元、ジェイル・スカリエッティであった子供、ティーノ・ランスターは仕事に向かったティアナに対し、健気にも玄関の扉が閉まるまで手を振っていた。
そうして、外界と内界を隔絶する扉が閉じられると、小さな両手を胸の前にやり小さく握りこぶしを作った。
「よし、今日も頑張ろう!」
ティーノの仕事は家事全般である。
夕方の5時30分には帰宅するティアナのために、彼は家の中をきれいに掃除しなければならないと考え、自らそうしていた。
PiPiPiPiPiPiPi……
部屋の奥から電子音が聞こえてくる。
その音に気がついたティーノは小走りになりながらも、客間に向かった。
客間に用意されていたのは、魔法陣を中心に四方にポールが立つ機械だった。
それは世界間転送機であり、この世界と別の世界とを繋ぐ物であった。
ティーノは、電子音を鳴らし続けるそれの前に立つと、取り付けられている受話器を手に取った。
すると、受話器の先から優しい声が聞こえてくる。
「いい子にしてる、ティーノ?今からそっちに行くわね」
声の主の名はリンディ・ハラオウン、管理外世界地球に住む美しい女性だ。
ティーノは、ティアナから彼女を紹介され、家事の全般を教えてもらっている。
そして、今からティアナの家に来るのは、リンディの家に住むティーノの友達だ。
「僕、いい子にしてるよ!」
元気にそう返したティーノに対し、リンディはくすくすと笑う。
そして、数回会話をすると、ティーノは受話器を置いた。
すると、魔法陣が光り輝き、その中央には赤毛の狼が立っていた。
「アルフ!」
ティーノはそう名を呼ぶと、喜色満面になり赤毛の狼の首元に抱きついた。
アルフと呼ばれた狼は、抱きつくティーノの顔を優しく押すと、家の奥に顔を向けた。
それが何を意味しているのか悟ったティーノは、大きく頷くと元気よく声を出した。
「今日も掃除を頑張ろう!」
ティーノ・ランスターはドジである。
それはまるで、自分の体はこんなに小さくないと脳が反発しているようであった。
「はぅあッ!」
言わんことではない―――。
アルフが見つめる先のティーノは、掃除機に振り回され尻餅をついていた。
「うぅ~~~~」
そして愚図り出す。
毎度のことではあるが、アルフは内心この子供が本当にジェイル・スカリエッティなのか疑問視していた。
狂気のマッドサイエンティスト、人類頂点の知識、様々な呼び名を持つジェイルであるが、一つ言えることは、彼が天才であったということである。
それがどうだ。
ティーノは愚図で鈍間で、要領が悪い。
外見は確かに、似ているかもしれないが内面は想像していたものとは違いすぎる。
アルフは自身の主であるフェイトのことを考える。
プロジェクトFの線も否定され、人造魔導士であることも否定され、ほぼほぼティーノはジェイルであると、フェイトは結論付けた。
そして、フェイト自信を苦しめたプロジェクトFの基幹部分を作り出した元凶であるジェイルを、彼女は後見人となることでティーノがティアナの傍にいられるようにした。
主人であるフェイトの目的はわかっている。
ティーノがティーノであれたなら、彼を二度と悪の道に行かせないためだ。
そして、もしジェイル・スカリエッティとして目覚めてしまったらその時は……。
今はそうならないように、祈ろう。
儚くも健気に今を生きる子供に、世界の明るさを示そう。
もう二度と、あんな悲劇を起こさないために―――。
「うぅ~~~~」
未だに愚図り続けるティーノを見ながら、アルフはそう思う。
そして、ティーノの隣にまで歩みを進めると、頭をティーノの頬に軽く擦り付けた。
「……僕、頑張ってるもん」
そんな事はわかっているから、後もう少し頑張りなさい。
アルフは、ティーノの頬に伝う一滴の涙を舐めとると、掃除の続きを促した。
掃除を終え、ティアナが用意した昼食を食べたアルフとティーノは、お昼寝をしていた。
