南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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いやー、最近めっきり涼しくなりましたなぁ。

こっちの海戦はアッツアッツでっせ!


第四十二話 勇敢なる牽制者

1

 

敵戦艦に肉薄しつつあった二隻の巡洋艦とは、第八戦隊第二小隊の「五ヶ瀬」と「天塩」だった。

二隻とも最大戦速で敵戦艦の隊列に接近しており、各四基の十五.五センチ三連装砲をいつでも発射できるようにして備えている。

 

「電測より艦橋。敵戦艦七番艦、本艦よりの方位85度。敵戦艦八番艦、方位75度。それぞれ距離一一〇(一万一千メートル)、一二〇(一万二千メートル)」

 

電測室から電測長の雨宮凌二(あまみや りょうじ)大尉の報告が、艦橋に上げられた。

 

「まずいな…『日向』が集中して狙われる」

 

第二小隊の指揮を執る 「五ヶ瀬」艦長の島崎利雄(しまざき としお)大佐は、表情を歪ませながら言った。

現在、第二小隊は敵戦艦と味方戦艦の間をすれ違うような針路を取っている。

右側には敵六、七、八番艦のル級戦艦が見え、左側には無残に崩れ去った「山城」と、大火災を起こしている「扶桑」、懸命に主砲を発砲している「日向」の姿を捉えることができた。

 

日本側が不利なのは、一目瞭然だ。

 

黒煙を上げながら停止しているル級戦艦もいるが、少なくとも三隻のル級が十分に余力を残していることがわかる。

対して日本側は「山城」が停止し、「扶桑」がノロノロと進むだけとなっており、健在な戦艦は「日向」一隻のみだ。

 

隊列前方の「大和」「長門」「陸奥」と「伊勢」は、敵一番艦を撃破し、敵二、三、四番艦を追い詰めていたが、対照的に隊列後方の戦況はかなり悪いらしい。

第二小隊の役割は、戦闘力を残している「日向」に助力し、この戦況を打開する事だった。

 

(そんなことができるのか?)

 

敵艦を睨みつけながら、島崎は思った。

 

「五ヶ瀬」「天塩」は栗田健男少将の指揮下で敵巡洋艦部隊と戦い、敵巡洋艦を魚雷の飽和攻撃で撃破した後は、敵駆逐艦の掃討に当たっていた。

相手取った巡洋艦は十二.七センチ砲を多数装備しているタイプで、第二小隊の被害は少なかったし、駆逐艦との砲戦もさほどの打撃を「五ヶ瀬」「天塩」に与えなかった。

それでも、戦いを通じて多数の小口径砲弾を喰らっており、被害が蓄積している。

栗田司令の指示を受けて駆けつけたはいいものの、手負いの軽巡には荷の重い任務だと思わずにいられなかった。

 

 

「『日向』が砲撃しているのは何番艦だ?」

 

気持ちを切り替え、島崎は砲術長の今野功夫(こんの いさお)中佐に聞いた。

 

「『日向』は敵六番艦を砲撃中。敵七番艦と敵八番艦では、八番艦が無傷です」

 

「よし、射撃目標敵八番艦。回頭終了と同時に砲撃開始だ」

 

「第二小隊、右一斉回頭。針路110度」

 

島崎は一息で命令を発し、艦内電話の受話器を置いた。

 

「面舵一杯、針路110度!」

 

航海長の畠中雄彦(はたなか たけひこ)中佐が、操舵室へと繋がる伝声管へと怒鳴り込む。

「五ヶ瀬」の艦橋に発光信号の光が閃らめき、後方の「天塩」へ島崎の命令内容が送られた。

第八戦隊司令部は、第一航空艦隊に配備された「利根」に将旗を掲げているため、この場では最先任の島崎が指揮をとることになっている。

その島崎の指示を受けて、二隻はにわかに行動を開始した。

 

三十秒ほどの間を空けて、「五ヶ瀬」と「天塩」は艦首を右に振る。

 

頭上を「日向」やル級戦艦の砲弾が飛び交う中、利根型軽巡三、四番艦の二隻は一糸乱れずに回頭してゆく。

右正横に見えていた敵戦艦の姿が右前方、正面に流れ、やがて左前方、左正横へと移動する。

 

