注意—死別あり、怪我あり
薄暗い室内には布団が一つ敷かれ、その上で動く影は二つあった。
夜の静寂に声も抑えず男女が獣の如く交じり合う。
余人には、二人だけの世界の中で溺れている様に見えるだろう。
だが少なくとも女の方は、努めて冷静に現状を客観視していた。
(私は、また…彼に溺れている)
敢えて、恥を晒すなら彼を最初に求めたのは私からだ。
情けない痴態を晒したのが、そもそもの始まり。
もっと云えば、私の罪まで遡らねばならない。
三年前、日本は着々と掻き集めた兵力を以て絶対国防圏の再確保を
ーー即ち制海権、失地を取り戻さんとした。
第一に小笠原諸島の確保は作戦の大前提であり、敗北は許されず。
だが勝利した所で損害を出せば継戦は不可能になる。
偵察を重ね、必要最小限に艦隊を分けて進軍した。
想定された敵集団を制圧できるだけの艦隊規模ではあったのだ。
少なくとも、直近の偵察機の報告から
聯合艦隊司令官を含めた参謀陣はそう判断しているようだった。
そうして敵戦力を過小に評価した対価は、自らの血で支払う事になる。
意気揚々と敵の潜む小笠原諸島近海に攻め込んだ先で待ち構えていたのは、
これまで確認されなかった等級呼称”姫”を後衛に含む主力艦隊。
誰もが誘引されたのだと気付くまで、そう時間は掛からなかった。
前提とした作戦は霧消し、混乱のままに決戦の様相を見せはじめ
本来ならば寄せ手である所のこちら側が攻められているという
皮肉な的な状況に歯噛みしながらも私達は、
小笠原諸島を背にし半円を描く様に布陣した深海棲艦の戦艦群に対して、
頼れる姉妹達と一緒に握り締めた砲身を向けて砲撃を続ける。
それでも、はじめはまだ戦闘の体を成していた。
その均衡が崩れたのは本土側、つまりは後背に布陣していた
既存の戦闘艦(艦娘ではない)で構成された旗艦艦隊からの
泣くような悲鳴を聞いてからだった。
双方互いに艦の密度を開き戦線を薄く広げで撃ち合っていたが
両翼の戦闘群に感知されないほど巧みに私達を大きく迂回した敵艦隊によって
背後から突然現れて半包囲される形になってからのそれは、
とてもではないが戦闘などと口できるものではなかった。
被弾面積の問題から艦娘よりも通常戦力たる戦闘艦が一隻、
また一隻と沈んでいくのを肌で感じながら漠然と思った。
(奇しくも背後の盾となった彼らが沈んだ時、私達の番か)
撤退の令も下されず悪戯に一つ、また一つと海に沈んでいく
同胞だったそれらを横目にしながら司令官の戦死が戦域無線で伝えられると
略式的に指揮を引き継いだ長門を中心としてようやく転進を開始した。
諸島側のみならず正面からも降り注ぐ硝煙弾雨を突き進み、
敵艦隊の隙間をすれ違う様、強引に突破する。
黒煙を噴き血潮で海原を真っ赤に染めて戦列から外れていく仲間達。
そうして突破し挺身艦を出しながらも、追撃を振り切った。
眼前に広がる本土を見て安堵した私達の目の前で艦娘と比して
巨大な駆逐艦にカツンと情けない音が鳴り、盛大に爆発する。
船体が悲鳴をあげながら沈んでゆくのを見るに乗員は助かるまい。
私達を襲ったのは、先の戦闘で一度も姿を見せなかった
深海棲艦が持つ無数の艦載機だ。
多くの者が大破し辛うじて浮力だけを維持しながらも
辛うじて機関が無事な者が牽引されている様な状態に
奴らは、喜ぶ様に耳障りな嗤い声を挙げて襲いかかる。
姉妹の中で最初に沈んだのは歳若い末の妹で、
彼女は半身を散らして倒れる様に海面に叩き付けられた。
次に一つ下の放っておけない妹が末妹身体を守る様して炎上。
「は、羽黒…足柄…?貴様らァッ!!」
そして姉は、私達が敬愛してやまない姉さんは。
「っ…那智!」
情けなくも激情に駆られた私に覆い被さるように身を呈し
彼女の肉を抉る音を間近で耳にしながら、その身体を貫通した鉄片が
私の左眼を引き裂くと異様な温かさを持った姉さんの血と、
目蓋から流れ出る血とが混じり合い顔を濡らしていく。
「良かったわ…貴女だけでも、…て」
苦痛にも表情を歪めず、いつもの笑顔を私に向けて姉だった者が沈んでいく。
本土より迎撃に上がった戦闘機の編隊が到着し敵を散らす間、
私はただ子供のように泣いていた。
数時間後、上空を護衛機が守り私達が近郊の港に辿り着く頃になると
周囲には両手の指で足りるほどの数しか確認できず、
五体満足な者なども居なければ誰もが表情を失っていた。
生き残った者は誰かの屍を踏み越え、ここに居ると理解して。
私の意識は暗闇に包まれ目を覚ましたのは、それから二日後。
海から遠く離れた内陸部にある病院の一室。
六人は収容できる広め部屋の中には私一人が横になっている。
私は簡易な処置だけを施され厄介者の様に閉じ込められた。
あまつさえ正式な流れを破棄してまで、
一介の医師が私に伝えてきたのは全てを察して余りある。
「一線での戦闘に耐えらないものとし無期限の間、予備艦に任ずる」
その時、私の戦争は終わったのだと理解した。
姉妹の敵も撃てず、ならば生き残ったことに意味はあるのか?