アルフのお腹を枕に、静かに寝息を立てるティーノに対し、まるで母親が赤子にするようにアルフはリズムよく尻尾でティーノのお腹を優しく叩く。
その時、アルフの頭の中に声がした。
『お疲れさま、アルフ。今大丈夫?』
『フェイト!こっちは、大丈夫だよ』
声の主はフェイトであった。
アルフはフェイトの使い魔であり、離れた場所にいても念話をすることが出来る。
フェイトはいつものように、アルフにティーノの様子を確かめる。
『ティーノの様子はどう?』
それに対し、アルフは苦笑しながら答えた。
『今は、あたしの腹の上で呑気に寝てるよ』
『フフ……、そう、良かった』
ティーノのことを優しく笑うフェイトに対し、アルフは複雑な感情を持っていた。
ティーノは今でこそ違和感無く子供として見ることが出来るが、元はジェイル・スカリエッティである。
4年前、散々自分たちを苦しめ追いつめてきた犯罪者。
そして、フェイトにとっては自身の出自に深く関わる男である。
いくら優しいフェイトでも、穏やかな気持ちでいられる訳がない。
それでも、いつもの調子を崩すことなくいられ、あまつさえティーノの後見人に自ら立候補したのだ。
随分と大人になったものだ。と、アルフは眩しくて嬉しそうに眼を細める。
すると、フェイトは真剣な声色に代わる。
『……ティーノに対する接触はあった?』
接触なんて抽象的に言ってはいるが、相手が誰であるかは検討がついていたアルフは、平然と答える。
『今のところは無しだよ、フェイト。なぁに、アタシがついてる。……ティーノは守るさ』
そう、アルフはわざわざ子守のためにきていた訳ではない。
アルフがティアナの家にいる理由―――。
それは、ジェイルを拉致した者達、もしくはジェイルの再利用を考えている者達からティーノを守るボディーガードの意味があった。
ボディーガードとして、アルフは打って付けであり、これ以上の人物はそうそういないだろう。
だからこそ、ティアナも安心して外に出ることが出来る。
『―――よろしくね、アルフ』
そう言ったフェイトに対し、アルフははにかみながら答える。
『はいよ、そっちも体に気を付けてね』
そうして、念話は閉じられる。
アルフは主人と会話をすることがよほど嬉しかったのか、ティーノを叩く尻尾を少々乱暴にしてしまっていた。
「う、う~~~ん……」
目覚めかけるティーノを見て、アルフは慌てて尻尾のリズムを整える。
危ない……危ない……。
そう思いながらも、口の端は自然と持ち上がった。
そして、本来ではありえない。
狼の口から、人の言葉を吐き出す。
「あんたが、子供のふりをしているだけだとしても構わない……。あたしは、一言あんたに言いたいことがあったんだ」
そして、言葉を区切ると優しく語りかけた。
「ありがとう―――。あんたのおかげで、私はフェイトに出会えた」
窓から見える景色が、夕焼け空を映し出した頃、ティーノは眠たそうに瞼を擦りながら起き上がった。
「おはよ~、アルフ~」
間延びした声は、まだ寝ぼけていて、だがそれが愛くるしさを漂わせる。
アルフはそんな、ティーノの頭を尻尾で叩いた。
寝過ぎだと―――。
アルフの言いたいことを察したティーノは、小さな両手で頭を抱えると、目を覚ました。
「ごめんなさい……」
しっかりと謝ることが出来たティーノに対し、アルフは頭を擦り付けて良く出来ましたと褒めた。
それが嬉しくて、ティーノはくすぐったそうに笑う。
幸せな時間が過ぎていく、ティーノはこの時間が大好きでいつまでも続くと思っていた。
アイツが来るまでは―――。
ピンポーーーン……
それは、突然の来客を知らせるチャイム、ティーノは体を大きく跳ねさせ、驚くと意識を玄関に向け、まるで扉の先を透視するかのように、凝視する。
ピンポーーーン……
再びのチャイム、ティーノはどうしたら良いのかと助けを求めるようにアルフの顔を見る。
するとそこには、凛々しい狼がしてはいけないような口をあんぐりと開けたアルフの姿があった。
しまった、今日あの子が来ることをティーノに伝えていなかった……。
