1
エンジン音の唸りが高まった瞬間、F4F一番機が弾かれるように発進し、飛行甲板の縁を勢い良く蹴った。
そのF4Fは飛行脚が飛行甲板から離れた瞬間、自重でやや高度を下げるが、次の瞬間には朝日を浴びながらフルスロットルを開いて上昇に移っている。
甲板の脇に位置している対空機銃のスポンソン、艦橋上部の射撃指揮所、同じく見張台。いたるところに陣取る将兵の声援を受けて、攻撃の先鋒を務めるF4Fは続々と勇躍出撃を続ける。
司令官のウィリアム・ハルゼー中将も、艦橋に仁王立ちになりながら機体が出撃するたびに右手の親指をぐっと上げ、パイロットに激励を送っていた。
ルソン島バレルよりの方位90度、210浬の海域。TF16旗艦「エンタープライズ」の艦上だ。
時刻は午前6時であり、台湾基地航空隊より15分ほど遅れた出撃だった。
TF16は第一航空艦隊と共にルソン島東方に展開しており、二艦隊の攻撃目標たるバレル飛行場姫に攻撃隊を放っているところである。
F4Fに続いて出撃するのは、1000ポンド(500kg)陸用爆弾を腹に抱えたドーントレス群だ。
ミハエル・リーチ第5偵察爆撃隊隊長の一番機を皮切りに、続々とドーントレスはフルスロットルを開き、飛行甲板を蹴って大空に舞ってゆく。
同じような光景は、僚艦「ホーネット」「ハンプトン・ローズ」でも見られる。
第一次攻撃隊に参加するF4F、ドーントレスはクルーの声援を背中に受け、空母三隻を飛び立っていった。
その数、三隻合わせてF4F六十二機、ドーントレス九十四機の計百五十六機である。
先鋒であるだけに、F4Fの数が多かった。
TF16から出撃した第一次攻撃隊は、艦隊上空で編隊を組んだ後に、日本艦隊から飛び立った攻撃隊と合流すべく、北方へと針路を取る。
この時刻、計画通りならばTF16北方35浬の海域に展開している第一航空艦隊からも第一次攻撃隊が放たれているはずだ。
バレル飛行場姫には、日米の攻撃隊が共同で攻撃を仕掛ける手筈だった。
「対空レーダー、機影を探知!」
その時、CICから艦橋に報告が上がった。
レーダーマンの切迫した声色に、TF16司令部の幕僚は顔色を変える。
「本艦隊よりの方位280度。距離80浬。数一。こちらにまっすぐ向かって来る針路です!」
それを聞いてハルゼーは軽く舌打ちをした。
「深海棲艦め。用心深い奴らだ」
「数一」というかことは、おそらく偵察機だろう。
深海棲艦はルソン島東方に艦隊がいる可能性を考慮している。
TF16の攻撃が敵に筒抜けにはなってはいないと思われるから、定期的な哨戒作戦の一環だろう。
だが、敵機がそのまま直進すれば、TF16や第一航空艦隊が深海棲艦に発見されるし、第一次攻撃隊が敵機と遭遇すれば、飛行場姫に通報されるかもしれない。
そうなれば完璧な奇襲は到底望めず、攻撃隊は多数の
「司令…!」
そのことを理解したのだろう、参謀長のマイルズ・ブローニング中佐が焦慮に駆られた表情を向けてくる。
だが、ハルゼーはそのようなことなど意に返さず、凛とした声で言った。
「最初から奇襲なんぞ望んじゃいない。我々のパイロットは皆優秀だ。強襲でも必ず攻撃を成功させる!このまま行け!」
2
「『ドラゴン・リーダー』より全機。クラーク・フィールド飛行場姫まで残り220浬。まもなくルソン上空。周辺警戒を厳とせよ」
「『アイ・フィールド
第一次攻撃隊がタイワンから出撃して一時間が経とうとしていた頃。
二つの通信が、計器盤にくくりつけられているレシーバーから飛び込んだ。
「もう直したのか…」
第八航空軍所属・
「ドラゴン・リーダー」は第一次攻撃隊総指揮を執るアルヴィス・ハート大佐の乗機を示す符丁であり、「アイ・フィールド」は、第一次攻撃隊より6km前方に突出し、敵レーダー波を探っている十六機の逆探搭載型B17の小隊符丁だ。
