「もういいです!失礼します!!」
エリは強い口調で突然そう言い放つと、音を立てて席を立った。
朝飯の黒パンを食べかけのままテーブルに残し、ドアの方にズンズン歩いていく。
「お、おいエリ!どこへ―――」
止める間も無く、そのまま部屋を出て行ってしまった。
開けっ放しのドアがキイキイと鳴る音だけが、部屋に響く。
「「「・・・・・・」」」
突然起こった出来事に、俺やマコだけでなく、カズまでもが呆気に取られるしかなかった。
「カズ・・・俺、何かマズこと言ったかな・・・」
「・・・・・・さあ・・・?」
デスゲームが始まって33日目にして、俺は初めて生徒を怒らせてしまったようだ。
というか、これまで塾講師として働いてきた2年9ヵ月間の中でも初だ。
まさか、こんなに後味の悪いものだったとは。
てか、生産スキルを取ることを勧めただけなのに、何であんなに怒ったのか・・・。
エリはフィールドデビューしてから今日までモンスター恐怖症を克服できていない。
標的に近寄れないため討伐数は当然ゼロで、レベルもただ一人1固定のままである。
そんな状態から脱却させるためには、職人転向が最適だと思ったのだ。
何かしらを生産すれば経験値が入るので、戦わずしてレベルアップできる。
その代わり地道な作業の連続ではあるが、エリの根性ならきっと耐えられる。
そして軌道に乗れば、今日まで続く金欠状態からの脱却も夢ではない。
このように上手くいけば二つの問題を同時に解決できる妙案だった。
問題があるとすれば、やや気難しいエリがに受け入れてくれるかどうかだが、ちゃんと言葉を選べば問題ないだろうとタカをくくっていた。
しかし、説得の結果はこのザマである。
最初の感触こそ悪くなかったのに、途中から急に表情が曇り、出て行ってしまったのだ。
記憶の糸をたどっても、NGワードと思われる言葉は見つけられない。
そんな思考に溺れそうになっていた俺を、細い声が引き戻した。
「ごひほうはま」
間の抜けた言葉の主はマコだった。
見ると、ついさっきまで半分以上は残っていたはずの手元のパンがいつの間に消滅している。
エリが出て行ってから一気食いしたらしく、口元はまだもぐもぐと動いている。
早く探しに行きたいのだろう、『お前もさっさと食え』と言わんばかりの目線で、俺のパンを見つめている。
そうだ、ボーっと考えてるヒマは無いんだった、早く探しに行かねば。
フィールドに出て行かれるような事態が、万が一にも起きてしまう前に。
しかし、捜索にこいつらを連れていけば足手まといになりそうだ・・・。
それにこれは俺とエリの問題だから、こいつらを巻き込みたくない。
もっとややこしいいことになるかもしれないし。
「・・・俺一人で探してくるよ。カズ、マコを頼めるか?」
「了解~。よしマコ、今日は先生が帰るまで俺が勉強見ようでないの」
おお、カズのこの反応はやや意外だ。
『俺も付いて行く』なんて言いかねないと思っていたのに。
基本的に鈍い奴だが、たまにこんな感じで妙に気が回ることがあるのだ。
「私も―――」
「そうだ、昨日は確率の勉強してたよな。なんか分からないことあった?」
「え・・・えっと」
カズがファインプレーでマコを抑え込んでくれている間に、俺は残りのパンを口に放り込み、そのまま静かに部屋を出た。
階段を駆け下りながらメニューを開いてメール作成画面を出す。
そして文章を打ち込みながら宿を出て、いつもの方向へ走り始める。
* * * *
「はぁ・・・」
エリは『はじまりの街』のとある広場のベンチに腰掛けると同時に、ため息を付いた。
宿を飛び出していつもと反対の方向に行く当てもなく歩き、たどり着いたのがこの広場だった。
初めて来るこの場所はそれなりの人通りがあるが、上半身に装備している灰色のフーデッドマントのおかげで顔を見られずに済んでいる。
街を歩くと性別年代のせいか視線が集まってしまうことを少し前に先生に相談したら、これをくれたのだ。
オオカミからドロップしたものらしいが、『店でも手に入るし、売ってもいくらにもならない安物だから気にするな』と言って渡してくれた。
だが今は、そんな恩を思い出せるような気分ではなかった。
『職人になってほしいんだ』
頭の中では、10分ほど前に食卓で言われたセリフがさっきから何度もリピートされている。
朝ご飯の黒パンを頬張っていた時に、突然そう持ち掛けられたのだ。
最初は戸惑いを隠せなかった。
いきなりだったし、職人がどういうものかも詳しく知らない。
何より、何で自分が勧められたのか分からなかった。
ただ振り子は比較的すぐにOKに傾いた。
『生産職は軌道に乗れば結構儲かるんだよ。そうすりゃこんな黒パンから即おさらばだし、装備ももっと強いのに代えられて安全になる。だから、情けないお願いで申し訳ないんだけど、エリに協力してほしいんだ』
こんな調子で、熱心かつ低姿勢で説得されたからだ。
家計が苦しいのは知っていたし、何より恩人にここまで頼まれたら断る理由は無い。
だから『はい、いいですよ』と喉元まで言いかけたのだが、次の一言でそれは引っ込んでしまった。
『それに職人なら、戦わなくても経験値が入るんだぞ』
戦闘で経験値を得たことが無いというコンプレックスをこの一言で刺激され、エリの思考は一気に沸騰してしまう。
―――戦わなくても・・・経験値が入る・・・?