右一斉回頭を終了した時、第二小隊は「天塩」を先頭にして、敵八番艦の右斜め後方一万メートルにつけていた。

 

先に「天塩」が発砲する。

「天塩」の後ろ姿が震え、左舷側に真っ赤な火焔が湧き出た。

 

火焔の大きさを見るや、最初から斉射を放ったようだ。

敵八番艦を牽制するにあたり、砲撃はより目立つ斉射の方が効果的だと考えたのかもしれない。

 

「天塩」の余韻が収まった時、「五ヶ瀬」も発砲する。

 

艦橋の目前に並べてある四基の三連装主砲が、一斉に咆哮し、計十二発の十五.五センチ砲弾を敵八番艦へと叩き出した。

 

不穏な衝撃が艦を揺らす。

利根型軽巡は主砲が全て前部甲板に据えているため、他の艦とは少し異なる発砲の衝撃なのだ。

下手をすると、艦首が若干右に曲がったと思わせる。

 

「天塩」同様、「五ヶ瀬」も斉射だ。

今野砲術長も、「天塩」と同じように斉射の方が良いと判断したのだろう。

 

計二十四発の中口径弾がル級に着弾する前に、「天塩」が第二斉射を放ち、「五ヶ瀬」も続く。

「五ヶ瀬」が第二斉射を撃ち出した六秒後、間髪入れずに「天塩」が第三斉射を轟然と撃ち、さらに六秒後、三たび装填を完了した「五ヶ瀬」が撃つ。

 

第二小隊の二隻は、十二秒毎に主砲四基が咆哮させている。

「天塩」が発砲している間に「五ヶ瀬」が装填し、逆に「五ヶ瀬」が発砲している間に「天塩」が装填する。

交互に撃ち込んでいるため、十二発ずつの十五.五センチ砲弾が、六秒置きにル級周辺に落下していた。

 

「残弾は何発だ?」

 

「一門につき、約百三十発ずつです」

 

そんな喧噪の中。

島崎が聞くと、今野砲術長は即答した。

 

利根型が搭載する十五.五センチ砲の一門あたりの砲弾搭載数は二百七十発だから、弾数は半分を切ったことになる。

駆逐艦の掃討で、かなり砲弾を消費してしまったようだ。

 

「五ヶ瀬」でこの状態なら、「天塩」も同様であろう。

ル級戦艦を相手取るにおいて、心もとない数字だ。

 

初めから斉射を使用することは、命中率を高める点において有利だが、「五ヶ瀬」「天塩」のような高い速射力を持つ艦において、砲弾の枯渇も注意しなければならなかった。

 

 

だが、幸いと言うべきか、命中弾を得るのはすぐだった。

 

「五ヶ瀬」の第三斉射弾が落下した瞬間、ル級戦艦の艦上に小さな爆炎が躍る。

その六秒後に落下した「天塩」の第四斉射も、ル級に閃光を走らせた。

 

「命中!」

 

今野の弾んだ声が艦橋内に響いた。

第二小隊は斉射を使用した甲斐があり、素早く敵艦に命中させることが出来たのだ。

 

もともと斉射のため、射撃は続行される。

 

四基の十五.五センチ三連装砲は、更に吼え猛けり、十二発の砲弾を繰り返し撃ち込む。

 

命中弾を得てから一回目の斉射が落下した時、ル級戦艦の艦上に爆炎は躍らなかった。

「天塩」の斉射も同様だ。ル級の周辺には落下したものの、被害らしきものは与えられていない。

 

恐らく、ル級の装甲に弾き返されてしまったのだ。

 

今までの戦闘で、ル級戦艦は三十六センチ砲弾にすら耐えられる堅牢さを備えていることが判明している。

その分厚い装甲が、十五.五センチ砲弾の貫通を許さず、明後日の方向に弾きかえしたのだろう。

 

(大丈夫だ)

 

島崎は内心で呟いた。

 

