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日本で連合艦隊司令部が緊急会議を開く少し前。
アメリカ合衆国の首都。ワシントンD.C.にある米国務省に、一人の男性がやや早歩きで入っていった。
その男はスーツ姿で周りのアメリカ人職員よりも小柄な身体をしており、丸メガネをかけている。顔は東洋人で、どこかの大学で教鞭を振るっていそうな人物だ。
日本駐米大使の野村吉三郎(のむら きちさぶろう)である。
今日、3月2日。米国務省から連絡があり、長官室に呼び出されたのだ。野村は呼び出された理由を、昨日から続いている太平洋の「異変」に関する事だと睨んでいる。
在日大使館にも本国からの通信で知らされていたが、情報は断片的でありトラック環礁とマーシャル諸島が謎の敵からの攻撃を受けた事しか把握できていない。
本国は敵の正体を知るために必死になっているようだ。今回の会談で米国の持つ情報を聞き出して、少しでもいいから本国に送ろう、と野村は考えていた。
国務省のフロントで自分の役職と来た理由を言うと、すぐさま国務長官室に通される。
長官室に入ると、米国務長官コーデル・ハルともう一人の男が笑顔で出迎えた。
野村はハルと握手して、横のいる男とも握手をする。国務省の職員ではなさそうだが見知った顔だ。誰だったかな?と記憶を巡らせていると…。
「イギリス駐米大使のエドワード・ウッドです」
「日本駐米大使の野村吉三郎です」
英国の駐米大使だった。
お互いの自己紹介が終わり、野村とエドワードがハルの向かい側のソファに腰を掛けると、ハルが口を開いた。
「今日、ここに集まった我が国もふくめた三ヶ国は、同じく太平洋に利権を有する列強であり、強大な海軍力を持つ海軍国です。既に察していると思いますが、今回の会談は現在、太平洋で起こっている『異変』について、我が国から貴国らに伝えたい情報と要請があるので、集まっていただきました」
(そら来た…。)
野村は予想通りの内容で、本国に送る情報を聞くためにハルの次の言葉を待った。
「単刀直入に言いましょう。我が国は、太平洋の軍事基地を襲っている敵と1898年に一度、戦っています」
「なんですと⁉︎」
「…………!」
エドワードが頓狂な声をあげ、野村も声にならない叫びをあげた。1898年と言ったら日露戦争の前、ロシアと日本の緊張が徐々に高まっていた頃だ。
(そんな時に米国はあの敵と戦っていたのか)
野村がそんなことを考えていると、ハルはかけているメガネを外し、レンズを拭きながら話を続けた。
「戦艦メインの爆沈事件はご存知ですか?」
「え、ええ。確かキューバのハバナで沈んだ戦艦の事、ですよね?」
エドワードが確認をするように言った。
野村は頷くだけにとどめたが、勿論どのような事件か知っている。1898年、キューバ・ハバナに停泊中だった米海軍の戦艦USS ACR-1「メイン」が謎の爆沈をした事件だ。
爆発の原因は不明だが、この事件をスペインの仕業と米国の各新聞社が報道したことにより、世論を抑えれなくなった米政府が米西戦争を起こしてしまう、という事になっている。
しかし、その事件と一体なんの関係があるのだろうか?