それはつまり、もう戦うなという意味なのだろうか?
自分には戦闘の才能が無いと、遠回しに断定された・・・?
職人を勧めて来たのは、そういう理由だったのか・・・。
―――ウソだ、あり得ない。
現実世界では、勉強もスポーツも常に人並み以上にこなしてきた。
それはこの世界でも同じで、自分に出来ないことなんてあるはずが無い。
―――モンスターに怯え近付くことさえできない今の自分は、あくまで仮の姿。
フィールドに何度も足を運べば恐怖は徐々に薄れ、剣が届く間合いに踏み込めるようになる。
剣士として覚醒する日はきっと来る。
―――そう信じて、ここまで頑張って来た。
先生もその日が来るまで待ってくれるのだと信じていた。
だって、『ソードスキルは上手に打てている。恐怖心さえ無くなればきっとバンバン倒せるようになる』と今日まで励ましてくれたのは先生なのだから。
それなのに、何で今更『戦わなくても』などと言い出すのか。
―――この提案を飲んだら、剣士として見限られてしまう。
才能が無いことを自ら認めたことになってしまう。
そんなのは嫌だ。
『まあその分面倒な作業の連続だけど、エリならきっと耐え――――おいエリ?』
『もういいです!失礼します!』
気が付けばエリは感情のままに部屋を飛び出していた。
そして、この広場にフラフラとたどり着き、現在に至っている。
「私、最悪だ・・・」
俯きながら、フードの奥でそう呟く。
外の空気に当たって冷静になった今、こみ上げてくるのは罪悪感だった。
仮にも恩人に感情に任せて失礼な態度を取ってしまった自分が、たまらなく嫌だった。
先生だって、きっと悪気があって言ったわけではないはずなのに。
あんな後では、一体どんな顔をして戻ればいいのか分からない。
それに、職人スキルを取る決心もまだ付いていない。
頭も思うように働かず、エリは茫然とベンチに座り続けた。
メールも何通か来ているようだが、見る気にはなれなかった。
そしてため息の回数が5回目を数えようとしたとき。
金属同士がぶつかり合ったような乾いた音が、突如耳に飛び込んできた。
カン、カンとリズミカルなペースで広場に響くそれに、エリは聞き覚えがあった。
城門付近の広場など、人が多くあつまる場所では大抵聞こえてくる音だ。
顔を少し上げて音の発生源の方向を横目で見ると、予想通りの光景が目に入る。
通路端に敷いたカーペットの上で黙々とハンマーを振るうプレイヤーの鍛冶屋。
その周りには道具や装備品が所狭しと置かれている。
目測で20mほど離れたその場所はさっきは誰もいなかったので、ベンチで下を向いている間に開店したらしい。
さして興味は無かったので、エリはすぐに視線を膝元に戻した。
しかし、その直後にある違和感が脳裏をかすめた。
―――あれ?今のお店、何か変だったような・・・
そう思いながら、再び視線を鍛冶屋の方向に戻す。
やはりだった。
エリがこれまで見て来た鍛冶屋と、ある部分が決定的に違うのだ。
違和感の発生源は、店主と思われるプレイヤーの全体的なシルエットにあった。
えらく小柄で、細い。
全体的にムキムキマッチョなNPC鍛冶屋と比べてなのはもちろん、一般男性と比べても明らかに違う。
『まさか』と思いながら、目深に被っていたフードを両手で跳ね上げ、更に目を凝らす。
鮮明さを増したその姿はやはり、体形も髪型も男性のものではなかった。
そして、もう一つの発見があった。もしかしたら、自分と同じくらいの・・・。