いかにル級とはいえ、艦首から艦尾までを全て装甲で鎧っているわけではない。

艦橋などの脆弱な部分もある。

そこに命中すれば、被害は与えられると考えていた。

 

 

「五ヶ瀬」は第五、第六、第七斉射と、十二秒毎に射弾を放つ。

第五斉射でも被害は確認できなかったが、第六斉射以降は目に見える形で被害を与えた。

 

斉射弾が落下するたびに艦上の二、三箇所で直撃弾炸裂の閃光が走り、ひん曲がった破片などを四方に飛び散らせる。

 

艦橋と煙突の中央に命中した砲弾はそこに敷き並べてあった高角砲を薙ぎ払い、艦首や艦尾の非装甲部分に命中した砲弾は、容易く貫通して内部で炸裂する。

煙突の上部に直撃した砲弾は、炸裂エネルギーで煙突の上半分を消失させ、甲板に命中した砲弾は鋼板を吹き飛ばして大穴を穿つ。

 

一発一発の十五.五センチ砲弾は、ル級戦艦に大損害を与えない。

だが、その砲弾が十発、二十発と命中すれば、被害は馬鹿にならなかった。

 

「いいぞ。どんどん撃ち込め!」

 

島崎は、命令教本にない言葉を発した。

何かを命じるよりも、皆を鼓舞させることが目的だった。

 

 

短時間の間に多数の砲弾を喰らったル級戦艦は、十数もの黒煙を引きずっている。

だが、主砲は定期的に発砲して「日向」に砲弾を撃ち込んでいるし、速力も低下していない。

 

まだまだ斉射弾を叩きつける必要がありそうだ。

 

「艦橋より水雷指揮所。左舷側の魚雷発射管次発装填作業はあと何分ぐらいで終わる?」

 

島崎は、水雷長の黒島一志(くろしま かずし)大尉を呼び出して言った。

 

「あと十分で終了します」

 

島崎の問いに、黒島は冷静な声で答える。

 

「わかった。順調に作業を進めてくれ」

 

それだけ言って、島崎は艦内電話の受話器を置いた。

 

 

「五ヶ瀬」と「天塩」は数十分前に敵巡洋艦に対して左舷側の魚雷を放っており、今は次発装填中だ。

ル級を完全に仕留めるには、強力無比の酸素魚雷を使用する必要があるが、十分ばかり待たなくてはならないらしい。

 

その時、電測長の雨宮と艦橋見張員から同時に報告が上がった。

 

 

「電測より艦橋。敵八番艦の後方より敵駆逐艦出現。敵針路160度。距離八〇」

 

「敵戦艦八番艦の後方より敵駆逐艦接近、数四。距離八〇!」

 

二つの報告が飛び込むや否や、島崎は双眼鏡をル級の後方へと向けた。

丸い視界の中に、前部主砲を乱射しながら突き進んでくる敵駆逐艦の姿が見える。

「五ヶ瀬」と「天塩」に魚雷を発射し、ル級を援護するのが目的であろう。

 

「今野!」

 

「わかってます!」

 

島崎が今野に言うまでもなく、「五ヶ瀬」左舷の十二.七センチ連装高角砲二基が、瞬時に火を噴く。

一拍遅れて、前方を進む「天塩」も、高角砲を撃ち始める。

 

高角砲は四、五秒毎に咆哮し、敵駆逐艦へと十二.七センチ砲弾を叩き出す。主砲を一回撃つたびに二、三回の鋭い砲声鳴り響く。

 

第八戦隊第二小隊の利根型軽巡二隻は、異なる目標に向けて、遮二無二に砲を撃ちまくっているのだ。

 

「敵駆逐艦との距離七〇!」

 

見張員の報告が飛び込む。

七千メートルなら、まだ大丈夫な距離だ。

 

敵駆逐艦群との距離が六千を切った時から、命中弾が出始める。

 

先頭を突き進んでいた駆逐艦の艦首付近に火焔が湧き、鋭利な艦首が轟音と共に吹き飛ばされた。

そこに新たな十二.七センチ砲弾が飛来し、果敢に発砲していた前部砲塔を爆砕する。

前方に撃てる砲を破壊された駆逐艦は、沈黙しつつも速力を緩めない。

先と変わらず、全力で突き進んでくる。

 

