「ハルマーさん」
《はじまりの街》の城門を一人でくぐる直前に、背後から聞こえた低い声。
それが自分に向けられたものだと気付いて足を止めるのに、俺は数秒を要してしまった。
SAOが正式稼動してから一か月以上も経つのに、プレイヤーネームで呼ばれるのは初めてだったからだ。
『ハルマー』はβテストの初ログイン時にかなり適当に決めた、俺のPNだ。
本名《波留真一》の真をマと読み、一を伸ばし棒にしただけの安直なものなので、愛着などない。
加えて生徒達は俺を先生と呼ぶし、他の知り合いもいないため、PNで呼ばれる機会が無かった。
そのため俺の中で非常に薄い存在となっており、反応が遅れてしまったのだ。
慌てて振り向くと、声の主は見覚えのあるプレイヤーだった。
この世界の住人としてはかなり珍しい、筋肉質の大男。
「あぁ、どうも」
そう対応しながら、俺は『ゲッ』と口に出しそうになるのを何とかこらえた。
フィールドに出る直前の俺に声を掛けてきたということは、この人の目的は間違いなく・・・
「久しぶりだな!どうだ、久々に一緒に狩らないか?」
やっぱり・・・。
そういえば以前も、この場所で誘われたんだった。
強そうな風貌に騙されて付いていったら、安全重視効率度外視の狩りにつき合わされて大赤字。
今日もきっと、別の場所でチキン仲間8人が待機しているのだろう。
そんなのはもうコリゴリだし、そもそも俺は集団行動が苦手なのだ。
だから俺はやんわり断るための言葉を捜し始めた。
だが槍使いは、そんな俺の思考を察したようで、苦笑いしながら口を開いてきた。
「俺1人だよ」
* * * *
「スイッチ!」
イノシシの体当たりを盾で食い止めつつ合図を送り、俺は後ろに飛び退く。
入れ替わる形で槍使いが大きく踏み込み、裏帰り気味の気勢を上げつつソードスキルを発動させる。
「うおぉぉっ!」
両手槍の刺突スキル《スティンガー》が、硬直中のイノシシの眉間にまっすぐ突き刺さる。
だが浅かったようで、この一撃で削り切れると踏んでいたHPは、僅かに残ってしまった。
硬直が解けたイノシシが反撃の態勢に入り、槍使いの表情が強張る。
もっと踏み込んで打ってくれよ・・・と心の中で毒づきながら俺は側面に回り込み、今にも飛びかかろうとしていたイノシシの横腹に剣を突き刺した。
それがトドメとなり、敵はポリゴンの欠片となって四散。
槍使い戦士は大きく息を吐きながら安堵の表情で拳を突き出してきたので、軽く突き合わせる。
これで15匹目。
ペースはソロの時よりは確実に早いが、コンビの割には遅い。
戦闘スタイルが守備寄り同士なので、どうしても火力に欠けてしまう。
相方のクリーンヒット率が低いので、時間がかかってしまう。
ただ、予想よりは遥かに快調ではある。
これでも槍使いは格段に上達しているのだ。
以前は槍の先っちょでおっかなびっくり突っつくことしかできず、ひとたびタゲられると腰を抜かしそうになる有様だった。
その点今日はスキルを使いこなせているし、タゲられても何とか胆力を保てている。
集団で行動していただけあってか、スイッチも生徒らよりよほど上手く使いこなせている。
この一ヶ月間、相当に努力してきたのだろう。
だから普通に狩り続けていればそれなりのペースで進むはずなのだが・・・。
「よし、休憩にしよう!」
高らかに宣言する、屈強な戦士さん。
思わず「またかよ・・・」と内心で嘆いてしまう。
さっきからこの人、3匹狩るごとにキッチリ休みを取っているんだよね・・・。
休憩自体は悪いことではない。
寧ろ、適度な休息は命を守る上で必要不可欠と言っていい。
少しの精神の疲労が、死に繋がってしまうことがあるのだ。
だが、それを差し引いてもこの人は休みすぎだ。
ソロだとか、強敵が相手だとか、経験が浅いとかの理由があるならまだ分かる。
