南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜   作:イカ大王

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前回の続きです。



第七十五話 戦艦燃ゆ

1

 

「大尉。水柱に向かえ!」

 

駆逐艦「アーデント」艦長フェリックス・アッカーソン少佐は、艦橋に仁王立ちになりながら叫んだ。

さっきまでの歪んだ顔はどこかに吹き飛び、両目には炯々たる光が灯っている。表情は闘志と自信に満ち溢れ、大声で側に立つローレンス・ジェラード航海長に指示を飛ばした。

 

「水柱に向かうんですか⁉︎」

 

ローレンスは、今にも泣きそうになりながら聞き返した。

 

それもそのはずだ。

「アーデント」は旧式駆逐艦にもかかわらず、単艦でタ級戦艦に挑もうとしている。

僚艦二隻が瞬く間に撃沈されるのを数分前に見ている艦橋要員からしたら、真っ直ぐ地獄の底を目指しているような気分であろう。

 

だが艦長のフェリックスは、敢えてその地獄に飛び込もうとしている。

彼の心情の変化を知らない艦橋要員からすれば、艦長が突然別人に変わってしまったように感じたに違いない。

それもこれも、ただ単に家族を守りたいがためであった。

 

「水柱にーーー」

 

再び命令を発しようとしたフェリックスの声を、巨弾飛翔の轟音が搔き消す。タ級戦艦との距離は近いため、刹那に着弾する。

「アーデント」の左前方の海面が大きく盛り上がり、次いで海神のトライデントのような三本の水柱が、高々と突き上がった。

 

凄まじい横なぶりの衝撃が「アーデント」に襲いかかり、鈍い唸り声を上げながら艦体が右に傾く。

右舷側の海面が手が届きそうなほど近くが、寸前で振り戻し、転覆を免れる。

スコールのような海水が降り注ぎ、艦周辺を朦気が立ち込めた。

それを突いて、「アーデント」は三十六ノットで突撃を続ける。

 

「水柱に向かえ、急げ!」

 

フェリックスは今一度叫んだ。

 

「と、取舵一杯。針路280度!」

 

ローレンスは舌をもつれさせながらも、操舵室に命令を伝える。

 

水柱に向かう判断は、一見すると自ら当たりに行っているように思えるが、「敵は、一度狙ったところに弾を落とさない。タ級は、弾着修正のために必ず別のところを狙う」とフェリックスは睨んだのだ。

 

巨弾の着弾によって撹拌された海面を、「アーデント」は突き進む。

 

再び、敵主砲弾が飛来する。

甲高い飛翔音を立てながら飛来した敵弾は、「アーデント」の右前方百五十メートルに落下した。

海面下に閃光が走り、先と同じく、見上げんばかりの水柱が突き上がった。鈍い衝撃が駆逐艦の小柄な艦体を震わせ、掴みかかるように海水が降り注ぐ。

 

「面舵一杯!」

 

右手に噴き上がった水柱を見ながら、フェリックスは大音響で操舵室に繋がる伝声管に怒鳴り込んだ。

素早く舵輪が回され、「アーデント」の艦首は右にへと振られる。

正面に見えていたタ級戦艦の影が左に移動し、代わりに崩れかかった水柱が視界内を占める。

 

「敵艦発砲…!」

 

そのタ級戦艦の艦上に「アーデント」に向けられて三度目になる発射炎が光る。

前後に振り分けられた三基の主砲、滑らかに艦首へと反り上がった艦体、中央よりやや下がった位置にある箱型の艦橋。それらが刹那のうちに浮かび上がり、ニューアイルランド島南岸までも照らし出す。

 

この射弾は、やや離れたところに着弾した。

「アーデント」後方二百メートルの海面を切り裂き、水柱を奔騰させる。

波浪によって「アーデント」は前のめるが、衝撃は明らかに少ない。

 

さらに次の射弾でも同様である。敵の主砲は「アーデント」を捕捉しきれてなく、その巨弾が旧式駆逐艦の艦体を抉ることはない。

取舵面舵の不規則な転舵が、敵の照準を狂わせたのだ。

 

「いけるぞ…!」

 

フェリックスは、自分の目論見通りに事が進んでいること確認し、歓声を上げた。

タ級の主砲は、「水柱に向かう」「敢えて着弾点に向かう」という不規則な軌道を描く「アーデント」を捉えられない。

瞬く間にDDG68の僚艦二隻を葬り去ったタ級の射弾は、主砲、副砲問わず、ひたすら海面を叩くだけであった。

 

「距離は?」

 

「四千二百ヤード!」

 

喧騒の中、フェリックスの問いにガイア砲術長は即答する。

それを聞いて、フェリックスは軽く舌打ちをした。突撃を開始してから半分近く距離が詰まっているが、まだ遠い。

「アーデント」はタ級戦艦の左後方から追いすがるような針路なため、相対速度が遅く、思うように近づけないのだ。

 

(前進あるのみだ!)