エリは高まる鼓動を抑えられず、ベンチから立ち上がって店の前まで一気に駆け寄る。
そして、両目いっぱいに映し出された目の前のプレイヤーの姿を見て、改めて驚愕した。
店主は自分と同年代と思われる少女だったのだ。
この世界で出会った同性かつ同年代のプレイヤーといえば、今のところマコだけだ。
あとはせいぜい、カズが言っていた『隣の部屋の少女』の存在が確認できるくらい。
そんな極少数の存在が、まさかこんな形で見つかるとは。
少女は初期装備同然の地味な布服の上から布エプロンを掛け、肩口まで伸びたダークブラウンの髪を揺らしながら一心にハンマーを振るい続けている。
そばかすの残るやや幼めの顔は真剣そのもので、ほぼ目の前にいるこちらに気付かない程に集中している。
そして、最初から数えて十数回目の一打を打ち込んだ直後、金属はまばゆい光を放つ。
そのまま大きく変形して光は収束、アンビル上には新しい片手剣が横たわっていた。
少女は大きく息を吐くとハンマーを置き、剣を手に取って指先でタップ。
開かれたウインドウを眺め、プロパティを確認している。
そして、小さく息を吐きながら剣を下ろすと、店の前にエリが立っていることに漸く気付いた。
「お、お待たせしてすみま・・・・・・」
慌てて向き直りながら紡いだ謝罪の言葉は、最後まで続かなかった。
エリの顔を見るなり、急造の営業スマイルは驚愕の表情に変わっていく。
「うそ・・・・・・」
その言葉を最後に、『信じられない』といった顔のまま固まってしまった。
向こうが驚いているのは多分自分と同じ理由だろうとエリは推測した。
同時に、やってきたのは自分の方なんだから何か話さないと、という焦りも生まれていた。
そしてとっさに思いついた言葉を、内容を検閲することなく口に出してしまう。
「あああの!しょ・・・職人って、たっ楽しいですか!?」
―――うわ、何てこと聞いてるんだ私のバカ!
これではまるで職人を、つまり相手をバカにしているようではないか。
千載一遇の出会いが今ので台無しになってしまうかもしれない、そう考えると全身から血の気が引いていく。
祈るような気持ちで反応をうかがっていると、相手は怒るでもなく、かすれた声で意外な事を聞いてきた。
「プレイヤー・・・ですよね?」
エリはこの言葉の意味が一瞬分からなかった。
少なくとも、さっきしてしまった失礼な質問に対する回答ではなさそうだ。
そのまま数秒戸惑った後、『もしかして、NPCと思われているのか』と気付く。
NPCとプレイヤーの区別は頭上のタグで見分けられるはずだが、きっと驚きで失念しているのだろうと思いながら、エリはこくこくと頷いてプレイヤーであることを肯定した。
次の瞬間、ここまで驚き顔で固まっていた鍛冶屋の表情は一気に満面の笑みになった。
エリにはそれは、最初の営業スマイルとは全く違う、心からの笑顔に見えた。
そして膝立ちになって身を乗り出してきたかと思えば、両腕を伸ばしてエリの手をガシッと掴んで来た。
「うわ、やったあ!!スゴい、運命だよコレ!ねえ、名前聞いていい!?」
興奮した様子で次々にまくし立て、掴んだ両手をぶんぶんと上下に振ってくる。
「え、あ・・・」
もはや何が何だかわからなかった。
食卓から続く急展開の連続で疲れ切っていた脳には今の状況を整理する思考力はもう残っておらず、エリはもう考えることをやめていた。
分かるのは、鍛冶屋の少女が怒っていなくて良かったということくらい。
それと、掴まれた両手から伝わってくる温もりはとても暖かかった。
続きます。