~西方藩鎮 仲本国生存IF~
仲帝国の都市、長安にて。
この地を支配する事となった西方藩鎮の節度使、字は時斉。
彼女は街の復興を指揮しながら、それが一向に進まないのに疲れていた。
木材や石材を担いだ民の表情が暗いのを目の当たりにして、
それは分かりきっていた事なのにも関わらず今日何度目かの溜息を吐いた。
時斉は皇帝ではない。
つまりは君主ではないと自覚していた。
しかし今回の戦が始まってからというものの、まるで皇帝の様に振る舞わねばならない。
正確に言えば、皇帝をやる事を求められているのであろうと認識し始めていた。
だからこそこうして荒廃した都市を金と人間を使って元に戻そうとしている。
それは皇帝の役割ではないが、民や部下が求める皇帝の理想像を進んでやっていた。
元々節度使であり、彼女は宰相への道にほど近い文官である。
金と人を使う事にかけてはそれなりに有能だったし、自覚もしていた。
――いったい何故こんな事になったのだろう。
時斉はいつもより質素な服で、帽子を目深に被って街を歩いていた。
巡察で問題――主に死者が出るくらいの騒動――が見つからないのに安堵し、城に戻る。
だいぶ昔に作られた大興城を建て直しているのは良いが、それの新しい名前も決めなくてはならない。
とはいえ長安城ではありきたりだから、別にこのままでも構わないと考えていた。
部下のアシトクは示しだとかケジメの問題があると言っていたが、
そんなものは時斉にとって大した事柄には思えなかった。
新しい城名はアシトクに命名して貰おうと、帰り道すがら勝手に決める。
城に戻った時斉は執務室の扉を開ける。
それは家に帰った仕事帰りのおっさんみたいな無造作なもので、彼女の元々の性格でもあった。
最も、部屋の中に居る人物に当たりが付いていた事もあったが。
案の定アシトクが書類仕事を行っており、彼女の指先から肘くらいまでの高さに紙が積み上げられていた。
部屋が書類で埋もれる、などという非現実的な物語の様にはなっていなかったが、
一応前線で戦働きをするアシトクが文官を、
それも宰相だか軍師みたいな役割をしている時点でだいぶ怖い事だと時斉は理解する。
「お前には苦労をかけるよ」
「開口一番にそういう事を言うのでしたら……」
「ああ、手伝う」
「違います、自覚をなさって下さい。
もう西方藩鎮こそは東方における第二の帝国たるべきだと、知っておられるはずです」
「私は皇帝にはならんよ。
言っただろう、それは誰か適任の者に譲る。
アシトク、お前でも良いんだぞ」
「お戯れを」
「興味ないか?」
「お戯れ、というのは私をおだてないで下さいという意味ではなく、
冗談でもその様な言葉を発するのを止めて下さいという意味です。
自分は自覚なさってと言ったのですよ」
「……すまんよ。いや、ほんとにすまない」
時斉は家に帰っても安らげないなと思う。
ああ、本当に、何故こうなったのだろうと。
机に着きながら、時斉は巡察の結果をアシトクに話した。
民の顔色が優れないという話に、アシトクは自然に頷く。
「それはそうです。元々ここは仲の首都で、次いで遊牧民に荒らされた廃墟。
そして北洋藩鎮の支配下で復興し始めていたところを我々が破壊したのです」
「したくてやったんじゃ……」
「ない、とは言わせません。
我々はそうするしか概念的な道も物理的な道も無かったから、ここを攻めたんじゃないですか」
「武漢を通ったら旧来の帝国に組する事になるからな。
少数民族として弾圧されたお前達にしても、それは不本意だろうし」
アシトクは目を細めて、抗議の視線を送る。
「他人を言い訳に使う」
「いや、そんな」
「どちらにせよ重慶から長安までは軍勢がまともに通れる様な道が無かったですから、遠回りをしました。
辺境の遊牧民族を三つばかり潰しましたね。
これは少数民族を弾圧した事になるのではないですか?」
「私は安楽帝の様な事はしていない!」
「結構です。それで良いじゃないですか。
元々仲は政治的文化的に停滞以下の腐敗をしていたのです。
それを正せると思ったからこそ、我々はこうして軍を率いてここまでやってきた。
私はその様に認識しております」
「自分が正しくて、世直しを出来るとは思っちゃいないさ。
だが北洋藩鎮に仲を束ねられる力量があるとは思えん。
慰亭は改革派で有能な人物だが、ジパングやアルビオンがここまでやって来る事を考えると……」
