」「五ヶ瀬」「天塩」の六隻も、「最上」に続いて魚雷を発射したようだ。

 

「魚雷発射完了。到達まで四分!」

 

水雷長の鍬崎三郎(くわざき さぶろう)少佐が報告を上げる。

 

距離七千メートルだったら、魚雷到達まで七分ほどかかりそうなものだが、彼我は近づきあって航行しているため、その分短くなっていた。

 

「射撃を再開します」

 

敵二番艦の測的が終わったのだろう。

曽爾が確かめるように聞いてくる。

 

その言葉に栗田は静かに頷いた。

 

「射撃開始!」

 

曽爾が佐久間に下令した直後、眼下の第一、第二、第三砲塔と後部の第四、第五が咆哮する。

敵一番艦を叩きのめした十五.五センチ砲弾が、「三隈」を砲撃している敵二番艦へと飛んだ。

 

後方の「三隈」も何回目かの交互撃ち方を放つ。

こちらは「最上」よりも先に敵二番艦を砲撃している分、命中弾を得るのは早いだろう。

 

「『三隈』被弾!」

 

後部見張員が報告する。

 

「喰らったか!」

 

栗田は苦り切った声を上げた。

「最上」は敵一番艦に対して先に命中弾を得、斉射に移行して瞬く間に撃破したが、「三隈」はそうはいかなかったようだ。

 

「まずい…まずいぞ!」

 

栗田は、自らが焦慮に駆られていることに気づいた。

このままでは、「三隈」は敵一番艦と同じようになってしまう。

 

今放った砲弾が命中すれば、こちらも斉射に移行でき、互角に戦えるようになるが…。

 

「最上」の射弾が着弾し、その数秒後に「三隈」の射弾が落下する。

 

誰もが固唾を飲んで敵二番艦を見やった。

計十本の水柱が引いた時、敵二番艦の艦上に被弾の後は見当たらない。

 

「最上」はともかく、「三隈」は命中弾を得られなかったようだ。

次からは、ホ級の凄まじい速射力が「三隈」を襲うこととなる。

 

「『三隈』…!」

 

栗田は、味方艦の無事を祈ることしかできなかった。

 

 

2

 

砲弾が外れた瞬間、「三隈」艦長の崎山釈夫(ざきやま すてお)大佐は、射撃指揮所にいる砲術長の桐本司(きりもと つかさ)中佐を怒鳴り散らしたい衝動に襲われた。

 

「三隈」は敵二番艦に対して十回以上の交互撃ち方を実施しているが、一発も命中弾を得れていない。

「最上」が命中弾を得、斉射に移行するのを横目で見るだけであり、一向に命中しなかった。

逆に、十二回目に飛来した敵弾の一発が左舷側に命中し、「三隈」はホ級の連続斉射を受けようとしている。

 

「三隈」が第十三射を放った直後、敵二番艦の艦上に今までの倍以上の閃光が走った。

予想通り、敵二番艦のホ級軽巡は「三隈」に対して斉射を放ったのだ。

 

その六秒後、第二斉射の閃光が光り、そのさらに六秒後には三回目となる斉射の閃光が閃らめく。

 

「!」

 

崎山は声にならない叫びをあげた。

 

ホ級の第一斉射は、依然着弾していない。

ホ級軽巡は、六秒という最上型軽巡の半分のスピードで、十五発ごとに砲弾を撃ち込んで来るのだ。

 

敵の第一斉射が、甲高い音と共に落下してくる。

「三隈」周辺の海面が爆発し、艦が軋んだ。

 

それと同時に後方から三度破壊音が届き、艦橋が揺れる。

崎山は海図台の手すりに手をつき、自らの身体を支えた。

 

「被弾状況知らーーー!」

 

被弾状況を問う崎山の声は、第二斉射の轟音に掻き消された。

 

第一斉射が落下してきっかり六秒後、先と変わらない多数の水柱が「三隈」周辺に発生し、同時に数発が「三隈」をえぐる。

そのうちの一発が、第二砲塔を襲った。

 

「……!」

 

艦橋の正面から凄まじい閃光が発生し、轟音が海上にこだまする。

艦橋が大地震のように揺れ、崎山は思わずよろめいた。

 

「第二砲塔損傷!」

 

桐本が、悲鳴染みた声で報告する。

崎山が艦橋から眼下を見下ろすと、大きくひしゃげた第二砲塔が目に映った。

 

三本あった砲身は二本が根元からちぎり飛ばされており、残った一本も大きく折れ曲がっている。

正面防盾は大きく引き裂かれており、砲塔自体もバーヘットが破壊されているのか、傾いているのがわかる。

穿たれた穴からは第二砲員の斬死体が見え、水柱の海水がその肉片をさらってゆく。

 

