銀河紙メンタル伝説 作:七色プリズム
宇宙歴793年。
マリアエレナ・メルクーリ、軍専科学校へ入学。
宇宙歴796年。
マリアエレナ・メルクーリ、軍専科学校を卒業。
入学前にマリアエレナが家族に宣言した通り、トップクラスの成績であった。
身体能力に磨きをかけており、指導する教官からは「小さな化物」と噂されるほどであった。
マリアエレナは卒業と同時に18歳で伍長へ任官した。
配属先は第一艦隊、つまりハイネセン防衛が主な任務となる。
第一志望の体育の教官こそなれなかったが、これは卒業したての新人が教官になることで様々な弊害が起きるからである。
マリアエレナの能力の問題ではなく、単に年齢の問題であった。
宇宙歴796年5月14日。
イゼルローン要塞陥落の報が自由惑星同盟を駆け巡った。
同盟第13艦隊の司令官となったヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞を無血開城したというものである。
マリアエレナも軍人として、一市民としてこの情報を知った。
しかし、大勢の者とは違う感想を持つこととなる。
「この日だったのか。
ヤン・ウェンリーのイゼルローン要塞攻略って」
マリアエレナの銀河英雄伝説についての記憶はもはや曖昧なものになっていた。
というよりも、そもそもそんな詳細な記憶は持っていなかったことが大きな原因である。
「えーと、このあとは…あ、あ、あ…アスターテの戦いだっけ?」
間違いである。
アスターテ会戦は宇宙歴796年2月に行われたものである。
正しくはアムリッツァ星域会戦と言い、宇宙歴796年の8月以降に行われる予定である。
マリアエレナは名称を覚えることがとても苦手であり、
「あ」から始まる名前の地名が、最近聞いたことのあるアスターテしか思いつかなかったのである。
「で、アスターテでぼろ負けして…どうなるんだっけ。
ヤンのハイネセン召還があって、ガイエスブルク要塞がワープしてきて……。
救国軍事政府?によるクーデター、ヤン艦隊が鎮圧、艦隊ボロボロ、アルテミスの首飾り破壊……あっ、そうか!
クーデターが起こるのは捕虜交換の後だ!ラインハルトが、
エレン?違う。ノイエ?違う。エル・ファシルの…リンチだった、を唆したんだっけ」
流れも名称も間違えまくりである。
「まあ思い出したからといってどうなる訳でもない。
所詮伍長なのよね、私という人間は。
取り敢えず体育の教官目指して地道に働いて、クーデター起きたら民間人の保護でもしようかな」
伍長という階級は、下から数えた方が早い階級なのである。
軍人のエリートである士官学校を卒業すればその時点で少尉を任官できるが、軍専科学校を卒業しても伍長からの出発である。
頭の出来の良さで階級が決まるのは民主共和制の近代国家だからであろう。
「ふああ……考えても仕方が無いし、トレーニングでもした方がよほど身の為になるわ。
本当は実戦形式のトレーニングがやりたいんだけど、誰も付いてこれないし。
やっぱり第一艦隊って生温いのかなあ?
