月が沈み、黒のように濃い青が橙のような薄い黄色に浸食されつつある空。明けの時間帯は静かだ。日が出れば街にもいろいろな音が上がるがまだ夜といってもいい時間帯はみな眠っている。
農村であれば異なるかもしれないが、ここは王都リ・エスティーゼ。ここで暮らす者たちは第一次産業に従事する者は少なく、故に朝から畑のために起きたり漁のために船に乗ったりということはないのだ。起きている者といえば、貴族の屋敷で働く下働き程度であろう。そんな彼らだって、寝ている者の割合のが大きい。
太陽も完全に昇りきらないそんな静寂に動く影がいくつもあった。そのうちの一つ。夜の王とも呼ばれるヴァンパイアがあくびをかみ殺していた。
「ふぁ、ん。どうにも、この夜明けというもんは眠くなりんすねぇ」
シャルティア・ブラッドフォールンがそう言うと横に佇んでいた悪魔がやれやれといった様子で声をかける。
「シャルティア、これは至高の御方の情報収集というとても重要な任務なのですよ? それをそんな気の抜けた様子で大丈夫なんですか?」
デミウルゴスが眼鏡の位置を正しながらそういうとシャルティアは失礼なと言わんばかりに頬を膨らませて反論する。
「はぁ? わたしは夜明けはどうにも眠くなるって言っただけでありんす。それに、万が一気を抜いていたとしても至高の御方であるペロロンチーノ様に創造していただいたこのわたしが
そう言って胸を張る彼女の胸部は大きく膨らんでいた。頬よりも大きいが急に胸を張ったことで膨らみが若干減ったような気がする。横に立つデミウルゴスはデキる悪魔だったので特にそのことに触れることはなかった。
彼は度々
「それじゃあ、セバスの居る館とやらに行くとしんす」
そのために与えられた権限は必要とあればセバスさえも動かすことができるという破格のものであり、アインズがいかにスワリューシについて重要視しているかということを如実に表していた。
シャルティアが人の営みをくだらないものだと言い、デミウルゴスはそれがいじらしいんじゃないかと道中に議論を交わす。彼らが
それに対する感想が先ほどの議論だ。シャルティアがすべて下らぬゴミと判断したのに対し、デミウルゴスは人間の分を弁えているせせこましいささやかさで良いじゃないかという判断である。議論の結果二人は、アインズ様は世界征服の暁に来る新世界ではこんな街は失敗作だから作らないようにという教訓として我々にこの街を見せたかったのだろうというところに落ち着いた。
やがてセバスのいる館の扉の前まで行くと、扉はひとりでに開いた。
「いらっしゃいませ、シャルティア・ブラッドフォールン様並びにデミウルゴス様」
出迎えたのはソリュシャンだった。彼女は王都滞在中のスタンダードな恰好ではなくナザリックのメイドにふさわしい恰好をしている。セバスも同様におり、頭を下げている。
「ん? セバス、君が拾った人間がいないようだが」
デミウルゴスがそう言うと、セバスは背を伸ばして眼光鋭く切り返す。
「彼女はつい先日、怪我から回復したばかりでまだ体力が十分に回復しておりません。なので出迎えには連れてきていないのです」
「ほう? それで栄えあるナザリックのメイドが務まるのかな?」
「彼女はまだナザリックのメイドたる教育も受けていません。それに、そういった教育で成長できるかどうかということも彼女をメイドにするメリットの一つであると説明したはずでは?」
「成長させるにしても別にナザリックでなくても構わないのでは? 私の経営している牧場でも成長できるような環境下にあると思うよ」
「デミウルゴス、あなたは私が説明したメリットを忘れたのですか? 彼女をナザリックで働かせることは人間種に対するアピールにもなりますしテストケースにもなります。彼女は我々に強い感謝の念を抱いており裏切る可能性もありません」
「感謝の念? 情欲の念の間違いではないかなセバス。それに彼女には高価な
二人が額をゴツゴツとぶつけ合いながら
「ソリュシャン、紅茶はありんすか?」
「はい、ございます」
「それじゃあ紅茶と何か菓子を用意してもらえる? セバス達をアインズ様のところまで連れてくまで暇でありんすし、何かお話でもしんしょうか」
「ええ、そういたしましょう」
二人の二組は人間であるツアレが起きるまで優雅な時と騒々しい時を過ごしたのだった。
そんな朝の一幕が行われている館。それを外から眺める影が一つ。狡猾にばれないように観察していた影は日が昇ってくるころにはその姿を消していた。
王都の天気は快晴で雲はない。日差しが強いこの季節は薄着をしている人が多い中、その人物は暑そうな格好をしていた。場所は冒険者ギルド。昼食をどうするかと考え始めるくらいのこの時間にギルドにいる冒険者は討伐依頼に不真面目であるか今日は休日と決めたものくらいである。荒くれ者が集うこの場所で粗野な雰囲気に合わない高貴なオーラも相まって絡む奴もいない。さらに話題が最悪と来ている。誰も“イグノニックに水をかける”様な行動はしないのだ。
「ですから、その件に関しては教えることはできないんですよ」
「何故だ? たかだか鳥一羽の話だぞ? 金も払うといっているし、難易度だって話をするだけだから対して高くない。なぜそれが禁止されているのだ」