アルフは、やってしまったと尻尾を垂らす。
そんなアルフの姿を見たティーノは、アルフに問いかける。
「誰が来たの……?」
すると、アルフは眉毛をハの字にし優しい瞳でティーノを見た。
その瞬間、ティーノは誰が来たのかを察し、慌てて飛び起き、リビングに置かれた観音開きの洋服タンスの中に隠れる。
誰が来たのかを、確認するために少しだけ扉を開きながら。
アルフはそんなティーノの姿にため息を零すと、玄関に足を向けた。
そんなアルフにティーノは慌てて極小の声量で叫ぶように静止を呼びかける。
「ダメ、ダメだよアルフ!お、お願い!」
だが、アルフは止まらない。
その姿がリビングから消えると、ティーノの小さな心臓は、まるでロックバンドのドラムの、ように早打つ。
ティーノは、来た相手がアイツでは無いことを切に願いながら、心臓の音すらかき消そうと胸に手を押し当てる。
暗がりの中、リビングから差し込む茜色が瞳の中に飛び込んでくる。
ティーノによって綺麗にされたリビングを見ながら、どうしてどうして、と頭の中で唱え続ける。
そして、審判の笛が鳴らされたかのようにガチャリと、ドアノブの音が聞こえる。
「こんばんは~~、今日はよろしくねアルフ!」
その声は、どこか耳に心地よい女性の声だった。
声の感じからして美人で優しい人だろうことは、男であれば誰でも容易に想像できるそれは、ティーノからしてみれば、絶望を運ぶ悪魔の声以外の何物でもなかった。
現に、あの人が来たと言うことは必然的にアイツもいるのだから―――。
「アルフ、久しぶり~!今日はお世話になります!あっ、そうそうティアナさんは、帰りが少し遅くなるって!」
あの声が聞こえた。
それだけで、ティーノはこれから待ち受けることを予想し震え、足は自然と内股になっていた。
「それよりも、ティーノはいますか?」
アルフお願い!僕はいないって言って!
ティーノは心の中で叫ぶ、だがそれは許されない。
「……うん、わかった!」
なにがわかったのか、頼むから帰ってくれ!
ティーノは心の中で祈る。
だが、幼い願いは蹂躙されるかの如く軽快な足音が近づいてきた。
「おっじゃま、しま~~~す!」
リビングの中に入って来たのは、まるで湖の妖精のように可憐な少女で、黄金の髪をふわりと靡かせ、宝石のように綺麗な緑と赤のオッドアイでリビングを見回す。
「ふわぁ~、相変わらず凄い綺麗に掃除されてるねぇ~!」
そう言ったアイツは、部屋を見回すようにくるりとその場で回転した。
そして、白魚のような指を小さな顎に添えると、考えるように、あえて聞こえるように言う。
「でも、掃除をした本人がいないんじゃ、褒めようがないなぁ」
ティーノからは、アイツの後頭部しか見えない。
僕がいないのは、わかっただろ!お願いだから、このまま帰って!
ティーノは、呼吸を押し殺すように口を両手で覆う。
だが、それを許してくれる程に、アイツは優しくなかった。
「でも、お姉ちゃんには、わかるんだよなぁ~……」
アイツはそう言うと、まるでホラー映画のワンシーンのようにぐるりと体の向きを変えた。
そして、赤と緑の瞳と、金色の髪が、僅かな隙間から交差する。
「ひっ!」
僅かに漏れた声、それを聞いたアイツは、ニヤリと笑う。
「みぃ~つけた~」
慌てて扉をしめようとしたティーノに対し、アイツは扉の隙間に指を入れてこじ開ける。
男の子の力よりも女の子であるアイツの方が力があるのはどういうことなのか。
鍛え方が違う―――。
そうとしか言いようがない。
そして、自らを唯一守っていた盾は、その鍛えられた腕力によりこじ開けられた。
「ティ~~ノ~~、お姉ちゃんから隠れようなんて、何を考えているのかなぁ?」
茜色を全身に浴び、金色の髪を靡かせ、小学校の制服に身を包み、スカートをふわりとさせながら、ティーノが必死に見つからないようにしていた相手。
自称、ティーノ・ランスターの姉、高町ヴィヴィオがそこにはいた。