心地よい香りが鼻孔をくすぐる。
ここがなによりも、どこよりも安全な場所で大好きな場所だから、感じることが出来る温もり。
ティーノはその温もりを感じながら静かに目を覚ました。
「ぷあっ!」
ティアナと同じベッドで眠るティーノはティアナに抱きしめられていた。
それは、幼女が大好きな人形を肌身離さず抱きしめるように、優しくけれど強く逃がさないようにしていた。
ティーノはティアナの胸の谷間から顔を出し空気を吐き出すと、視線を少し上げティアナの寝顔を確認する。
「す~……す~……」
「くすっ……」
ティーノはティアナの寝顔を見てから静かに笑顔になり、お見事と言われる程鮮やかにティアナの腕の中から這い出した。
「う、う~ん……」
心地よい感触と温もりが無くなったからだろう。
ティアナが、寝苦しそうにしている。
そんな姿を見たティーノは慣れた動作で、自身の枕をティアナに抱かせた。
するとティアナは枕に鼻を擦り付けて、ティーノの匂いを感じながら再び眠りにつく。
そんなティアナを見ていたティーノは少し頬を赤くした。
「匂いを嗅いじゃダメ~」
声量を落としながらそう言うも、夢の中のティアナはには関係が無かった。
オルランドとの壮絶なケンカの後、すぐに退院することが出来たティアナとティーノはティアナの家に帰って来ていた。
あの日から、すでに一か月の月日がたっている。
ティアナはオルランド並びにディオニソスの裁判のために毎日夜遅くまで書類作成等の仕事をしている。
ティーノは、管理局で毎日精密検査を受ける羽目になっていた。
ディオニソスとオルランドだが、彼らは立場が立場なだけに、事件については公にすることなく、ある種静かにされていた。
又、聖王教会が今回の件に関して前面的に受け持つとの話しも出てきており、管理局では聖王教会に恩を売るチャンスだとの声も出ている。
大人達の都合に振り回されているオルランドではあったが、ティーノと最後に面会した時には、清々しい顔をしていた。
アンジェリカは、順調に病魔は死滅して来ており、体調が本来の形になるまでもう少しというところまで来ている。
保護者のディオニソスの頼みもあって、今現在は騎士カリムの庇護下にいる。
世界は緩やかに進んでいる。
今日も何事もないかのように、静かにけれど確実に進んでいた。
ティーノが朝食を作り終えると、ティアナがパタパタと走りリビングのドアを開けた。
そして、ティーノの姿を見つけると、一目散に駆け寄り、ティーノの脇に手を入れて持ち上げると、ぎゅ~~~っと抱きしめた。
「おはよう、ティーノ」
それに対し、ティーノもティアナを抱きしめ返した。
「おっはよう、ティアナ。朝ごはん出来てるよ」
「いつも、ありがとう。助かるわ~♡」
ティアナはそう言うと、ティーノの頬に自身の頬を擦り付ける。
ティーノはそれをくすぐったそうに喜ぶが、すぐにティアナの顔を両手で押しのけた。
「……ティアナ?」
「はい……」
「今日……も……?」
ティーノがジト目でそう言うと、ティアナはティーノを下して両手を合わせた。
「ほんっと、ごめん。この埋め合わせは又今度するから!」
「それ、五回目だよ?」
ティアナは溜まった仕事の整理や書類集めに毎日、遅くまで管理局に缶詰になっていた。
酷い時には、帰ってこないこともしばしばだ。
そのため、ティーノのデートの誘いを悉く断っていた。
ティーノは頬をぷくっと膨らませる。
子供にとって大人の事情は二の次だ。
それがわからないティアナではない。
だから、ティアナは謝ることしか出来ない。
ティーノもティアナがオルランド達のために頑張ってくれていることは理解している。
だから、はぁ~~っと息を吐き出すとティアナに朝食が冷めてしまうからとこの話を止めにした。
テーブルをはさみながら、ティアナとティーノは向かい合いながら朝食を食べていた。
ティアナが皿に乗ったプチトマトをフォークで突き刺す。
「今日の予定は?」
ティーノは咀嚼していた食パンを飲み込む。
「いつも通り、アルフと本局に行って検査を受けてくる。その後は、予定が空いちゃったから、オルランドの所にでも遊びに行ってくるよ」
「そっ―――。今日の晩御飯は、なのはさんの家でよばれるからね」
ティーノは手に持っていたパンをポトリと落とした。
「へ―――?」
「私は帰りが少し遅れるから、なのはさんの家でってことになったのよ。それに、アインハルトとコロナの試合もあるからね。試合に向けてスパートをきるための区切りに皆でパーティーをすることになったのよ」
