揺れる波面―――
上がる気泡―――
黄色の液体に満たされたカプセルに眠るその女性は、ただ悲し気に表情を歪め、悪夢を見ているかのように涙を浮かべ、悲しみを感情と共に体から切り離していくかのように黄色の液体に溶け込む。
そう、その女性が浸かる世界は悲しみに満たされていた。
闇の中に浮かぶかのようなその姿を見たオルランドとリインの二人は、うまく言葉を出すことが出来なかった。
金縛りで体が捕らわれ、見えない感じない魂だけとなった不気味などこのどなたかに体を抱きしめられているかのような不快感。
自然と背中を汗が伝い、知らないうちに手汗が指先から伝い落ちた。
高所から低所へ。
天上から下界へ。
響き渡る水面を叩く音。
始まりを告げる福音は、静かに彼女の眠りを妨げた。
「クイントさん!」
まず解放されたのはリインであった。
彼女は薄く瞼を開けたクイントの姿を瞳に納めると、自身に纏わりついていた何かを振り払い駆け出した。
「クイントさん!大丈夫ですからね!今すぐ出してあげますから!」
リインはガラス一枚に阻まれた世界に浮かぶクイントにそう叫ぶと、目につくところに存在していたコントロールパネルを自身の知識を全て引きずり出して叩き出した。
リインの瞳にどこの世界の言語か意味の分からない文字の羅列と数字の羅列が出ては消えていく。
「大丈夫、大丈夫ですからね!」
それは誰に向けて言った言葉なのか。
自分自身に?
捕らわれのクイントに?
行方知れずのティーノに?
その全てに向けてリインは叫び続けた。
そしてその叫びを浴びた男がここに一人いた。
「私も手伝う」
「オルランドさん!」
「指示をくれ!」
「はい!」
そこからの二人は実に迅速であった。
ただ救いたい。
速く家族に会わせてやりたい。
そして、この喜びを今どこかに行ってしまい心配させているアイツと分かち合いたい。
リインの心がティーノを優先しろと叫んだ。
だが、リインはその手を止めることはしなかった。
彼なら、どちらを優先すべきなのか。
順序がどうなっているのか。
何を選択するのか。
わかっていたから……。
だから―――
「絶対に助けます!クイントさん!!」
リイン達がクイントの救出を急ぎ、ティーノが絶望に叫ぶ中、遥か空の上では騎士と機士が睨み合っていた。
動けない―――
シグナムは敵の戦闘機人をその鷹のような瞳で射貫く。
パワーに技量、そのどちらも同等かもしくは上。
速さにあってはあちらに分があり、守りに在ってはこちらに分がある。
だが、時間がなかった。
ティーノ達がいる場所は、まさに魔窟。
地獄の始まりにして、天にいきつく螺旋階段。
ジェイル・スカリエッティの欲望の窯底。
そこに彼らはいる。
何も知らずただ求めることしか出来ない子供が、そこにいるのだ。
後悔がシグナムの胸中に押し寄せる。
あの時、もっとキツく留めるべきであった。
子供の背伸びが身を結ぶ姿が眩しく、それを尊いと平和に沈んだ体と平和に腐った心がこの結果を生み出した。
一度犯した過ちは取り戻すことが出来ない。
けれどもとシグナムは呼吸を整えた。
「まだ間に合う!」
その言葉に、悠久の時を共に戦い。
共に腐った同志が応えた。
「その通りだ」
「ちゃっちゃか終わらせんぞ!」
シグナムはレヴァンティンを構える。
腐って結構、沈んで結構―――
この身は既にその次元を超越した愛によって受肉した偽物の人生。
だから打倒する。
目の前の敵を―――
ただただ思いつく限りの全てで打倒する。
シグナム、ザフィーラ、ヴィータの体の内から出た魔力の奔流が周囲を歪めていく。
そしてまるで松明に油を注ぐかのように、爆発させた。
「レヴァンティン!」
その斬撃は速かった。
その斬撃は重かった。
その斬撃はシンプルであった。
シグナムは己が魔力の爆風に方向性を与えてやることで、トーレとセッテに一瞬で肉薄する。
懐に入って斬る。
シンプルであるが故に切り札と為りうる最速最重の一撃。
だがしかして―――
戦闘機人は、そんな規格外を葬るために生まれた純粋種―――。