ギルド職員も言葉を詰まらせるばかりである。禁止にしている理由は簡単で、メンツの問題である。二か月ほど前に起こった王都での大騒動は青の薔薇というアダマンタイトチームまで出張る事件であり、彼女たちが解決できなかった事件でもあるのだ。その時のことをわざわざ蒸し返すように話すなんてのは青の薔薇に堂々とケンカを売るようなものだ。今こうして話しているだけで聞かれたら何を言われるか分かったものではない。
「私はその鳥についての情報を集めているのだ。さあ、話してもらおうか」
その男がカウンターの下から金の錫杖を持ち上げる。持ち手の部分の蛇の目が赤く光り、なんとなくギルド職員は話してもいいんじゃないかという気分になった。ぼんやりとした思考のまま口を開こうかというまさにその時である。
「あー、ったくこんなに暑くっちゃあ夜寝る時も汗かいてしょうがねえな」
「……そりゃあお前は普段だって暑苦しいからな」
ギルドに入ってきた人物に目が行き、ギルド職員は真っ青になった。
「どうした? 早く話せ」
目の前の人物に小さな声で耳打ちする。
「話せないんです。あなたが言ってるその鳥っていうのは今入ってきたアダマンタイト級冒険者の青の薔薇が捕え損ねてしまった奴なんですよ! 」
「何? そうなのか……ところで、『青の薔薇』というのはなんなのだ? アダマンタイト級というのは?」
少し考えるそぶりを見せた後そう口にした男に対してギルド職員は信じられないものを見るような目で彼を見やった。
「ご存じないのですか?」
「生憎、遠方よりこちらの地方に来たばかりでな。このあたりの世情に疎いのだよ」
男は表情一つ変えずに涼やかに言う。さて、と一言置いた男はこれまでとは少し違った様子でギルド職員に話しかけた。それはまるで獲物を捕らえる算段を終えた獣のようであるのだが、事務仕事ばかりで荒事には不慣れなギルド職員はその様子に気が付くことはなかった。
「では、依頼を変えよう。このあたりの世情、あるいは常識などを簡単に教えてほしい。とはいえ、この辺りにはそれほど滞在するわけでもないので簡単なことだけでいい。おすすめの宿だとか、料理屋だとか……そういった簡単なことで構わないのだ」
先ほどまでの詰問するような鋭い話し方ではなく、優しく言い聞かせるかのような言葉はするりとギルド職員の中に入り込んだ。ギルド職員は目の前の男の豹変した様子に特に気に留めるということもなく、クエストの発注に了承を返した。
十数分ほど待つとクエストを受注した冒険者がやってくる。その冒険者は王都生まれ王都育ちであり、王都に存在する道で知らないものはないと豪語する男である。
道案内なんてものを依頼するのは決まって金持ちである。そんな彼らは当然役所などの公的な機関を利用するか、そのお付の者があらかじめ手配しておくものである。
急遽冒険者ギルドで直接道案内の依頼を頼むというのは考えづらい出来事である。しかも依頼を出すまでは窓口のギルドの職員と揉めているのも見えていた。
無用なリスクを冒すようなことをその冒険者は絶対にしないが、それはリスクを冒す可能性があればの話である。
クエスト内容は道案内。それに怪しげな男が聞きたい様子である青の薔薇の騒動だって彼女たちに聞こえないようにひっそりとするくらいであれば許されるのだ。ギルドの窓口で聞くからこそ問題があるというだけの話だ。従者などはいない様子ではあるが裕福そうではあるし、役所を使わない事情でもあるのかなど疑問はあるが、男の口ぶりからすればそういった事情も知らない様子である。であれば、少し高い授業料だったとしてもまあ許容されるだろう。
そういった事情から彼は怪しげではあるが金回りはよさそうなその男を案内するクエストを買って出たのである。
冒険者はひどく場に似つかわしくないその男に連れられて冒険者ギルドを出た後に飲食店に入った。その店は冒険者がおすすめした店であり、適当に話ができて腰を落ち着ける場所に案内してくれという風に男が言ったのでそこに案内した。奢ってくれるのではないかという少しの下心もあり、普段自分が寄らないような少し高い店を案内したが、どうにもそれは正しかったようで、彼は有意義な昼食をとることができた。
「さて、貴様に聞きたいことがある」
ひとしきり料理を食べ、腹も落ち着いたそんな頃。男がそう言って口を開いた。食事中にも一通り王都の話だとか最近の国家間の情勢などを冒険者が知る限り話したが、目の前の男はさほどそれらには興味がない様子であった。
「ああ、ギルドの窓口でもめてた話だろ? 青の薔薇が取り逃がした鳥の話。知ってる限りのことを一通り話すよ」
話し出した冒険者の男の口調は滑らかである。二か月前のことを今まさに起こったかのごとく話し、ちらりと男を窺う。男は顎に手を当ててふむと唸ると、冒険者の男に礼を言った。
「つまりその鳥は王都を騒がせただけで特にこれといった被害は及ぼしたというわけではないのだな?」
「そうだなあ、鳥自体はそういう被害を与えたってことはなかったみたいだが、その鳥を追いかけた連中が露店だとかに突っ込んだりして一応被害はあったみたいだぜ」
「そうか。……ところで、その鳥はどの方向に飛んで行ったかなどはわかるか?」
怪しげな男がそう問いかけると冒険者は待っていましたとばかりに答える。
「ああ、どうやら帝国のほうに飛んで行ったらしい。一部では帝国の陰謀なんじゃないかとか言われてるぜ」
それ以後はまた周辺地域の話や、王都の店についての話をして男と冒険者は別れた。
冒険者が店を出て、自身の財布がないことと案内した人物の容姿を全く覚えていないことに愕然とするまでにはもう少しの時間が必要だった。