「い、いや……。僕は遠慮しておくよ……。だってほら、僕が行っても迷惑だろうし?」
ティーノがどうにかして逃れようとしていると、ティアナはクロスミラージュを持ち上げた。
すると、空中にホログラムが姿を現し、そこにはなのはとヴィヴィオとフェイトの姿が写っていた。
電話回線を開いていたのだろう。
今までの会話は聞かれていたみたいだ。
「ティーノ、ちゃんと来なくちゃオハナシだからね?」
なのはがウィンクして言ってくる。
「別に無理なら無理って言ってくれていいからね?でも、ちゃんとした晩御飯は食べなくちゃダメだよ」
フェイトがオロオロしながら言ってくる。
そして最後にヴィヴィオは一言。
「待ってるからね!」
そして回線は閉じられた。
それと同時に、ティーノは目に見えて項垂れた。
ティアナはそんなティーノのことをほったらかしにして、コーヒーを口に含んだ。
午前から午後に変わろうかと言う時間、朝早くから活動を始めた人達の憩いの時間帯、昼休憩の時間までもうじきという微妙な時間帯。
昼休憩を満喫するために、せわしなく動き回る人の波を泳ぎながら、明るいオレンジ色の長い髪の毛に犬耳をつけた女と、フードを目深に被った少年がいた。
「なんでそんなにヴィヴィオやなのはのことを苦手にしてんのさ?」
ティーノは本局での検査を終え、人型のアルフと本局の廊下を並んで歩いている。
ティーノから今夜のことを聞いたアルフは自然と疑問に思ったことを口にした。
すると、ティーノは目を逸らしながら答えた。
「だってあの二人は、僕をすぐにからかうし……」
「それでも、ヴィヴィオに対してはとくにじゃないかい?」
「ムズムズするんだもん……」
「は……?」
「ヴィヴィオに体を触られると、胸の中がなんかムズムズするんだもん……。でも、ヴィヴィオはそんなのお構いなしに触ってくるし……」
少し長めの袖から、小さな指を出しつんつんと指どうしをつつき合わせながら、ティーノがそう言うと、アルフは腹を抱えそうな勢いで笑いだした。
「ぷっ……アッハハハハハ!!」
「なにが可笑しいんだよ。アルフの意地悪……」
「ヒ~~~ヒ~~~、ごめんごめん。さっ、今日も行くんだろ?」
アルフはそう言いながら、ティーノの手を引いて歩みを進めた。
ティーノ達が辿り着いたのは、コンクリートの壁に覆われた鳥籠のような建物だった。
そこは、外部からも内部からも許可なく出入りすることを防いでいるかのように、聳え立ち管理局員が壁の隙間から目を光らせている。
だが、一歩中に踏み込めば、そこはエデンと見間違う程に緑あふれる世界だった。
一面に整えられた芝生が並び、木々の数々が優しく風に揺れる。
ここは、罪を背負った者達が立ち直るために与えられた箱庭、更生施設だった。
その芝生の上で、病人のような真っ白な囚人服を身を包む人物が寝そべっていた。
「よく来てくれたな、ティーノ」
「元気そうで何よりだよ。オルランド」
オルランドは、以前のような何かに追いつめられているような硬い表情を無くし、清々しい笑みを浮かべていた。
ティーノはオルランドと少し会話をすると、ポケットをあさり出した。
そして、取り出した手紙をオルランドに手渡す。
「いつもすまないな」
「気にするな、僕は気にしない」
「あぁ、では遠慮なくそうすることにするよ」
オルランドはそう言うと、ティーノの目の前で手紙を読みだした。
ティーノはオルランドが手紙を読み終わるまでの間、狼の姿になったアルフの腹を枕にして、芝生の上に寝転がる。
雲が静かに流れ、木々が揺れる音が辺りを占める。
静かに紙をこする音が聞こえ、時折笑みをこぼしたような音がする。
なんとも、落ち着いた良い時間が流れて行った。
ふと、紙が擦れる音が止まる。
ティーノがその音を辿るように首を動かすと、手紙を大事に抱えたオルランドと目が合った。
「……なに女みたいなことやってんだ。……気持ち悪い」
「おい、アンジェリカの手紙を読み感動に耽っていた私の想いを返せ」
ティーノはアンジェリカと会うことが出来ないオルランドのために、手紙のやりとりを手助けしていた。
ティーノはオルランドとアンジェリカの繋がりの糸を断ち斬りたくなかった。
その想いを形にした結果が今となっていた。
ティーノは立ち上がり服に貼り付いた草葉を払い落とす。
「もう行くのか?」
「あぁ、僕にも色々と用事があってね。お前一人に構ってられないんだ」
「そうか……、寂しいな……」
ティーノは小さく一歩を踏み出した。
「……また来る。それまでに、アンジェリカに渡す手紙、ちゃんと用意しておけよ?」