その「アイ・フィールド」小隊の一機がレーダー波を探知したということは、第一次攻撃隊が深海棲艦のレーダーに発見される可能性が高いことを示している。
マルティネス率いる772BFSは、“KD”作戦実施に先立って一週間前の9月31日にバブヤン島の深海棲艦レーダーサイトを空爆していた。
だが、それはもう直されたらしい。
第一次攻撃隊が敵に探知された暁には、多数のオスカーが迎撃に向かって来ることだろう。
できれば、一切の妨害を受けずにクラーク・フィールド飛行場姫に取り付きたいとマルティネスは考えていたが、やはりそれは無理そうだった。
日米統合の第一次攻撃隊は、夜が開けてまも無い高度四千mの高空を轟々とどよもしながら、作戦劈頭の一撃をクラーク・フィールド飛行場姫に与えるべく、進撃を続ける。
今回の攻撃隊には第八航空軍から
総数はB17が百七十一機、P38が九十九機。計二百七十機だ。
これらに日本海軍六個航空隊と、日本陸軍三個飛行戦隊が加わる。
日本側の総数は陸海軍機合わせて一式陸攻百五十五機、九七式重爆七十二機、零戦百二機。計三百二十九機。
両軍を合計すると、五百九十九機。
作戦案“ヴァイパー”では、この攻撃隊が三つに分かれてルソン島の各敵拠点を叩く。
本隊は深海棲艦極東最大の航空拠点ーーークラーク・フィールド飛行場姫を叩くが、九七式重爆全機と一式陸攻三十六機、ならびに護衛の零戦が分遣隊として本隊を離れ、ルソン島西岸のイバ飛行場姫を攻撃する。
イバ飛行場姫には、他にも南シナ海に展開した第十七任務部隊が空襲をかける手はずだった。
これが当初の予定の作戦案“バゼット”の内容であり、実際に行われる作戦案“ヴァイパー”は、“バゼット”にもう一つの内容が加わる。
二十五機のB17が、バブヤン・サイトを破壊するのだ。
敵レーダーの存在は、第二次攻撃隊の際にも障害になるだろう。
「アイ・フィールド」によって敵レーダー・サイトの健在が確認された以上、見過ごすわけにはいかなかった。
なおも、第一次攻撃隊は空前の大編隊を組み、進撃を続ける。
最初に敵機の迎撃を受けたのは、「ドラゴン」本隊でも、日本軍航空部隊でもなかった。
「『アイ・フィールド・リーダー』より全機。現在、敵機多数の攻撃を受けている!救援を求む!」
「そっちに行ったか…!」
レシーバーから悲鳴染みた救援要請が飛び出すや、マルティネスは重々しい声で言った。
「アイ・フィールド」小隊の逆探搭載型B17は、第一次攻撃隊よりも6km前進していたが、高度は一千mと、第一次攻撃隊よりも三千m低い。
よって、迎撃に上がって来た深海棲艦機は「アイ・フィールド」を無視し、第一次攻撃隊を真っ先に攻撃してくると考えられていた。
しかし、敵機は人類の考えなどいざ知らず、全力で「アイ・フィールド」のB17を叩きに来たのだ。
「アイ・フィールド」のB17は20機しかいない。加えて逆探を搭載しているため、旋回機銃も半分を下ろしている。
そのような非力な部隊に、深海棲艦の迎撃機全力が襲いかかったのだ。
全滅は免れないだろう。
「『ドラゴン・リーダー』より『ソルト』『ペッパー』。『アイ・フィールド』の救援に向かえ」
「『ソルト』了解」
ハート大佐の肉声がレシーバから響き、マルティネスは短く答えた。その直後、レシーバーのスイッチを切り替え、叩きつけるように言った。
「『ソルト』続け!」
同時にフルスロットルを開き、操縦桿を奥に倒す。
双発双胴の異様な機体がぐんっと加速し、B17や一式陸攻を追い抜かす。バックミラーを見ると、「ソルト」に所属するP38二十一機が後続するのが見えた。
この位置から、「アイ・フィールド」を直視することはできない。
正面下方に広がる雲海が遮っているためだ。
「ソルト」「ペッパー」のP38四十二機はフルスロットルを開きながら、その雲海に突入する。