「IS発動―――ライドインパルス」
シグナムの一撃はトーレとセッテの残像を斬り伏せ空を割った。
「どうやら、今日はここまでのようだ。では、この戦いの行方はいずれまた―――」
トーレとセッテは、言の葉がシグナム達の鼓膜を揺するより早くその場を後にした。
「くっ……」
シグナムは悔しさに唇を噛みしめる。
だが悔しさに潰され俯くシグナムの背中を小さな手がひっ叩いた。
「アイツらの事は、後で良い。むしろ好都合だ―――行くぞ?」
ヴィータの張り手により背中の一部が僅かに熱い。
だが、その熱は再びシグナムの体を伝播していき活力を生み出した。
「あぁ、その通りだ!」
シグナム、ヴィータ、ザフィーラの三人は大穴の中に自ら飛び込んでいく。
取り戻すために―――。
樹海の中では、スバルとギンガ、ゲンヤの三人がクアットロの足止めに苦戦していた。
つい先程までは―――
「ディバインバスター!」
スバルが魔力の塊を叩きつける。
生み出された魔力の波が幻の世界の一点に集約され押し寄せる。
砕け散る世界。
ガラス片のような世界の欠片が降り注ぎ、木々の青臭さと微かな太陽の光が現れた。
それは元の世界に帰ってこられたことを意味しており、それを成しえたのは一人の無力な男の洞察力であった。
「ふぅ……うまく行ったな……」
膝をついた状態のゲンヤ・ナカジマは顎にへばり付いた汗と泥を拭うと勝ち誇るように立ち上がる。
その先には、茫然と立ちすくむクアットロの姿があった。
「ど、どうして……」
クアットロの瞳に疑問の色がやどり、言葉は弱音を吐き出した。
「これぐらい出来ないと、魔力のない人間が一つの部隊を持つことなんて出来やせんよ」
その言葉が耳に届いたクアットロは怒りに震えた。
認めたくなかった。
自身の力が、ただの人間に負けたことが、ただ認めたくなかった。
そして、そんな人間をまた侮ってしまっていた自身を認めたくなかった。
「はぁあああああ!」
怒りに震えるクアットロをギンガが襲い掛かる。
これで決まるそうスバルもギンガもゲンヤも思っていた。
そもそもクアットロは幻術に長けたサポートタイプであり、前線に一人で現れるような人物ではない。
さらに、時間稼ぎのみが目的だと判明した以上その幻術を破った時点で勝敗は決したはずだった。
だが、予想は大きく裏切られる。
「えっ?」
ギンガの拳をクアットロは受け止めていた。
そして、ギンガを放り投げる。
「くっ……」
「ギン姉!」
「大丈夫よ」
態勢を立て直したギンガとスバルは油断することなく構える。
目の前にいるクアットロがJS事件のときの人物とは違って見えて来ていたからだ。
体中から発せられる危険信号。
震えが知らず知らず押し寄せてくる。
だが瞬きした一瞬の間にクアットロの姿はそこには無かった。
そして虚空より声が響く。
「今日はここまでにしとくわ~。それとこれは忠告なんだけど、先に進まない方が賢明よ?」
「それはどういう意味!?」
「私が言えるのはそれだけ……じゃあね」
それだけを残し、付近一帯からクアットロの気配が消えた。
三人の間を無言が支配する。
クアットロが残した言葉、その意味が虚言に聞こえないのだ。
だからこそ、身動きが取れない。
その時、ゲンヤが息を大きく吸い込んだ。
そして大きく娘二人に向け頭を下げた。
「力を貸してくれ!俺は……俺は、クイントに会いたいんだ!」
その言葉を聞いたスバルとギンガは互いに笑い合い、それぞれが優しくゲンヤの肩を持ち上げる。
「その想いは皆一緒ですよ」
「皆でお母さんに、おかえりなさいって言おう!」
娘二人に励まされたゲンヤは思わず涙ぐんでしまう。
だがゲンヤはその涙を拭うと、前をまっすぐに見つめた。
「行くぞ!」
その心に、一抹の不安を抱きながら……
オルランドは驚愕していた。
隣で必死にクイントと呼ばれた女性を救おうとしてる少女は、まるで長年使い倒した機械を触るかのように、手足のように見たことも無いコントロールパネルを叩いている。
その動作一つ一つに迷いは無く。