だが、崎山が第二砲塔の被害を確認できた時間は少なかった。

 

間髪入れずに第三斉射が飛来し、また数発が「三隈」に命中する。

さらに六秒後に第四斉射が落下し、第五、第六、第八と六秒毎に続く。

 

「後部艦橋に直撃!」

 

「第三連管被弾!」

 

「飛行甲板に火災発生!」

 

次々と被害報告が艦橋に飛び込む。

先に「最上」が敵一番艦に対して行ったことを、そっくりそのまま返された形だ。

息つく暇もなく飛んで来る十五発ずつの砲弾に、「三隈」は次々と被弾し、損害が蓄積していく。

 

「これが…ホ級の力か!」

 

崎山は、畏怖の表情を浮かべた。

 

「艦長。回避しましょう!このままでは一方的にやられるだけです!」

 

敵弾がひっきりなさに飛んで来る中、航海長の須磨保志(すま やすし)中佐が狼狽した様子で具申した。

 

それに対して崎山が命令を発しようとした時、今までにない衝撃が「三隈」艦橋に襲いかかり、崎山の身体はビリヤードの玉のように弾き飛ばされた。

全身を床に強打し、頭部を伝声管の角にぶつけてしまう。

 

床に這った時、視界が暗くなり始めて意識が暗転しかけたが、崎山は頭部に走った鋭い痛みと気力で、どうにか持ち直した。

 

「う……」

 

渾身の力で上体を起こし、朦朧とする目で周囲を見渡す。

 

硝煙が艦橋中に充満し、崎山と共にいた艦橋要員たちも床に這ってぐったりとしているが、破損箇所は見当たらない。

敵弾は崎山のいる羅針艦橋には直撃せず、どこか近くに命中したのかもしれない。

 

「艦長…ご無事ですか?」

 

須磨が、艦長の安否を確認しようと聞いてくる。

「無事だ」と言いかけたが、それを崎山は飲み込んだ。

 

血が出ている。

 

右目の上あたりに痛みがしており、生暖かい液体が右の頬っぺたから顎にかけて垂れ流れていた。

雫を垂らすほどの出血であり、傷が深いことを伺わせる。

崎山はポケットからハンカチを取り出し、右手で傷口を強く抑えた。

真っ白だったハンカチはすぐに真っ赤に染まったが、無いよりかは幾分かマシだった。

 

「どこに喰らった?」

 

須磨が「治療を…」と言おうとしていたのを遮り、崎山は聞いた。

あの強烈な衝撃だったら、相当羅針艦橋の近くに命中したと考えられるが、その命中箇所が気になったのだ。

 

「射撃指揮所から応答がありません。恐らく、敵弾の直撃を受けたのはそこでしょう」

 

艦内電話を握っていた水兵が報告する。

 

それを聞いて、崎山は全身から力が抜けた。

射撃指揮所を破壊されてしまえは、砲精度は致命的にまで低下する。

予備の測距儀は後部艦橋に搭載されていだが、先の被弾で破壊されてしまっていた。

主砲は四基が無事だが、「三隈」は完全に戦闘力を失ってしまったのだ。

 

「ここまでか…」

 

崎山は独り言ち、天を振り仰いだ。

このまま「三隈」は一発も敵に命中させることなく、西部太平洋に沈んでしまうのか…と思ったのだ。

 

だが、ここで崎山はあることに気づいた。

 

あたかも豪雨の様に飛来してきていた敵弾が、一発も降ってこない。

 

「何だ?」

 

不審に思った崎山は、よろけながら艦橋の脇に向かい、黒煙の狭間から敵二番艦を睨みつけた。

 

 

 

 

敵二番艦が、大火災を起こしながら停止している。

二番艦だけではない。「熊野」と放火を交わしていた敵三番艦も、第五戦隊と撃ち合っていた二隻のリ級重巡も、黒煙を上げながら停止している。

発生する黒煙が、真っ直ぐ上に向かっているのが何よりの証拠だ。

 

その時、「五ヶ瀬」が目標としていた敵六番艦の艦首に凄まじい大きさの水柱が発生し、次いで巨大な火柱に変化した。

敵六番艦の艦体が大きく揺らぎ、傍目から分かるほど減速する。

 

「そうか!」

 

崎山は歓喜の声を上げた。

数分前に発射した四十六本の魚雷が、敵巡洋艦の単縦陣に到達したのだ。

強力無比の酸素魚雷が、次々と敵巡洋艦の喫水線下に命中しているのである。

 

 

 

第七、第五、第八の三個戦隊は、深海棲艦巡洋艦部隊の無力化に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 





巡洋艦では最上型はお気に入りですね〜。

特に軽巡タイプはプラモ持ってますが、三連装砲五基十五門が強烈すぎて大好きですッ

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