突入した瞬間、視界が凄まじく悪くなった。
雲の密度はとても濃く、日光すら遮っているのか、やや薄暗い。
共に飛行しているP38の姿は当然見えず、空中衝突の危険性も大幅に跳ね上がる。
ベテランのパイロットでも神経が張り詰める状況だが、マルティネスの意識は完全に「アイ・フィールド」の方に向いていた。
この瞬間も、多数の敵機がB17に襲いかかっているだろう。
「ソルト」「ペッパー」の到達が遅ければ遅いほど、逆探搭載B17は続々と撃墜される。
「一刻も早く雲海から抜け出して救援に向かいたい」。マルティネスの心にあるのはそれだけだった。
それから一分ほど雲海を突き進んだ後、雲から出て、視界が開ける。
「……!」
マルティネスの目に映ったのは、黒煙を引きずりながら墜落したり、懸命に旋回機銃を撃ちまくっているB17の姿と、百機を優に越すであろう甲型戦闘機の大編隊だった。
「『ソルト・リーダー』より『ソルト』全機。ただちに小隊ごとに散開!各個B17の離脱を援護しろ!」
マルティネスが無線機に怒鳴り込んだ刹那、二十一機のP38は弾けるようにして編隊から小隊ごとのグループに散開した。
「ペッパー」部隊も同様だ。瞬時に散開し、獲物を見つけたサメのごとくオスカーの編隊に切り込んでゆく。
マルティネスは自らの小隊機が後続していることを確認し、スロットルを開きっぱなしにしながら突進した。
正面下方には、四、五機のオスカーに追い回され、今にも撃ち落とされそうになっているB17の姿が見える。
攻撃目標はそのオスカーにすると決めた。
オスカーは正面のB17に夢中のようだ。マルティネスのP38に気づく様子はない。
B17を追っている五機のうち、一番近いオスカーに照準を合わせる。
十分射程距離内に入っていることを確認しつつ、B17を追うために左に旋回したオスカーの側面に、マルティネスは軽く一連射を加えた。
操縦桿のトリガーを人差し指で手前に引いた瞬間、機首に据えられている12.7mm機銃四丁、20mm機関砲一丁が一斉に火を噴く。
発砲の衝撃が中型爆撃機ほどもある巨体を揺らし、コクピットの目の前が発射炎で真っ赤に染まった。
マルティネスが放った五条の火箭は、狙い余さずオスカーを真横から襲いかかる。
そのオスカーは無数の大口径機関砲弾を無数に食らい、横から暴風をもろに受けるような形でバラバラに砕け散った。
そのオスカーの墜落を確認せず、マルティネスは素早く二機目のオスカーに機首を向ける。
そして敵機の進行方向に対して、五丁の機銃を発射した。
二機目のオスカーは、自ら機銃弾の奔流に飛び込む形になった。
一機目同様、無数の機銃弾に側面を撃ち抜かれ、火焔と共に空中分解を起こす。
マルティネスが二機のオスカーを仕留めている間に、他の三機も味方の小隊機が撃墜していた。
それを確認したマルティネスは、新たな敵機を見つけるべく周囲を見回す。
高度一千mの空域は、敵味方が入り乱れる空中戦の渦中となっていた。
直線的な軌道を描くP38と、小回りを生かすオスカーが上へ下へと空気を切り裂きながら飛び回り、互いの敵機に機銃弾を叩き込む。
B17はいない。生き残った機は雲海に逃げ込んだのだろう。
だが、B17が脱出したからといって終息する戦闘ではない。
P38に一撃離脱を仕掛けられ、大口径機関砲弾に撃ち抜かれるオスカーがいれば、オスカーにドッグファイトに持ち込まれ、背後から機銃弾を食らうP38もいる。
今のところ、互角に戦っているようだが、オスカーの機数は「ソルト」「ペッパー」の二倍以上だ。
全ての敵機が大勢を立て直せば、劣勢は免れないだろう。
「行くぞ!」
マルティネスは無線機を通じて小隊機に言い、空戦の只中に飛び込んで行った。
次回もルソン島制空戦奪還戦です!