 

フェリックスは被りを振り、自らに言い聞かせる。

それに応えるように、「アーデント」は砲火の中を突き進む。

タ級戦艦は、上部構造物側面に多数の副砲を搭載しているようだ。それが日本戦艦のような舷側砲なのか、米新鋭戦艦のような両用砲なのか、はたまたそれらが混合しているのかは不明だが、絶えず発砲し、「アーデント」周辺に小さい、だが多くの水柱を奔騰させている。

 

その副砲弾が、艦橋右をかすめて後方に過ぎ去る。

衝撃波によって艦橋が小刻みに震え、風圧が窓ガラスを叩き割った。

艦橋内をガラス片が舞い、握りこぶしほどもある破片がフェリックスの右頬を抉る。

鋭い痛みが走るが、フェリックスは意に返さない。

 

正面に見えるタ級を見据え、回避する艦に身を委ねる。

 

「アーデント」は、一種のドラムに化したかのように敵弾に叩かれ続けた。

 

機関は最大戦速を発揮し、艦をつかさどる艦橋も、操舵室も、肝心の魚雷発射管も無事である。

だが、距離が詰まるにつれて副砲弾は一発、また一発と艦体に命中し始める。

副砲弾とはいえ、今の「アーデント」には荷が重い。

たやすく構造物を吹き飛ばし、破片を四散させ、火災を起こしていく。

海面に着弾するタ級の巨弾は、艦底部から爆圧を突き上げさせ、駆逐艦の艦体を数メートル持ち上げる。

今や「アーデント」は、上下から滅多打ちにされていた。

 

それでも、待望の報告が届く。

 

「距離二千(ヤード)!」

 

「取舵!射線が通ったと同時に魚雷発射だ!!」

 

ガイヤ砲術長の絶叫に近い声を聞き、フェリックスは意を決して命じた。

タ級戦艦の姿は、突撃を開始した時よりも数段大きく見える。「アーデント」は、タ級戦艦の懐に飛び込んだのだ。

 

「取舵一杯。取舵一杯。取舵いっぱぁーい!これでさいごだぁぁぁ!」

 

ローレンス航海長が、床に崩れながらも伝声管にしがみつき、大声で命じる。

 

やや置いて、満身創痍の「アーデント」は左舷への回頭を開始した。

 

左を見ても、右を見ても、水柱が見えている。

凄まじい勢いで煮え滾る海面を切り裂きながら、「アーデント」は左へと曲がっていく。

タ級の姿が右へと流れ、右舷側を向いて雷撃に備えていた四連装魚雷発射管から、五十三.三センチ魚雷が海中に放たれた。

 

「行け。奴の土手っ腹に、大穴を開けてやれ!」

 

命中を確信したフェリックスは、タ級戦艦の巨大な艦影を睨みつけながら言葉を投げる。

 

刹那。その艦上に今までにない閃光が走った。

一軒家はあろうかと言う大きさの火焔が湧き出し、「アーデント」に向かって硝煙が噴出する。

顔面に松明がかざされたような熱気に、フェリックスは顔をしかめた。

最後の最後に至って、タ級は「アーデント」に対して、ゼロにも等しい距離から主砲斉射を見舞ったのだ。

 

至近距離からの発砲なため、目が眩む閃光が艦橋に差し込む。

だが、フェリックスははっきりと見た。全部で九つの黒い影が、光を背後に急速に迫る様を。

 

それを四十センチ砲弾だと気付いた刹那、けたたましい破壊音が耳をつんざく。

「アーデント」のどこに命中したか分からない。一瞬のうちに視界を白光が包み込み、ありとあらゆる全てのものが掻き消えた。

 

 

(ハンナ…エド。悪いな…生きて帰れそうにない)

 

 

フェリックスは死を悟り、目を伏せる。

 