その艦に、「五ヶ瀬」と「天塩」高角砲計四基八門のが火力が集中される。

 

距離が詰まったためだろう。今までの倍する勢いで、十二.七センチ砲弾が命中し始めた。

続けざまに食らう砲弾に抉られ、艦上のものはあらかた原型をとどめておらず、そのほとんどが黒煙に覆われている。

 

「ちと危ないかもしれないですね」

 

畠中航海長が焦慮を隠せない表情で言った。

 

畠中の危機感は理解できる。

思いの外、敵駆逐艦は粘っており、このままでは至近距離から魚雷を撃ち込まれると思っているかもしれない。

 

「砲術より艦橋。主砲目標は敵戦艦のままですか?」

 

今野砲術長も、思うところは同じようだ。

暗に主砲目標の変更を催促してくる。

 

「主砲目標はそのままだ。敵駆逐艦は高角砲で対処せよ。我々は、『日向』援護に徹する」

 

島崎は宣言するように言い放った。

 

艦橋内にどよめきが広がる。

誰もが、正気か?と言わんばかりの顔をしていたが、次の瞬間には覚悟を決めた表情になった。

 

「ル級を戦闘不能にするのが先か。魚雷を食らうのが先か…」

 

主砲と高角砲が断続的に咆哮する中、島崎は呟いた。

 

ここで第八戦隊第二小隊が踏ん張らなければ、「日向」が敵戦艦との砲戦に敗北し、ひいてはこの海戦を敗北する。

 

 

ここが、「五ヶ瀬」「天塩」の正念場だった。

 

 

 

その時、第二小隊の頭上の大気が激しく鳴動する。

戦艦の主砲弾が飛翔するような音だった。

 

「なんだ?」

 

不審に思った島崎は、頭上を振り仰ぐ。

鳴動の根源は、「五ヶ瀬」の頭上を右から左に移動し、左舷側ーー敵駆逐艦がいる辺りーーに巨大な水柱を突き上げさせた。

 

計四本の水柱が発生し、敵駆逐艦の隊列が乱れる。

 

 

何が起こったか、島崎は理解している。

四十センチか三十六センチ、はたまた四十六センチかは分からないが、戦艦の主砲弾が飛来して敵駆逐艦の周辺に落下したのだ。

 

「一体、どこから?」

 

畠中の呟きが耳に届く。

 

「日向」は六、七、八番艦のル級に砲撃されており、それどころではないだろう。

「伊勢」以前の味方戦艦も、敵戦艦との砲戦に拘束されているはずだ。

 

その時、島崎の疑問に答えるように、後部見張員の報告が飛び込んだ。

 

「『扶桑』敵駆逐艦を砲撃中!」

 

「なに⁉︎」

 

後部見張員の報告に、島崎は耳を疑った。

「扶桑」は数分前の砲戦で敵六番艦に敗北し、戦列から落伍したはずである。

「扶桑」の被害状況は島崎も自らの目で見ており、その艦が駆逐艦を砲撃していることが信じられなかった。

 

だが、巨弾は繰り返し撃ち込まれる。

「扶桑」の姿は死角になっており見えないが、それでも、どういう状況にあるかは予想ができた。

 

恐らく、「扶桑」は第二小隊の窮地にいてもたってもいられず、復旧作業を放り出して、生き残った主砲で駆逐艦を狙ったのだろう。

 

(ありがとう…『扶桑』)

 

島崎は目を伏せ、後方の味方戦艦に手を合わせた。

 

 

敵駆逐艦の隊列は、繰り返し撃ち込まれる巨弾で四分五裂の有様だった。

何発もの高角砲弾が命中した先頭艦は言うに及ばず、二番艦の位置の敵駆逐艦も大火災を起こして停止している。

 

その時、残った二隻のうち一隻に、「扶桑」の三十六センチ砲弾が直撃した。

敵駆逐艦の姿が瞬時に搔き消え、凄まじい大きさの火焔が湧き上がる。

黒い塵が八方に飛び散り、雷鳴のような轟音が海上に鳴り響いた。

 