エドワードと野村が顔を見合わせる。
拭き終わったメガネをかけ直すと、ハルが言葉を続けた。
「『メイン』が沈んだのはハバナではありません…。沈んだ場所はフロリダ半島の先端とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形、俗に言うバミューダトライアングルの中心地点です。しかも爆沈や事故ではなく、戦闘行為により撃沈されたのです」
「我々はこの『メイン』を撃沈した敵を…深海棲艦(ディープ・シー・フリート)と呼称しています。その後、『メイン』を沈めた複数の深海棲艦はフロリダ半島東側のマイアミ、メルボルンと言った都市を艦砲射撃しつつ北上し、半島の根元付近にある町、サバンナを蹂躙したのを最後に東進して大西洋に消えました」
突拍子もない事を突然言われ、固まるエドワードと野村。
バミューダトライアングルは今までに、その海域を航行したり上空を飛行した船舶や飛行機が度々行方不明になってしまう謎の海域である。過去からブラックホール説や宇宙人説などの仮説が立てられてきたが、その原因は深海棲艦だったのだ。
「深海棲艦とは、一体なんなのです? アメリカ合衆国はその正体を掴んでいるのですか?」
少し混乱しながらも、野村はハルに疑問を問いかけた。名前や出現海域が判明しても何にもならない。一番知りたいのは敵の正体だ。
エドワードも、ハルの顔を真剣な眼差しで見ている、これからハルが話す言葉を一言一句聞き逃さないように…。
「深海棲艦の出現原因や目的は不明です。しかし、『彼らは人間ではない』『人類のに類似した海軍兵器を保有している』『出現する海域に海水汚染をもたらす』この三つは確かな情報です」
ハルが言い終わると、つぎはエドワードが非難がましい声で言った。
「なぜ、今までにそのような重大な事を世界に公表なさらなかったのですか⁉︎」
エドワードが怒るのも無理もない。もしも米国が事前に深海棲艦の事を公表していたら、なんならかの対策は練れたはずである。
それによって救われる女、子供の命もあったかも知れないのだ。
ハルは表情を変えずに、返答した。
「当時のアメリカ政府はスペインとの戦争を望んでいました。カリブ海や太平洋の植民地を、強く欲していたのです。そのため、深海棲艦の襲撃によりフロリダ半島の東半分が焦土と化してしまった事を全世界に公表する、ということは、自国の弱味を見せる事に繋がります」
「それで、情報公開をしなかったのですか、自国の領土拡張のために」
エドワードが言うが、ハルは淡々と返答した。
「そうです。………しかし、今は違います。現在、我が国が持つ深海棲艦の情報は全て提示する用意があります、明日にでも我が政府から全世界に向けて発表されるでしょう」
野村は安堵した。米国が情報公開を約束したからではない。敵の正体を突き止める事ができたからだ。これによって有効な戦術や作戦がうかぶかも知れない。敵は正体不明でもなんでもないのだ。
そこまで考えた時、野村はある事を思い出した。
(そういえば、我が国から要請がある、とか言っていたな…)
「先に、我が国から要請がある、と仰っていましたが、要請とはなんですか?」
野村はハルに聞いた。ハルは「それもお呼びした理由の一つです」と言って、米政府から日本、英国への要請の内容を話し始めた。
「我が国から貴国らに要請があります。現在、フィリピン方面の戦いでは、我が国の極東方面軍がルソン島北部で抗戦中です。しかしフィリピンには我が国民が多数居住していて、現在、大量の避難民として北ルソンで孤立している状態です。我が国は、太平洋艦隊もアジア艦隊も壊滅状態にあり、彼らはを救い出す事ができません」
ここでハルは一旦言葉を切り……深く頭を下げた。
「貴国らの海軍による救出作戦を、お願いできないでしょうか…!」
野村とエドワードはひどく驚いた。
コーデル・ハルはアメリカ合衆国の外交トップであるが、そのトップが窮地に陥っている自国民を救うため、プライドを殴り捨て、頭を下げたのだ。
エドワードが口を開いた。さっきの非難じみた態度は影を潜めている。ハルの行いに、矛を収めようと思ったのかもしれない。
だが…答えは、「否」だった。
「誠に遺憾ですが、我が国は救出作戦を展開できる状況にはありません。イギリス東洋艦隊はシンガポールで三分の二の戦力を失い、セイロン島のツリンコマリー軍港まで後退しました。加えて、シンガポールにつながるマラッカ海峡はその深海棲艦の部隊に封鎖されており、現在航行することができません。同海峡より南にあるロンボク海峡などは、今の所、封鎖はされていませんが、船団が通るには狭すぎる上、仮に通過できても大船団が敵に制海権を握られている海域を進むのは自殺行為です」