ティーノはそう言うと、一度も振り返ることなく歩き出した。
その顔をちらりと見たアルフはクスリと笑う。
なぜなら、振り返らないティーノの表情もオルランドと同様の顔をしていたからだった。
日が地平線の先に半身を埋め、街を見つめている。
モノレールにアルフと乗るティーノは、座席に座り窓から夕陽に染まった街を見ていた。
彩りが街を埋め尽くす。
今まで灰色にしか見えていなかった世界にしっかりと色が付いている。
ここ最近は幸せ過ぎて、色々な幸せが自身を埋め尽くして行って、それが当たり前となっていた。
でも、ティーノは知っていた。
その世界から色が無くなる恐怖が、だからだろう。
ティーノは街を見つめながら、何一つ言葉を発しなかった。
「なのはの家に行くには、次の駅で乗り換えだからね」
アルフがそうティーノに声をかけた瞬間、ティーノは何かに弾かれたように立ち上がった。
「ど、どうしたんだい?」
「……ごめん、次の駅で降りる」
「な、なにを言って……?」
アルフが困惑している間に、モノレールは次の駅についてしまった。
そして扉が開くと、ティーノが走り出す。
「ティ、ティーノ!!」
それを追いかけてアルフも走る。
「ハァ、ハァ、ハァ!!」
ずっと考えていた。
オルランドと戦ったあの洞窟内で、僕の体の中に入り込んで来た意識。
それは、ジェイル・スカリエッティの意識で今は僕に溶け落ちている。
それが生み出す僕への影響、それを検査し続けていたが、特に変化は無かった。
でも、確かに変化はあるはずなのだ。
周りの大人の対応が、目が、そう物語っていた。
なのに、答えは未だに出ない。
答えの鍵を知るのは、ジェイル・スカリエッティしかなく。
僕はその容姿と名前しかしらない。
彼がどういった生き方をして、どんな思いでいたのか、知らない。
それを調べようとしても、皆がそれを邪魔してくる。
まるで、それが答えであり、悪いことであるかのように。
でも、そこに答えがあるのだ。
どんなに悪いことであったとしても、ジェイル・スカリエッティと言う者に、僕の答えが。
記憶の手掛かりがあるはずなのだ。
あの灰色の世界に浸ってしまう前の僕の記憶が眠っているはずなのだ。
そう考えていたときに、ふと目に飛び込んで来た。
墓石の数々。
そこは、墓地なのだろう。
一目では、把握しきれない量の墓石が並んでいた。
その一つに何故だか、僕は妙に引かれてしまった。
だから思ったのだ。
そこにジェイル・スカリエッティの手掛かりがあるのではないかと―――。
「ティーノ!待ちな、ティーノ!!」
後方からアルフの声が聞こえるが、立ち止まってなんていられない。
僕は知りたいんだ。
過去の僕がどんな人物だったのかを―――。
そしてティーノは、目的の場所に辿り着いた。
ティーノは肩で息をしながら、その目的の墓を見た。
墓は、ミッドチルダにありふれたただの墓だった。
夕日に石が染まり、影を作って輝いている。
手入れが隅々まで行き届いており、ここに眠る人物が余程大切にされていたのだろうことはすぐに理解出来た。
だが、ティーノはその場所に辿り着いた時には、先程までの熱が冷めてしまっていた。
ここに目当てのモノは無かった。
そう思い、踵を返そうとした時、ティーノの頭にゲンコツが振るわれる。
「イタイッ!!」
「痛くしたんだから当たり前だ!!」
そこには、人型となりフーフー唸っているアルフがいた。
アルフが自分を心配して怒っていることを察したティーノは、しゅんとする。
「……ごめんなさい」
「まったく……肝が冷えたよ」
アルフはそう言うと、今度はティーノの頭をワシワシと撫でた。
アルフとティーノの影が伸びて行く。
それは、もうすぐに夜が来ると告げているようだった。
そして、その二つの影に新たにもう一つの影が重なる。
「あれ、もしかしてアルフさんですか?」
声がした方を振り向く。
すると、そこにはギンガ・ナカジマが花束を持って立っていた。
ギンガの存在に気が付いたアルフは気さくに手を上げると、ギンガに歩みより何か会話を始めた。
だが、その会話の声が耳に入ってこない。
この時、ギンガの姿を見たティーノは墓を再度確認する。
そして、歯車の一つがカチリと音を立てて自身の中で回り始めたのを感じた。
ここは、ミッドチルダ西部エルセア地方に存在する場所。
その名を、ポートフォール・メモリアルガーデンと言う。
その19号第5区画24番地に立つティーノは一つの墓を見つめ続ける。
そこには、こう書かれていた。
クイント・ナカジマここに眠る、と―――