水柱が引いた時、巨弾を食らった敵駆逐艦は海上に浮かんでいない。

竜骨がへし折れ、瞬時に海中に引きずり込まれたのだろう。

 

「敵駆逐艦反転」

 

見張員が報告する。

四隻中三隻を失ったため、雷撃を断念するようだ。

 

「よし」

 

島崎は安堵した。

額の汗を拭い、畠中と頷き合う。

 

 

 

だが、第二小隊の苦難は終わったわけではなかった。

 

 

再び、頭上の大気が鳴動し始めたのである。

島崎は「扶桑」が発射したものだと思っていたが、後方からの砲声は届かない。

それに、大気の鳴動は徐々に大きくなってくる。

 

「まさか…!」

 

全ての音がその轟音に掻き消された時、島崎は全てを悟った。

 

「五ヶ瀬」の前方に凄まじい高さ、太さを持った水柱が奔騰し、前方を航行していた「天塩」の姿を隠す。

同時に「五ヶ瀬」の艦体は十本以上の水柱が発生させた波によって、お辞儀をするように前のめった。

 

「来た!来た!来た!来た!…本当に来た!」

 

羅針盤に掴まって身体を支えながら、島崎は叫ぶように言った。

 

「敵戦艦八番艦からの砲撃です!」

 

今野砲術長が悲鳴染みた声で報告を上げる。

 

第二小隊が散々十五.五センチ砲弾を撃ち込んだ敵八番艦は、第二小隊など視界に入っていないかのように振る舞い、今まで「日向」を砲撃していた。

だが、第二小隊の二隻から合計三十回以上の斉射を受けて、耐えられなくなったのだらう。

 

被害の元凶である第二小隊に、砲撃目標を定めたのだ。

 

「日向」を支援するに置いて、敵八番艦の目標が「日向」から第二小隊に変更したことは喜ばしいことだったが、いざ実際に戦艦の巨弾を浴びてみると恐縮せざるおえなかった。

 

「五ヶ瀬」「天塩」は繰り返し斉射を放つ。

さっきまで駆逐艦を砲撃していた高角砲も、敵戦艦に向かって火を噴く。

 

だが、ル級は意に返さない。

 

発生する黒煙を吹き飛ばし、第二射の閃光を走らせた。

 

ル級と第二小隊の距離は四千を切っているため、数秒とせずに着弾する。

「五ヶ瀬」左舷側の海面が爆発し、十本以上の数の水柱がそそり立つ。

ル級戦艦も第二小隊と同じく最初から斉射を放っているようだった。

 

着弾した瞬間、「五ヶ瀬」の艦体が大きく右に傾いた。

同時に、凄まじい量の海水が降りかかる。

 

着弾位置はかなり近い。

あと三十メートル右にずれていたら直撃を喰らっていたかもしれない。そう思わせるほどの至近距離だった。

 

「左舷水雷科員、波にさらわれました!装填作業中断!」

 

黒島が、半ば絶叫と化した声で報告する。

 

島崎は罵声を発した。

酸素魚雷の次発装填作業を行なっていた水雷科員が、吹き上がった水柱の海水にさらわれてしまったようだ。

装填作業を再開しなければ、左舷側の魚雷は撃てない。

酸素魚雷を頼みにしていた島崎にとっては、大きく計算が狂った形だった。

 

「雷跡四、左舷方位270度から300度より接近。距離〇一!」

 

凶報は続く。

 

「ぎょ…魚雷だと⁉︎」

 

突然の出来事に、島崎は自らの身体が凍りつくのを感じた。

艦長として回避命令を出さなければならないが、咄嗟に言葉が出てこない。

島崎より先に動いたのは、畠中航海長だった。

 

「両舷停止!」

 

畠中の指示を受けた機関室では、素早くタービンの出力が最下まで落とされる。

 

「機関、後進全速!急げ!」

 

次いで畠中は言った。

舵を切っても間に合わないと考えたのだろう。後進して魚雷をやり過ごす根端のようだ。

艦を進ませる慣性と後進させる力がせめぎ合い、「五ヶ瀬」の艦体は激しく身震いする。

 