オルランドに指示を出しながら、作業を進めている。
それが驚異的なことであることくらい、オルランドでも理解出来た。
現に、クイントに取り付けられていた機材の数々はほとんどが取り除かれていた。
後は、気味の悪い液体を輩出して呼吸器をはずせば終わりというところまで来ていた。
後少し―――
後少し―――
オルランドは心の中で何度も呟く。
気味が悪かった。
場所の空気が、光が、音が、機材が、全て気味が悪かった。
だがらだろう。
気味が悪かったが故に警戒していたから反応出来た。
クイントの腕がガラスを突き破り、リインに伸びたことに―――
「―――ッ!!」
「へ―――?」
オルランドはリインを突き飛ばす。
その瞬間、横腹に強烈な衝撃が走るのが分かった。
「オルランドさん!!」
オルランドは吐瀉物を撒き散らしながら吹き飛ばされ、壁に激突した。
「どう……して……」
リインは信じられないと座り込み動くことが出来ない。
クイントはスバルの家族だ。
ギンガの家族だ。
ゲンヤの家族だ。
今まで、リインは裏切られたことが無かった。
はやて達の知り合いにそんな人はいなかった。
だから、今目の前で起きていることが理解できなかった。
ガラス片と黄色の液体を踏みしめ、まるで戦闘機人のようなバリアジャケットを着込み。
その両手にスバルのリボルバーナックルとよく似た物を装着して構えているのが、まるで敵を見据えているかのように無表情に立つその姿を理解したくなかった。
その時、部屋全体の温度が急激に下がり息が白くなって吐き出された。
白い閃光が走る。
クイントは寸分たがわず閃光に拳を合わせた。
そこには、デュリンダナを振り抜いたオルランドがいた。
拳にデュリンダナが弾かれるとオルランドとクイントは間合いを取る。
オルランドがデュリンダナを正眼に構えた。
「いきなりの挨拶だがまぁ良い……とにかく今は大人しくしてもらう!」
そして二人は激しく戦いを始めた。
その様を見ることしか出来ないリインは涙を流すことしか出来ない。
二人の戦いに割って入れば、オルランドの邪魔になることが確定しているからだ。
リインは悔しさに唇を噛んだ。
どうして自分には力が無いのか―――
元々、リインにはモデルが存在した。
リインの本名はリインフォース・ツヴァイ。
そう、二番目なのだ。
リインは、リインフォースの欠片をもとにはやてが作った融合型デバイス。
元となったリインフォースは力に翻弄され辛い過去に苦しめられたことは聞いていた。
だがその力は絶大であったことは、なんとなく覚えていた。
まさに圧倒的なまでの力であったことはわかっていた。
だが、リインにはその力は受け継がれていない。
親であるはやても元となったリインフォースもそれを望まなかったからだ。
だが、リインは今それを悔やんだ。
ここにいたのが、自分では無くリインフォースであったのなら、状況は違っていた。
もっと良くなっていた。
そんな自己否定が頭から離れない。
その頭痛がさらなる涙を溢れさせる。
力があったなら―――
そう望まずにはいられなかった。
シグナム達は、リインの居場所を微かなリンカーコアの反応から特定し、壁をぶち抜き進んでいた。
シグナム達がそのような強引な方法に打って出たのには理由があった。
胸騒ぎが収まらないのだ。
それは、どのような精神統一でも収まることは無く。
時間がたつにつれ、距離が近づくにつれ、勢いを増して行く。
嫌な予感しかしなかった。
そして最後の壁をぶち抜いたところで、それを見た。
クイントに首を握りしめられ持ち上げられているオルランドの姿を―――
その先で、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら座り込むリインの姿を―――
どうしてこうもうまく事が運ばないのか。
誰しもがそう思った。
皆が笑い合うハッピーエンドを夢想した。
なのになんで世界はこんなにも、人を苦しめる。
シグナムは静かにレヴァンティンを抜き取った。