 

妻子の姿が焔の只中に見えた直後。灼熱の紅蓮がフェリックスの身体を焼き尽くした。

 

 

 

 

 

 

2

 

「タ級、魚雷回避の為取舵。ラバウルへの針路から逸れました」

 

その報告が「レパルス」艦橋に届くや否や、艦橋内に詰めている将兵達は一斉に歓声を上げた。

タ級戦艦は、もう一息でセントジョージ海峡に突入するところだった。

だが、海峡直前で魚雷攻撃に遭い、回避行動を余儀なくされたのだ。タ級が魚雷を回避するには、海峡とは逆の方向に転舵しなければならない。

 

「砲撃、一時中止」

 

巡洋戦艦「レパルス」艦長のウィリアム・テナント大佐は、腕を組み、厳しい表情で右前方ーーータ級戦艦を見つめている。

 

 

「レパルス」は海戦初頭に270度に変針してから敵巡洋艦を目標に砲撃を行い、ツ級と思われる敵艦一隻を撃沈した。

DDG68が二度目の突撃に移ってからはタ級を射撃目標に据え、三十八センチ砲弾五発の命中を確認している。

タ級戦艦には、軽巡部隊の生き残りである「ベルファスト」も砲撃を実施しており、同艦は「レパルス」の三倍である十五発の直撃弾を得ていた。

 

だが、タ級は意に返さなかった。

「レパルス」と「ベルファスト」がいくら攻撃しても、速力が落ちることも、火力が低下することもない。

タ級は二隻には目もくれず、ひたすら海峡を目指していたのだ。

 

テナントは、半ば諦めかけていた。

「レパルス」はタ級よりも速力が遅く、それの後方を追撃している以上、永遠に追いつくことができない。

このままラバウルは蹂躙されてしまうのか…。ドイツ艦隊に託すしか無いのか…と。

 

だが、DDG68四番艦「アーデント」の決死の雷撃によってタ級は回避を余儀なくされ、「レパルス」「ベルファスト」の目前に引きずり出されようとしている。

タ級の前方を進んでいた二隻の重巡も「ハーマイオニー」「ボナヴェンチャー」が片付けているため、このタ級さえ沈めてしまえば、敵艦隊の大型艦は全滅だ。

そうなれば、ラバウル防衛は達成できる。

 

「敵戦艦に魚雷命中!」

 

その時、新たな吉報が飛び込んだ。

 

テナントは、反射的にタ級戦艦に目をやった。

「レパルス」に勝るとも劣らない巨体の中央に、巨大な水柱が奔騰さている様が、テナントの目を射た。

 

「やったぞ…!」

 

カーチス航海長が歓喜し、子供のようにガッツポーズをする。

 

水柱は艦橋の高さをはるかに超え、頭上で崩れ、大量の海水をタ級に振りかける。水柱の崩壊とすれ違うかのように、被雷箇所から火柱が爆発的に膨れ上がった。

タ級の艦影が克明に浮かび上がり、長大な体が戦慄いた。

 

「タ級が…燃えている」

 

テナントは呟いた。

海戦開始以来、どのような攻撃にも悠然と耐えていたタ級が、初めて苦悶しているようだった。

 

「敵戦艦、速力低下!」

 

「タ級、直進に戻ります!」

 

レーダーマンと見張員の報告が、立て続けに上がる。

 

「本艦、射撃再開。速力の低下に注意せよ」

 

テナントは目前まで迫った勝利の興奮を押し殺しながら、凛とした声で命じた。

 

「了解。射撃目標、右前方の敵戦艦。速力の低下に注意します」

 

砲術長のアーネスト・アーチャー中佐の復唱が届き、主砲の砲身が少し下がる。

 

「“シーワード1”より入電。“我、敵戦艦攻撃二加ワル”」

 

「『ベルファスト』より入電。“目標、タ級。射撃準備完了”」

 

「本艦、砲撃準備完了」

 

手負いのタ級は、巡洋艦三隻、巡戦一隻に囲まれている。

テナントは、大音響で艦隊内電話に怒鳴り込んだ。

 

「全艦、射撃開始。奴に引導を渡してやれ!」

 

 

無数の発砲音が、海上にこだまする。

 

 

 

 

 

第七十五話 戦艦燃ゆ

 





タ級強すぎぃ!

感想待ってます。次回はドイツ艦隊の回だと思います。

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