そんな自問自答だけ繰り返し、無為に時間ばかりが過ぎてゆく。
何度も自殺を考え暴れては姉の言葉が脳裏に浮かび腕が止まる。
度々押さえつけにくる医師は私の目を見ずに、心的外傷後ストレス障害だろうと口にした。
自殺は出来なくとも平静を失い、暴れては自傷する私に疲れたのだろう。
無理矢理ベッドに縛られる様になって何日が経過した頃、
部屋には新たに同室となった青葉が大きな声で騒いでいた。
「大変です!大変ですよ、那智さん!
防衛戦力を喪失した軍部が深海棲艦の本州強襲を許してしまって
どこの鎮守府も少なくない被害を受けたみたいです!!」
「あぁ、そうか…」
正直、どうでもいいとすら感じた。
どんなに騒ぎ立てた所で戦場に立つことは叶うまい、
青葉も肘から先を失って予備艦とされたのだ、私達に未来はない。
そんな諦観から適当な相槌を返すと青葉は内心を知ってか知らずか。
「那智さん、私達も戦線に復帰するようですよ」
「あぁ……何!?というか貴様、何処でそんな話を」
身体が動かせず頭だけ横に動かして睨む私を見て
悪戯を成功させたように笑う彼女の口にした通り、
翌日、医師ではなく若い”陸軍士官”が私の拘束を解いて連れてゆく。
病院内に急遽、仮設されたのであろう執務室に通されると、
やはりというべきか陸軍将校が私を迎え挨拶もそぞろに
呉鎮守府へと転属を命じられた。
半刻ばかり猶予が与えられたのだが特に荷物などはなかった私は、
青葉への挨拶を含め世話になったベッドくらい綺麗にしてやろうと病室に戻る。
そこにあの騒がしい同僚の姿はなかった。
電車を乗り継いで呉鎮守府へとたどり着く。
正門に門衛は居らず、辺りを見回すと撤去作業に従事する兵士の姿が散見され
半壊した施設に重機や瓦礫ばかりが目についた。
仕方なく詰め所の内線を無断で借り、責任者へ取次を求める。
暫くして案内に現れた女性に敬礼をすると、
彼女は困った様に自分は艦娘でも正規の軍人でもないのだと私に告げた。
執務室までの廊下を歩きながら感じたのは、
人の多さに比して異常なまでの軍人の少なさだ。
遺体こそないものの各所に残された血の跡に、当時の惨状を幻視する。
「こちらが執務室となります」
「ああ、すまない…あとは大丈夫だ」
案内してくれた女性がお辞儀をして去ったのを確認して、
扉を二度ノックして名乗る。
「…入れ」
その言葉を聞いて三秒をほど待ってから、扉をゆっくりと開ける。
椅子に深く腰掛けず前に重心を乗せて座りながら軍帽を目深く被り、
両手を机の上で組んだ男がこちらを見ていた。
手には銀に光を反射する指輪をしていて、
痩せた肌からは骨が浮かび表情は幽鬼の如く、まるで死人の様に見える。
彼もまた何かを失い生かされたのだと理解した。
私は生かされた罪から死ねずーーこの男は。
(この男は、私と同類だ)
今でも夢に見る、最初の出会い。
ロマンの欠片もない初めてにも女として思う所がないでもないが…。
そうして物思いに更けていると視線を感じた。
先迄の獣性は何処へやら…理性の伴った瞳で私を見る彼。
彼を下にし、股の上に腰を落として手のひらで厚い胸板を触っていると何時もの様に、
私の左頬に手を当て親指で慈しむ様に撫でてくる。
「…まだ、気になるか?」
「いや、何処かの馬鹿な男が何度も触れてくる内に慣れてしまった」
病室で目覚めてから、決して包帯を外した事はなかった。
そんな私の醜く消せない罪を、彼だけは慈しんだ。
だが、消せるとしても消してはなるまい。
この傷と失った光はあの時沈んだ姉妹からの
忘れてはならない、生かされたなら意味を探し続けることでしか
私は私の生に価値を見出せない。
願わくば彼にも私の
責任から死ねずに居る男に、更に死ねぬ愛を与えてやりたい。
だが、愛に怯えた男にそれを伝えれば彼は私を避ける様になる。
そんな確信があった。
「…那智」
「なん…んっ、ん!」
突然の浅い口づけに戸惑い、これでもかと眉を顰めて不満を伝える。
彼は少しばかり私を眺めたあと、軽く笑う。
「酷い顔だな、那智」
「…ふ、今更に過ぎる」
彼の心に私が居ないことだけが少しばかり悲しく、
こんな関係が永遠に続いたならば、それも一つの恋の形だと信じて。
何時か、もし…私が姉妹の待つ海へ還るとしても。
願わくば、彼にだけは幸多からんことを。