「銃を運用しているとしてもですか?」
「前にも言ったが、科学と魔術を切り離してはいけないのだよ。
それを融合させるべきだというのは、アストラルゲートを実際に使って解った。
異界という概念を科学的に考察せねばならない時代も来ていると思うし、
そういった文化や技術が発展してしまえば魔法という存在は両立し得ない。
だから仲の君主は双方に理解があり、なおかつ固定の観念形態を持たないべきだ」
「時斉様でしょうそれ」
時斉はアシトクと話していて、どうも彼女が自分の事を過大評価しているのではないかとはっきり感じた。
確かにやってやれる自信はある。
だが皇帝をやりたいかと言われればそんな事は無いし、
そもそも戦うだけ戦って他人に何もかもを投げる様な人間が皇帝をやるのは良くない。
「私は一介の節度使で、それ以上にはならないよ。
ともあれ、今は北洋の併合が先だ。
ジパングの技術も上手く取り込めれば良いのだが」
「片や魔術、片や火器技術、そして両者を狙う銃と魔法の融合が二つ。
そうですね、最低でもジパングくらいの柔軟性を持たないとアルビオンには勝てません」
「言っちゃ悪いがあれだぞ。お前の龍部隊な、北洋の火器に負けてる時点でそうだろ」
アシトクは時斉が部屋に入ってきてから初めて、顔を歪ませた。
辺境の騎馬民族を倒すだけならアシトクの龍使いは練度で優っていた。
しかし北洋藩鎮と戦う事になってからというものの、
彼らの銃兵とやりあって打ち勝てるのは大抵が魔法兵だ。
龍使い部隊は最前線において最も大きな損害を出していたし、
それに反比例して戦果も挙げられないでいた。
「相手の技術は相当なもので、我々西方藩鎮がベルンダとの交易で得た銃を解析して投入していると。
仲帝国に流れたものが北洋に渡ったのでしょう。
元々北洋も少数民族との戦いで練度を上げていますし」
「いやな、ぶっちゃけた話龍使いは弱いんじゃないかと」
「それいじょう、いけない」
アシトクの目が死んだ魚の様になってきたので、時斉は苦笑する。
「伝統は正しく受け継がれてこそ真価を発揮する。
近代においては、古い概念を新しい概念によって立て直すのが望ましい。
錆びついた鉄を先進的工場で鋼に変える様に。
伝統をただそのまま繰り返していくだけでは衰退してゆくだけだ。
同じ事をやって衰退するのなら、新しい事を交えて留まり続ける」
「耳の痛い話です」
「ジェチポスポリタのフサリアは銃を使っていると聞く。
彼らこそが伝統と進化の融合だろうな」
アシトクは腕を組んで悩む。
彼女は銃という物の恐怖は身に染みて理解しているが、自分が使うとなるとまるで扱える気がしない。
今まで見向きもしなかった新しい概念を自分の物にしろと言われても困るのが実際である。
騎乗しながら装填して狙って撃って、という作業は指揮が複雑になり、
龍が持つ本来の機動力を損なう恐れがある。
そもそも銃声で龍が怯えるので使いたくない。
イリと共に西洋の龍に関して胸を膨らませた事はあったが、
アシトク自身はフサリアをその目で見た事が無かった。
龍の上で銃を使うとはよほど上手く調教されているのだろうなと感じ、
彼女の頭の中でフサリアという存在は、
金色の身体と銀の翼を持つ巨大な東洋龍に
銃を持った金髪碧眼の男が十名ほど乗っかって城壁を粉砕する絵面が思い描かれていた。
西洋の龍が身体の長い蛇ではなくトカゲの様な形をしている事や、
フサリアというドラゴンナイトが
既に前時代的な役立たず兵科と評されている真実を彼女が知るのはもう少し先の話である。
「突厥の、テュルク民族の伝統は……」
「悩んでいるところ悪いが、何でもかんでも西洋式に改めれば先進的というわけではあるまい。
お前が今何を考えているかは知らん。
やるべき事は、今この戦いでどうやって損耗を押さえつつ勝つかだ」
「それはそうです。
伝統と誇りで飯が食えるのなら、私はそもそもあなたに従っていません。
自分に野心があるとは思えなくとも、可汗(カガン:皇帝)を名乗るくらいはしたでしょう」
「ならお前がやってよ……」
「民族の誇りを保つには民族を食わせていく国が必要なのですよ。
国ありき、でしょう。
それが解っていなかったから、我が民族は安楽帝の下に併合されたのです。
私はですね、今まで豚を食べていた立場から、肥えた豚に食べられる立場になったのですよ?
