ソードアート・オンライン ~塾講師の剣~   作:バヌケソ

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第2話

11月13日、午後2時前後。稼動から丁度一週間目の今日。

 

 

一体何をやってるんだ、俺は。

 

仕事を忘れるために飛び込んだ仮想空間の中で―――

 

現実世界に生還できる目処が立たないこんな状況で―――

 

「先生~、この関数の問題、どうやんだっけ?」

 

「あぁ、それは点Pのx座標にtを置いてとして代入してってみ」

 

「先生、これで合ってますか?」

 

「どれどれ…おぉ正解。じゃあ次いってみようか」

 

 

なんで授業なんかやってるんだろう…

 

 

 ここは勤め先の塾校舎の教室ではなく、アインクラッド第一層『はじまりの街』の宿屋の一室。備え付けの丸テーブルを囲んで1対3の個別形式で数学の授業の真っ最中だ。要はゲームの中であり、しかも今はログアウト不可というイレギュラーな状況。塾講師としての職務を放棄しても誰も文句は言わないだろうし、そもそも職務自体が存在しない筈だ。にも関わらずかれこれ3日も前から、俺は授業を毎日行っている。

 

 きっかけとなったのは4日前。部屋の隅に備え付けられた洋紙とペンにふと目がいった俺は、暇つぶしに数学の問題をテキトーに何問か作り、それを生徒達に渡してから狩りに出かけた。半分冗談で出したこの『宿題』に深い意味や狙いなど全く無く、帰る頃には俺自身作った事すら忘れていた。

 

 しかし部屋に戻ると、途中式や解答がびっしり書き込まれた洋紙が俺を出迎えたのだった。

 

 どうせ白紙だろうと思っていたので、正直面食らった。しかも俺を驚かせる出来事はこれだけでは終わらなかった。呆気にとられながら洋紙を見つめていた俺に、生徒はこう言ってきたのだ。受験が近いから対策してくれ、と。

 

 正気かよ!?と思わず口に出しそうになった。受験の迫るこの時期にブランクを作りたくないのはまあ分かる。だが、生きて帰れる目処の立たないこの状況で勉強する気になるものなのか。さっき宿題を作ったのも、あくまで暇つぶしでありジョークの域を出ない。

 

 しかし、生徒2人の顔には本気の色が見えたので、俺は嫌々ながら承諾し、そして現在に至っている。そんな訳でこの授業は強制ではなく生徒の要望で行っているので、それだけに止めるとは言い辛い。

 正直やってられない。この世界には仕事漬けの毎日から少しでも開放されるために飛び込んだ筈なのにこれでは、本末転倒もいいとこではないか。そんなネガティブな方向に流れていた思考を、か細い声が断ち切った。

 

「……生…先生…」

 

「ん、何だ?」

 

「できた」

 

 そう言ってプリント代わりの洋紙をおずおずと差し出してきたのは、2日前に塾生達が拾ってきた新入りの女の子。2人より1個下の中2で、受験にはまだ遠い筈の彼女もまた、積極的に授業に参加してくる。食費だけでなく、授業の手間まで増やしてくれているわけだ。

 塾講師の仕事は、授業を行う事よりもその準備の方に手間がかかる。ましてやここは参考書など存在しない世界。プリントは全て洋紙を使った自作であり、それを3人分毎日作るのは決して楽じゃない。

 

「おぉ全問正解、やるな」

 

 問題は全て基礎レベルだが、そこには触れず率直に褒めると彼女は顔を僅かに綻ばせる。まだ表情に乏しいが、出会った当初よりは幾分感情を見せるようになってきている。孤独から開放されたのがやはり大きいのだろう。

 

 次のプリントを渡すと、彼女はまた食い入るように取り掛かる。この子は現実世界でも勉強家だったのだろうか。それとも、生きて帰れるか分からないという恐怖を頭から締め出すために、今だけ集中しているのだろうか。

 

 そんな事を考え始めた直後、午後3時を知らせる鐘楼の音が街に響き渡った。

 

「じゃあ俺はまた稼いでくるから、残ったプリント大人しく解いておけよ」

 

 特に意味は無いのだが、いつもこの時間あたりから狩りに出かけると決めており、今日もその慣例に従う。席を立ち、扉を開ける。

 

「あ~先生、行く前に今日も隣の部屋のチェック頼むよ!」

 

「へいへい」

 

 廊下に出て扉を閉め、そのまま隣の部屋の扉の前まで歩き、軽くノックする。

 

「すいませーん」

 

 声をかけても返事はは無かった。生徒に頼まれて狩りに行く前に毎日このドアをノックしているが、これまで反応があった事は一度も無い。どうやら今日も同じのようだ。

 正直ホッとした。ここには同年代の女の子が稼動初日から閉じこもっているらしい。生徒達は仲間にしたがっているが、これ以上増えられたら堪らん。

 

 足早に宿を出て、北西のゲートへと向かう。 

 

 

* * *

 

 

 レベル2のオオカミ型モンスターが与えてくるプレッシャーは、やはりイノシシより一段上だ。こうして対峙しているだけで、俺の神経はヤスリをかけられたようにガリガリとすり減らされていく。

 