エドワードは申し訳なさそうな顔で言った。
「非常に残念です…」
ハルは野村の方を向いた。
「日本はどうなのですか?」
野村は大きく深呼吸すると、話し始めた。
「我が国はおそらく実施可能だと思います。貴国と違い、我が国は艦艇の損耗が少ないですから。それにトラック環礁の自国民も救出せねばなりません。その作戦の一環として行う事が可能です」
そう言い終わると、ハルの顔が明るくなった。
「貴国との友好関係を失うわけには行きませんからな」
野村は小さく呟いた。
2
1941年3月12日。深海棲艦による侵略が発生してから11日、米国政府からの要請を日本政府が呑んでから9日が経っている。
沖縄県の
「かなり遅い出撃になってしまったな…」
第三艦隊司令長官の高橋伊望(たかはし いぼう)中将は重巡洋艦「足柄」の艦橋で、正面の海を見ながら呟いた。
当初、米国要請を呑んだ日本政府からの指令によって日本海軍救出艦隊は7日に出撃し、ルソン島、及びトラック環礁の避難民を救助する予定だった。
だが連絡将校を派遣しての米極東方面軍との打ち合わせや、避難民を収容する輸送船の確保に手間取り、予定より5日間も遅れてしまったのだ。
その間に戦況は更に悪くなった。
フィリピン南部を侵略していた深海棲艦の群れは、海を超え東南アジアの島々に進攻、シンガポールを制圧していた深海棲艦地上軍は陸伝いに英領マレー半島を北上している。
アーサー・パーシバル中将率いる英極東陸軍や、ダグラス・マッカーサー大将率いる
太平洋方面では新たな敵の動きはないが、米太平洋艦隊の被害の詳細が判明している。
コロラド級戦艦の「メリーランド」ペンシルヴァニア級戦艦の「ペンシルヴァニア」「アリゾナ」、ネヴァダ級戦艦「ネヴァダ」「オクラホマ」の戦艦五隻全てが撃沈。その他にも、巡洋艦四隻、駆逐艦や補助艦艇、合計五十隻以上が沈んだ。
太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将を始めとする司令部スタッフも消息不明のままであり、米海軍は彼らの生存を絶望視している。
更に、ハワイやマーシャルに深海棲艦の基地が着々と建設されているのが発見されており、多数の戦艦のような大型艦を中心とした艦隊が停泊しているのも確認されている。
それだけに、日本海軍の救出作戦には期待がかけられていた。
この作戦はトラック環礁の民間人救出作戦と並行して行われている。第二目標たるルソン島は、司令部直属艦である重巡「足柄」、第六戦隊の重巡「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」、および5500トン級軽巡の「川内」率いる第三水雷戦隊、同じく「名取」率いる第五水雷戦隊で編成された第三艦隊が担当し、トラック環礁は第三戦隊の金剛型戦艦「金剛」「榛名」、第四戦隊の高雄型重巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」、および第二水雷戦隊を中心とする第二艦隊が担当する事となっていた。
「後方より、味方編隊接近!」
「足柄」の艦橋見張りが報告する。
やがて、爆撃機特有の重みのある爆音が聞こえて始めた。
爆音は第三艦隊の頭上を後ろから前に通過する。
周囲から、将兵らの歓声が湧き上がった。
敵地を爆撃に向かう攻撃隊に対してさまざまな声援が、見張り台や二十五ミリ機銃座、十二.七センチ高角砲台などからかけられる。
「台湾の高雄、台南基地から出撃した、第一次攻撃隊ですね」
高橋の隣で攻撃隊を見上げていた第三艦隊参謀長中村俊久(なかむらとしひさ)少将が言った。
ルソン島、クラークフィールド飛行場に深海棲艦の航空部隊が展開していることは、偵察機の報告によって判明している。
今、飛び去った攻撃隊はクラークフィールド飛行場の深海棲艦機の迎撃を吸収して第三艦隊が航空攻撃を受けないようにすることを目的としている。
もし、すべての深海棲艦機が攻撃隊に目もくれずに第三艦隊に襲いかかってきたら、大損害を受け、救出作戦が頓挫するかも知れない。
「頼むぞ、攻撃隊…!」
高橋は静かに言うのだった。
次回 ルソン島沖海戦
日米部隊による決死の航空攻撃隊!
輸送船が接岸し、避難民を収容中、多数の深海棲艦が出現。
第三艦隊が敵を迎撃する!