俺もデスゲーム開始直後は同じくらいのペースで休んでいた。
だが今の俺たちはそこそこは熟練した同士のコンビで、相手モンスターも格下。
ここまでの戦闘も、一瞬ヒヤッとする事はあれど、死を覚悟するような場面など全く無かった。
せいぜい10匹に1回くらいの休憩で十分だと思うだが・・・。
そんな思いも伝わらず、相方は草原にドカッと腰を下ろし、本格的な休憩モードに入ってしまった。
HPは一割程しか減っていないのに、ポーションを取り出して喉を鳴らしながら流し込み始める。
飲み終えて大きく息を吐く彼の姿は、まるで競技を終えたアスリートのようだった。
1人立っているのも難なので、俺も2~3メートル離れた場所に座り、水を取り出して飲む。
その間に相方のHPは早くも全快したが、彼は俯いて荒い呼吸を繰り返しており、立ち上がる様子は無かった。
そこから、しばし沈黙の時が流れた。
「なあハルマーさん」
2~3分ほど経った頃、向こうから話しかけてきた。
「アンタからは、俺は臆病に見えるか?」
「へ?」
突然何を聞いてくるんだこの人は。
「い、いや別に・・・。何で?」
答えるついでにそう聞き返すと、彼はしばらく間を置いてから口を開いた。
「実は・・・チームから追い出されてちまってな」
「はぁ!?」
驚く俺に、彼は遠い目をしながら経緯を語り始めた。
要約すると次の通りだ。
あの10人パーティーの歴史は古く、結成はデスゲーム開始翌日らしい。
最初のうちは円満なパーティープレイが続いていたが、2週間ほど経ってメンバーのレベルがポツポツと上がり始めてから、狩場をもう少し危険な場所に移してもいいのではないかという意見が出始め、そこから歯車が狂い始めたのだとか。
慎重なこの人は当然、狩場移動反対派。
最初は彼と同意見の者の方が多かったが、全体の平均レベルが2に近付くにつれて徐々に賛成派に流れていき、全員がレベル2になった頃には、反対は彼1人になっていたらしい。
結局9人は彼に臆病者の烙印を押し、《はじまりの街》に置いていってしまったらしい。
その僅か2日後。
槍使いは9人とのフレンド登録がそのままになっていたことを思い出した。
何気なくメニューを開いてみたところ、そこに並ぶ名前のうちの2つが灰色の表示に変わっていた。
まさかと思い黒鉄宮に確認しに行ったところ、生命の碑の2人の名前には無情にも横線が引かれていたらしい。
「まぁ気にしちゃいないさ。俺を置いて勝手に行っちまったあいつらが悪いんだからな」
遠くを見つめながら、相方は、説明をそう締めくくった。
薄情な物言いとは裏腹に、その横顔からは無念さが滲み出ているように感じられた。
まるで『俺が止めていれば・・・』という自責の念を押し殺しているかのようだった。
「よし、休憩終了!あと15匹頑張ろう!」
彼は鎧をガシャっと鳴らしながら勢い良く立ち上がる。
その哀愁漂う背中には哀愁が漂っていた。
* * * *
「――――というわけで、二人が亡くなったらしい」
30匹討伐は無事達成し、相方とは城門で解散。
宿に帰った俺は、さっき聞いたことを早速生徒に話した。
ここのところ、こいつらから緊張感が急激に薄れつつあるからだ。
最近、『次の村まで進みたい』だの『もっと強い相手と戦いたい』だのと頻繁にのたまってくるのだ。
冗談ではない。生徒に万が一のことがあれば責任を取らされるのは俺だし、そもそも俺の命が危ない。
だからあえて重い話をぶつけることで、稼働初期の緊張感をほんの少し取り戻してもらう。
「マジで!?」
お、カズがショックを隠せないようだ。他の2人も同様の反応。
「分かってくれたな。だから先に進むのはもっと後に――」
「いや、そうじゃなくてさ」
「へ?」
「先生、俺らの他に知り合いいたんだ」
そこかよ!
2年半前に既に決めてあったPNにようやく出番