 コイツにはβテスト初期にかなり苦戦させられた。メインの攻撃手段の一つ『飛び掛っての噛み付き攻撃』の対処に慣れるまでに特に時間を要した。

 『重さ』はさほどでもないので、イノシシの突進と違ってブロックしてもHPを減らされない。そのかわり予備動作が短いのでタイミングを合わせにくく、しかも飛び上がる高度が毎回微妙に異なるので盾の高さを調節する必要がある。更に厄介な事に、たとえブロックに成功できても大きな硬直を与える事ができないのだ。すぐに態勢を立て直してくるので、ソードスキルによる反撃が間に合わない。

 

 このように付け入るスキの少ない厄介な攻撃だが、大きなリスクを与える手段は存在する。それは武器及び盾で攻撃を『弾く』事。盾であれば、オオカミの顔面を一定以上の強さで殴りつけるようにブロックすると、体制を大きく崩して軽度ながらスタン状態になり、イノシシの突進ガード時と同等かそれ以上の隙を作り出せる。

 

 武器の場合は『パリィ』と呼ばれるこのテクニック、成功時のメリットが大きい反面タイミングはなかなかにシビアで、かなりの集中力と精神力を要する。特にゲーム内でHPを切らすと現実世界の身体も死ぬとされる現状では、消費する精神力の量はβテストの時の比ではない。

 

 そして、今対峙しているオオカミは今日で10匹目。ここまでの戦闘とさっきまでの授業で精神力をほとんど使い果たしており、集中力が持つのは恐らくこの一匹が限界だ。そんなこちらの事情など露知らず、オオカミは容赦なく地面を蹴り、牙をむき出しながら飛びかかってきた。

 

「おらっ!」

 

 恐怖心を抑えつけながら、左手に持つ簡素な皮製の円型盾でその顔面を強打。見事に成功しはオオカミは体勢を崩したまま地面に落下。即座に単発縦斬りソードスキル《バーチカル》を発動させ、無防備な横腹に叩き込む。もの悲しげな悲鳴を共に、4割ほど残っていたHPバーは赤く染まり、ゼロになった瞬間にポリゴンの欠片となって爆散。自動で開いたメニューアイコンが獲得した経験値とコルを表示する。

 

 思わず草原に座り込みそうになるが、何とか足に力を込めてそれを回避。もしこの場に留まれば、近くにオオカミが再びポップする可能性がある。そうなったら命が危ない。

 俺は北に見える森に背を向け、最後の気力を振り絞って南方向に道沿いに走り出す。

 

 それから街に戻れたのはおよど15分後だった。

 

「ふぅっ」

 

 城門をくぐり視界に英語で【圏内】が表示された瞬間、これまでため込んでいた疲労感が雪崩を打ったように襲い掛かってきた。何とかベンチまで足を運び、よろけるようにベンチに腰を下ろす。

 

 俺にはあの狩り場はまだ早かったようだ。実際、レベルがもう一つ上がるか武器を更新するまではイノシシ相手に地道な狩りを続けるつもりだった。悲しい事にどちらも全く達成できていないが、それでも狩り場のランクを上げざるを得ない事情が出てきてしまったのだ。

 

 一つは、新入生が入って生活費が上がってしまったこと。ただ、それだけならイノシシを狩る数を増やす事で何とかカバーできた。それよりも、もう一つの要因の方が決定的だった。

 

 

『あんた、もしよかったら今日だけうちのパーティーに参加しないか?一人欠員が出ちまったんだ』

 

 つい先日、城門をくぐってフィールドに出ようとしていた俺にそんな声がかかった。声の主は、筋肉質の逞しい肉体に立派な鎧を着込んだ、屈強な戦士といった風情の男だった。地味な初期装備を貧弱な体に着込む俺とは対称的で、思わず『強そうだ、コイツとなら稼げそうだ』と感じ、二つ返事でOKしてしまったのが運の尽きだった。

 

 男達がフィールドに出るなり始めたのは、最弱モンスターのイノシシを10人前後で取り囲み、及び腰でチクチク攻撃するという超が付くほどのチキンプレイだった。豪胆に思えた戦士様もフィールドでは終始脅えた様子で、HPを少し減らされた瞬間に俺の後ろに隠れだす始末。

 

 そんな安全重視、効率度外視の狩りで普段のソロプレイの稼ぎに届く訳も無く、昨日は大赤字。宿代は僅かに貯まっていた貯金を切り崩して何とか捻出できたが、今日もそれが続いたら間違いなく野宿だ。

 

 それを避けるべく今日は『はじまりの街』を少し離れてオオカミの生息地帯に足を踏み入れ、10匹刈って何とか宿代は確保できた。

 対オオカミ戦はβテスト以来およそ2ヶ月振りだったが、身体が対処法を覚えていたので何とか乗り切る事ができた。だが精神的疲労も相当な量で、毎日続けていたらいつか死に繋がるような事故が起こりかねない。やっぱり明日からイノシシ戦に戻ろう。

 貯金はできないが、命には代えられない。もし生還できたら、塾長に給料を時給で請求すると決めている。その日まで俺は死ぬわけにはいかないのだ。

 

(コイツにはまだ当分世話になっちまいそうだな…)

 

 右手に持ったままの簡素な片手直剣《スモールソード》を自虐的な眼差しで見ながら腰の鞘に落とし、更にメニューを操作して消滅させてから、重い腰を上げて俺は薄暗くなった街を商店通りに向かって歩いていく。帰って飯を食った後は、宿題の採点と解説が待っている。まだ今日の仕事は終わっていない。

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