ローゼンリッターなら強そうだから相手してくれそうな気がするけど、うーん、全然縁がない」
マリアエレナの身体能力は人外の領域へと至っているということに本人だけが忘れている。
同僚、上司、かつての教官が
「マリアエレナと戦ってはいけない」
ということを堅く自らに戒めている事は、マリアエレナは知らないのだ。
装甲服を着、炭素クリスタルのトマホークを両手に持ち、その上で三角飛びが出来るのは、
自由惑星同盟を見渡してもマリアエレナだけなのである。
ヘラクレスは伊達じゃない。
「白兵戦だけ強くても使い道ないからなあ…。
なんでこんな能力あるんだろう、まあ無いよりある方がいいんだけどさ。」
宇宙歴796年8月6日。
同盟最高評議会は帝国領への遠征を決定した。
8個艦隊、将兵は約3000万人が動員される。
しかし作戦計画の実態は稚拙極まりないもので、立案者であるフォーク准将曰く
「大軍をもって帝国本土へ侵攻する」
「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する」
といった抽象的かつ曖昧な語句に終始したものであった。
真綿で首を絞めるような同盟の状況がこの作戦で一変し、いよいよ殺伐とした傾国が始まるであろうことを視野狭窄に陥っていない者が予感するには、十分であった。
フェザーンを通じて同盟による帝国侵攻の報をもたらされた銀河帝国は、ラインハルト元帥に同盟軍の迎撃を一任した。
ラインハルト元帥は幕僚のオーベルシュタインが提案した焦土作戦を以て応じることとなる。
当初は帝国軍が領地から物資を引き上げつつ戦わずして引いたため、同盟軍は抵抗も無く進撃し200の恒星系を占領しそこで暮らす5000万の帝国国民を「解放」した。
だが、まもなく同盟艦隊が補給線の限界点に達し、かつ「解放した市民」が欲する物資は加速度的に膨れ上がった。
物資の補給のために同盟から大規模な補給部隊が送られたが、帝国のキルヒアイス准将の艦隊攻撃をうけて壊滅的打撃を受ける。
補給を受けられなくなった同盟軍は現地において物資を徴発せざるを得ず、新たな「市民」の反感を買った。
さらに各星域において、帝国軍が大規模な攻勢に転じたため、同盟各艦隊はことごとく惨敗。
同盟軍はアムリッツァ星域付近に集結し再反撃を画策したが、
ここでも帝国軍の猛攻に曝されて、さらに損害をだしてイゼルローンへ撤退を余儀なくされた。
この作戦により喪失した将兵は動員した約3,000万人のうち、
実に70%近くに相当する2,000万人に達した。
最も被害の少ないのはヤン・ウェンリー率いる13艦隊であり3割の喪失であった。
政府関係者はこの軍事行動の圧倒的敗北の認識を相対的に軽減させるべく、この功績をもって大将へと昇進させ、
「イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留艦隊司令官・同盟軍最高幕僚会議議員」
という役職をもってイゼルローン要塞に赴任させた。
「あーあ、全くろくなもんじゃないわ。
本当に、人殺しが大好きな馬鹿ばっかりで……!
勉強、の出来る阿呆共と、自分の見たいことしか見ないっ、俗物共が……っ!」
マリアエレナの手元には軍専科学校の卒業アルバムが開かれていた。
アーノルド、レフ、ミリー、アンナ、ベラ、ソフィア、アンディ、コニー、ユーリ、ロベルト、ゾルタン、ロマン、アルマ、カヤ……
同じ釜の飯を食べ苦難苦境を共にし青春を共にした、
沢山の同期生の7割が既にこの世に居なくなっていた。
マリアエレナは独語する。
「ごめんなさい、こうなる事は分かっていたのに、私は止めなかった。
作戦立案者のフォークを病院のベッドに送るなんてのは私の力だと容易いのは分かってた。
でも、私は臆病だからそれをしなかった……」
「結局私は、世界の修正力が、怖かったの…」
「自分が知らない世界になることが何よりも怖くて怖くて怖くて、怖くてたまらない。
気が狂いそうになるの。
未来が分からないなんて、そんなの、そんなの――」
眼が限界まで見開き、涙がボロボロと卒業アルバムに落ちていく。
身体が小刻みに震え、呼吸が浅く早くなっていく。
「怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い」
「死にたくない」
「傷つきなくない」
「ううううう、うぁあああああああああ――――っ!!」
母アリスがマリアエレナの絶叫を聞いて、リビングからマリアエレナの自室へ踏み入ったのはそれからすぐの事であった。
病院へ受診すると、マリアエレナには「PTSD」、つまりトラウマによる精神不安定であると診断され、
実践を経験するまもなく軍病院精神科へ入院することとなった。
マリアエレナは人外の身体能力を得たが、その精神性までは得ていない。
喪失を恐れるマリアエレナの在り方が、この銀河英雄伝説の世界と比べてあまりにもちっぽけであり、
何よりも重要な精神の強さという装甲が脆弱であったということである。