目の前に豚の腸詰めが迫った時、暗い部屋を明るく照らしてくれたのがあなたでした」
「私は仕事をサボりたかっただけだよ」
「今の様に、ですね」
「あぁ、あぁ、お前アシトクさんさ、私の事嫌いだろ」
「とんでもない。
襲われている時も助かった後も、私は男に産まれていれば良かったと思いましたよ?
私は自分に足りないものを補ってくれる女性が好きです」
時斉がむすっとした顔でアシトクを見やると、彼女は済ました顔で手元の書類へと向き直った。
それが酷く手玉に取られた気がして、
仕返しに時斉は近くの椅子へ腰かけてひたすらアシトクの顔を凝視した。
子供のやる様な地味な仕返しは予想以上に効果があったらしく、
アシトクの顔はみるみる桃色に歪んでいった。
三十分ほどずっとそのままで居ると、いーっ、と歯を噛み締めながらアシトクが低い声で返す。
「仕事して下さいよ……!」
「してるさ、皇帝のご機嫌と弱みを握っている」
「ええっ?」
時斉はアシトクの書類を奪い、次の進軍において彼女を最高司令官にするという文書にサインする。
アシトクはそれを受け取り、そんな書類が存在する事に驚いた。
もっと驚いたのは、その文書自体が時斉の筆跡で書かれている事であった。
「アシトク、さっきお前は戯れるなと言ったな」
「……もう一度言いましょうか?」
「そして私はほんとにすまないと言った。
あれは皇帝の自覚が無くてすまないと言ったのではなく、
そんな自覚はしたくないという断りの意味で言ったんだ」
時斉はおもむろに財布を取り出し、一食分の金が入っている事を確認する。
質素な服と帽子を整え直し、呆然とするアシトクに背を向けた。
「今建て直しているこの城な、新しい名前を飯でも食いながら考えるとするよ。
その代わり、仲統一後の国名はお前が考えてくれ」
時斉は扉を開けて部屋を出ていく。
残されたアシトクは窓からの風で舞った紙を空中で掴み取りながら、泣きそうな顔をして呟いた。
「私かイリが可汗になるのは、先進的ではない。
ああ、また胃が痛くなってきた……」
その後、対北洋戦線は膠着し、仲帝国は分裂したままジパングの侵攻を許す事になる。
戦乱終結後、西方藩鎮の領土は皇女金壁輝による新生仲帝国に再征服されたが、
金壁輝の早世によってアシトク達の民族は滅亡する事なく自治区として存続する事となる。
自治区官僚には可汗の末裔を名乗る龍使いが二人居たとされるが、
彼女達の同僚に有能な魔術師が居た事は、後の文献にはあまり記されていない。
余談ではあるが、科学と魔術が一体化して発展した後も、
仲の国で龍使いが銃を持つ事は無かったと言われている。