その喧騒に身を任せ、島崎は考えた。

 

数分前に第二小隊を雷撃しようと接近してきた敵駆逐艦。

「扶桑」の援護射撃と高角砲が撃破したが、最後尾にいた敵艦を取り逃がしている。おそらく、その駆逐艦が放った魚雷だろう。

 

距離も遠く、たった一隻が放った魚雷など恐れるに足らないと思っていたが、それは大きな誤算だったようだ。

 

回避中に発砲しても当たらないと考えているのだろう。

ひっきりなしに撃ちまくっていた主砲と高角砲は沈黙している。

 

やがて、「五ヶ瀬」はゆっくりと後進を開始した。

 

(かわせ!…「五ヶ瀬」)

 

島崎は自らが艦長を務める艦に願う。

願いなど意味がないとわかっていても、願わずにいられなかった。

 

四本の雷跡は、急速に近づく。

島崎には、艦首あたりに命中するコースに見えた。

 

先行した二本が、艦首をかすめて右舷側に抜ける。

半数の魚雷はギリギリで回避に成功したようだ。

 

「まだだ…」

 

艦橋内に安堵の空気が漂う中、島崎は海面を睨みつけた。

まだ二本の魚雷が残っている。

 

「八百……六百…」

 

「四百……二百…百!近い!」

 

見張員の絶叫が響く。

艦首の陰に二本の雷跡が消えるのを、島崎ははっきりと見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雷跡。右舷側に抜けました!」

 

 

 

そう喜色溢れる見張員の声が聞こえたのは、一秒後だったのか、はたまた十秒二十秒後だったのかわからない。

だが、気付いた時には魚雷の回避に成功しており、艦橋内に歓声が爆発していた。

 

「や、やった……」

 

島崎は力の抜けた声で言う。

自分のものかどうかもわからないような、かすれた声だった。

 

無事、魚雷の回避に成功したのだ。

 

 

だが、「五ヶ瀬」は窮地から完全に脱出できたわけではなかった。

ル級が放った砲弾の飛翔音が、頭上から鳴り響く。

 

 

「なんだ…?」

 

島崎は、飛翔音の音色が少し違うのに気づいた。

今までのものよりも大きく、そして甲高い。

 

 

 

この時、ル級が放った主砲弾の精度は、お世辞にも良いものではなかった。

「五ヶ瀬」が前進を続けていたのならば遥か後方に落下する弾道を描いており、至近弾にすらならないものだった。

 

だが、悪魔のいたずらか、魚雷回避のために「五ヶ瀬」は両舷を停止し、終いには後進する。

 

その結果、本来は当たらないはずの敵弾の落下範囲に、自ら入ってしまったのだ。

 

 

 

 

飛翔音は収まるどころか、更に拡大する。

 

「まさか⁉︎」

ーーそんなはずは…。

 

島崎は「自ら着弾位置に入ってしまった」という考えに至り、目を見開いて頭上を振り仰いだ。

喜色を浮かべていた艦橋要員達の顔が、みるみる絶望のそれへと変化する。

 

「か、回避だ!」

 

現在。「五ヶ瀬」の艦体は全速から後進微速へと移行した直後であり、ここから艦を再び移動させるのは凄まじいエネルギーが必要となる。

それを考えれば当然間に合わないが、島崎は最後まで諦めるつもりはなかった。

 

畠中も力強く頷き、機関室へ通じる伝声管に駆け寄る。

 

「機関室、両舷前進だ!最大出力でーーー」

 

次の刹那。

 

「五ヶ瀬」乗組員が今までに感じたことのない衝撃が、艦に襲いかかった。

艦橋がひっくり返ったと思わせるほどに揺れ、島崎は床に弾き飛ばされる。

畠中が何かを叫んだが、それが島崎の耳に届くことはない。

 

視界いっぱいに閃光で満たされ、灼熱の業火が島崎の身体を焼き尽くす。

 

 

 

 

 

 

家族の姿が脳裏をよぎったのを最後に、島崎の意識は暗転し、二度と戻ることはなかった。

 

 

 




次回、決着。(たぶん…)

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